神奈川県横浜市中区の記事 |
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■メニュー
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未記入は朝日新聞・ヨ=ヨコハマ経済新聞 |
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2009.04.20 |
- 運河パークに2万株の花で「巨大花時計」−横浜開港150周年記念
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ヨ |
2009.03.17 |
- 森ビルが歴史建物「北仲BRICK」屋上でミツバチプロジェクト
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2009.02.24 |
- 山手公園、横浜公園、根岸森林公園が「近代化産業遺産」に認定
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2008.12.02 |
- 新港地区とコットンハーバー・瑞穂地区を結ぶ臨港幹線道路が開通
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ヨ |
2008.11.25 |
- 映画「中華学校の子どもたち」が封切り-片岡希さん初監督作品
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2008.10.27 |
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2008.09.17 |
- 中区役所の「緑のカーテン」でゴーヤ収穫−特製ドリンクも販売
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2008.08.06 |
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- アルゼンチン海軍の練習帆船「リベルタ号」が横浜港に入港した。
- アルゼンチンと日本が外交関係を樹立し今年で110周年を迎えるのを記念する行事の一環。
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朝日新聞 |
2008.08.03 |
- 旧東横線桜木町駅の高架下壁画が順次消去へ-遊歩道整備のため
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ヨ |
2007.08.31 |
- キタムラ、加藤夏希さんとのコラボ商品発表−バッグ・靴など8シリーズ
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ヨ |
2008.05.16 |
- 中区役所にゴーヤで「緑のカーテン」−沖縄県宜野湾市から寄贈
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2007.04.18 |
- 横浜港に高さ日本一の噴水の建設案−150メートルの噴上能力
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2007.02.27 |
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- みなとみらい線の開通に伴って2004(平成16)年に廃止され、一部JR根岸線と並走していた東急東横線桜木町−横浜駅間のうち、桜木町−高島町駅間の高架下約1.1キロにわたる壁画作りが進んでいる。
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2006.12.19 |
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- 「世界唯一のカレーのテーマパーク」として2001(平成13)年にオープンした「横濱カレーミュージアム」が来年3月末に閉館することになった。
- 経営会社のマタハリー(川崎市川崎区)が発表。
- 「営業は順調だが、カレー文化の魅力を広く一般に紹介することで地元を活性化させるという事業目的を達成した」と説明しており、閉館後は新しい娯楽施設の設置を検討するという。
- 同ミュージアムは全国各地のカレー専門店やレトルトカレーなどを一堂に集めて話題を呼び、開館以来の累計来館者数は870万人に達した。
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毎日新聞 |
2005.11.09 |
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- 「横浜ダンス界隈(かいわい)#2」があった。
- 旧銀行など、本町から海岸通りに点在する五つの建物が会場。
- 七つのユニットが、それぞれの場所にインスピレーションを得たダンスを披露、観客は地図を片手に600メートルにわたる会場を巡り歩いて鑑賞した。
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◆イベント・行事 >>戻る |
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2008.12.02 |
- 「横浜光のプロムナード」と「ペリー上陸の光の道」の点灯式
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2008.03.01 |
- 3月10日は横浜三塔の日−都市伝説にちなみイベントで観光誘致
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◆駅 |
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◇日ノ出町駅(ひのでちょう・京浜急行) >>戻る |
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2009.02.07 |
- 厳寒メニューの立ち食い初体験
- 鍋焼きうどん
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■観光 >>戻る |
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2008.07.24 |
- ベイエリアでiPhone/iPodtouch向け位置情報配信サービス
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ヨ |
2006.02.27 |
- 中区が「いいとこマップ」公開−区民の口コミ情報180件
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ヨ |
2004.04.28 |
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ヨ |
◆食 >>戻る |
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2009.04.07 |
- 老舗の洋菓子店「横浜かをり」が大人の味わい「桜ゼリー」
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2009.02.13 |
- ヨコハマNEWSハーバーで「スパゲティナポリタン頂上対決!」
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2009.01.28 |
- スリーエフが「小池的スイーツ」-小池栄子さんの思いを商品化
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2008.11.10 |
- ポンパドウル、新商品に紅茶風味のレーズンパン−コンテスト受賞作
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ヨ |
2008.08.28 |
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- カステラに羊羹をはさんだ「シベリア」は、ひと昔前まではあちらこちらのパン屋で見られた。
- 1916(大正5)年から続く味を守る。
- 暑い日には冷蔵庫で冷やして食べるのがおすすめ。
- 名前の由来は、雪原を走るシベリア鉄道に羊羹を見立てたとも、凍土の地層を表現したとも。
- 公式HP→コテイベーカリー
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朝日新聞 |
2008.06.12 |
- 菓子店モンテローザが「横浜三塔物語」をテーマに新商品
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ヨ |
2008.01.08 |
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ヨ |
2007.12.17 |
- 県内産食材で「おせち」−食材の8割以上を80キロ圏内で調達
- レストラン「80*80(ハチマルハチマル)」
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ヨ |
2007.09.16 |
- スリーエフで「ドルフィンソーダ」−山手のレストランメニューを再現
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◆地域 >>戻る |
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2011.02.18 |
- オランダと横浜 風俗街変身
- 「飾り窓」を芸術発信地に
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- 日ノ出町、初音町、黄金町は6年前まで違法の風俗店が250店以上軒を連ねていた。
- 県警や市、住民の取り組みで廃業が相次いだが、地区の空洞化も進んだ。
- その対策の一つとして、NPO黄金町エリアマネジメントセンターが、市が借りた旧風俗店を借り受け、芸術家らに安価に貸し出す事業をしている。
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◇伊勢佐木町 >>戻る |
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2009.04.22 |
- イセザキモールで「ラテンフェスタ」−パレード参加者募集も
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ヨ |
2009.04.21 |
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朝日新聞 |
2009.03.10 |
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ヨ |
2008.10.27 |
- 144年の歴史に幕 来店客「思い出ありがとう」
- 横浜松坂屋
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- 伊勢佐木町の中核として親しまれてきた百貨店「横浜松坂屋」が、144年の歴史に幕を下ろした。
- 近年では人気フォークデュオ「ゆず」発祥の地としても知られるデパート。
- 惜別
- アールデコ調の美しい外観にカメラを向ける人が後を絶たず、店内でも時計形のエレベーターの階数表示などレトロな装飾を撮影する人も。
- 「伊勢佐木で唯一のデパートがなくなるのはさみしい」と惜しんだ。
- 正面玄関のゆずのサイン入りパネルは行列ができるほどの人気。
- 閉店
- 閉店時間の午後7時になると、見送りをする店員に駆け寄り握手する客や、ハンカチで涙をぬぐう店員も。
- 最後の客が去った午後7時35分。
- 店前のイセザキモールを埋め尽くす人々の前で、社長がマイクを握る。
- 「144年間の長い間、皆様方に絶大なご支持とご愛顧を頂き、厚く厚く感謝を申し上げます」
- 拍手や「ありがとう」が店を包む。
- 店のテーマ曲が流れると温かい手拍子まで起きた。
- 影響
- 「核になる店がなくなり、経済的にはマイナスにはなるだろう」と伊勢佐木町1・2丁目地区商店街振興組合の理事長(60)。
- 2002(平成14)年の伊勢佐木町の年間売り上げ333億円のうち、横浜松坂屋は130億円を占めた。
- 「松坂屋の休業日には周辺では1〜2割売り上げが減ると聞いた。閉店後、当面閉めたままということも予想され、大きな影響は避けられないだろう」と浜銀総合研究所主任研究員。
- 白紙
- 松坂屋の共同持ち株会社のJ・フロントリテイリングは今後、住宅と商業施設の複合施設を建設する方針を示した。
- 横浜市は本館の外観保存を申し入れ。
- 同社は前向きに検討しているが「いまだ白紙の状態」という。
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毎日新聞 |
2008.10.02 |
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ヨ |
2008.08.28 |
- 横浜市が横浜松坂屋のアールデコ調の外観の保全を申し入れ
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2008.07.22 |
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2008.04.23 |
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2008.04.17 |
- バーが開港150周年「しゅうまいドッグ」
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2007.06.28 |
- 伊勢佐木町ブルース・フェスタで恒例「ため息」コンテスト
