東京都中央区の記事
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未記入は朝日新聞
2007.10.12
  • 自治体アンテナショップ
  • 中央区の13店舗
  • スタンプラリー
  • 中央区内にある、自治体が特産品などを販売する「アンテナショップ」のスタンプラリーが始まる。
    • 中央区とアンテナショップ連携推進協議会が主催し、各自治体のPRや街のにぎわいづくりを目的に昨年から始まった。
    • 北海道、京都市と青森、岩手、新潟、山梨、群馬、島根、山口、高知、大分、熊本、沖縄の11県の店舗。
    • 農産物、海産物、伝統工芸品などを販売するほか、食事ができるコーナーを併設したり、観光情報を提供したりする店もある。
2006.04.05
  • 「都心回帰」の波
  • 中央区,、31年ぶり10万人
    • 相続で店を手放す人が増えた
    • その跡地が軒並みマンションになっている
  • 旧住民には「顔を知らない人が増え、治安上も不安」などの声
読売新聞
2003.07.23
  • 東京湾0b
  • 隅田川霊岩島水位観測所
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2011.01.18
  • 「じいじ、燃えてるよ」3歳男の子お手柄
  • (祖父と)散歩中に火災を見つけ、119番通報に協力したとして京橋消防署から感謝状を贈られた。
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2008.07.24
  • エコブームで人気復活
  • 江戸うちわ
  • 粋イズム
  • 創業は1590年。
  • 日本橋に店を構える「伊場仙」は、420年近くたった今も「江戸うちわ」の伝統を守る老舗。
    • 「省エネやエコブーム、さらには浴衣の流行とともに人気は復活しています」と14代目の吉田さん。
    • 「江戸時代、絵は、安藤広重や歌川国芳らに発注していたそうです」
    • 購買層は若者からお年寄りまで幅広い。
    • 売れ筋は一つ1000円前後で、女子高生もカバンに入れて持ち歩いているという。
2008.01.30
  • 若さに触れ、粋を育む
  • 江戸扇子
  • 匠の巧
  • きらびやかな京に対し、江戸は「粋」で勝負する。
    • 骨の数が15〜18本と少なく、すっきりとした意匠の江戸扇子。
    • 基本は無地で、好みの文字や絵を入れて楽しむ。
    • 落語の高座や茶席など様々な場面で使われ、「パンッ!」と、威勢いい音が鳴るのも折り幅の広い江戸扇子ならでは。
    • 関連HP→伊場仙 (団扇、扇子、和雑貨の老舗店)
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2007.03.30
  • 三菱倉庫江戸橋倉庫ビルを都選定歴史的建造物に
  • 東京都は、次代の人々に美しいまち東京を引き継ぐため、東京都景観条例に基づき、歴史的建造物を選定している。
  • 今回選定された「三菱倉庫江戸橋倉庫ビル」は、1930(昭和5)年の建設。
    • 外観は水辺に浮かぶ船をイメージしているといわれている。
    • 船長が操舵・指揮する船橋を模した屋上の塔屋、ゆるやかにカーブした壁面、上層階の半円窓など、個性的なデザインが目を引く。
    • 関連HP→東京都都市整備局 (→市街地建築→街並み景観→歴史的景観の形成→都選定歴史的建造物一覧)
広報東京都
■地域
京橋 >>戻る
2007.08.19
  • 絵心 握りに結実
  • 東京シルエット
  • 京橋はかつては職人が多く住む活気ある下町だった。
  • それでいて「上品でしっとりした空気が漂っていました」と老舗すし店「京すし」の4代目・岡田さん。
    • この人、江戸町火消しの錦絵の名手でもある。
    • 絵心は本職の美しい握りに結実している。
銀座 (別ウィンドウ)
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2007.06.15
  • チロリ忘れない 捨て犬からセラピー犬
  • 築地の公園に像建立
  • 捨て犬からセラピードッグ(治療犬)になり、活躍ぶりが映画にもなった「チロリ」のブロンズ像が、築地の公園に建てられた。
    • チロリは昨年がんで15年の生涯を閉じるまで各地の施設を回った。
    • チロリと接した脳障害の女性は手を動かし、表情の乏しかったお年寄りは笑顔を取り戻した。
    • チロリ像は歌舞伎座から晴海通りを南に約100メートル行った「築地川銀座公園」にできた。
    • 「チロリの功績を形に残したかった」と大木さんらが有志が像の制作費を負担。
    • セラピードッグの派遣に力を入れている中央区が公園の一角を提供した。
  • 約30年前、アメリカでセラピードッグを知り、訓練法を学んだ大木さんも救われた一人。
    • チロリとの出会いは1992年(平成4)、千葉県松戸市の空き地に5匹の小犬と一緒に捨てられていた母犬を近所の子どもたちは「チロリ」と呼んでいた。
    • チロリは大木さんが飼っていた病気の犬に寄り添う優しさをみせた。
    • 訓練を終えて、チロリは1996年(平成8)にセラピードッグとなった。
    • 大木さんは、私財を投じて2003年(平成15)に「国際セラピードッグ協会」を設立。
    • 2004年(平成16)には映画「犬と歩けば チロリとタムラ」が公開された。
    • 2005年(平成17)にはチロリを描いた漫画が雑誌に掲載された。
月島 >>戻る
2006.09.15
  • 東京最古の交番「再登板」
  • 廃止決定の月島署
    • 西仲通交番商店街には有名なもんじゃ焼き店の集まった「もんじゃストリート」があり、地域住民の知らない訪問者が絶えないため、存続を要望
    • 形を変えて存続する見通し
    • 背景には、都内の交番の統廃合計画
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2008.06.04
  • 都会っ子受け継ぐ供養の心
  • 佃島の盆踊り
  • ふるさと芸能めぐり
  • 木戸の日本家屋、軒先に並ぶ植木鉢・・・。
    • 高層マンションが林立する都心に、ぽっかりと、時間が止まったような懐かしい下町の風景がある。
    • 中央区佃1丁目。
  • かつて佃島と呼ばれたこの地で、盂蘭盆会(うらぼんえ)の7月13日から3日間、「佃島の盆踊り」がしめやかに行われる。
    • 歴史は320年余り。
    • 「振り袖火事」として知られる明暦の大火で日本橋浜町にあった西本願寺が焼け落ちた。
    • 1680年、門徒だった佃島の漁民の尽力によって築地に再建され、その年から盆踊りをするようになった、と伝えられる。
  • その昔、佃島は隅田川の中州だったため、護岸工事をする前は、災害があるたびに無縁仏が流れ着いたという。
    • 関東大震災や東京大空襲でも、命を落としたたくさんの人があがった。
    • 「安らかに成仏してほしい」。
    • 多くの魂を供養する思いを胸に、佃の人々は踊り継いできた。
  • 河岸近くに設けられた精霊棚に線香をあげ、踊りの輪に加わる。
    • 櫓の上では地元の声自慢が太鼓のバチを片手に、念仏のような単調な唄を独特の節回しで唄う。
    • 踊りもよっくりで、静か。
    • 「納涼祭りのような派手さやにぎわいはなく、趣深く、どこか哀愁と無常観すら漂う。昔ながらの盆踊りの光景が心にしみ入ります」と保存会代表の山田さん(62)。
2006.10.08
  • 黒沢映画に往時の光景
  • 泉麻人の東京版博物館
  • 江戸時代から約300年間にわたり、隅田川下流かいわいの下町っ子に親しまれた佃の渡しが廃止されることになった。
    • すぐそばに佃大橋ができ、その役目が終わったからだ。
    • 1964(昭和39)年
  • 印象に残っているものをあげると、例えば黒沢明の「野良犬」(1949(昭和24)年)で、若き三船敏郎演じる刑事が犯人捜しをするシーンで佃の渡しとおぼしき船に乗る。
    • 同じ三船がタクシーの運転手をやる「吹けよ春風」(1953(昭和28)年)って映画では、明石町の渡船場で佃島からやってきた子供たちを10人余り、タクシーに乗せてやる場面が印象的だった。
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2008.06.22
  • 老舗の通りゆく江戸の粋
  • 東京シルエット
  • 江戸三大祭りの一つ、山王まつり(日枝神社大祭)。
    • 各町自慢の神輿10基が京橋から日本橋まで連なって進む。
  • なかでもひときわ目をひく「檜物町(ひものちょう)」の大神輿。
    • 重量約1トン、明治期の作で震災や戦火もくぐり抜けた縁起もの。
