- 沿革
- 1644(正保(しょうほう)元)年(江戸時代前期)、大坂佃村(現、大阪府大阪市西淀川区佃)の漁民が、現在の佃1丁目にあたる場所を埋め立てて佃島(つくだしま)として移住したのが始まり
- 移住した人たちは住吉大社を勧請して住吉神社を建立し、島の守り神とした
- 白魚を獲って、佃煮が初めてつくられた
- 佃島の人々は、明暦の大火で、寺領を失った本願寺のため、海を埋め立てて寺を再興させた→築地
- 北側は石川島と呼ばれ、元は独立した島で、寛政の改革(1787-93)で人足寄場(にんそくよせば)だった
- 人足寄場は軽犯罪者や無宿者を収用して、職業訓練を行う場所
- 人足寄場の設置を進言したのは火附盗賊改役(ひつけとうぞくあらためやく)の長谷川平蔵
- 長谷川平蔵は池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公、鬼平のモデルとなった人物
- 水戸藩が造船所を設置し、それが石川島播磨重工業(現、IHI)へと発展していく
- 造船所の跡地が再開発により、超高層住宅街である大川端リバーシティ21になる
- 明治から昭和初期にかけて度重なる埋め立てにより土地は拡張されていった
- 1964(昭和39)年の佃大橋の完成により、江戸時代から300年以上続いた渡し舟が廃止された
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