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ヨ |
◇大岡川 >>戻る |
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2009.04.03 |
- 大岡川エリアで恒例の「桜まつり」−mixi横浜コミュニティー有志の清掃も
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2009.04.02 |
- 大岡川の桜を屋形船で楽しむ「お花見クルーズ」
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2007.03.14 |
- 桜を楽しむ船遊び
- 年1回の限定クルーズ
- 大岡川
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- 横浜港の大さん橋を出航し、赤レンガ倉庫や、みなとみらいのビル群を眺めながら、大岡川へと入っていく。
- 両岸に桜並木が続く名所として知られる。
- 1年に1回、お花見の時期だけ、ここに船が通る。
- 普通、クルージングに使っている水上バスは大きくて通れないため、船員の移動用の小さな船を使う。
- 「横浜大岡川・桜満開クルーズ」昼2000円 夜2500円 要予約。ポートサービス
- 公式HP→横浜クルージング(ポートサービス)
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◇関内(かんない) >>戻る |
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2007.11.21 |
- 首都高「横浜公園出口」開通−湾岸線から関内へのアクセス改善
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ヨ |
2007.05.12 |
- 関内に世界No.1ハワイアンコーヒーショップ−国内2号店
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◇黄金町(こがねちょう) >>戻る |
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2008.10.31 |
- 黄金町で「フードランドスケープ」-地野菜のカフェメニュー提供
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ヨ |
2008.10.07 |
- アートが挑む 街の闇
- 「黄金町バザール」
- ゆるい空気と、緊張感
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- 売春をさせる違法な飲食店が、かつて軒を連ねた地区が舞台。
- 軽いタッチのアートが醸すゆるい空気と、漂う緊張感。
- 大岡川沿いにパラソルが並ぶ。
- 地元の人が小物や手作りのお菓子を売ったり、アーティストが小さな作品を即売したり。
- なごやかなその周りを、警官が見回っている。
- 街には「売春飲食店を撲滅し明るく住み良い街に!」という看板が残る。
- 京浜急行の黄金町(こがねちょう)駅と日ノ出町駅の間で展開中の、バザールに至る歴史は長い。
- 戦後間もなくから売春行為は行われていたというが、目に余るようになったのは近年のこと。
- 阪神大震災後に、京急が補強工事のため高架下の店に退去を求めたら、すぐ近くに店は移転、さらに新たな店も加わり250店にも増えた。
- あまりの乱れに2002(平成14)年、地元の3町の町内会が「拡大防止」の委員会を組織、2005(平成17)年初めから警察が本格的に常駐。
- 横浜市とともに「撲滅」に動いた。
- 違法営業はなくなったが150店が空き室となり人通りも少ない。
- 「そんな街をアーティストならどう変えるか」。
- 市の助成金と寄付による予算1億円でバザールを開くことになった。
- 「昔は絶対来られない場所でした」と、市内から来た家族連れ。
- 「地図を手にした人が街を歩いてくれるなんて、夢にも思わなかった」と初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会の副会長。
- 一方で、「街ってきれいになればいいってもんじゃない。いくらか危ないところも面白い。あの店(*買売春が行われていた店)の形を残しながら、中で何かできないかな、と思います」とも。
- 「方向性、間違っていない」 建築家・石山修武さん
- 家族連れがこわごわ来るアートイベントということ自体に、魅力がありますね。
- で、来れば十分楽しめます。
- 一級の都市は、本当は、えたいの知れない矛盾やカオスをかかえているもので、それを全部きれいにしてよいのか。
- その部分を担うのが、アートの役割ともいえます。
- これから日本は、人口が減り、都市の荒廃や外国人居住の問題などと直面していかなければなりません。
- この企画は、その先端の問題に挑んでいると思いましたね。
- 公式HP→黄金町バザール
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◇寿 >>戻る |
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2009.02.19 |
- 寿町を舞台に新たな「アートプロジェクト」 〈KOTOBUKIクリエイティブアクション〉
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2008.11.04 |
- 寿町で新たなアートプロジェクトが本格始動-アートツアーも
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2006.11.04 |
- もう「ドヤ街」とは呼べません
- 新市民伝
- 谷津倉(やつくら)智子さん NPO法人「さなぎ達」理事 Funnybee代表
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- 日雇い労働者の街といわれた寿地区はいま、生活保護を受ける高齢者やホームレスの人が目立つ。
- 彼らを支えつつ、若者も訪れる街に再生する事業を起こしている。
- 寿地区は東京の山谷(さんや・台東区、荒川区にまたがる地域)、大阪の釜ヶ崎(大阪市西成区・「あいりん地区」の通称)と並ぶ「日本3大ドヤ街」と呼ばれる。
- 「ドヤ」は日雇い労働者向けの簡易宿泊所の通称。
- 「ヤド(宿)」には及ばないと、逆さまに読むようになったとされる。
- 足を踏み入れたのは1992(平成4)年。
- 東京女子大2年の夏休みだった。
- 「豊かなはずの日本に、なぜ、こんな街があり、ホームレスがいるのか」
- 寿地区に通い、元ホームレスらの活動に共感した。
- 居場所をつくり、互いに自立を支え合う。
- そんな団体「さなぎ達」の2001(平成13)年の設立に参加した。
- さらに街の活性化をめざす事業会社「ファニービー」を設立。
- 代表を任されて2004(平成16)年、大学職員をやめて専従した。
- 目玉事業が「ヨコハマホステルビレッジ」。
- 約200メートル四方の寿地区には宿泊所が約120棟、計約8千室ある。
- ところが、生活保護などを受ける居住者約6千人分を除くと、約2千室が空いている。
- この空き室に旅行者を泊める。
- 会社は宿泊所のオーナーと契約、宣伝や受付などの業務を代行し、宿泊代の半分を受け取る。
- 1泊約3千円。
- 延べ約2500人の客の半分が欧米やアジアなど45カ国の外国人。
- 「多様な人々が集まれば新しい力が生まれる。もうドヤ街とは呼べませんね」
- 公式HP→さなぎの食堂(ブログ) ヨコハマホステルビレッジ
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2006.06.30 |
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- 寿町の通称「ドヤ街」にある寿町総合労働福祉会館でユニークな天井画の制作が進んでいる。
- カンバスは真っ黒にすすけた天井で、約20メートル四方の大きさ。
- 神奈川県愛川町在住の美術家・北川純さん(41)が、特殊な白いチョークでレースの花模様を描いている。
- 求職者たちが寒い時期にたいた、たき火のすすが厚くこびりついた天井を北川さんが発見。
- 創作意欲がかき立てられ、会館近くのアトリエに泊り込んで作業を重ねてきた。
- 公式HP→北川純寿町天井画計画(ブログ)
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◆野毛 >>戻る |
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2009.04.01 |
- 野毛で「鯨食材の品見会」-日本一のくじら横丁を目指す
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2009.03.01 |
- 野毛のキャラクターは「ネズミ」に‐野毛大道芸ブランド事業
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2008.05.14 |
- JR桜木町駅に野毛地区の魅力をPRする観光案内所がオープン
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◆馬車道 >>戻る |
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2009.01.11 |
- 馬車道に「ヨコハマ・クリエイティブシティ・センター」が誕生
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- 現在「BankART 1929 Yokohama」として使用している歴史的建造物「旧第一銀行横浜支店」
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2008.10.29 |
- 恒例の馬車道まつりに「新聞女」が率いる街頭パレード隊
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2008.05.08 |
- アイスクリームの日に「横濱馬車道あいす」配布
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2007.05.09 |
- 「横濱馬車道あいす」5,000個を無料配付−アイスクリームの日に
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2005.12.14 |
- 馬車道に花田勝さんプロデュースの「ちゃんこダイニング」
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◆本牧(ほんもく) >>戻る |
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2008.03.12 |
- 本牧の名物娼婦「メリケンお浜」を題材に朗読会−BankARTで
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2006.08.29 |
- 「本牧のアメリカ」閉店へ
- レストラン「リキシャルーム」
- 創業45年、米兵の「故郷の味」
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- アメリカ軍の「ハウス」が本牧からなくなって20年余り。
- バーボンの香りが漂い、米兵たちの陽気な声が響いたアメリカンレストラン「リキシャルーム」がオープンから45年で店を閉じる。
- また一つ、若者たちがあこがれた「アメリカ」が、ヨコハマから消える。
- 9席のカウンター。
- 目の前には青いライトに照らされた酒棚がある。
- そして10個の米国製テーブル。
- 3年前の改装のときも、昔ながらの雰囲気を、あえて残した。
- 夫に代わって店を守ってきた、飯田かよ子さんは71歳。
- 「店の中を行ったり来たりするのも大変になっちゃって」。
- だから閉店を決めたという。
- かよ子さんは20歳のとき、横浜在住の米国人船乗りハリーさんと出会った。
- その翌年、駆け落ち同然で結婚し、本牧にやって来た。
- ハリーさんは1961(昭和36)年、「本牧にない店をつくりたい」と開店。
- 店の名前は初めて見たとき驚いた人力車にちなんだ。
- 米国人シェフが、バーベキューチキンやナスのグラタンを作った。
- 手に入りにくいチーズやウイスキーも友人がハウスの売店で仕入れてくれた。
- 1ドルが360円だった時代、羽振りのいい米兵たちが「故郷の味」を求めて集まった。
- 薄暗いキャンドルの明かり、ジャズの音、英語が飛び交う窓のない店は、格好の穴場だった。
- 石原裕次郎、勝新太郎ら往年のスターたちもお忍びでやって来た。
- 横浜出身の俳優、黒沢年雄さん(62)も毎日のように足を運びスペアリブにかぶりついたという。
- 「店の中はアメリカそのもの。バーボンの味も覚えた。僕の青春ですよ」
- 1982(昭和57)年、米軍の接収が解除された。
- それから四半世紀、本牧の街は高層マンションが立ち並ぶ「日本の街」に変わった。
- 閉店までわずか。
- 「本牧で一番最初にできた、本牧らしい店だった」とかよ子さん。
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◆元町 >>戻る |
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2009.03.28 |
- 元町で横浜開港150周年「元町限定オリジナルコレクション」
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2009.03.20 |
- 元町で「セントパトリックデー」パレード−アイルランドの祭り
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2008.08.20 |