2007.07.26
  • 石畳の装い
  • 老舗の通りを一新
  • 「街おこしに」店主ら期待
  • 江戸時代から商業の中心地として栄えた日本橋。
    • だが、最近は外資系ファッションビルの進出が相次ぐ銀座や、ミッドタウンの完成にわく六本木(港区)などに話題をさらわれがち。
    • そんな中、日本橋に活気を取り戻そうと地元の老舗の店主らが「石畳」の通りを造った。
    • 「日本橋らしい趣のある街並みをお客さんに楽しんでもらいたい」。
  • 三越日本橋本店前の中央通りを結ぶ「むろまち小路」。
    • 約200メートルの石畳の通り沿いに、つくだ煮の「日本橋鮒佐」、かまぼこ・はんぺんの「神茂」など創業100年を超える老舗が並ぶ。
  • 通りは元々はアスファルトだった。
    • 電線が無くなり、今の姿になったのは昨年。
    • 2005(平成17)年に中央区が電線地中化を地元に打診したのがきっかけだった。
    • 「日本橋では路地に入れば、昔ながらの個性的な店がそろっている。塗り替えるなら歩きやすくて日本橋らしい品格のある通りしたいと思った」。
  • 商店会の提案で御影石を敷き詰めることが決まった。
    • 石の購入代約3千万のうち、2千万円は都と区が助成。
      残り1千万円は三井不動産や三越など周辺企業の支援や、地元商店主たちの協力で調達した。
    • 「通りに面していない店の寄付もあった。街おこしのためにはパッと金を出す。そんな商人気質がここにはあるんです」と地元商店会の代表・橋本さん(72)。
  • 三井不動産は2012(平成24)年完成を目指し、「むろまち小路」周辺で再開発事業を進めている。
    • これに合わせて他の路地も石畳にすることを検討。
    • 「地元商店のある路地裏にも足を運んでもらえるよう工夫して共存していきたい」と橋本さん。
2006.12.09
  • 日本橋の文化、伝承施設開所
  • 福徳神社の仮宮設置
  • 日本橋室町2丁目に2009年(平成21)12月末までの期間限定でオープン。
    • 三井不動産が三井6号館に設置。
    • 周辺で進む再開発事業が一段落した後、神社は新社殿が建設される予定。
2006.12.07
  • 日本橋の漱石碑、今度は三越屋上
  • 早大が建立
  • 日本橋三越の本館屋上に「漱石の越後屋の碑」
    • 漱石の作品は日本橋を舞台にしたものが多い
    • 「道草」など10作品で日本橋三越の前身である、越後屋や後の「三越呉服店」に関する記述がある。
  • 日本橋の漱石関連碑は3カ所目
    • 2004年(平成16)に日本橋中州のマンションに建った「真砂座跡の碑」
      • 真砂座は舞台「我輩ハ猫デアル」が上演された劇場
    • 2005年(平成17)にはコレド日本橋の近くに「漱石名作の舞台の碑」
      • 「三四郎」などに登場する「木原店」にちなむ
2006.10.31
  • 400年前の”平和の使節”再現
  • 「東京日本橋パレード」
    • 江戸時代の朝鮮通信使を再現
    • 韓国の朝鮮通信使文化事業会から派遣
  • 朝鮮通信使は、江戸幕府が朝鮮半島との平和外交のために国賓として招いた文化使節
    • 1607年に初めて招いてから400年目になる
2006.04.01
  • 古き日本橋生かし大改築
  • 1933年(昭和8)に建てられた「高島屋東京店」が、2012年(平成24)度をめどに大改築される見通し
    • 現在の東京店は、日本の百貨店としては初めて全館冷暖房装置を完備した「都選定歴史的建造物」に認定
    • 本館の外観、正面玄関や1階の吹き抜け部分などは保存される
2005.10.08
  • 越後屋呉服店が復活
  • 中は案内所やカフェ
  • 三井不動産は、江戸時代に繁盛し、三井グループの起源となった
  • 1673年に開かれた越後屋呉服店を模した「三井越後屋ステーション」を発祥の地である日本橋の三井第3別館1階に期間限定で開く
    • 屋根瓦やのれんなど内外装に約9千万円をかける
2004.03.19
  • 日本橋に無料バス
  • 東京駅と日本橋、京橋などを結ぶ無料巡回の低公害型バス「メトロリンク」
    • 日本橋地区の活性化をめざす
    • 車体の外装は江戸時代の人々が行き交う様子を描いた「江戸名所図屏風」をもとにデザインされた。
    • 公式HP→日本橋メトロリンク(日の丸リムジングループページ)
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2008.03.06
  • 大判どら焼
  • 清寿軒
  • 逸品ものがたり
  • ビルの谷間に、昔ながらの風情を残す小さな店構え。
    • 「清寿軒」は1861(文久元)年から続く和菓子屋。
    • かつて日本橋の花柳界が華やかだった時代には、料亭への納めが商いの主だった。
    • その後、店頭売りに転じ、大福帳デザインの化粧箱は地元でいまやおなじみ、
  • 「機械を使わず、すべて手仕事。だから粒をつぶさず餡を炊けるし、微妙な生地の感触をとらえ、食感・風味のよい皮ができる」と7代目。
    • 「睡眠時間を削っても、手間ひまかけておいしいものを作りたい」。
2008.01.24
  • ワッフル
  • 東海
  • 逸品ものがたり
  • 10年ほど前に大流行したベルギーワッフルは、格子状の型で焼かれた甘い発酵菓子。
    • 対して日本生まれのワッフルは、小判形に焼いた軟らかな生地を二つに折り、餡やジャムをはさむ。
    • これは明治中期に両国(墨田区)にあった米津風月堂が西欧のワッフルをアレンジして作ったことに始まる。
  • 大正創業の和菓子屋「東海」でも、戦前からアンズジャム入りの「ワッフル」を作り続けてきた。
    • 生地には黄身の色が鮮やかな奥久慈卵、砂糖ならあっさりした後口のもの、と素材を厳選して使用。
    • 酒やみりん、醤油も加えるのが和菓子屋らしい。
    • 「ポイントは混ぜすぎないこと。ふわふわすぎない適度なやわらかさに仕上げる」とご主人。
  • 型が八つ並んだ鉄板は、戦火をくぐり抜けて先代から受け継がれた大切な品。
    • 一つひとつに刻まれた「JIYO」(滋養)の文字が、卵や砂糖が貴重品だった、かつての日本を思い起こさせる。
2008.01.31
  • 菊最中
  • 入船青柳
  • 逸品ものがたり
  • 「菊最中」は、1891(明治24)年の創業時から作り続けられている「入船青柳」の看板商品。
    • その形から、日清日露戦争の折りには「戦利最中」として売り出された。
  • 黒々としたつぶし餡は、初代から受け継がれる自慢の味。
    • 使用するのは、上質な十勝産の大納言小豆。
    • 寒天は使わずに水アメを多く加えることで照りを出し、しっとり、コクのある餡に仕上げる。
  • できたては皮がサクサク。
    • 10分もするとしんなりしてくるが、1日たてば、再びパリッとして程よく餡となじんだ状態に。
2006.12.15
  • 切羊かん
  • 長門
  • 逸品ものがたり
京都ではなく江戸で誕生した数少ない老舗の和菓子屋の一軒。
  • 代々、徳川将軍家へ菓子を献上した。
  • 包み紙や最中の皮に、徳川家の紋である葵が描かれているのはその名残。
  • 「和菓子屋は小豆を炊いている時、店全体に小豆の香りが立ち込めるくらいが良い」と、店は3人も入ればいっぱいになるほどの大きさ。
2006.12.08
  • パネトーネミラネーズ
  • ボニファンティ
  • 逸品ものがたり
  • パネトーネはイタリアのクリスマスシーズンに欠かせないお菓子
    • 北イタリアのミラノで誕生
    • 修道院で生まれた」という説と、「パン職人のトニーが考案したので「パーネ・ディ・トニー(トニーのパン)」からパネトーネになった」という説がある。
  • 生地にパネトーネ菌を混ぜ込み、ゆっくりと発酵させる。
    • 日本でも菌を育てようと試みても、数カ月ともたないという。
    • イタリアの会社の1930年(昭和5)から守り継がれてきた菌を用いている。
にほんばし島根館 >>戻る 公式HP→にほんばし島根館
2008.02.18
  • 干物、シジミ、あご野焼
  • 全国対抗ふるさと自慢アンテナショップ巡り
  • 「地図上で最も分かりにくい県と言われますが、ここに来れば好みの商品がたくさん見つかります」とPR。
  • 約700点のアイテムが並ぶ食品コーナーでは、甘酸っぱい梅のみつ漬けを生地で包んだ「かこい梅」などの銘菓や宍道湖のシジミなどが売れ筋。
    • 定番のアジやカレイなどを中心に干物類が人気で、県魚のトビウオ(山陰では「アゴ」と呼ぶ)のすり身を炭火焼きにした「あご野焼」は島根の食卓の味。
  • 隣接する食事所「主水(もんど)日本橋」では、島根の山海の幸が堪能できる。
定年時代(朝日新聞)
2006.07.11
