人物
織田信長 おだ のぶなが
  • 1534-1582
  • 戦国大名から後に天下人(てんかびと/日本を支配する)になる。
  • 経済の発展のための楽市・楽座の開設、関所の廃止、中央集権体制を築くための検地刀狩、政教分離などの新しい政策を行った。
  • 若い頃は身なりや行動が破天荒なため、「大ウツケ(頭がからっぽ)」と悪口を言われたが、その一方では鉄砲や長槍の訓練を行っていた。
    • そして、その頃の信長と会った20歳前後の斎藤道三は、その才能を見抜き、圧倒されたという。
  • 神仏などの存在を許さず、宗教勢力を弾圧した。
    • しかし、ヨーロッパの文化を吸収する目的のためか、キリスト教については布教に対して便宜を与えたという。
  • 織田信長が主人公のNHK大河ドラマ「信長」 主演:緒方直人
■織田信長による武田攻めから逃れるため八王子に移り住んだ松姫(東京都八王子市)

2009/11/6
■明治時代に作られた織田信長の人形 八王子まつり(東京都八王子市)

2009/8/9
■戦国時代の城主が織田信長の妹をめとった苗木城(岐阜県中津川市)

2008/8/20
■織田信長による比叡山延暦寺(滋賀県大津市)焼き討ちの際に運び出されたと伝えられている像が本尊の拝島大師(東京都昭島市)

2007/11/18
■織田信長軍によって落とされた城があった千人塚公園(長野県飯島町)

2007/8/25
■織田信長軍によって落城した春日城址公園(長野県伊那市)

2007/4/20
■織田信長軍によって火を放たれた「心頭滅却すれば火もおのずから涼し」の寺、恵林寺(山梨県甲州市)

2006/12/30
2010.02.10
織田信長の歴史
西暦 日本-年代 織田信長
1534 戦国期
  • 尾張の那古野城(名古屋城)の城主である織田信秀の子として生まれる。
1548
  • 美濃の斎藤道三と父との同盟の証として道三の娘と結婚する。
1551
  • 父の病死で家督を継ぐ。
1555
  • (弘治元) 清洲城(愛知県清洲市)を奪って尾張の半分を統一した。
1556
  • 道三が自分の子である善竜(よしたつ)と戦って死んだため、美濃との同盟は破れる。
1559
  • (永禄2) もうひとつの尾張守護代家を滅ぼして、尾張の国を統一した。
    • 京都に上って室町幕府13代将軍の足利義輝に謁見する。
1560
1562
  • 今川氏の支配から解放された三河の徳川家康と同盟を結ぶ。
    • この年から翌年、本拠地を清洲から小牧(愛知県小牧市)に移して、その後、美濃に攻める。
1567
  • 美濃稲葉山城(岐阜市)を奪って斉藤氏を滅ぼし、本拠を稲葉山城に移す。この時、城下を岐阜と名前を変えた。
    • このころから「天下布武(てんかふぶ/武家の政権で天下をとる)」という印章を使い始める。
1568
  • 越前一乗谷の朝倉氏のところにいた足利義昭を美濃に招き、義昭に従って京都に上り、義昭を15代将軍につかせて室町幕府を再興した。この間、近江(おうみ)、畿内、伊勢を制圧する。
1570
  • (元亀元) 将軍になった足利義輝は、信長の勢力の拡大を不満に感じ、武田信玄、朝倉義景、浅井長政、毛利氏などの大名や、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)、石山本願寺などの宗教団体と手を結び、反信長の包囲網をつくる。
    • これに対し信長は徳川家康に援軍を頼み、この年、浅井、朝倉の軍を破る。
1571
  • 延暦寺を焼き討ちにし、男女3000〜4000人を皆殺しにしたという。
1572
  • 甲斐(現、山梨県)の武田信玄が家康の領地へ攻め入り、遠江(とおとうみ)三方原(みかたがはら)の戦で織田信長と徳川家康の連合軍は破れる。
    • しかし、武田信玄が病死したため、武田の軍隊は引き返し、助かる。
1573 安土桃山
  • (天正元) 近江の小谷(おだに)(滋賀県湖北町)を攻めて浅井氏を滅ぼし、続けて越前一乗谷の朝倉氏も滅ぼし、槙島(まきしま)(京都府宇治市)で挙兵した足利義昭を追放して室町幕府を滅ぼした。
1575
  • 三河長篠の戦で、武田信玄の子の勝頼の軍隊を鉄砲隊で破り、武田氏の封じ込めに成功する。
1576
  • 天下統一の拠点とするために安土城を建て始め、織田家の家督と岐阜城を長男の信忠に譲って安土に移る。
1577
  • この年以降に羽柴(豊臣)秀吉を中国地方への侵攻に向かわせ、毛利氏の領地へ侵入を始める。
1580
  • 石山本願寺が屈伏し、畿内の平定が完成した。
1581
  • 大軍事パレードだった京都馬揃(うまぞろえ)を行う。
1582
  • (天正10) 信長と徳川家康の連合軍が武田氏の領国に侵攻し、現、山梨県甲州市で武田勝頼を滅ぼす。
    • これにより、武田氏は滅亡し、信長は本州の中央部をほぼ征服したことになる。
    • 羽柴秀吉にまかせていた備中での毛利氏との戦いに決着をつけるために、5月に明智光秀に中国地方への出陣を命じ、6月に自ら出陣するために、京都の本能寺に泊まる。
    • 明智光秀が本能寺の信長を奇襲し、信長は自刃する(「本能寺の変」)。
    • 長男の信忠も二条御所で敗死し、織田の政権は滅んだ。

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