- 歴史
- 築地の由来
- 1657(明暦3)年(江戸時代前期)の大火(明暦の大火・振袖(ふりそで)火事)で、江戸がほぼ全焼した。
- 当時、小島だった佃島(現、佃)には徳川家康の江戸入府に協力した摂津(現、大阪府大阪市西淀川区)の漁師34人が移住していた。
- 漁師たちには幕府から漁業権が与えられていた。
- 彼らは摂津にいたころから京都の本願寺(通称・西本願寺)の門徒だったため、大火で現在の浜町(中央区北部)にあった本願寺(別院)が土地を失うと、幕府に土地を提供するよう交渉する。
- 幕府は海上を指定する。
- 信徒の総力により、現在の築地とほぼ同じ広さが埋め立てられて本願寺ができた。
- 「築地」の名は、この埋め立ててできた土地に由来している。
- 寺が再建されると、佃島の信徒たちは本願寺に伝わる念仏踊りで祝った。
- 彼らはお盆になると江戸を回って念仏踊りを披露し、寄付を募った。
- これが盆踊りの起源とも言われている。
- 1868(明治元)年から1899(明治32)年まで、築地居留地(外国人居留地)が開設された。
- 1869(明治2)年に海軍操練所(後の海軍兵学校)がおかれ、帝国海軍発祥の地となった。
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