  • アンテナショップ「にほんばし島根館」で、島根県松江市の宍道湖(しんじこ)などの中継映像を大型テレビで流し始めた。
    • 100倍のズーム付きカメラで、店内から遠隔操作できる。
人形町 >>戻る 公式HP→人形町商店街協同組合
2007.09.27
  • 黄金芋
  • 寿堂
  • 逸品ものがたり
  • 1884(明治17)年に創業。
    • 名物は焼き芋そっくりの「黄金芋」。
  • 芋は使わず、卵黄を混ぜ込んだ白餡を芋の形に整えて皮で包み、ニッキをまぶす。
    • これを5つ並べて串に刺し、高温のオーブンで焼くこと5分。
    • 上からも下からも火が入るので、餡はほっくりと口溶けよく、ニッキが上品な香りを放つ。
  • 向田邦子は「江戸の昔から、随一の商業地といわれた人形町の『あきんど』の姿と、下町情緒が、黄金芋の肉桂(にっき)の香りと一緒に匂ってきた」とエッセーに記した。
2007.05.24
  • 茶つぼ 半月
  • 人形町 亀井堂
  • 逸品ものがたり
  • 1929(昭和4)年、神戸の亀井堂総本店から人形町佐々木家に暖簾分けされた店。
    • 佐々木家は平安時代から続く名族で、江戸時代には3千石の旗本となり、幕府の重鎮や漢学者を出した。
    • 教養と倫理を重んじる家風を反映し、伝統を守りつつモダンさを取り入れた菓子を作り続けてきた。
  • 「茶つぼ」と「半月」は、牛乳やバターを使わず、粉、卵、砂糖のみで仕上げた歯触りのよい瓦煎餅。
    • 表面には、職人が刷毛(はけ)で一枚一枚砂糖を塗る、「刷毛引き」と呼ばれる砂糖細工が施される。
    • 以前は刷毛引きの伝統を受け継ぐ職人が多くいたが、今や日本中探してもこの店の2人だけという。
  • 香ばしい煎餅を引き立てる砂糖の甘みがほどよく、品がいい。
    • 言うなれば、さりげなさの中に秘めた上質。
    • 江戸時代、絹をあえて木綿風に仕立てたの”地味派手”を好んだ、江戸っ子流美学と重なり、なんとも心憎い。
    • 公式HP→亀井堂
2007.04.12
  • 手焼き煎餅 おこげ
  • にんぎょう町草加屋
  • 逸品ものがたり
  • かつては多くの料亭が立ち並び、芸者が行き交った日本橋の裏座敷、人形町。
    • ここで昭和の初めから愛され続けているのが、「にんぎょう町草加屋」の煎餅。
  • 香ばしい焼き上がり。
    • 夜になればあちことから注文が入り、客の好みに合わせて焼いた煎餅をお座敷まで届けに走ることも常だったという。
  • 備長炭の遠赤外線で約4分、煎るように焼かれた煎餅は芯まで火が通り、割ると真ん中に茶色い線が入っている。
    • 「万人の口に合う煎餅は長く残らない。これと思った味を頑固に引き継ぐのが私の仕事」と当代・石川さん。
晴海 >>戻る
2006.08.14
  • 真夏の大輪、夜空に乱舞,東京湾大華火
2005.08.13
  • 68万人うっとり 東京湾大華火祭
八重洲 >>戻る
2008.05.25
  • 和食店ドアマンは先代店主
  • 東京シルエット
  • 「いらっしゃいまし」。
    • 玄関口で待機し、客がやってくるとすかさず引き戸を開けて迎え入れる。
    • 「ありがとうございました」。
    • 張りのある声で謝意を込めて送り出す。
  • 1913(大正2)年創業の日本料理「八重洲とよだ」の先代店主幅一雄さん(95)。
    • 5年前、孫に代を讓るまで80余年、毎朝魚河岸へ通い包丁を握る現役だった。
    • 孫に任せるだけではつまらない。
    • 心意気は現役。
    • 自らドアマンを買って出た。
    • 公式HP→八重洲とよだ
歌舞伎座 >>戻る
2008.03.19
  • 長嶺ヤス子 歌舞伎座で演歌を踊る
  • 舞踊家の長嶺ヤス子が人気演歌曲を踊る「情炎のゆくえ」が上演される。
    • 20年ほど前、渋谷のジアン・ジアンでリサイタルを開いて以来、演歌は長嶺の重要なテーマ。
  • 「演歌は心の内面を赤裸々にさらす意味で、さすらい人の精神が宿っている」と長嶺。
    • 歌舞伎座での公演については「歌舞伎は江戸時代に被差別的な境遇の中で生まれ、その後満開の花を咲かせた。現代の殿堂とも言える歌舞伎座には、芸人の苦しみとたくましさが映し出されている」と思いを寄せる。
  • 取り上げる曲は坂本冬美「夜桜お七」、森進一「北の蛍」、美空ひばり「おんな道」、石川さゆり「天城越え」、細川たかし「望郷しょんから」など。
  • 「選曲の基準は、情念がこもり、しかも前向きな姿勢。心のつらさを引きずりながら、生に執着する強さこそ演歌の原点さと思う」
2007.08.15
  • 舞台裏の心意気
  • 手すりのない急な階段や、狭い通路を抜けると舞台下の「奈落」。
    • 中央で、廻り舞台「盆」を支える鉄骨組みの巨大な装置がゆったりと動いている。
    • 何十回も変わる場面。
    • その都度、舞台の「裏」と「表」を素早く移動して、セットを取り換える。
  • 役者の邪魔にならないよう、「無音」を徹底している。
    • 「主役は役者。私たちはパフォーマンスをしなくていい。でも、舞台は、みんなで作っている」
2007.04.24
  • 歌舞伎座の一幕見席
  • 華やかさ無縁、道場の空気も
  • カルチャ場
  • 急な階段を上り、歌舞伎座の4階席「一幕見席」。
    • 2列並びのイス90、立ち見60の定員150。
    • 学生や外国人、そして屋号の声をかける「大向こうさん」らの姿が目立つ。
  • 常設幕見席は、松竹系劇場ではここだけという。
    • 「空き時間を利用して気ままに見られる」のが最大の長所。
    • 常連は携帯イスに腰を下ろし、文庫本とにらめっこして待つ。
    • 場内を包み込む社交場のような華やかさとは無縁。
  • そもそも、幕見席だけは入り口が違う。
    • 3階席にすら移動できない。
    • イスの造作は3階席と同じだが、座り心地のよい1・2階席と異なり、やや硬く感じる。
    • 上席は1万円台、ことらは一幕千円前後。
  • 地上約30メートルなので、視界に入るのは花道七三のあたりまで。
    • 「勧進帳」の弁慶の「飛び六方」は、伸び上がっても全部は見えない。
    • しかし、幕見席だと、間口27.5メートルの横長舞台を見渡せる。
    • 役者の居場所、せりふ・声、振りがよくわかり、宙乗りも、間近で堪能できる。
    • 純粋に貪欲に芝居を見る人が多いせいか、「道場」の空気も漂う。
2007.04.03
  • _美しい娘に群がる男たち
  • 横溝正史『女王蜂』
  • 地下鉄の東銀座駅から地上に出ると、桃山風の荘重な建築が見える。
    • 1889(明治22)年開場。
    • 空襲の被害を受けたが、その後復興され、現在に至る。
  • 1951(昭和26)年、美女が歌舞伎座を訪れた。
    • 名前は大道寺智子。
    • 18歳になったばかり。
    • 横溝正史の『女王蜂』(1952(昭和27)年)の主人公。
    • 生まれ育ったのは伊豆の海に浮かぶ月琴島(げっきんとう)という小島。
    • 実の父は彼女の生まれる前に世を去り、母も既に亡くなっている。
    • 18歳の誕生日を迎えるにあたり、現在の戸籍上の父である大道寺欣造のもとに引き取られ、東京に来た。
  • 歌舞伎座にやって来た智子の周囲には数人の男がいる。
    • 招待を受けて来た者、紛れ込んだ者、それぞれ智子の美しさにひかれ、近づく機会を狙っている。
    • ところが、その中の1人が幕間に毒殺された。
    • 智子にまらったというチョコレートを食べた直後だったが、その包み紙の色は智子のあげたものと違っていた。
  • 智子の周囲で忌まわしいことが起きたのはこれが初めてではない。
    • 前の月に伊豆の松○荘(しょうらいそう)というホテルで2人が殺されるという事件があったばかり。
    • 殺害されたのは庭番の老人と、智子の夫候補の1人。
  • さらに古くさかのぼれば19年前、智子の実の父親の死因にも謎めいた部分があった。
    • そして、実の父親がどういう人物であったのかについても謎が残されていた。
  • 今回の2件の殺人現場に居合わせたのは探偵・金田一耕助。
    • 依頼を受けて行動を共にしていたのだが、その依頼人も謎の人物。
  • 謎の事件に、謎の人物。
    • 約20年の長きにわたる愛憎劇を金田一耕助はどう推理・解決していくのか。
銀座駅 >>戻る
2008.01.18
  • 大観作品の印象 尺八奏者が演奏
  • 東京メトロ銀座駅で、普段は通路として使われている地下の広場で無料のコンサートが開かれた。
    • 人気若手尺八奏者の藤原道山さん(35)。
  • 六本木の国立新美術館(港区)で「没後50年 横山大観」展が開かれるのを記念し、日本画の巨匠・横山大観の作品をイメージした曲などを演奏した。
警察博物館>>戻る 
2008.04.28
  • 看板一部落下