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2008.06.22 |
- 元町・仏料理教室の「塩プリン」が話題に−塩スイーツの先駆け
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2007.08.23 |
- 元町公園プールで初の試みの100人分の「流し白玉」
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2007.06.29 |
- 元町にブランド豚肉「豚王」直営1号店−しゃぶしゃぶメーンに
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2005.04.17 |
- 元町商店街と資生堂、「元町ブランド」香水を発売
- 「横浜元町オードパルファム フローラル・マリンの香り」
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ヨ |
2004.12.14 |
- スタージュエリー、「元町洋食」を復活させるグリル店
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◆山手 >>戻る |
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2008.12.16 |
- 山手西洋館が世界のクリスマスを演出-キャンドルカフェ企画も
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2007.06.22 |
- 洋館の魅力探しに歩こう
- 山手地区
- まちは生きていく
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- 横浜の西洋館保存の話を聞きたいと嶋田昌子さん(66)に連絡すると「山手234番館で」と提案された。
- 嶋田さんは洋館の価値を伝えるガイド活動で保存の理解を広げ、まちづくりにつなげてきた。
- なぜ234番館なのか。
- 「1999(平成11)年から3年間、市民運営で内部を公開、山手地区訪問者の案内センターとした。あわせて、元は集合住宅の234番館の住人記録など一帯の洋館調査と情報集めの核にもしました。市の組織変更でその形は継続しなかったが、公開は続き、今もひとつのよりどころです」
- 活動は生まれ育った横浜への愛情に貫かれる。
- 「最初に保存運動を考えたとき、撤去反対ではなく、一緒に山手を歩こうと呼びかけたら、ひとが集まった。どれが本物の洋館かわからなかったのが、勘も働くようになって、もっと知りたいと興味がわき、都市の歴史の学習に進む。成果を横浜の魅力伝達に生かせば、まちづくりの助けになるはずです」
- 1982(昭和57)年に始まる活動は「ヨコハマ洋館探偵団」に発展、1992(平成4)年には「横浜シティガイド協会」を結成した。
- ガイドのコースは、ウオーターフロントなど市域全体に広がる。
- 「保存を訴えたとき、市の都市デザイン室が話を聞いてくれたのが、わたしたちがまちづくりに参加できる仕組みにつながりました。まちが五感でわかれば、自分たちの横浜という自覚が生まれる。それがすべての出発点だと思います」
- 公式HP→横浜シティガイド協会
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2005.01.05 |
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山手町の教会「横浜山手聖公会」から出火し、鉄筋コンクリート造り地上2階・地下1階建ての建物の内部がほぼ全焼した。
- 1931(昭和6)年に建てられ、同市の歴史的建造物に認定されている。
- 東京の旧丸ビル(千代田区)などを手がけた米国人建築家J・H・モーガンが設計し、イギリス中世初期の建築様式で知られている。
- 公式HP→山手聖公会
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■開国博Y150 >>戻る |
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2009.04.27 |
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カナロコ |
2009.04.25 |
- 開港150周年ってどういうこと
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- 「黒船」きっかけに貿易再開
- 外国から文化、街も発展
- 横浜港・函館港
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2009.04.23 |
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- 全部集めたくなる Y150限定フィギュア
- (海洋堂が手がけたカプセルフィギュア)
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2009.04.17 |
- 高さ12m・重さ37トンの巨大クモが街中に出現ーY150プレイベント
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2009.04.16 |
- 大切な地球 身近に
- (「開国博Y150」の催しの一つ、直径約20メートルの球体スクリーン・アースバルーン「HOME」試験点灯)
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2009.03.01 |
- 横浜開港150周年マスコット「たねまる」が電車で初めて東京に
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2008.12.19 |
- 開港150周年キャラ「たねまる」絵本が発売に−「ともだちのたね」
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2007.10.26 |
- 横浜開港150周年記念イベントマスコットキャラクター決定
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■赤レンガ倉庫 >>戻る |
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2009.03.11 |
- 巨大「フラワーガーデン」が出現−屋外挙式も
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2008.11.14 |
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2008.10.20 |
- 「タイフェスティバル」−タイ料理33店が一堂に
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2008.09.24 |
- ビール祭り「オクトーバーフェスト」
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2008.07.21 |
- 「あいすくりん博」−全国のご当地アイス100種
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2008.04.24 |
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2008.03.11 |
- 6周年記念で巨大花壇−15万本の花で彩り
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2008.02.16 |
- 横浜赤レンガ倉庫が3,000万人達成−記念「巨大砂絵」も
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2007.11.09 |
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2006.08.11 |
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- 女優の五大路子さん(53)が演じる一人芝居「横浜ローザ」が今年も終戦記念日(8月15日)に合わせ、赤レンガ倉庫で開かれる。
- この芝居のモデルとなったのは「ハマのメリーさん」。
- 戦後、横浜の街に娼婦として立ち続け、昨年84歳で亡くなった。
- 没後1年の追悼公演になり、「彼女の命の光を伝えていきたい」と五大さん。
- 芝居は、雑居ビルエレベーターホールの場面から始まる。
- その廊下で寝起きする「ローザ」は80歳を過ぎても厚化粧で街角に立つ。
- 「パンパン」と呼ばれた進駐軍相手の娼婦として始まった戦後の人生を独白していく−−−。
- 実際のメリーさんも白い歌舞伎のような厚化粧に白いドレス姿で、70歳過ぎまで伊勢佐木町かいわいの街頭に立った。
- 晩年、ビル内のパイプいすを寝床代わりにしていたという。
- 本人は過去を多く語らなかったが、戦後の横浜にいた外国人相手の娼婦の一人だったと言われている。
- 五大さんが初めてメリーさんを見たのは1991(平成3)年。
- 異様な外観に驚いたが、「凛とした目で誇りを感じた」という。
- 「彼女の人生を知りたい」と知人を訪ね歩き始めた。
- メリーさんが通った化粧品店では、昔は最高級品を買っていたが晩年は1瓶500円の白粉を使っていたこと。
- 定住先が無く、なじみのクリーニング店にドレスを預けて着替えていたこと・・・。
- 「時代の苦しみを受けながら、いつもほほえみを絶やさなかったそうです。人間ってすごいと思わされた」と五大さん。
- 数年がかりの取材記録を脚本家に送った。
- 「日本の戦後史として彼女の人生を書こう」と「横浜ローザ」が生まれた。
- 初演の前年になる1995(平成7)年には、本人にも会った。
- 「あなたの芝居をやります」と伝えると、「そう」と、ただ一言上品な笑顔で答えた。
- メリーさんが、舞台を見ないまま亡くなったのは昨年1月だった。
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2006.04.13 |
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- 誕生95周年を記念したイベントがあった。
- 赤れんがにちなんだ約2千本の赤い紙テープが、汽笛を合図にバルコニーから一斉に投げられた。
- 1911(明治44)年に旧大蔵省の税関施設として建設されたが、4年前に赤れんがの外観を残したまま、商業施設に生まれ変わった。
- 昨年は延べ500万人が訪れ、いまや横浜有数の観光地。
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2005.12.11 |
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- 広場に、6万個のビーズを使った光のオブジェを配したアイススケートリンク「アートリンク」ができた。
- 光のオブジェは現代美術作家、福津宣人氏の作品。
- 高さ5メートルで、約6万個のビーズで作った柱をライトアップする。
- スケート靴を借りて滑ることもできる。
- スケートリンクの入場料は大人500円、靴料500円。
- 大みそかはオールナイトで滑れる。
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2004.12.11 |
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- 天使などの映像を投影する催しが始まった。
- アーティストの石井竜也さんが制作した光と音のインスタレーションで、平和への願いを込めて披露される。
- アメリカ・ニューヨークで同時多発テロがあった翌2002(平成14)年から毎年開催されてきたが、今年が最後という。
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2004.03.24 |
- 花のあかりがとてもきれいね
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- 約8万鉢のパンジーを使って花のピラミッドをつくり春本番を演出している。
- ヨーロッパの庭園をイメージして、2棟の倉庫に囲まれた幅25メートル、長さ90メートルの広場に16種類のパンジーが咲き誇る。
- 倉庫街がリニューアルされて2年を記念して催された。
- 日没から午前0時までライトアップされる。
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■岩崎ミュージアム >>戻る 公式HP→岩崎ミュージアム |
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2009.02.11 |
- 廃校のイスで登れる芸術
- 東京造形大学4年 町田の小川さん、作品展
- モノに郷愁感じて
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2008.07.15 |
- ゲーテ座で「方法マシン」が検索エンジン利用のピアノコンサート
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2007.09.12 |
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■馬の博物館 >>戻る 公式HP→馬の博物館 |
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2007.04.24 |
- 「三国志」駆け抜けた馬の魅力探る
- 「三国志をいろどる馬たち」展
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- 日本で一般に言われる「三国志」とは、西晋の史書「三国志」を下敷きに、明の時代に成立した小説「三国志演義」のこと。
