新宿区関連の記事 |
|
■メニュー
|
■総合 >>戻る |
|
|
|
未記入は朝日新聞 |
|
|
|
|
2011.02.16 |
- 劇場ムーラン 昭和の青春
- スターや監督の証言集め記録映画
|
- 戦前から戦後にかけての小劇場「ムーランルージュ新宿座」
- 映画「ムーランルージュの青春」
|
|
2009.02.19 |
- 介護体験 演技で再現
- 新宿のNPO、認知症理解へDVD製作
- 相手の気持ち想像して
- (福祉NPO「アビリティクラブたすけあい」(ACT))
|
|
|
2008.03.09 |
|
- 区立牛込仲之小学校の子どもと保護者。
- 50メートル歩く世界記録に成功し、ギネスブックに申請する。
|
|
■新宿区 >>戻る |
|
|
|
|
2010.11.05 |
- 新宿区民が財政白書
- 23区初 まちの台所分析
- 財政危機背景に広がる
|
- 2006(平成18)年の北海道夕張市の財政破綻をきっかけに全国にひろがり、これまでに約30の自治体で生まれた。
|
|
■事件・事故 >>戻る |
|
|
|
|
2011.02.12 |
|
- インターネット上の掲示板で新宿駅での無差別殺人を予告。
- 横浜市の男子生徒(15)。
- スーパーの無線LANで携帯ゲーム機から。
- 「どれぐらい騒ぐか見てみたかった」
- 予告時間の新宿駅には見物人らが約500人集まったという。
|
|
2009.02.20 |
- 業務上過失致死容疑で製造元など捜索
- エレベーター事故
|
|
|
2009.02.19 |
- 部品、45年交換せず?
- エレベーター転落死 扉のロック装置(信濃町)
|
|
|
■商業施設 >>戻る |
|
|
|
|
2010.11.10 |
- 「白いリンゴ」東京デビュー
- 青森の女子高生開発、新宿高野で展示へ
|
- 高級フルーツショップ
- 各種ビジネスコンテストで賞を受けるなど話題のリンゴ
- 昨年、南部町(ちょう)の県立名久井農業高校3年の女子生徒5人が開発。
|
|
2009.04.23 |
|
|
|
2008.10.22 |
- エスカレーターに「懐かしの顔」復活
- 小田急百貨店新宿店
|
|
|
2008.07.30 |
- 東京の「お笑い名所」に定着
- 「ルミネtheよしもと」7周年
|
|
|
2008.07.18 |
|
|
|
|
|
|
2008.01.07 |
- ジャンル問わぬ文化発信の拠点
- shinjukumuraLIVE
- カルチャ場
|
- 大小とりまぜ42室の貸しスタジオを運営する「新宿村スタジオ」が「公演の場も欲しい」という声にこたえ、2006年(平成18)に開いた小劇場兼イベントスペース。
- 「『何々のための場所』と決めつけず、お客さんに自由に使ってもらう。」と担当者。
- 再開発が進む北新宿の一角にあり、西新宿の摩天楼が間近に迫る。
- 「けいこ場と劇場がセットでこの立地。ニューヨークの下町にあるスタジオのような気分が味わえます」。
- 公式HP→SHINJUKUMURA LIVE
|
|
2006.11.13 |
- 小田急新宿駅南口〜西口エリアを「新宿テラスシティ」と命名
|
- 新宿西口周辺で事業を展開する小田急グループでは、スケールメリットを活かした一体感のある事業展開を行うため、2002年度(平成14)より新宿駅西口周辺の基盤整備を進めてきた。
- 整備を進めてきた部分とその上に存在するそれぞれの施設を一つの「街」と見立て、このエリアを「新宿テラスシティ」と名付けた。
- 公式HP→新宿テラスシティ
|
|
◆伊勢丹 >>戻る 公式HP→伊勢丹 |
|
|
|
|
2007.06.13 |
- 伊勢丹本店 デパ地下、大幅改装
- “食のおしゃれ”発信
|
- 伊勢丹新宿本店は、19年ぶりに大幅改装した地下食品フロアをグランドオープンする。
- シェフが目の前で調理して新しい食べ方を提案するコーナーやテイスティングバーもあるワインコーナーなど、既存の“デパ地下”の常識を覆すようなさまざまな仕掛けを盛り込んでいる。
- 「食のファッションを提供したい」と。
- 来年6月の東京メトロ副都心線の開業を控え、2005年(平成17)から改装を行っていた。
- 注目は幅を3メートル以上にした通路。
- 段差があった床もフラット化し、見やすく買い物しやすい売り場を目指した。
- バラバラだったショップの看板やショーケースも「和」「洋」といったスタイルごとに統一。
- 洋酒や、有名料亭の料理と日本酒のセットなどが有料で試食できるコーナーも6カ所設置。
- パーティーのメニューなど客の相談にのるフードアテンダントも常駐。
|
産経新聞 |
◆高島屋(渋谷区) >>戻る 公式HP→高島屋 |
|
|
|
|
2008.02.16 |