  • 近くに母子
  • 警察博物館の看板の一部が、約10メートル下の入り口の前の広場に落下。
    • 幼児を抱いた母親の近くに落ちたが、けがはなかった。
  • 落下したのは正面玄関に掲げている「警」の字の「言」の「口」の部分で、縦約10センチ、横約44センチ、厚さ約3センチ。
    • 約700グラムのステンレス製で、取り付けてあるボルトごと外れたという。
    • 母子は入り口付近で入館記念の風船をもらている途中だった。
  • この日は「災害救助プロフェッショナル展」が開かれ、音楽隊の演奏や警察犬の模擬訓練があった。
    • 看板は1994(平成6)年に開館したときに取り付けたという。
2007.11.17
  • 「交通事故は地獄」
  • 長女失った風見しんごさん講演
  • 警察博物館で交通安全展
  • 警視庁の「交通安全展」。
    • 小学5年の長女えみるさん(当時10)を交通事故で亡くしたタレント風見しんごさんが講演し、無念さと娘への思いを語り、「事故ゼロの日がやってくることを願ってやまない」と訴えた。
    • えみるさんは今年1月、世田谷区の自宅近くの横断歩道を青信号で渡っている最中にトラックにはねられた。
    • 大好物のツナサラダを食べた後、学校に向け元気に「行ってきます」と出かけるのを見送った直後だった。
  • 近所の人から知らせを受け、慌てて現場に駆けつけた。
    • 「痛いよ」と泣きながら座り込む娘を創造した。
    • しかし、姿がない。
    • トラックの下をのぞき込んだ。
    • 「見えたのはひしゃげた娘の足でした」。
    • トラックの下から救助された時には「瞳の中まで血であふれていた」という。
    • 「まさか自分の家族に限って、と思っていた。事故は突然やってくる」。
2007.04.27
  • ゴールデンウィークは”刑事になる”
  • 参加型特別展
  • 指紋採取・ポリグラフで「犯人」体験も
  • 事件現場の鑑識活動や「うそ発見器」とも呼ばれるポリグラフを体験できる「東京の治安最前線展」が始まった。
    • 警視庁の刑事部が初めて中心となった参加型の特別展。
  • 目玉は指紋採取やポリグラフ体験のコーナー。
    • 指紋採取は、まず机に並べられた飴色の瓶を素手で握る。
    • 担当の捜査員から白手袋を渡され、手を通す。
    • 容器に入ったアルミ粉末をハケにまぶし、握ったあたりをすーっと2、3回。
    • なでるごとに指紋が浮かんでくる。
    • 指からの分泌物にアルミ粉末が付着する仕組みだ。
    • 透明なシートを空気が入らないように瓶にはり付けて指紋を写し取り、黒の台紙に戻して作業完了。
  • ポリグラフは、人の動揺を読み取り、容疑性の有無を判断するのに用いられる。
    • 腹と胸に呼吸を測るチューブをまき、右腕に血圧測定のバンド、左手の指先に皮膚の変化を測定する機械を取り付ける。
    • それぞれがつながた針が紙の上を動き出す。
  • 頭に浮かんだ人物の特徴をもとに鑑識課員が似顔絵を描いてくれるコーナーや、町田市の立てこもり事件で突入劇を展開した捜査1課特殊斑(SIT)の装備、3次元カメラなどの展示もある。
2007.04.11
  • 故宮本警部しのび特別展
  • 板橋・女性助け死亡
  • 新聞少年時代の写真も
  • 板橋区の東武東上線ときわ台駅で2月、踏切から線路に入った女性を助けようとして殉職した板橋署の宮本邦彦警部(当時53)の遺品などを展示した特別展が始まった。
  • 宮本さんの幼い頃の写真を集めたアルバムには、「朝日新聞」とかかれたたすきを肩からかけて、新聞配達をしていた時の写真が収められている。
    • 宮本さんが中学1年のころで、札幌市(北海道)に住んでいた当時のものだという。
  • お小遣いは自分の力で稼ごうと、「新聞配達をやりたい」と言い出した。
    • 体が小さかったためひとりでは新聞の束を持ちきれず、配り始めの時だけ父親が手伝うこともあった。
    • 大学まで通算10年近く、受験勉強の一時期を除いて続けた。
    • 冬はそりを使い、年に数日の休刊日を除いて休んだ記憶がないと家族が言うほど、毎日、配っていたという。
  • 会場にはそのほか、警察学校卒業時に同僚らと書いた寄せ書きが展示されている。
    • 宮本さんは直筆で「誠実・誠心・誠意」と書いていた。
コレド日本橋 >>戻る
2004.03.17
  • 「巨大帆船」街を圧倒
  • 正式名称「日本橋一丁目ビルディング」
    • 白木屋を継承した東急百貨店の跡地
    • 巨大な曲面壁が帆船の帆を思わせる
  • 地下から5階までが商業施設と早稲田大学日本橋キャンパス
    • 6階から20階までがオフィス
  • デザインは六本木ヒルズも設計した、米国の設計事務所KPFを主宰するウィリアム・ペダーゼン
資生堂ギャラリー >>戻る 公式HP→SHISEIDO GALLERY
2008.02.20
  • 新鋭が個展で競う「アートエッグ」展
  • 新進アーティストを支援する公募展。
    • 入選者を3組に絞り込み、個別の展覧会で競う企画。
  • 窪田美樹展
    • イスや鏡台などの木製家具を切断した面を磨き上げたり、さらに合体させたり、といった作品群。
    • 詩的な造形力が、記憶をまさぐるような展示。
  • 槙原泰介展
    • 205枚のシンバルを天井近くの高さで、スイレンの葉のように規則正しく並べている。
    • 工業製品の金属美が、空間を一変させる。
  • 彦坂敏昭展
    • 風景画像にデジタル加工などを施しそこに線や色彩を加える作品。
聖路加ガーデン >>戻る
2007.01.13
  • 築地にかける平和の橋
  • 95歳・私の証あるがまゝ行く
  • 聖路加国際病院と聖路加タワーをつなぐ、1995年(平成7)にできた歩道橋を改装して、「平和の橋 Peace Bridge」ができた。
  • 橋の両側には並木が茂り、春、桜が散ると、ピンクと白のハナミズキが咲き、秋には紅葉する。
  • 憲政の父、尾崎行雄が東京市長だった1912年(明治45)に、東京市は、アメリカ、ワシントンのポトマック河畔に桜の苗木を3千本寄贈した。
  • そのお返しとして、アメリカ東部に咲くハナミズキが寄贈された。
タイムドーム明石 >>戻る 公式HP→タイムドーム明石 (中央区HPページ)
2008.03.14
  • 女学生 爆撃機の道計算
  • 搭乗の恋人思い星を道しるべに
  • 第2次大戦中、爆撃機の「指南役」だったのは学徒動員の女学生だった−−。
    • 爆撃機の道しるべとなった星を描いたプラネタリウム番組が上映される。
  • 山梨県でできた作品が口コミで評判が広がり、女学生が動員された海軍水路部のあった中央区での上映にこぎつけた。
    • タイトルは「戦場に輝くベガ−−約束の星を見上げて」。
    • 山梨県立科学館(甲府市)の学芸主事高橋真理子さんらが脚本を手がけ、2006(平成18)年に同科学館で上映された。
    • 番組は、七夕の夜、こと座のベガを見上げるたびに戦時中の恋人を思う女性の回想で進む。
  • 戦時中の爆撃機は星を頼りに目的地へ飛んだが、その元になる「航空天測表」は学徒動員の女学生の手計算でつくられていた。
    • 戦争体験者からの手紙で知った高橋さんたちが、20人あまりに取材を重ね、女学生の久子と爆撃機に搭乗する和夫の物語に仕立てた。
    • 「計算を間違うと、飛行機は落ちてしまう」と指導官の厳しい声。
    • 「あなた(和夫)のお役に立てる」と計算に臨む久子。
    • やがて計測地が本土に近づき、戦況の悪化を感じ取る−−。
  • 「星には時空を超えてメッセージを伝える力がある。番組が戦争の記憶の掘り起こしにつながれば」と高橋さん。
築地市場 (別ウィンドウ) >>戻る
築地本願寺 >>戻る
2008.04.25
  • ノート120冊に託す心の交流
  • hideの死から10年
  • ロックバンド「X JAPAN」のギタリストだったhide(ヒデ)が33歳で命を絶って、10年。
    • あのとき黒い服の若者たちがあふれた築地本願寺の一角で、今も「hideノート」が書きつがれている。
    • その数、約120冊。
    • 静謐な場所で、心の何かをノートに託し、あしたを生きる力を得て帰る。
    • この心の作用に、宗教関係者は注目する。
  • 1998(平成10)年5月2日にhideが急死した後、ここで通夜や告別式が営まれ、3万人ともいわれるファンが寺を取り巻いた。
    • hideノートは、告別式の翌日、悲嘆に暮れるファンに自分自身を見つめてもらおうと、寺を拠点にホスピス活動をする団体「浄土真宗東京ビハーラ」が置いた。
    • 本堂の隅の、紫の布で覆われた机に、最近の十数冊がある。
    • 関連HP→東京ビハーラ
  • 本堂は本尊を拝む場所。
    • 故人を祭るのは宗旨に反するのでは?
