この辺りが中華街

写真2:マリンタワーから

写真3:朱雀門(すざくもん)

写真4:善隣門

写真8

写真7

写真6

写真5:市場通り門

  • 景徳鎮の巨大急須 (横浜大世界1階)

写真14:「青花九龍紋天字壷(せいかきゅうりゅうてんじんがたつぼ)

写真12:フード・テーマパーク「横浜大世界」

写真10:ずらりと並ぶ月餅

  • 日本における新聞発祥の地を記念する。
    • 日本最初の日刊新聞
      • 1861(文久元)年(幕末)にニュージーランド人ハンサードにより外国人居留地の人々に向けた新聞を発行。
      • 1863年に日刊化された。
    • 日本最初の日本語による新聞
      • 1864(元治(げんじ)元)年、ジョセフ彦(浜田彦蔵)により、海外の新聞を翻訳した「海外新聞」が定期的に発行された。
    • 日本最初の日本語による日刊新聞
      • 1870(明治3)年、神奈川県知事の井関盛艮(いぜきもりとめ)により、日本語の日刊新聞「横浜毎日新聞」が発刊された。(→2009(平成21)年、横浜アイランドタワー脇に碑が新設された)

写真11 6:「ジョセフ彦の碑」

写真13:「関羽」像

写真15:関帝廟(かんていびょう)

写真17:関帝廟

  • 中華街の情報を発信する展示スペース。
    • 展示スペースのバックは「九龍壁」で(写真の時は展示で隠されているよう)、北京で製作された。
    • 中華街の九龍壁は北京・北海公園のものを模した。

写真16:九龍陳列窓

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横濱中華街
よこはまちゅうかがい
神奈川県横浜市中区山下町(やましたちょう)
グーグルアース座標(朝陽門)=N35 26 38.37 E139 38 52.37
地図地図
撮影日:P1,3,15=2004/12/25 P5-1=05/10/25 P2=06/3/8 P4〜11,P12-2,13,14,15,16=08/1/1 P17=09/12/23
写真1:朝陽門 中華街で最も大きな門

中華街内の行ったところ
媽祖廟*夜景動画あり
山下町公園夜景動画あり
概要
  • 「横濱中華街」は地域ブランドとして登録されている。
  • 中華街の始まり
    • 中華街は横浜開港後の幕末から明治にかけて外国人居留地の一角に中国人が住んだのが始まり。
      • 関東大震災で中華街に立ち並んでいた煉瓦造りの家が倒壊し、その瓦礫が埋め立てられたのが山下公園になった。
      • 戦後間もない頃までは「南京町(なんきんまち)」と呼ばれていた。
      • 「中華街」の名が定着していくのは1955(昭和30)年頃から。
  • 中国料理店
    • 約500m四方に約500の店があり、その内中国料理店が約190ある。
  • 斜めの道
    • 中華街の街路が他の街路に対して斜めなのは、明治時代に田んぼのあぜ道をそのまま使ったからだという。
  • 2017年1月、日本テレビ系「沸騰ワード10」にて中華街でカレー戦争状態になっていることが紹介された。
横浜中華街に関する記事横濱中華街の記事
公式HP
横濱中華街
関帝廟
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横浜大世界

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横濱媽祖廟

写真16

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写真6

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写真4

写真3

写真1

写真2

マリンタワー

写真9

■神奈川県横浜市中区横浜中華街の情報、地図、概要