- 展示は中国古代の馬文化から始まって、「演義」のもとになったといわれる説話集「全相平話三国志」、江戸末期に大ヒットした「絵本 通俗三国志」など、物語普及の歴史をたどる。
- 見ものの一つが、さまざまな絵画として表現された、豪傑と馬たち。
- 立ち姿も荒々しい「関羽五関破」(歌川国芳画)は、いったん曹操に下った関羽が、劉備に会うために五つの関所を越えていくエピソードを描いたもの。
- 劉備が軍師・諸葛孔明を迎えるために、その住まいを3回訪ねたという「草廬三顧」をテーマにした作品は、円山応挙や与謝蕪村のものなど、数多く展示されている。
- 1939(昭和14)年から新聞連載された吉川英治による「三国志」の挿絵や、吉川版・三国志を原作とした横山光輝の漫画「三国志」の大型パネル、「三国志」に題材をとった刀装具なども陳列。
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■大佛次郎記念館 >>戻る |
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2008.11.15 |
- 19世紀のフランスに日本透視
- 大佛次郎とフランス展
- 作家への道 足跡たどる
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2008.10.08 |
- 大佛次郎記念館でフランスを紹介する特別展-ワイン談義も
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■海外移住資料館 >>戻る |
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2007.10.13 |
- 移民の歴史 カルタに
- 教材用に開発・貸し出し
- 日系人児童通う学校に好評
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- 「阿波おどり ブラジル風はサンバかな」。日本人の海外移住の歴史を詠んだ「移民カルタ」が注目されている。
- 海外移住資料館が子どもの教材用に作り、貸し出しを始めてから2年。
- 中南米諸国からやって来た日系人が多く暮らす地域の学校などから貸し出しの依頼が多い。
- 「戦争が 一世二世悩ませる」
- 「泣かないで 新天地への出発だ」
- 「あ」から「ん」まで46枚。
- 移民にまつわる出来事や移住先での暮らしが題材。
- 取り札には移民の生活を撮った写真や当時のポスターなどが使われ、裏面には詳しい説明も添えられている。
- 群馬県太田市の旭小学校は、不登校の日系ブラジル人児童のためにカルタを使って、日本とブラジルのつながりを教え、日系人のルーツについて説明した。
- 「カルタを見ながら話すことで、少しずつ心を開いてくれるのを感じた」と担当した教諭。
- 日系ブラジル人ら外国籍の子どもが全校児童の約1割を占める浜松市(静岡県)の小学校では、他文化理解をテーマにした6年生の授業に使った。
- 「日系人の子どもたちのルーツについて学ぶよい教材になった」と教諭。
- 資料館は日系人から寄せられた写真や民具などを展示している。
- カルタは、子どもたちに移民や日系人の歴史を紹介するために企画。
- 神奈川県内の小中学校の教員らの協力を得て、約500セット作った。
- 海外への移民が多かった沖縄県も貸出先の一つ。
- 小学校4年生の女児は「ブラジルでおすもうがはやっているのを、初めて知りました」と感想文に書いた。
- 日本人の海外移住者とその子孫は約250万人。
- 昨年は日本語教育の教材としてブラジル、パラグアイ、ボリビアの日本語学校にもカルタを配った。
- 「遊びながら学べるので現地でも好評。いつか、カルタの各国版を作りたい」とJICA(国際協力機構)で日本語教育を担う継承日本語教育センターのセンター長。
- 移民の歴史を紹介する紙芝居も貸し出している。
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■神奈川近代文学館 >>戻る |
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2009.04.01 |
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2006.12.28 |
- 作家気分で文したため
- 漱石山房原稿用箋
- アートごころな逸品
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- 赤を基調としたペルシャじゅうたんに螺鈿文箱(らでんふばこ)などが置かれた「漱石山房書斎」。
- 鎌倉にたびたび滞在した夏目漱石の東京都新宿区にあった自宅書斎の一部を再現したという。
- 特注の原稿用紙は、「漱石山房」の篆書(てんしょ)を左右から竜の頭が挟むデザインが印象的。
- 漱石の本の装訂を担当した橋口五葉によるもので、連載していた朝日新聞の小説に合わせ1行19字詰め。
- 新聞が18字に変更後に書かれた「こころ」の原稿では、下1字をあけて使うほど愛用したらしい。
- 同館はこの原稿用紙の版木も所蔵し、「漱石山房原稿用箋(ようせん)」を複製したところ、幅広い年代から好評を得ている。
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■神奈川県立歴史博物館 >>戻る |
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2009.04.25 |
- 東京湾にもいた海賊
- 「海賊−室町・戦国時代の東京湾と横浜」展
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2009.03.11 |
- 東西出あった後も漂う奇妙さ
- 「アジアとヨーロッパの肖像」展
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2008.09.17 |
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- 主に明治期、西洋表現の日本への定着に尽くしたが、橋由一らの陰に隠れがちだった五姓田(ごせだ)派の画家たちの格闘の跡を、多くの作品・資料でたどる。
- 五姓田派は、歌川国芳に学んだ初代五姓田芳柳(1827〜1892(明治25)年)が始祖。
- 横浜で、主に外国人相手に「横浜絵」を制作した。
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2006.07.13 |
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- 100年ほど前、貿易金融を担う銀行の本店として建てられた。
- 関東大震災で損傷したが復元され、戦禍を乗り越えて、歴史博物館に生まれ変わった。
- 歴史の証人でもあるこの建物を、小さなフレームの中で立体的に組み立てるペーパーキット。
- トレードマークのドームをはじめ、細かい部品をピンセットで張り合わせる。
- 歴史的建造物シリーズは計5種。
- 神奈川県庁など「横浜のシンボル」がそろう。
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■三渓園 >>戻る |
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2009.04.01 |
- 夜桜を楽しむ「観桜の夕べ」-園内のライトアップ拡大
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2009.02.17 |
- 梅の花を楽しむ「観梅会」−伝統芸能や俳句大会も
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2008.06.06 |
- ホタル鑑賞会で開園時間延長−三重塔ライトアップも
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2008.03.30 |
- 夜桜ライトアップイベント
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2007.12.28 |
- 新春イベント−「鶴翔閣」公開や伝統儀式「庖丁式」など
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2007.09.21 |
- 「観月会」で三重塔がライトアップ−日替わりイベントも
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2007.05.15 |
- 割り引きキャンペーン−「金色のコルダ」(女性向け恋愛シミュレーションゲーム)ゆかりの地
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2007.03.20 |
- 夜桜ライトアップイベント-予定より6日繰上げ開催
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2006.11.17 |
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■シルク博物館 >>戻る |
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2008.04.23 |
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- アロハシャツと日本を結ぶ知られざる歴史をたどる。
- 日本初のハワイ移民が横浜を出港して、今年で140年。
- コレクター所蔵のビンテージ・アロハシャツ約200点や、原型とされるヨーロッパ風の労働服、中国風にアレンジされたドレスなどを展示しており、多数の民族が入り交じったハワイならではの文化に目が開かれる。
- アロハシャツの起源の一つは日系移民の和服で、当初は和柄が主流だった。
- ハワイにエキゾチックな薫りを運ぶ土産品として、1950(昭和25)年代には、アメリカ人観光客向けに大量に作られるようになったアロハシャツだが、発祥は定かでない。
- ただ、中国系移民のエラリー・チャンが、1936(昭和11)年に「アロハ」ブランドを商標登録したことはわかっている。
- このブランドの最初期の1枚は、日系の仕立屋「ムサシヤ」に作らせたもので、竹や菊、貝桶が描かれた和装用の生地でできている。
- その後、多くのメーカーが手がけるようになり、富士山や鶴、鯉などを配した大胆な和柄も生まれた。
- 1940(昭和15)年代以降は、発色の美しいレーヨン地で、派手な柄のものが増えた。
- コレクターはこの時期の品をひいきにし、展示品の中にも数百万円の値がつくものがあるという。
- アロハシャツを「もう一つのジャポニスム」と京都服飾文化研究財団の石関さんは注目する。
- 「流行の中心から離れた地でファッションが生まれ、日本がその発展に深くかかわったことは興味深い。ハワイ古来の柄ではないが『何となくエキゾチック』と感じられて楽園的なイメージ作りにも一役買ったのではないか。制服や正装に採用され、現地の服装としても根付いている」
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■新港パーク >>戻る |
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2008.05.20 |
- 「特設水上ステージ」で光と琉球舞踊のパフォーマンス
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■象の鼻パーク >>戻る |
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2008.08.05 |
- 「象の鼻パーク」来年6月にオープン−発見された遺構3点は保存へ
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2008.06.17 |
- 再整備中の「象の鼻地区」の名称が「象の鼻パーク」に決定
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■日本新聞博物館 >>戻る |
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2009.04.06 |
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2006.07.27 |
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- 携帯ストラップにもなる、金属製のシンプルなキーホルダー。
- 先端に、彫ったような活字が浮き上がっている。
- 最近ではあまり見られなくなった活版印刷用の18ポイント(一辺約6ミリ)の「活字」を複製したもの。
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2004.10.14 |
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- 約15万点の収蔵資料を基に、新聞の歴史に始まり取材から編集、広告、事業活動など、新聞社や通信社、放送社の日々の活動を紹介している。
- 現代ゾーンは、ニュースを読者に届けるまでの新聞社の体制を紹介している。
- 事件や事故を追う社会部、スポーツ選手を取材する運動部、企業活動などを取り上げる経済部などの仕事内容を解説している。
- 編集会議を再現した「編集シアター」や、新聞広告を自分で作る「みてみてぼくの広告!」、自転車をこいで新聞配達するゲームなど、体験型の展示を盛り込んだ。
- 歴史ゾーンは、江戸末期から現代までの新聞の歩みを「近代新聞の成立期」「戦時統制期」「多メディア時代の新聞」など6つの時代に区切って紹介している。
- 草創期の新聞や翼賛体制を支えた戦時中の新聞などを展示した。
- 憲法で保障される「言論の自由」の意義について解説するドラマ映像の上映もある。
- 市民タイムスなど日本新聞協会加盟社が発行する日刊紙を集め、一般に公開している「新聞ライブラリー」も併設され、子供たちの社会科見学から高齢者の生涯学習まで、幅広く対応できる施設となっている。