    • 「宗旨にも矛盾するし、初めはどうかなと。でも、この子たちは少なからずhideさんを縁に仏教に出会ったのですから」と庶務部係長。
  • 様々な世論調査によると、日本で特定の宗教を信じてしると答える人は2〜3割。
    • 20代では1割未満という調査結果もある。
    • このノートに書き込む若者たちも、多くは「無宗教」と答えるに違いない。
    • しかし、彼ら・彼女らは本当に宗教とは無縁だろうか。
    • 宗教学では近年、「スピリチュアリティ」という概念が注目されている。
    • 霊性と訳されることもある。
    • 既成宗教を必ずしも仲介せずに、見えない何かを直接感じる、宗教的な意識をさす。
    • その研究が進むのも、自分では「無宗教」と信じる人々の心の奥をさぐるため。
  • 悩み、恋愛、就職・・・。
    • 多くは、何かを報告したあと、hideがどう考えるかを尋ねている。
    • ノートを読むうちに気づいた。
    • 「見守って下さい」という言葉が多い。
  • 葬儀当時は、腕や服に「秀徳院釋慈音(しゅうとくいんしゃくじおん)」とhideの院号法名を書いて来たファンもいたという。
    • 宗派の教えに従えば、死んだhideは仏になったはず。
    • だが、近年のノートを見る限り、仏を拝むような言葉は見つからない。
    • 「ファンたちは寺院の一隅で、宗教とは無関係に、目に見えないけれど身近なスピリチュアルな存在としてhideを感じ、思いをつづっている。従来の日本人の死者に対する恐怖や不浄観とは無縁に、hideを通じて死と個人的に向き合い、成長を振り返り、ファン同士で連帯しているようだ」と堀江宗正聖心女子大学准教授(宗教学)(39)。
  • 神仏と、スピリチュアルな存在は、どう違うのか。
    • 「自分は自分の人生を生きており、見守ってくれればいい。救いを求めているわけではない」。
    • 求めているのは、つながり。
    • 「hideと、内面的、抽象的なところで、つながっていればいいのです」。
    • その目に見えないものとのつながりのなかで、自分を確かめているようだ。
  • X JAPAN(エックス ジャパン)
    • 日本を代表するロックバンド。
    • 1982(昭和57)年結成。
    • 派手なルックスと激しい音楽、美しいバラードなどで熱狂的支持を得た。
    • ボーカルTOSHIの脱退をきっかけに、1997(平成9)年に解散。
    • hideはギタリストで、ソロでも活躍。
    • 骨髄バンク推進などの社会活動でも注目された。
    • Xは今春、東京ドーム(文京区)で「復活」コンサートを開いた。
2007.12.16
  • 宗派超え僧36人、世界平和祈る
  • 築地本願寺で法要
  • 日本を代表する仏教の各宗派が一堂に集い、世界平和を祈る「東京ボーズコレクション法要」が開かれた。
    • 7宗派の僧侶が参加。
    • それぞれ独自の袈裟(けさ)に身を包んだ36人が厳かな足取りで歩き声明(しょうみょう)を披露した。
2007.03.08
  • 寺で踊ってバリアフリー
  • 本堂でダンスのライブが開かれる。
    • 阿弥陀如来像の前で、障害のある人もそうでない人も、プロもアマチュアも、子どもも大人もみんな一緒に踊る「バリアフリーダンス」。
    • 「障害者だけを集めて踊るのでは『逆バリア』になってしまう。お客さんには、頭をからっぽにして、感じて、楽しんでほしい。全員が、超かっこいいですから」と、指導する「カリスマ振付家」と人気の香瑠鼓(かおるこ)さん。
  • 主催は本願寺宗務首都圏センター。
    • 若手僧侶が中心となり、これまでも個性的なアーティストを招き、歌やトークのライブを行ってきた。
    • 「本堂でやかましいことを、と眉をひそめる人はいる。しかしお寺は本来、人が集まれるコミュニティースペース。面白いこと、奇抜なことをやって、お寺に足を踏み入れてもらうきっかけにしたかった」と同センター。
  • ダンスは初の試み。
    • アーティスト育成を中心に活動するNPO法人「マスターズオブビー」が「お寺でバリアフリーダンスを」と企画。
    • 関連HP→NPO法人 MASTERS OF B
  • 香瑠鼓さんは「慎吾ママのおはロック」やCM「きっかけはフジテレビ」など千本以上の振り付けを手がけてきたヒットメーカー。
    • 一方で、障害のある子どもや大人たちも参加するダンス教室を続けている。
  • きっかけは13年前。
    • 公演を見に来た一人の女子中学生が、楽屋の外で待っていた。
    • 「弟子入りさせてください」。
    • 女の子は学習障害(LD)で、「この子が自分で何かをやりたいと言ったのは初めて」と母親。
    • その子の友だちも一緒に、自由に体を動かす即興ダンスのレッスンを続けた。
    • 1年後、ステージに立たせると、客席から手拍子がわき起こった。
    • 「みんな、人生の一大事、という感じで踊るんです。キラキラして。泣いている観客もいた。私がいくら技術をもっていても、真心を込めて踊っても、かなわないと思った」と香瑠鼓さん。
  • ライブに向けてレッスンするプロのダンサーたちは、バリアフリーダンスに出会った喜びを口にする。
    • 「最初は自分たちが頑張らなきゃと気負ったが、そんな必要はまったくなかった」「みんなと踊るのが本当に楽しい」「勉強になった」
  • 今回ダンスを初めて体験した自閉症の男性(34)は「楽しかった。人とぶつかりそうになったので、次はゆっくり踊れるようになりたい」。
    • 「ノリノリでびっくりした。コミュニケーションが苦手で人に触れられるのが嫌いなはずなのに」と母親(59)。
  • ダウン症の澤田彩花さん(7)は香瑠鼓さんの教室に1年半通っている。
    • レッスンが終わっても、にこにこと体を動かす。
    • 「保育園では、大勢の人がいると縮こまっていたのですが。娘のおかげで私も踊りを楽しんでいます」と一緒に参加する父親(48)。
  • 脳性まひの篠塚さん(24)は、車いすに乗り、踊りの輪に入る。
    • 本番は「心を込めて、踊りたい、と思います」。
2007.02.21
  • 厳かな空間で
  • 本堂に入ってすぐ後ろをふり返ると、頭上にパイプがずらり。
    • 音楽による仏教伝道を願って1970(昭和45)年に寄進された大小約2千本のパイプを持つオルガンで、普段は結婚式などで使用される。
    • 昨年から始まったコンサート「2000の風」では仏教讃歌のほか、クラシックなど幅広く聴ける。
    • 毎月最終金曜日、午後0時20分から30分間。
2007.01.28
  • お堂で踊ろう
  • 障害のある人や子どもたち、プロのダンサーらが約50人集まり、ダンスを楽しんだ。
    • 築地本願寺宗務首都圏センターが「開かれたお寺」と計画したもの。
    • 初の参加型イベント。
東京国立近代美術館フィルムセンター >>戻る 公式HP→東京国立近代美術館フィルムセンター
2008.06.18
  • 映画の中の日本文学展
  • ポスターや写真でたどる
  • 「映画資料でみる 映画の中の日本文学」展。
    • 古代から昭和初期までの日本文学で映画化された作品を取り上げ、ポスター、写真、シナリオなどでたどる。
    • ヒットした小説を映画化するのは今に始まったことではないことがわかる。
      • 例えば夏目漱石では、「我輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「こころ」「それから」などが映画化されている。
2007.11.27
  • 上映と展示で映画史を証言
  • 東京国立近代美術館フィルムセンター展示室
  • カルチャ場
  • 日本で唯一の国立映画専門機関として1970年(昭和45)に誕生。
  • 7階の展示室は5年前に映画専門のギャラリーとして誕生。
    • 常設展「映画遺産」で所蔵資料のなかでも特に重要なものを紹介。
    • 「様々な人の努力で映画は作られる。完成された作品だけでなく、映画文化を育んだシステムを紹介することもアーカイブの重要な仕事です」と担当者。
東京証券取扱所 >>戻る 公式HP→東京証券取引所グループ
2006.09.06
  • 東証もお祝い
  • 秋篠宮妃紀子(あきしののみやひきこ)さまの男児出産を祝って、株価などが表示される電子掲示板に「親王殿下ご誕生おめでとうございます」のメッセージを表示した。
    • 2001年(平成13)の敬宮(としのみや)愛子さま誕生以来
日本銀行 >>戻る 
2006.04.05
  • 日銀の地下金庫のなかは?
