-拝島大師
はいじまだいし
本覚院
大日堂
日吉神社
拝島公園
拝島のフジ |
東京都昭島市拝島町(ちょう)1丁目 |
グーグルアース座標=N35 42 20.64 E139 20 49.67
(大日堂)=N35 42 22.11 E139 20 46.45
(日吉神社)=N35 42 22.00 E139 20 45.48 |
地図 |
撮影日:P1,10,14=2007/11/18 P2〜9,11〜13,15〜19=09/1/2 P20〜32=10/5/2 P33〜38=11/9/18 |
写真1:山門
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概要 |
- 拝島大師
- 山門は1973(昭和48)年の建立で、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)(滋賀県大津市)を模したとされる
- 境内の元三大師堂(がんざんだいしどう)には慈恵大師(じえだいし)の像を本尊として祀っている
- この像は、1571(元亀(げんき)2)年(戦国時代末期)の織田信長の比叡山延暦寺焼き討ちの際に運び出されたと伝えられている
- 慈恵大師は985(寛和(かんな)元)年(平安時代前期)の正月3日に亡くなったため、元三大師と呼ばれるようになった
- そのため、正月2、3日にだるま市がたつようになった
- 本覚院(ほんがくいん):
- 本覚院が拝島大師だと思われているが、本来、本覚院は大日八坊(大日堂の8つの子院で、現在は3つ)の一つで、本覚院が拝島大師の別当であったため、同一視されるようになったという(2005刊『東京都の歴史散歩』による)
- 大日堂(だいにちどう):
- 密厳浄土寺(みつごんじょうどじ)で、952(天暦(てんりゃく)6)年(平安時代前期)の多摩川の洪水の際に中州に大日如来の像が流れ着いたので、堂を建て安置したのが始まりという
- 中州(島)に打ち上げられたこの像を村人たちが拝んだことから「拝島」という地名になったという言い伝えもある
- 拝島のフジ:
- 大日堂境内でもある拝島公園にある、推定樹齢800年のフジ
- 拝島公園は新東京百景に選ばれている
- おねいの井戸:
- 大日堂の石段下にある
- 大日堂の中興の祖といわれる石川土佐守(いしかわとさのかみ)の娘「おねい」が、この井戸の水で眼を洗ったところ、眼病が治ったため、土佐守はここに大日堂を含めた八坊を寄進したという
- 日吉神社:
- 旧拝島村の鎮守
- 10世紀中頃(平安時代中期)に大日堂の守護社として創建されたという
- 榊祭(さかきまつり):
- 9月第3日曜日に行われる例祭の前夜祭
- 夜(早朝)、榊神輿と呼ばれる6メートル余りの榊の大木に台棒をつけて担ぎ、神輿の行く道を清めるという
- 日曜日、午前0時頃から午前4時頃にかけて行われる
- 早朝に行われるため、近年苦情(特に移転してきた新住民から)がくるという
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動画(藤) |
動画(日吉神社) |
公式HP |
日吉神社 |
歳時記 |
- 1月2・3(拝島大師だるま市)
- ----5上(拝島のフジ)
- --------9第3日曜(日吉神社榊祭)
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