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市民タイムズ(長野県松本市) |
■氷川丸 >>戻る |
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2008.04.26 |
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- 改修工事を終えた横浜港のシンボル。
- 式典では船長が「一般公開の再開を氷川丸自身が一番喜んでいるのでは」とあいさつ。
- 日本郵船の伝統のドライカレーが「氷川丸カリー」として来場者200人に振る舞われた。
- 氷川丸は1930(昭和5)年、最新鋭客船として横浜−北米航路に就航。
- 太平洋戦争中は病院船、戦後は引き揚げ船となったが、その後北米航路に復帰。
- 1960(昭和35)年に引退し、山下公園前に係留され、観光スポットとして親しまれたが、入場者の減少から2006(平成18)年に営業を一時中断していた。
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信濃毎日新聞 |
2008.04.16 |
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- 横浜港のシンボルで観光名所の氷川丸が、約10億円かけた1年間の改修工事を終え、客室や社交室が公開された。
- 1930(昭和5)年の就航当時の資料などをもとに、じゅうたんや家具などできる限り当時の姿を再現した。
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2007.02.05 |
- 氷川丸 来春に再開
- 横浜港のシンボル
- 10億円かけて補修
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- 日本郵船は、横浜港のシンボルとして親しまれ、昨年12月に営業を一時終了した「氷川丸」を、来年春にリニューアルオープンすると発表した。
- 所有者の企業から船体や桟橋の譲渡を受け、約10億円をかけて補修する。
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■放送ライブラリー >>戻る |
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2009.01.07 |
- 「美術セットに見る1980年代ミュージックシーン展」
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2008.07.12 |
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■ホテルニューグランド >>戻る |
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2009.04.18 |
- 日本の欧風料理に新風を吹き込んできたホテルニューグランドのオリジナリティー
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2009.01.19 |
- 老舗ホテル「ホテルニューグランド」が初のレトルトカレー発売
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2008.10.23 |
- 白船来航100周年で艦隊をもてなしたメニュー再現
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2008.01.17 |
- ラムボール
- 逸品ものがたり
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- 1927(昭和2)年に誕生したホテルニューグランド。
- 各国の文化が行き交うなか、スパゲティ・ナポリタンやプリンアラモードなど多くの名物料理・菓子も生まれた。
- 「ラムボール」は、進駐軍が持ち込んだ、ケーキくずで作るクラムケーキに想を得た一品。
- パウンドケーキやスポンジケーキの切り落としを砕き、ラム酒、バタークリーム、シナモン、プラリネを混ぜる。
- これを丸めてチョコで覆い、スミレの砂糖漬けをてっぺんに。
- 切り落としがある時だけ作られる「幻の銘菓」。
- 本館1階「ザ・カフェ」 1個315円 取り寄せ不可。
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■マリンタワー >>戻る |
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2009.02.20 |
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2006.12.26 |
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- 横浜港のシンボルだった氷川丸とマリンタワーが、45年間の営業に幕を閉じた。
- 近隣のみなとみらい地区に観光名所が移ったのに伴い、入場者数が減って採算が合わなくなった。
- 午後6時半、山下公園前の港に係留された氷川丸から、営業終了を知らせる10秒ほどの長い汽笛が3回鳴ると、訪れた大勢の人々が別れを惜しんだ。
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2006.10.14 |
- また会おうハマの名物
- 氷川丸とマリンタワー営業終了へ
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- 山下公園でマリンタワーと氷川丸の運営をする氷川丸マリンタワー株式会社は、両施設の営業を終了すると発表した。
- 入場者減に伴う経営悪化が理由で、マリンタワーは横浜市、氷川丸はかつて所有していた日本郵船に売却する。
- マリンタワーは横浜開港100周年記念のモニュメントとして1961(昭和36)年開業。
- 氷川丸も同年、ホテル船として営業を始めた。
- 入場者のピークは1991(平成3)年で、両施設あわせ約169万人。
- だが、2005(平成17)年は45万人を下回ったという。
- 横浜市は「2009(平成21)年の開港150周年に向け、耐震補強やバリアフリーの工事をしてリニューアルオープンする」。
- 日本郵船は「山下公園に保存する形で運営していくことを検討中」としている。
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■山下公園 >>戻る |
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2008.10.18 |
- 山下公園でインド光の祭典「ディワリ・イン・ヨコハマ」
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2008.10.02 |
- 山下公園で「ワールドフェスタ」−世界の料理を「丼」で紹介
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2008.07.28 |
- 山下公園前海域で水質浄化実験−「きれいな海」を取り戻す
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2008.05.10 |
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2008.02.18 |
- 人工太陽で「星型」の木漏れ日を表現
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- 山下公園で人工太陽を設置して星型の木漏れ日を作るユニークなアートイベント「こもれびの咲く夜」が開催される。
- 主催は、芸術と社会を結ぶ担い手の育成を行う「アート・イニシアティヴ・シティ実行委員会」で、芸術家・木村崇人さんによるアートマネージメント講座の一環。
- 会場には、高さ約20メートルの高所作業車に星型の光源を設置。
- 公園内の木々を照らすことで、星型の木漏れ日を表現する。
- 作品は、小さい穴を通った光が反転して映し出される「ピンホール現象」を利用したもので、葉と葉の隙間が天然のレンズになって光を集め、星型の人工太陽を地面に映し出す仕組み。
- 同委員会では昨年12月より越後妻有トリエンナーレ(2006年)(えちごつまり・新潟県十日町市と津南町にまたがる豪雪地域)で同作品を発表した木村崇人さんを講師に招き芸術文化に関するイベント運営ノウハウの講座を開催しており、今回はその成果発表となる。
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■横浜公園 >>戻る |
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2008.03.31 |
- チューリップ16万本−「スプリングフェア」で
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■よこはまコスモワールド >>戻る |
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2008.12.20 |
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- 大観覧車コスモクロック21にシースルーゴンドラが登場。
- 足の下に広がる景色を360度楽しめる。
- 来年、全面開業から10年を迎えるのを記念して、60台のうち2台をシースルーにした。
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2007.03.16 |
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■横浜シンボルタワー >>戻る |
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2008.09.11 |
- 「シンボルタワー祭り」−ライブやフリーマーケットも
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■よしもと赤ちゃん水族館 >>戻る 公式HP→よしもとおもしろ水族館 |
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2005.04.07 |
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- 魚やペンギン、ウミガメなどの赤ちゃんばかり集めた水族館が開館する。
- ターゲットも子どもで、水槽を低い位置に設置するなど工夫をこらす。
- 昨年7月開館の「よしもとおもしろ水族館」で約30万人を集めて成功した吉本興業が、二匹目のどじょうを狙う。
- 吉本らしく、漫才師の声を使った生育実験も試みる。
- 「よしもとおもしろ水族館」に展示した稚魚が子どもに予想外にウケたことから、同館が入ったビルの隣接フロアに独立して開くことになった。展示するのはフグ、ヒラメなどの稚魚や魚卵のほか、ケープペンギンのヒナ、アオウミガメの赤ちゃんなど計約100種5千匹。
- 実験は稚魚の発育に良いのは激しいツッコミの声か、穏やかなボケの声かを調べるというもの。
- 同社所属の漫才コンビ宮川大助・花子さんの声を録音して、二つの水槽のそれぞれに流す。
- ツッコミの花子さんには「なんでやねん!」などのきつい言葉を、ボケの大助さんには「そうやなあ」などの柔らかい言葉をしゃべってもらう。
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■よしもとおもしろ水族館 >>戻る 公式HP→よしもとおもしろ水族館 |
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2009.01.08 |
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2008.07.18 |
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2007.12.14 |
- ムーディ勝山さん企画「右から来た魚を左へ受け流す」水槽展示
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2005.04.29 |
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- 珍名の魚「マンザイウオ」の生け捕りに賞金100万円を懸けた吉本興業運営の「よしもとおもしろ水族館」、その魚の冷凍標本を展示する。
- 静岡県内の釣り人が駿河湾で漁獲した魚だが、輸送中に息絶えた。
- 懸賞金期限の1月末までに一匹も届けがなく、今回も生け捕りではなかった。
- 芸人から「ケチ」と言われる吉本らしく、「期間も過ぎ、死んでいるので100万円は払いません」。
- とはいえ、それで終わらせないのが吉本。
- 「珍魚をそのままにしておくのは残念」と、今回手にした標本を毎日10回程度、保存する冷凍庫を開けて、入館客にしっかり見せることにした。
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■横浜開港記念館 >>戻る |
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2008.05.21 |
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■横浜開港資料館 >>戻る |
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2008.09.27 |
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- アメリカのペリー提督が黒船4隻を率いて浦賀沖にやって来たのは1853年。