  • 本店で親子見学会
  • 過去に使われていた地下金庫で金塊のレプリカを見学したり、お札の数え方を学んだりした。
    • 見学会は日銀が2004(平成16)年から夏休みと春休みに開いており、今回が4回目。
    • 見学後、日銀の中原真審議委員らがお札発行など日銀の仕事について説明した。
  • クイズ大会で「2千円札が発行されたのは2000年ですか」と問われた保護者が「バツ」と答えると、日銀の担当者は「正解はマル。間違えたのは、あまり流通していないからでしょうか」と苦笑いしていた。
2004.10.11
  • 幽玄、金融街で能
  • 日銀旧館、ライトアップ開始
  • 本店建物のライトアップを始めた。
    • 点灯開始を記念し、地元団体が主催する能の舞台が前庭で催された。
    • ライトアップは、日銀の業務を広く知ってもらうための活動の一環として開始。
    • 国の重要文化財に指定されている旧館の建物を照らし出す。
信濃毎日新聞
日本銀行貨幣博物館 >>戻る 
2008.01.12
  • 古代の貨幣、ずらり
  • 和同開珎 発行から1300年
  • 富本銭(ふほんせん)と和同開珎(わどうかいちん)
    • 新旧の「日本最初の貨幣」が顔をそろえる企画展「貨幣誕生−和同開珎の時代とくらし−」。
  • 和同開珎は長らく、「日本最古の貨幣」として知られてきた。
    • だが、発行された708(和銅元)年じゃら1300年という節目の今年を、その称号を冠して迎えることはできなかった。
    • 天武(てんむ)天皇らが治めた7世紀後半に造られた銅銭・富本銭や、その鋳型などが1990(平成2)年代末、飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)で出土したから。
  • では、和同開珎の歴史的な価値は下がったのかというと、「そんなことはありません。本格的な、日本最初の通貨は今でも和同開珎です」と貨幣博物館の山岡さん。
  • 当時の政府は、平城京の造営など、国家プロジェクトに関わる人とモノの費用を賄うために和同開珎を発行して収入を得た。
    • 同時に、貨幣を独占的に流通させることで中央集権の律令国家の権威を内外に示した。
    • 和同開珎「以前」と「以後」で、古代日本の政治・経済は大きく変わった−−というわけ。
  • 出土例が少なく、用途がまだよくわからない富本銭に比べ、和同開珎は関東や中国地方など各地で数多く見つかっており、役人の給料の支払い手段となるなど、広く出回ったと考えられている。
  • お金が時代ごとに社会でどう位置づけられていたのかを多角的にとらえることができる。
*日本橋(橋) >>戻る
2011.04.05
  • 日本橋 新たな世紀へ
    • 首都の成長見つめ100年
      • 空襲にも耐えた  
       
    • 川中心の街づくりを
      • 名橋「日本橋」保存会の事務局長に聞く
2011.04.04
  • 日本橋のたもとで募金呼びかけ(東日本大震災)
    • 保存会、架橋100年記念行事は延期
2010.12.28
  • 広重が描いた名残訪ねて
  • 橋に願いを
2008.08.02
  • 東京ど真ん中 ボートでGO
  • 元五輪監督、「授業」企画
  • オリンピックの元監督が、子どもたちへの「特別授業」を企画している。
    • 終戦直後の少年時代、焼け野原の中でこいだ思い出を話したのがきっかけで、往年のボート選手たちが集まった。
  • その熱意に、地元の「名橋『日本橋』保存会」が協力を約束し、9月のハゼ釣り大会と同じ日に地元の小学生向けのボート体験会をすることに。
    • 「保存会が川の浄化に取り組んできて今ではフナもハゼもいる。ボートに乗り、子どもたちに水面を見てほしい」と事務局長。
2008.07.28
  • 1550人ゴシゴシ
  • 夏の風物詩となっている橋洗い。
    • 今年で38回目。
    • 町内会や地元企業の関係者ら約1550人が参加。
  • タワシやデッキブラシを持った子どもたちも、消防車の放水に歓声をあげながら橋を磨いた。
2007.12.20
  • 「名所江戸百景」の中の「日本橋雪晴」
  • 日本橋は富嶽を望むポイントとしても知られ、江戸時代の区分地図「江戸切絵図」には、「この橋より御城ならびに富士山見えて絶景なり」と記されている。
  • 風景画の巨匠・広重の「日本橋雪晴」には、富士、江戸城、日本橋が大胆な俯瞰で一つにとらえられている。
    • 橋の向こうには豪商の蔵屋敷。
    • 橋上には今まさに東海道を上ろうとする大名行列。
    • 橋下を流れる日本橋川には、房総で取れた鮮魚を積んだ船が行き交う。
    • 手前の岸は、魚を卸して活気を呈する魚河岸。
    • 盤台をかついで商いに出かける棒手振(ぼてふ)りたち。
  • 美しい雪景色の中に、江戸時代の庶民の暮らしをいくつも読み取ることができる。
2006.07.24
  • 日本橋ゴシゴ
  • 「日本橋」保存会の主催で、親子連れなど1300人が「日本橋橋洗い」を行った
    • 今年で36回目
移転問題(日本橋) >>戻る 公式HP→名勝「日本橋」保存会
2007.04.08
  • 予算の使い方「考えて」
  • 春 せんきょの気分
  • 「橋が2本あるからにほんばし」。
    • 名橋「日本橋」の上に首都高速道路が交差する状態を皮肉った言葉を聞いたことがある。
    • 負けず嫌いの江戸っ子らしい響きと、粋を愛する人々の嘆息がないまぜに伝わってくる。
  • その橋を正面に望む喫茶店のテラスから眺めていたパキスタン人のサルワルさん(34)。
    • 「首都高がなければ景色も広くなり、川の水も周りの建物もきれいに見える」。
  • だが8年間、母国に住む家族に仕送りを続ける彼は現実的だ。
    • 首都高を橋の上から移設して半地下化する工事に5千〜6千億円はかかると知って意見を変えた。
    • 「景色をよくするのもいいが、限られた予算はよく考えて使った方がいい」と。
    • 「母国でも、武器にかける予算を他に使えばたくさんの人が幸せになれるのにと、いつも感じる。日本の政治は日本人が決める。よく考えて下さいね」
2006.09.06
  • 日本橋の首都高移設に伴う総事業費
  • 容積率特例で節減案
  • 4千億円とも6千億円ともされる事業費を少しでも減らそうと、「ウルトラC」が浮かんでいる。
    • 移転対象になる建物が本来認められる容積を別の再開発予定地に移す特例を使い、土地収用費や移転補償費の一部をまかなう案。
2006.06.13
  • 日本橋、首都高「地下化」推す
  • 諮問機関が事業費を4千億〜5千億円と試算
2006.01.08
  • 日本橋の青空復活を
  • 2016(平成28)年完成めざし国交省が調査費
  • 日本橋の橋の上を覆う首都高速道路の高架をどうやってなくすのか。
    • 小泉首相が昨年末に「景観を損ねている」として首都高移設の本格検討を指示したのを受けて、国土交通省はこの夏までに地下化や迂回など複数の事業案をまとめる。
    • 東京都が招致を表明している2016(平成28)年オリンピックまでの完成をめざす方針。
  • 国交省は、有識者や東京都、中央区などで構成する「日本橋 みちと景観を考える懇談会」で具体案の検討に入る。
    • 地下化や北側への迂回などの有力な移設案について、移設費用などのコストを算出して比較する。
    • 数千億円にのぼると見られる事業費は道路特定財源で賄う考え。
  • 橋の下を流れる日本橋川沿いのコンクリートの護岸を解体して水辺に遊歩道を整備するなど、橋周辺の景観づくりも同時に検討する。
    • 日本橋は1603年に架けられ、東海道など五街道の起点として発展。
    • 現在の石橋は1911(明治44)年に完成。
    • 首都高が橋を覆ったのは1963(昭和38)年。
  • 公共事業予算の削減で財源に乏しい国交省が移設に前のめりなのは、首相の指示があったことに加え、政府が道路特定財源の一般財源化を方向づけたため。
    • 「景観」重視の流れに乗り、道路以外に流れる予算を少しでも多く取り込もうという算段のよう。
2005.12.28
  • 日本橋の空、広げてみよう
  • 「お江戸日本橋七つ立ち」と唄われた日本橋の景観保護に、小泉首相が強い関心を寄せている
2005.12.28
  • (天声人語)
  • 首相は一昨日、「東京の日本橋の上に空の復活を」と述べたという。
    • 「日本橋という昔からの名所、これが上に高速道路が走っているからね。景観もよくないと」今の日本橋の姿は、やみくもに都市開発や道路づくりに走った時代を象徴する負の遺産ではないかという気がしてきた
日本橋高島屋 >>戻る
2010.12.09
  • 「非日常のぜいたく感」
  • 百貨店初の重文(重要文化財)
  • 自動運転増える
  • エレベーターは1933(昭和8)年の開業当時のまま、大理石の壁、蛇腹式のドア、案内係の手動操作。
日本橋三井タワー/マンダリン・オリエンタル・ホテル >>戻る 
2007.12.04
  • 1泊1400万円のクリスマス
  • 2人1組限定
  • マンダリンオリエンタル東京
  • 外資系高級ホテル「マンダリンオリエンタル東京」は、クリスマスの時期に合わせて2人1組限定で1泊1400万円の超豪華プランを企画、予約受け付けを開始。
    • ダイヤモンドの時計やブレスレットなど、1150万円分の宝石が飾られたクリスマスツリーがセットされ、プレゼントされる。
    • 主なサービスは、地上36階、広さ250平方メートルのスイートルームに泊まり、東京23区内ならどこでもリムジンでホテルに送迎してもらえ、シェフが部屋でディナーを用意してくれる。
  • 「同価格帯の宿泊プランは聞いたことがない。お客さまには『上質な非日常』を楽しんでいただきたい」とホテル側。
2004.09.08
  • 日本橋に新高層ビル
  • 来年7月末完成、高級ホテル入居
  • 39階建て「日本橋三井タワー」
  • 重要文化財に指定されている「三井本館」の隣接地に建設中
  • 30階から38階にマンダリン・オリエンタル・ホテルが入居
日本橋三越本店 >>戻る 
2011.01.26
  • 見合いの場所は「特別食堂」
  • 森瑶子『三越百貨店』 日本橋三越本店
  • [東京物語散歩]
