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品川歴史館
(東京都品川区)
資料
江戸の漁業と海苔
えどのぎょぎょうとのり
徳川家康
が大坂(現・大阪)から関東に入った当時(1590年)
(安土桃山時代末期)
は、漁法も幼稚で急速に発展する江戸の需要に応じきれなかった。
そのため大坂から漁師が移住して漁業権をとり、進歩した漁法を教えて関東の漁業の発達の基礎を築いた。
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(東京都中央区)
「
浅草海苔
」の名が生まれたのは慶長年間(1596-1614)
(安土桃山時代−江戸時代初期)
それから約50年後に「浅草海苔」の名が全国に知れ渡った。
「浅草海苔」の由来は諸説ある。
海苔の大量生産が可能になったのは、品川の漁業者が養殖の方法を発明し、それが各地に伝わったため。
品川の漁業や海苔は大東京港建設のため、1962(昭和37)年に漁業権を放棄し、翌1963(昭和38)年に終了した。
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