- その半世紀後、今度は白い船体の艦隊16隻が横浜へ来航した。
- 黒船に対し「白船」(Great White Fleet)と呼ばれる。
- 「白船来航−米国大西洋艦隊にわく100年前の横浜・東京」展は、同艦隊をキーワードに、友好と対立が交錯する日米関係の歴史を読み解こうとする展覧会。
- この米大西洋艦隊の来航、一つには海軍力を誇示して、日本に圧力をかける目的があったらしい。
- 当時、日米は旧満州(中国東北部)での利権や太平洋での影響力行使をめぐり対立していた。
- しかし、白船を待ち受けていたのは、政府や横浜、東京の人々の熱狂的歓迎だった。
- 旗艦コネチカットの絵はがき、記念のうちわ、当時の報告書など約200点を陳列。
- 歓迎の様子が米国で報じられ、両国の関係が好転していくまでを丹念にたどる。
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2005.10.16 |
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- 第二次大戦後の占領期に実施された検閲には不可解な例がいくつもあった。
- 「東北で疫病の恐れ」といった記事が削られる。
- 馬追い祭りの写真も掲載できない。
- 武者姿が復古的と見なされたようだ。
- 新聞人は敗戦の悲哀をかみしめた。
- 新聞の事前検閲が本格化したのは60年前の10月だった。
- 各紙がGHQに日々大量の原稿を持参し、掲載可か否か保留か判定を待った。
- 新聞統制に腕をふるったのは元記者でGHQ情報課長のドン・ブラウン氏。
- 検閲行政を進めたほか、印刷用紙の割り当ても差配した。
- ブラウン氏の足跡を紹介する企画展が開かれている。
- 彼が戦時中に手がけた対日宣伝ビラは巧妙。
- すし盛りのカラー写真や天皇の詠歌を載せ、日本兵を投降に誘う。
- 占領終結後も日本にとどまり、1980(昭和55)年に病没した。
- ブラウン氏がアメリカで生まれた1905(明治38)年、日本は対露戦争のさなかで軍部が検閲に力を入れていた。
- 元TBS記者竹山恭二氏の『報道電報検閲秘史』を読むと、特報の数々が軍や警察でなく、地方の郵便局で気まぐれに没とされ、削られていたことがわかる。
- 当時の報道合戦は電報頼みだった。
- 「○○少佐昨夜旅順ヘ出発ス」。
- 陸軍の拠点だった香川・丸亀の郵便局から記者たちが本社へ送った大量の電報の行方を竹山氏は克明に調べた。
- 歴史に埋もれた電報検閲に光をあて、今年の日本エッセイスト・クラブ賞に輝いた。
- 新聞に対する検閲は、明治の初めから占領期まで約80年間続いた。
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■横浜港大さん橋国際客船ターミナル >>戻る |
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2008.10.05 |
- 世界のお茶100種の無料試飲会−闘茶コーナーも
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2008.07.25 |
- 神奈川新聞花火大会で大さん橋屋上「くじらのせなか」を開放
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2007.03.20 |
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2007.02.21 |
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- 屋上から360度のパノラマが広がる眺め。
- 夜になれば、みなとみらいの夜景も輝く。
- 「もっと親しみをもってもらいたい」とターミナル事務所の小林さん(41)。
- 昨年、屋上の名称を公募し、「くじらのせなか」に決まった。ウッドデッキと芝生に覆われた開放的で巨大な空間は、海に浮かぶくじらに乗っているみたい、というわけ。
- 横浜港は、再来年に開港150周年。
- この近くにある開港広場は、幕末にペリーが来航し日米和親条約を結んだ場所。
- 港町の歴史を刻んだ三つの塔−−神奈川県庁、横浜税関、市開港記念会館−−を眺めに来る人も多い。
- 横浜のかつてのランドマークで、「キング、クイーン、ジャック」と呼ばれ親しまれている。
- 外国船の船乗りたちが、3塔を見て航海の安全を祈願したという。
- 「くじらのせなか」からは三つを一望できる。
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2006.12.06 |
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2006.09.28 |
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- 世界最大級の客船サファイア・プリンセスが入港した。
- 三菱重工業長崎造船所で2004(平成16)年に建造され、アメリカの客船会社に引き渡された。
- アラスカから室蘭(北海道)、横浜、長崎を経由し中国・天津に向かうクルーズの途中。
- アメリカ人を中心に乗客約2600人、乗組員約1100人が乗っている。
- 関連HP→プリンセス・クルーズ
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2006.03.16 |
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- 横浜港大さん橋国際客船ターミナルに停泊中の郵船クルーズの大型客船「飛鳥U」の船尾付近に、小型タンカーが衝突した。
- 飛鳥Uは約50センチ、幅約30センチへこみ、塗装がはがれた。
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共同通信 |
2006.02.23 |
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- 「飛鳥」の後継船で、日本船籍の客船では最大となる「飛鳥U」(長さ241メートル)が完成し、横浜港に入港した。
- もとは日本郵船が所有していた客船「クリスタル・ハーモニー」。
- 関連会社の郵船クルーズに所有を移し、三菱重工横浜製作所のドックで改修された。
- 横浜港を母港とする。
- 関連HP→郵船クルーズ
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2005.07.03 |
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- 夕景の横浜港を舞台の背景に見立て、能や狂言を演じる「海遥能」が、横浜大さん橋ホールであった。
- 国際客船ターミナルの先端にあるガラス張りのホールからは、ベイブリッジや行き来する船を眺めることができる。
- 訪れた観客は、徐々に暗くなってゆく景色とともに舞台を楽しんでいた。
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2002.05.30 |
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- 横浜港に入港する大型客船が接岸する「大さん橋国際客船ターミナル」が全面改装された。
- クイーンエリザベス2世号級の客船でも同時に2隻が接岸可能で、日本最大級。
- 長さ約430メートル、幅70メートル、地上2階、地下1階建て。
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■横濱中華街 >>戻る |
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2009.02.08 |
- 春節最終日に「元宵節燈篭祭」−区愛玲さん奉納の舞も
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2009.01.27 |
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- 中国の旧正月「春節」を迎えた中華街で獅子舞が店先を回ってご祝儀をもらう「採青」の行事があった。
- 料理店の2階からモップの柄につるされたご祝儀をくわえようと立ち上がる獅子に、大勢の見物客から歓声がわいた。
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2008.11.02 |
- 中華街で初の「フードフェスティバル」−シュウマイ品評会など
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2008.09.28 |
- セルフサービスの中国茶カフェ−「悟空」が3号店
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2008.09.04 |
- 中秋月餅
- 聘珍樓(へいちんろう)
- 逸品ものがたり
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- 中国では旧暦の8月15日を中秋節とし、家族で集って満月をめでながら豊作や家族円満を祈り、月餅(げっぺい)を食べる。
- 月餅の材料や作り方は地方で異なるが、日本で広く知られているのは広東(カントン)式。
- 小麦粉に卵や砂糖、ラードなどを加えた生地で餡(あん)を包み、木型でかたどって焼きあげる。
- 1887(明治20)年創業の「聘珍樓」では、香港から職人を呼び、月餅を作り始めた。
- 素材の風味を生かし、甘みや油っぽさを控えた上品な味わいが評判に。
- 今では、18種類が店頭に並ぶ。
- 中秋節限定の「中秋月餅」は「胡桃」(クルミ入り黒餡)、「五仁」(木の実)、「蛋黄」(塩漬けにしたアヒルの卵黄入り黒餡)のセット。
- 職人が一つ一つ手作りする。
- 皮には1カ月熟成させた蜜を練りこみ、もっちり、奥行きのある味わいに。
- 「蛋黄」は黒餡の中から丸ごとの卵黄が満月のように現れ、中秋節にぴったりの一品。
- じわりと広がる卵黄の塩気が餡の甘みを引き締める。
- 公式HP→聘珍樓
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2008.08.15 |
- 中華街のタピオカ入り「パンダクレープ」が話題に
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2008.02.13 |
- 中華街老舗バーの1kg超メガバーガーが話題−ウインドジャマー
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2008.02.13 |
- フードアナリストによる横浜中華街ガイド本−名店56店を紹介
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2007.12.19 |
- 中華街で「フードアナリスト」資格取得ツアー、日本旅行が女性限定発売
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2007.11.12 |
- 中華街のピアノ 復活
- 華僑製作、震災・空襲生き延びた
- 高校教諭から料理店に寄贈
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- 中華街の華僑の手で明治時代末期から約30年間つくられた「周ピアノ」。
- そのなかでも関東大震災、横浜空襲を逃れた初代のピアノが、中華街の老舗中華料理店、萬珍楼本店でお披露目される。
- 周ピアノは1912(明治45)年、上海でピアノづくりと調律を学んだ華僑の周筱生(しょうせい)氏が、中華街の一角に構えたピアノ工房「周興華洋琴専製所」でつくった。
- しかし、周氏は1923(大正12)年の関東大震災で死去。
- その後、息子の周讓傑氏が継いだが、終戦直前の1945(昭和20)年、横浜空襲でピアノ工場もピアノそのものも焼失し、製造は途絶えてしまったという。
- 横浜開港資料館などによると、周ピアノの中でも初代は北海道、静岡、群馬県などで6台しか見つかっていない。
- 今回寄贈されたのはそのうちの1台。
- ピアノの内部から関東大震災後に上海で修理を受けた証明書が見つかり、いったん大陸に渡り、中華街に戻ったという経歴がある。
- 中区の高校教諭(58)が所有していた。
- 周ピアノは母親が1955(昭和30)年ごろ、中華街で行われていたオークションで子どもの練習用に買ったという。
- 人づてで話を聞いた萬珍楼の林社長が「華僑の歴史を知る上で貴重な宝物。引き取って後世に残したい」と申し出た。
- お披露目のコンサートには、中区に住む周氏の孫で調律師の周斐宸(ひしん)さん(71)も招待される。
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2007.08.31 |
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2006.07.19 |
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2006.04.07 |
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2006.03.17 |
- 横浜中華街に「海の女神」
- マンション反対有志が建立
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- 中華街中心部のマンション建設に反対した地元有志が、建設業者から買い取った土地に建立していた「横濱媽祖廟(まそびょう)」が完成し、祝賀式典が開かれた。
- 海の女神「媽祖」を祭っており、武将関羽の「関帝廟」と並ぶ新たな街のシンボルになる。
- 媽祖廟はメーン通りの一つ「南門シルクロード」に面した約1000平方メートルの土地に完成。
- 2003(平成15)年にマンション計画が持ち上がった際、地元は「楽器や爆竹を使った祭りが規制され、にぎわいが損なわれる」と反発。
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2006.01.30 |