  • 1987(昭和62)年『クレオパトラの夢』所収
  • 本館中央の吹き抜け部分に置かれた巨大で華麗な天女像。
    • 客に対する「まごころ」を象徴。
  • 正面玄関のライオン像。
    • 誰にも見られずにまたがると願いがかなうとか。
2007.12.30
  • 200人の歓喜
  • ベートーベンの交響曲「第九」の合唱があった。
    • 内外で活躍するソリスト4人と台東区民合唱団約200人が、吹き抜けホールの階段に並び、ピアノの連弾に合わせて、歓喜の歌声を響き渡らせた。
2004.10.13
  • 三越本店の新館、初日に15万人
  • 初日は本店の開業以来最高の約15万人が来店し、にぎわった。
    • 通常の平日の4倍以上、休日と比べても3倍以上の人出で、初日に約10億円を売り上げた。
  • 本館に隣接する新館の売り場は地上10階地下2階。
    • 日本初の百貨店となって今年で100年を迎える三越が、節目の年に基幹店を拡充した。
    • 本店は、日本橋・銀座地区で最大規模の百貨店となった。
    • 総工費は約165億円。
  • 新館は「和」の風合いを切り口に婦人服や雑貨を集めたフロアや海外の店舗網を生かして調達した雑貨売り場を設けた。
    • 本館とのすみ分けを図りながら、初年度に210億円の売り上げをめざす。
    • 三越は横浜店など不採算店の閉鎖を柱とするリストラを進める一方、日本橋本店などの基幹店に経営資源を集中させる。
新館7階ギャラリー >>戻る
2008.06.11
  • 「赤毛のアン」 部屋も再現
  • 出版100年記念し展覧会
  • 作者ルーシー・モード・モンゴメリの直筆原稿が公開されたほか、物語のモチーフとなった食器や、翻訳した村岡花子さんの生原稿など約230点を展示。
    • アンの部屋も再現されている。
    • 日本でのアン人気に「うれしく誇りに思うし、びっくりしました」と来日したモンゴメリの孫デイビッド・マクドナルドさん(64)。
ハウス・オブ・シセイドウ >>戻る 公式HP→ハウス・オブ・シセイドウ
2008.02.16
  • バルビエの「香り高き恋心」、間近に
  • 版画など展示
  • 「香りと恋心」展。
    • 展示の中心は共立女子大学の鹿島茂教授(フランス文学)が私蔵する、ジョルジュ・バルビエの1920(大正9)年代の版画。
    • バルビエはアール・デコ時代の代表的なイラストレーターで、ファッション画を数多く手がけた。
  • 鹿島さんが収集を始めたのは1980(昭和55)年代前半。
    • 19世紀のフランス文学を研究するうち、貴族やブルジョアの生活を描いた本の挿絵が面白くなった。
    • そんな様子は著書『子供より古書が大事と思いたい』にも描かれている。
  • 展示はポショワールというステンシル版画の一種。
    • この技法は30枚以上の金属板をくり抜いて重ね塗りする、手の込んだもの。
    • 「この奇跡的な美しさは天才的な画家と工房と、それを評価して買う金持ちという環境が必要でしたが、大恐慌で途絶えてしまった。微妙な色の美しさを、ぜひ見て欲しい」
2006.09.28
  • 色あせぬ「美」を求めて
  • 唐草オードパルファム
  • アートごころな逸品
  • 「女性らしく柔らかな形」をイメージした唐草を全身にまとうシックな姿。
    • 大正時代に発売された当時の形そのままの香水瓶は、約90年の時を経ても色あせぬ魅力を放つ。
  • 資生堂がデザインの基調とする「唐草」の名をとった香水(\6500)。
    • 「銀座」「化粧品」「女性の美」をキーワードに展示を行うこのギャラリーの2004(平成16)年の開館を記念して作られた。
  • 創業は1872(明治5)年、薬局として始まった。
    • 初代社長の福原信三氏は、若い芸術家の発表の場として、一つ目のギャラリーを銀座に開き、時には作品を購入する、いわば「メセナ(企業の芸術支援)」の原点となる活動を積極的に続けた。
  • 香水の開発も、欧米へ留学経験がある信三氏の提案。
    • 「梅」や「藤」などの日本の花や、「夢の華」「銀座」といった、イメージを香りにしたもの・・・。
    • 欧米の模倣ではない日本特有の「美」を問い続ける心は、企業活動と文化発信の両立を目指す社風に、今も受け継がれている。
晴海アイランドトリトンスクエア >>戻る
2006.11.04
  • 花花びら、じゅうたん
  • 花びらで絵を描く「晴海フラワーフェスティバル インフィオラータ2006」が始まった。
    • 近隣の約540人が輸入バラ14万本分の花びらを敷き詰め完成させた。
2003.11.02
  • 花バラ17万本描く江戸情緒
  • 遊歩道に花びらを敷きつめた巨大デザイン画。
    • 「インフィオラータ」と呼ばれるイタリア・ジェンツァーノ市の花祭りを模したイベントで今年で3回目。
  • 江戸幕府開府400年にちなみ、「芸者」や「富士山」など浮世絵風の作品17枚(1枚縦6メートル、横4メートル)の制作に、約250メートルが挑んだ。
    • 使われた花びらはすべてバラで、7色計17万本。
    • 輪郭や青や緑色部分には着色した砂を使っている。
晴海客船ターミナル >>戻る 
2004.04.30
  • 東京みなと祭
  • 5月20日は東京港の開港記念日。
    • 約50メートルのマスト高を誇る大型帆船「海王丸」が帆を張る様子や約400人を乗せた外航客船「シルバーシャドー」の出航シーンなど、潮風渡る東京港で港の雰囲気を満喫できる。
広報東京都
浜離宮恩賜庭園 >>戻る
2010.12.28
  • 日本庭園で華やぐ初春
  • 鷹狩りの妙技 間近に
2008.01.13
  • 鷹匠の技 伝統実感
  • 1月3日、放鷹(ほうよう)(鷹狩)術の実演。
    • 1600年以上連綿と続いてきた伝統文化。
2007.08.28
  • 花ビルの谷間 秋咲いた
  • 約15万本のキバナコスモスが見頃を迎えている。
    • 見頃は9月中旬まで。
2007.05.16
  • 新しい魅力開く小空間
  • 浜離宮朝日ホール15周年
  • アメリカ音響学会が世界最高の室内楽ホールと認定した浜離宮朝日ホール。
    • 開館15周年の記念企画としてNHK交響楽団メンバーによる室内楽シリーズが登場。
    • また同じ会場でポップスの新しい魅力を披露するシリーズも本格化する。
  • 降り注ぐような音を追求
    • ピアノに最適な会場は少ない、という意見が演奏家から出され、残響時間をピアノ向きに変更した(※設計時)。
    • その結果「ピアノが最も美しく響く」と高く評価されている。
  • 良い音の仕掛け
    • 空間の体積が大きいほど、残響はのびる。
      • 残響は良い音のために不可欠だが、ピアノには若干短めが良い。
      • 残響時間を短くしようとするとき、国内では、すでに決まっている空間デザインを守りながら、壁や天井に吸音材を張りこむのが一般的な手法だった。
    • ところが吸音材は、残響だけでなく根源の音をも吸収してしまう。
      • 音を大切にするならまず残響時間を決め、それに合わせて大きさ自体を設計するのが理にかなう。
      • そこで当初の計画よりも天井を下げて体積を小さくし、舞台を狭めて自然の吸音装置である客席部分を大きくした。
      • 音を細かく散らす無数のひだを削り出したリブ壁、大天井や2階席側面の格子状の凹凸は、装飾の多い古いホールにあった「降り注ぐような音」を追求して考案した。
      • 至る所に良い音を得るための仕掛けを施した。
  • 高揚感を誘う
    • 会場は、着いた瞬間から演奏への期待を高める「音楽の一部」でなくてはならない。
    • そんな発想でホール内部に匹敵する面積の大ホワイエを設けた。
    • 総天然大理石の大階段は、非日常的な華やぎの演出。
    • 一方で抑制された柔らかい色使いが静けさを醸し出す。
    • 幕あいにはホワイエに出て、空間の視覚的な美しさも味わっていただきたい。
2007.04.07
  • 桜の花あり夢見心地のアフター5
  • ソメイヨシノや八重桜などをライトアップする「桜・春の庭園灯(あか)り遊び」が始まった。
    • 仕事帰りの会社員やカップルらが訪れ、汐留(港区)の高層ビル群を背景に写真を撮ったりして都心の夜桜を楽しんだ。
    • 約70本ある八重桜が見頃になるのは9日以降の見通し。
2007.04.05
  • 桜の花ありライトに照らされ水面彩る桜
  • 「桜・春の庭園灯(あか)り遊び」と銘打って桜の園を際立てる。
    • この庭園は東京湾の海水を取り入れる池泉回遊式の「潮入(しおいり)の池」と二つの鴨場がある江戸時代の鷹狩り場。
    • 甲府藩主の松平綱重が幕府から賜り、埋め立てて別邸とし、6代将軍・家宣(いえのぶ)のころ、浜御殿と呼ばれた。
    • 周囲の水面を含めて特別名勝・特別史跡になっている。
  • 桜はソメイヨシノもあるが、八重桜が中心で、ほかにサトザクラ、ヤマザクラなど全部で20種類ほどある。
    • 池の対岸から見ると、スポットライトを浴びた桜は水面に浮かび、昼の様相と趣を変える。
    • 潮入りの池に架かる「お伝い橋」や中島の御茶屋なども明かりに映えて風雅なたたずまいを見せる。
  • 池の周囲のツツジも、島の藤棚も盛りが待たれる。
    • 樹齢300年の松をはじめ、梅、ハゼノキなど、高木類が約610本。
    • 低木類が2.9ヘクタールほどにわたってあり、庭園を立体的に見せている。
アサヒタウンズ
2006.12.25
  • 猛禽類のハヤブサ保護
  • 浜離宮庭園の「鷹狩り」練習で
  • 猛禽類のハヤブサが千代田区のビル街で見つかった。
    • 飼い主は鷹匠(たかじょう)の男性。
    • 約3キロ離れた浜離宮恩賜庭園で「鷹狩り」の練習をした際に、風にあおられ行方不明に。
  • 鷹狩りは正月2、3日に開催。
2006.06.28
  • 「狎'區鳥'亭」その由来は・・・
  • 「中島の御茶屋」の別名
  • 朝鮮通信使に縁?
  • カギ握る写真探す
  • 休憩所「中島の御茶屋」は別名「狎'區鳥'亭(こうおうてい)」。
    • 高級ブランド店が立ち並ぶ韓国最先端のファッションストリート、ソウルの狎'區鳥'亭洞(アックジョンドン)とつながりがあるのか?