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- 中国の旧正月「春節」を祝うパレードが中華街であった。
- 「パパパパン」という爆竹の音に続いて、中国の獅子舞や竜舞などが約1時間通りを練り歩いた。
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2005.06.05 |
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◆中華街の問題 >>戻る |
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2009.04.27 |
- 夢の中華街 新華僑続々
- 老舗閉店相次ぐ横浜
- 深夜営業・90円肉まん 新発想で勝負
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- 老舗の閉店が相次ぐ世界最大級のチャイナタウンで、「ジャパニーズ・ドリーム」を手にしようと、たくましい生き残り競争が繰り広げられている。
- 横濱中華街は約500メートル四方の地域に、約250の飲食店が立ち並ぶ。
- 1859年の横浜開港後、来日した華僑たちによって外国人居留地内に作られた。
- その街で閉店が目立ち始めたのは3、4年前から。
- 閉店の理由は、不況による経営難や後継者不足など。
- 閉店してもすぐ新店が開くのも特徴。
- 進出するのは、主に中国の改革開放政策に伴って1980(昭和55)年以降に来日した新華僑の人たちで、中華街の外で店を開いて成功した人が多いという。
- 午後9〜10時に閉める店が大半の中華街で、福満園は午前2時まで営業する。
- 「新物件は我々にとって大きなチャンス。新しい発想の料理、ほかにないサービスをやらないと生き残れない」と社長。
- 「90円肉まん」で評判の皇朝。
- 出店前、客は何を求めているか、マーケティングをし、試作を繰り返した。
- 答えは「小ぶりで安価」。
- 一方、新華僑の相次ぐ進出に新たな不安も出ている。
- 中華街では「街づくり協定」を作り、活性化のイベントも多いが、これに参加しない新華僑も多いという。
- 「新しい店の中には強引な客引きやビラ配りなどマナー違反を繰り返す店もある。自分さえよければ、では街は栄えない」と謝甜記の社長。
- 「今は商売が忙しく街づくりに参加できないかもしれないが、余裕が出れば協力してくれるはずだ。新華僑のハングリー精神は老華僑にとってもよい刺激だ」と横浜中華街発展会協同組合の理事長。
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2009.01.29 |
- 食の安全 街変化
- ギョーザ事件
- 中華街「真剣さ増した」
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- 「すべての点心は国内で製造しています」。
- ギョーザ事件後、そんな張り紙を出す店が相次いだが、今では当時の名残も見当たらない。
- 「聘珍樓茶寮中華街店」では売り上げに影響はなく、数日後には張り紙を外したという。
- 中華街では、「ギョーザ事件は過去の話」という声も聞く。
- 「事件後、食の安全をいかに守り、消費者に伝えていくか、一層真剣に取り組むきっかけになった」と横浜中華街発展会協同組合が2007年(平成19)に立ち上げた食の安全委員会のメンバー。
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2008.02.01 |
- 「ギョーザの街」揺れる
- 風評懸念、張り紙・調査・・・
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- 「ギョーザの街」を看板に掲げる宇都宮(栃木県)と浜松(静岡県)、そして横浜の中華街が、中国製冷凍ギョーザによる中毒問題に揺れている。
- ほとんどの店は国産品だけを原材料に使っているというが、気がかりなのは風評被害。
- 食材の産地を緊急に調べたりホームページで訴えたり、消費者の安心への取り組みを急いでいる。
- 200店以上の飲食店が集まる中華街でも関係者が頭を悩ませる。
- 商店会組織「横濱中華街発展会協同組合」には苦情や問い合わせの電話が続いているという。
- 老舗中華料理店「聘珍樓(へいちんろう)」本社には「贈り物にしたが大丈夫か」といった問い合わせが相次ぎ、店頭販売のケースの上に「すべての点心は国内で製造しています」と張り紙を出した。
- 「日本の素材を大事に一生懸命つくっている中華料理と危険な輸入食品とをきちんと区別し、風評被害に振り回されないためにも水際の検査体制を早急に整えるべきだ」と林社長。
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2007.10.02 |
- “本国”に泣かされる中華街
- 「中国食品は危ない」風評被害で客足遠のく
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- 横浜といえば「中華街」。
- この街に今、“異変”が起きている。最近広まっている「中国食品は危険」との風評で、客足が遠のいているという。
- 平日の昼過ぎ、この時間なら自転車では通りたくないほど込んでいたのに、スイスイと進んでしまった。
- 行列ができるほど人気がある肉まん店や中国の食材を扱う店も、客はまばら…。
- 今年4月ごろから中華街全体で売り上げが落ち始め、8月までに前年同月比で平均10〜15%の減少。
- これに比例して、駐車場の利用台数も減っているという。
- 「風評は、努力に関係なく影響します」と横浜中華街発展会協同組合の林理事長。
- 影響を受けているのは、横浜中華街だけではない。
- 神戸(兵庫県)の中華街・南京町では「風評だけのせいだとは一概に言えませんが、売り上げは2、3割落ちています」。
- 一方、県産品を扱うことが根付いている長崎・新地中華街の中華料理店の支配人は「影響はない」という。
- 食の安全に詳しい唐木英明・東京大学名誉教授は、今回の騒動を「世界的な中国バッシングの流れ」と分析する。
- 昨年、北米で中国産ペットフードを食べた犬や猫が相次いで死んだのに続き、パナマでは中国製のせき止め薬で少なくとも100人が死亡していたことが判明。
- 中国製品への不安が高まった。
- こうしたことをきっかけに、中国製品に対する検査が厳しくなったことを受け、毒性物質が入った歯磨き粉や発がん性物質を含んだウナギも見つかった。
- さらに、段ボールをあんに使った「段ボール肉まん」の捏造報道もあり、「中国食品は危ない」という声が強まった。
- 問題は日本に入ってくる中国輸入食品だが、中国政府、輸入業者、厚生労働省の厳重な検査を受けている。
- 「中国食品で危険なのは、検査を経ていない本国向けと個人輸入のもの」と唐木教授。
- 厚労省などの検査を通った中国輸入食品は安全であると強調する。
- 横浜中華街では9月、唐木教授を招いて食の安全に関する勉強会を開いた。
- 約150人の発展会協同組合員が参加し、中国輸入食品の安全性を再確認した。
- 国産食品も含めたすべての食品で、生産履歴などをたどれる証明書「トレーサビリティ」を徹底しようとの機運も高まっている。
- 横浜中華街の名店「萬珍楼」の社長でもある林理事長は、同店で扱う食材について、「中国輸入食品の安全性については(検査を実施している)国に任せます。
- 国産食品については、生産者などが明記してある証明書の付いたものしか扱いません」と安全性をアピールする。
- 大阪市から訪れたという24歳の女性会社員2人。
- お目当ては、豚肉やモヤシなどのあんを包んだ麺をカリッと焼き上げた独特の焼きそばで大人気の「梅蘭」。
- 「中国産はいやだけど…。横浜中華街は有名だから、大丈夫だろうと思いました」と話していた。
- 中国食品に対するアレルギーは強いようだが、横浜中華街に対する信頼は厚い。
- 「どっしり構えていれば、お客さんはそのうち戻ってきます。むしろ、今回の風評は『中華街の食品は安全だ』ということを信じてもらえるいい機会になるでしょう」と林理事長。
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2007.07.21 |
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- 日本最大のチャイナタウン・横浜中華街に行くたびに、ある不満が膨らむ。
- ランチタイムをのぞくと、値段はいろいろあるが、基本的なメニューはどれも似たり寄ったり。
- 夏になっても冬が来てもメニューはあまり変わらない。
- そしてどこの店頭でも巨大な肉まんを売る。
- 香港や広東を訪れると、食べないと気がすまないものが「餐包(ツァンパオ)」。
- 焼きたてのアンパンに似ているが、中身は熱々の肉汁がおいしいチャーシュー。
- 広東料理がメーンの横浜中華街だが、レストランの店頭にも、展示されているメニューのサンプルにも、餐包は見当たらない。
- 夏になると食欲が落ちる。
- 出張先や自宅でも、昼食は緑豆粥やかぼちゃ粥に、小麦粉を薄く伸ばして焼いたせんべい、漬物にすることがよくある。
- 上海の自宅では、せんべいの豪華版ともいうべき「春餅」にすることもある。
- 小麦粉を薄く焼いた生地で緑豆もやし、豆腐乾、肉などを包んで食べる。
- 脂っこくなくておいしいし、栄養もある。
- 中国の各地でよく見かける「豆腐脳」(豆腐花)も、横浜中華街で出合ったことがない。
- 豆腐脳はしょうゆ味の温かい豆乳プリンといった食べ物。
- おいしくてヘルシーで、女性に人気が高い。
- 上海でドイツ帰りの親類と食事をしたさい、ネギと油を麺にかけた「葱油拌面(ツォンユーパンミエン)」が話題に。
- 全員が「あれはおいしい」と賛辞を贈った。
- これを横浜中華街で薦められたことはない。
- こうしたメニューはきっと中華街のどこかにはあるのだろう。
- しかし、小籠包、刀削麺、火鍋・・・。
- 近年、日本で認知されつつある新中華料理のどれを見ても、横浜が発信地にはなっていない。
- 横浜中華街は、中華料理の情報発信源になってほしい。
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2007.06.30 |
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- 平日でも人が途絶えることなく、年間2000万人以上の観光客が訪れる横浜中華街。
- だが、メーン通りを1本それると、料理店などから出た大量の残飯や段ボールの不法投棄が目立ち、悪臭を放っている。
- 一部店舗がごみ処理費用を免れるため、有料回収の「事業系ごみ」を、市が無料回収している「家庭ごみ」として捨てるケースが多発しているため。
- 月5万〜数十万円の処理費用がかかることから、家庭ごみの集積所に不法投棄する店舗も少なくない。
- これらの店舗はごみの排出日も守らず、営業終了後の夜間に廃棄するため、早朝にはカラスが集まってごみを食い散らかすなど二次被害も生んでいる。
- 中華街のごみ収集を担当する横浜市資源循環局適正処理部の中事務所は昨年、中華街の飲食店約200店舗に対し訪問調査を実施。
- 大半の店舗がごみ回収業者と契約を交わしていたが、「ごみ処理に何でお金をかけるのか」と拒否する事業者もあったという。
- ルール徹底に向けて作製した中国語のパンフレットも思ったほど効果は出ていないようだ。
- 「できることはやった。それでもルールを破る人は法律でしっかりと罰っしてほしい」と語気を荒らげる横浜中華街発展会協同組合の林兼正理事長。
- 同組合はこれまでに、安い回収業者の紹介や夜回りパトロールなどルール徹底に向けた対策を取ってきた。
- 「それでも1割のルール違反者がいるため、不法投棄がなくならない」という。
- このような事態を受け、中華街を管轄する加賀町署は4月から5月にかけ、家庭ゴミ集積所に事業系ごみを捨てた中華料理店10店舗を摘発し、違反事業者に対して初の警鐘を鳴らした。
- しかし、こうした行為が不法投棄に相当するのか、正式な見解が法務省から出ておらず、書類送検にも至らないという。
- 市の条例にも罰則規定はなく、「指導止まり」。
- “イタチごっこ”を危惧する同署は今月18日から開始した市の夜間監視パトロールと連携し、「きれいな街作り」を合言葉に不法投棄の一掃を目指している。
- 「マナー順守で中華街のブランドイメージが上昇し、もっと魅力的な観光地になってくれれば」と理事長。
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◆横浜大世界 >>戻る 公式HP→横浜大世界 |
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2009.01.20 |
- 三国志フェア-料理バトルやコスプレ変身体験も
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2008.12.14 |
- 5周年記念で「ギガ中華」商品-通常の20倍盛りも
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2008.10.13 |
- 人気アニメ「マクロスF」の「まぐろ饅」期間限定発売
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2008.07.14 |
- 「スタミナ料理バトル」-体長4センチのサソリ揚げも
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2008.06.14 |
- 「金魚焼」屋台オープン−中華街版たい焼き
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2008.04.11 |
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2008.02.07 |
- ご当地限定「ハローキティ」グッズ専門店、横浜中華街に
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2008.01.23 |
- 春節イベント「中国検定」−期間限定「特大ギョーザ」も
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2007.11.07 |
- 中華スパイスのオリジナル「上海カレー」専門店
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2007.07.11 |
- 「激辛中華フェア」−激辛「ロシアン小龍包」も
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2007.05.07 |
- 「パンダまん」が人気−期間限定商品
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2007.01.25 |
- 中国の正月を祝う「春節イベント」−餃子フェアなど
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2007.01.17 |
- 中国文化、丸ごと紹介
- 横浜大世界
- 私のワクWorkスポットなび
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- 雑貨店や料理店がひしめく通り沿いに、8階建ての細長い建物。
- 1、2階は雑貨や食品の店。
- 階段をあがると3階から5階はフードコート、その上は劇場とミュージアム。
- 「横浜大世界」は、中国文化の総合テーマパーク。
- 目玉は、劇場で毎日上演される「大世界精品舞台」。
- 「三国志」などのお有名な物語が京劇・雑技・伝統楽器などによって演じられる。
- 中国の伝統芸能が、約40分間で一度に楽しめるオリジナル作品。
- 「それぞれに個性が強い伝統芸能を融合し、共演させるのが大変」と、海外事業部の楊文櫻さん(37)。
- 演目を考え、中国から役者を呼び寄せてステージを作り上げる。
- 日本初出店の点心の店や、花文字などの職人を連れてきたり、展示の内容を企画したりと中国文化の紹介に力を注ぐ。
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■横浜トリエンナーレ(→横浜トリエンナーレ2005) >>戻る |
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2008.11.25 |
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2008.11.11 |
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2008.11.01 |
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2008.09.17 |
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- 会場の臨海地区では高層ビルが年々増え、市内にはアート関連施設が増設されるなど、初回の7年前とはアートをめぐる環境も変わった。
- さらに、アジアを中心に世界規模の美術展が多数開かれている。
- その中でいかに展示の輪郭を際立たせるか。
- 水沢勉・総合ディレクターがテーマに掲げたのは「タイムクレバス(時の裂け目)」だった。
- 作家それぞれの「パフォーマンス」を重視し、「時間的要素を感じさせる」作品を求めたという。
- そのテーマの象徴ともいえるのが、舞踊家であり振付家として活動する勅使河原三郎の「時間の破片−Fragments of Time」(日本郵船海岸通倉庫)。
- ガラスの破片が床に敷き詰められ、壁にも並べられた空間でダンサーが踊る。
- ガラスを踏むジャリジャリという音と、手で寄せ集めるシャリシャリという音が、光で明滅するダンサーと溶け合う。
- パフォーマンスは終了したが、再開が検討されている。
- 同じ会場では、中西夏之の「着陸と着水−XII YOKOHAMA 絵画列による」が鮮やか。
- その持ち味である白と紫のみずみずしい交錯が、絵画と空間的な展示の双方で味わえる。
- 埠頭に立つ新港ピアにも、鮮烈な作品が並ぶ。
- ミケランジェロ・ピストレット(イタリア)の「17マイナス1」は、ハンマーでたたき割られた16枚の鏡と割られていない1枚の鏡で囲まれた空間を提示する。
- 12体の人形が並ぶペドロ・レイエス(メキシコ)の「ベイビー・マルクス」。
- 表題のマルクスを始め、エンゲルスやスターリン、毛沢東らが小さな人形となって展示され、近くの画面では人形たちがナンセンスな語りを繰り広げる。
- 赤レンガ倉庫1号館には、現代アートの歴史を振り返るような映像がながされ、三渓園には、男女2人によるパフォーマンスや内藤礼のひそやかな展示が並ぶ。
- 不定期ながら、日本郵船海岸通倉庫の近くでは田中泯の舞踊が行われ、11月末にはオノ・ヨーコのパフォーマンスも予定されている。
- じっくり見ていたら一日ではまわりきれない。
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2008.09.13 |
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- トリエンナーレを応援するイベントとして、みなとみらい地区に幅36メートル、高さ3.6メートルの幽霊船がライトの光に浮かび上がった。
- ドイツのフロリアン・クラールさんが、幽霊船「フライングダッチマン」伝説からインスピレーションを得た。
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2008.09.12 |
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- アルミニウム製の巨大な旅行かばんのような箱は、移動式の映像上映室。
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2008.09.09 |
- 時の裂け目を見つめて
- 作家のパフォーマンス性を重視
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- 第3回展(9/13-11/30)となる今回は世界の25カ国・地域から73人が参加し、映像、絵画、彫刻、写真、インスタレーション(仮説展示)、パフォーマンスなど多彩な展示やプロジェクトが繰り広げられる。
- 神奈川県立近代美術館企画課長の水沢さんが今回第3回展のディレクターを引き受けるに当たって特に重視したのは、テーマ性である。
- 「美術館の学芸員として積み重ねてきた活動を踏まえ、単なるフェスティバルに終わらず、全体の輪郭がはっきりとした国際展を目指した」
- そこで出てきたテーマが「タイムクレバス」。
- 日本語にすれば時の裂け目とでもなろうか。
- 近代の進歩主義的で単線的な時間意識では解決できない様々な亀裂−−暴力、格差、自然破壊−−が現代では至る所に見えてきている。
- 「優れた芸術作品は亀裂の深淵を凝視することによって、新たな真理と可能性を切り開く」と水沢さん。
- 「だから芸術は恐ろしく同時に魅力的でありうる。人は危機に向かい合った時、五感は研ぎ澄まされ、潜在的な能力が引き出されるでしょう」
- このテーマに沿って出品作家を選択するために、水沢さんは5人のキュレーターによるチームを結成。
- 彼らと議論を繰り返す中で、特に作家のパフォーマンス性を重視することになる。
- 「生身のアーティストが集まることに意味がある。作品とアーティストの身体が絡むような展覧会になれば」。
- 実際パフォーマンスを仕事の核にした作家が数多く選ばれ、またダンサー、音楽家、舞台演出家も含まれている。
- 会期中には彼らのパフォーマンスも予定されている。
- 今回のトリエンナーレの特徴はまた会場が複数にまたがることである。
- 「一つの広い会場は確保できなかった。逆にそれを生かして、今回新しく建設された新港ピア、昭和20年代(1945-)の日本郵船海岸通倉庫、明治から大正にかけて完成された三渓園、明治末の赤レンガ倉庫と、時代も空間も異なる場所を使うことによって、横浜の歴史的な特性が浮かび上がれば良いと思っている」
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2007.01.13 |
- 実力派のアートで直球勝負
- 「横浜トリエンナーレ2008」の総合ディレクターになった水沢勉さん(54)
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- 全体テーマとして自らが掲げた言葉は「タイムクレヴァス」。
- クレバスとは、雪渓の割れ目のこと。
- 「アートを通じて、私たちがしばしば忘れているふりをしている『深淵』をかいま見させることができれば」と語る。
- 横浜市生まれ。
- 専門はドイツ語圏と日本の近現代美術。
- 1978(昭和53)年から神奈川県近代美術館の学芸員になり、現在は企画課長を務める。
- 2004(平成16)年にはサンパウロ・ビエンナーレ(ブラジル)の日本コミッショナーにもなった。
- 意外なことに「白いキャンバスの上に描くように、自分の好きなように展覧会を作ったことはない」と言う。
- 公立美術館の先駆けでもある同館には「漬け込んで漬け込んで受け継いできたタレがある」から。
- 「すっきり、鮮やか、軽やかになってはいけない、これが旬だと分かったらあえてやらない、というのがその教え」
- 3年から4年に1度の美術の祭典となる横浜トリエンナーレでも、その姿勢は変わらない。
- 「若い才能は支援したいが、見本市である必要もない。駆け足でみるような展覧会にはなって欲しくないのです。小石が湖の中に投げ込まれるような、アートの基本的な力を心静かに確かめたい」
- 横浜トリエンナーレにとっても3回目となる今回は正念場。
- 2008(平成20)年は北京オリンピックの年。
- 中国、韓国、シンガポールなどで国際美術展が重なる。
- 世界の目をどう日本に向けさせるのか。
- 真価が問われるなか、直球勝負で挑む。
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2005.11.28 |
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- 現代美術の祭典「横浜トリエンナーレ2005」で、巨大なテーブルサッカーゲーム大会が山下埠頭(ふとう)の会場で開かれた。
- 身長90センチの繊維強化プラスチックでできた選手を鉄パイプを通じて操作。
- 幅5.5メートル、長さ約8.5メートルのフィールドで、鋭い縦突進や華麗なパス回しが決まると、歓声がわいた。
- 大会自体はこの日だけだが、来月18日までの会期中、自由に遊ぶことができる。
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2005.09.28 |
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- 港ヨコハマの倉庫や街に奇想天外な人形や巨大造形物が出現した。
- 「横浜トリエンナーレ2005」の現代美術作品。
- この人形はスペインの画家ダリとモナリザを合成した顔で、現代美術展を風刺した作品の一部という。
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2005.09.16 |
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- 材木をたくさん使って古いビルを覆ったり、水辺にバラックに似た小屋を並べたり。
- 米国や欧州を主舞台に、新奇な作品で活動する美術家。
- 国際美術展となれば、作家として招待されるべき人なのに今回、企画・組織する側に転じた。
- いわば、「逆転ディレクター」。
- しかも、山下埠頭の倉庫をメーン会場に開かれる巨大国際展の最高責任者。
- トリエンナーレは3年に1度の美術展で、今回は30カ国・地域から86人が参加。
- 就任を受諾したのは、昨年末。
- 今春、1999(平成11)年の新設時から務めていた東京芸術大学先端芸術表現科の教授を辞した。
- 「1期生が大学院を出るまでの6年間で辞めようと決めていました。大役を引き受けたのは、教えたことを具体的に見せようと。僕にとっての卒業制作かな」
- 今回掲げたテーマは「アートサーカス(日常からの跳躍)」。
- が、本人は世界各地を転々とする生活から、都内の自宅と横浜を往復する毎日へ。
- 電車のプリぺイドカードも初体験。
- 「初めてサラリーマンになった気がします」
- 開幕間近ながら準備は遅れ気味。
- なのに、タフで自信に満ち、楽観的なのは、各地の制作現場で極限的な悪条件を切り抜けてきたからか。
- 間もなく参加作家が続々と到着して一層忙しくなる。
- 寝袋に泊まり込む元の「日常」に再逆転しそうだ。
- 関連HP→TADASHI KAWAMATA
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2009.02.18 |
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2008.09.12 |
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2009.03.23 |
- 横浜開港150周年記念「赤いくつリカちゃん」が限定発売に
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2007.06.07 |
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2006.05.25 |
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2009.01.27 |
- ハワイの定番スイーツ「マラサダ」専門店が横浜に初上陸
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2008.09.22 |
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2007.07.09 |
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