    • その手がかりとなりそうな「狎'區鳥'亭」と書かれた額は空襲で焼け、今はない。
    • ならば、額の写真をと関係者が探している。
  • 御茶屋は、徳川将軍のタカ狩り場だった庭園の池の中島に1707年に造られ、将軍が客人たちと庭園の眺めを堪能したとされる。
    • 明治維新後は皇室の「浜離宮」となり、1879(明治12)年には、明治天皇とアメリカ元大統領のグラント将軍が会見した。
  • この御茶屋には1944(昭和19)年の空襲で焼かれるまで「狎'區鳥'亭」と書かれた額が掛けてあった。
    • 戦前に記された内部資料の「浜離宮沿革史」にも、御茶屋は「狎'區鳥'亭トモ曰フ」と記されている。
  • 額の文字について1981(昭和56)年に出版された『浜離宮庭園』では、7代将軍の家継のときに庭園で遊んだ公家の筆によるという説と、朝鮮通信使が揮毫(きごう)したものという説を「いずれとも定かではない」と紹介している。
  • 一方、ソウルの狎'區鳥'亭の名は15世紀に朝鮮世祖時代の高官、韓明'シ會'が建てたあずま屋に由来する。
    • 狎'區鳥'は韓氏の雅号で、世のことはすべて捨てて川辺で住みながらカモメと親しく生きるとの意味だという。
  • 浜離宮前管理所長の高橋さんは「鳥が群れて遊ぶ、のどかな様子は浜離宮にふさわしい」として朝鮮通信使説を支持する。
  • 江戸時代に12回来日した朝鮮通信使は各地に景勝地などを題材にした漢詩などを残した。
    • 通信使が額を書いたとすると、1711年に6代将軍家宣の就任祝賀に訪れた一行が有力視されている。
    • 家宣の就任を機に庭園内の屋敷は「浜御殿」と呼ばれ、将軍家の別邸になったから。
    • 戦争で焼失した御茶屋は1983(昭和58)年に復元された。
    • だが、額の写真は見つかっていない。
    • 「写真があれば、誰が書いたのかもはっきりするのでは」と高橋さん。
2005.09.18
  • 秋のきざしアカトンボ
  • 秋の気配が漂っている。
    • 花キバナコスモスも見ごろを迎えいる。
    • 来月2日まで、「夕ざれの名園鑑賞会」が開かれ、開園時間も午後6時まで延長。
2004.05.29
  • 花ハナショウブ見ごろ
  • 約3千株あるハナショウブ。
    • 例年より1週間ほど早く咲き始めた。
    • 見頃は、6月中旬頃まで続くという。
2003.10.30
  • 紅葉ビルの谷間薫る高貴な秋
  • 潮風がつむぐ錦の道
  • 東京湾の波が打ち寄せる浜離宮庭園の秋は、海水を引いた「潮入の池」にやってくる。
    • クロマツなどの常緑樹をバックに紅葉を見るなら、トウカエデの落ち葉で黄色い散歩道ができる池のほとりへ出かけよう。
  • 池に浮かぶ「中島の御茶屋」では、水面に映る真っ赤なモミジが鑑賞できる。
    • かつて徳川将軍家や皇室など代々の持ち主が眺めた庭は、今は国指定の文化財。
    • 潮風が吹き抜ける茶室から満ち引きする池を見渡せば、シラサギが舞いおりてきたり、ボラがはねて銀色に光ったり。
    • 抹茶といただく、モミジや柿をかたどった和菓子にうっとり。
  • 橋のたもとに黄色いツワブキ、鳥居のそばに薄紫色のフジバカマ。
    • あちらこちらに季節の花も咲いている。
  • 秘境をイメージしたCM撮影に使われたという木立の中で深呼吸すると、森林と磯の香りがする。
2002.08.23
  • 花「秋」見つけたコスモス30万本
  • 23日は処暑。
2002.04.10
  • 桜の花あり春高楼に八重桜
  • 着々と建設が進む高層ビル街を背景に、様々な色合いの夜桜が浮かぶ。
    • ヤエザクラのライトアップが見物客を楽しませている。
    • 初めての試み。
ブリヂストン美術館 >>戻る 
2008.05.29
  • 古代ギリシャの楽器復元
  • 古代ギリシャのつぼに描かれている楽器を復元し、その響きを聴かせる公演がある。
  • 今回復元されたのは「アングルハープ」という種類の弦楽器。
    • 枠となるL字形の木の強度と、斜めに張られた弦の張力のバランスが難しいとされていたが、小さな支柱を木の枠にとりつけることでバランスを調整した。
    • 正倉院の古代楽器・箜篌(くご)や古代エジプトのハープを復元した時と同じ手法を用いたという。
  • 「遠く隔たった国で、かつて同じ構造力学に基づく楽器がつくられていた。文化の伝播を探る新たなきっかけに」と復元に携わった元国立劇場演出室長の木戸さん。
2006.11.16
  • 多文化国家を映す「鏡」
  • 「プリズム:オーストラリア現代美術展」
  • 先住民アボリジニーや、18世紀後半のイギリス移民をルーツとするヨーロッパ系住民m1970(昭和45)年代以降に急増した中東、アジア系の移民など、多種多様な背景を持つ人々によって構成される多文化国家オーストラリア。
    • 複雑かつ流動的な空間を生きるアーティストたちの作品は、自己のルーツや歴史、社会を見つめる強いメッセージ性を持ち、プリズム(多面体)のように多彩な様相を見せている。
    • 絵画や立体、写真など73点を通して、一つのイメージではとらえきれないオーストラリアの「今」を浮き彫りにする。
  • ■ローズマリー・ラング「燃えるエアーズロック bP」(2003(平成15)年)
    • 荒涼とした大地に積み上げられた、世界を席巻するヨーロッパ企業の家具。
      • 世界遺産にも登録されている景勝地エアーズロックを模した、3部作の1枚目となる写真。
      • 続く2枚目で「疑似エアーズロック」には火が放たれ、広大な平野に真っ赤な炎と黒煙が立ち上がる。
    • エアーズロックはこの地を征服したイギリス人によってつけられた名で、現在は古来の名「ウルル」と併記されるようになっている。
      • 非先住民である白人の写真家ラングは、征服を象徴する名前とそれを燃やす炎を、単に歴史を振り返るものだけにはとどめなかった。
      • アボリジニーにとって、炎は怒りを浄化する意味を持つという。
      • 怒りや破壊から、和解と再生へ。
      • 先住民と非先住民が共生の道を歩み始めたオーストラリアの現在、そして未来の姿もそこには込められている。
三井記念美術館 >>戻る 
2007.11.14
  • 妥協なき美の求道者
  • 「安宅英一の眼 安宅コレクション」
  • かつての総合商社・旧安宅産業が収集した東洋陶磁約千点からなる「安宅コレクション」。
    • 中国・朝鮮の作品を中心に、元会長・安宅(あたか)英一(1901(明治34)年-1994(平成6)年)の審美眼と情熱によって築かれた。
    • 収集時のエピソードを交え、国宝2点、重要文化財11点を含む126点を紹介する。
  • ■国宝 飛青磁花生(とびせいじはないけ) 元時代(13〜14世紀)
    • 九州の炭鉱主が手放したこの花器を、ある古美術商が入手したという連絡があったのは1964(昭和39)年ごろ。
      • 会社の経営状況が厳しく、周囲は購入に反対した。
      • が、あきらめきれない安宅は、部下に命じて個人的に資金を調達させ、2年ごしで念願の購入を果たす。
    • 世に言う「名品」をやみくもに集めたわけではない。
      • 人にも美術品にも「品格」を重んじた。
      • 25年の歳月をかけた収集品の数々は、安宅自身の精神を映し出す集大成ともいえる。
2005.07.09
  • 国宝の茶碗含め120点展示
  • 10月オープン
  • 三井グループ発祥の地、日本橋に10月8日誕生する三井記念美術館が、開館記念の特別展で三井家の収集した古美術品約120点を展示する。
    • 国宝に指定されている茶碗二つのうちのひとつで、愛好家に名高い「志野茶碗 銘卯花墻(うのはながき)」も約2カ月間公開される。
    • 豪商から財閥に発展した三井家のコレクションがこれほどの規模で展示されるのは珍しい。
  • 約300年の歴史ある三井家の収集した古美術品は茶道具や絵画など約3700点あり、国宝6点、重要文化財20点を含む。
    • 財団法人の三井文庫(中野区)に寄贈され、一部が公開されてきたが、展示場所が約100平方メートルと狭く、年間1万人が訪れる程度だった。
  • これを、三井不動産が再開発を進める日本橋にあり、昭和初期の代表的な洋風建築で知られる三井本館(重要文化財)内に移し、三井記念美術館として開館させることが昨年決まった。
    • 展示場所は従来の9倍強に広がり、企画展も従来の年3回から6回に増やす。
  • 館内では織田信長の弟、有楽斎が京都・建仁寺(けんにんじ)(京都市東山区)に建てた茶室「如庵(じょあん)(国宝)」を再現。
    • 写生派の祖、円山応挙(江戸中期)の代表作「雪松図屏風」も開館当初から展示する。
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2006.12.16
  • 師走の夜に浮かぶ江戸
  • 壁に浮世絵が映し出された。
    • 約200平方メートルのスクリーンに日本橋の過去から未来までをテーマに上映。