- 大学の美味いかが
- 24校が研究成果即売
|
- 日本各地の24大学が、それぞれの研究成果を生かしてつくった「大学ブランド食品」を持ち寄り、展示・即売を始めた。
- 各大学の農学系を中心とする教授らでつくる「フェア実行委員会」が、大学の味を連載で紹介した小学館の情報誌「DIME」などに協力を求めて実現した。
- 学生たちも各ブースで試食を勧めたり、調理してみせたりと余念がない。
- 「形を変えた研究発表の場。お客さんがどう評価してくれるか楽しみ」と北海道大の敦賀さん(23)。
|
|
2007.04.13 |
|
- 団塊世代をとりこみつつ、日本の新進デザイナーブランドなど最先端モードの情報発信を打ち出した。
- 新宿駅南口に1996年(平成8)秋に開店して以来、初めての全面改装。
- 130億円かけた改装の狙いは、20代、30代女性中心だった顧客層を団塊世代男女に広げること。
- 百貨店ならではの独自性をどれだけ発揮できるかに生き残りがかかっている。
|
|
■*食 >>戻る |
|
|
|
|
2009.02.05 |
|
|
|
2009.01.24 |
- 同志たちのカーニバル
- 京王百貨店 元祖駅弁大会
- 食べテツの女
|
|
|
2008.11.05 |
- 二つ星(ミシュラン) 偽装も二つ
- 牛肉に続き「無農薬野菜」も
- ヒルトン東京のレストラン
- (高級フレンチレストラン「トゥエンティ・ワン」→閉店)
|
|
|
2008.09.13 |
- 昭和の焼き肉 タレを再現
- 納得の甘さ追及
- 2100円「日本一高い」けど人気
|
|
|
2008.07.19 |
- 受けずにおれない関西気質
- 新宿ジョアン メトロパン
- 食べテツの女
|
|
|
2008.06.14 |
- お稲荷、四角か三角か
- 小田急新宿駅 茶巾寿司3点盛り食べテツの女
|
|
|
2008.04.07 |
- ”味と技”豊富な品々
- 広島ゆめてらす
- 全国対抗ふるさと自慢アンテナショップ巡り
|
- 新宿サザンテラス(新宿区と渋谷区にまたがるが、ほとんどが渋谷区)とともにオープン10周年を迎えた。
- 物産販売、観光情報の提供などを行っている。
- もみじまんじゅう、いか天、広島菜
- 「歓粋亭」:広島の食材を使ったレストラン。
- 伝統的工芸品の熊野筆をアレンジした化粧筆
- 「ふるさとレモン」:簡単にビタミンCが取れる粉末飲料
- 「生姜でPO」:美肌で好評、食べるしょうが
- 「醉心(すいしん)」:日本画の巨匠、横山大観が愛した酒。
- 「でべら」(カレイの干物):金槌でたたいて背骨を砕き、あぶって食べるという瀬戸内海の珍味。
- 公式HP→広島ゆめてらす
|
定年時代(朝日新聞) |
2007.04.12 |
- 熱帯フルーツ緑化作戦
- 都内のカフェで高齢者住宅で
- 会社社長らが実験中
|
- 頭上にはたわわなバナナの房、壁にはパッションフルーツの蔓−。
- トロピカルフルーツ専門のカフェ。
- 栃木県内でハウス栽培を手がけるオーナーは、ヒートアイランド現象の熱を利用して熱帯果樹を育てて都会の緑化を目指す。
- 収穫もできる体験型のカフェ、「vifu〜微風」
- 都会はヒートアイランド現象で夜の冷え込みが田舎より少なく、熱帯果樹の成長にはぴったりだという。
- 都内の高齢者向け住宅の屋上などでもトロピカルフルーツによる緑化の試みが広がっている。
|
|
◆菓子 >>戻る |
|
|
|
|
2009.03.03 |
- 栄冠のケーキ味わって
- パリのコンクールで優勝 東京の菓子職人
- ユズの香りを生かす
|
|
|
2009.01.15 |
|
|
|
2008.07.24 |
|
|
|
2008.06.05 |
|
|
|
2008.04.17 |
|
|
|
2008.03.13 |
|
- 「プラズリン」は、フランス・ロワール地方のモンタルジーで1903年(明治36)から続く菓子店「マゼ」の銘菓。
- アーモンドに糖液を何度も回しかけ、回転式ドラムで転がしながら熱して、深く色づいたアメがけにする。
- 17世紀、プラズリン公爵お抱えの料理長が、残ったカラメルをアーモンドにつけて食べている見習いの少年を見て、考案したという。
- その味はパリの宮廷に伝わるや、一大センセーションに。
- 公爵の外交的・政治的成功は、このお菓子によって後押しされたとすら言われている。
- 一般的には「プラリーヌ」と呼ばれるが、「マゼ」創業の際、公爵に敬意を表して、この名をつけた。
|
|
2007.05.03 |
|
- フランス北西部・ブルターニュ地方の静かな港町、キブロン。
- 通常、お菓子作りに使うバターといえば無塩バターだが、海に囲まれたブルターニュでは昔から、海塩や、それを練り込んだ有塩バターが多く用いられてきた。
- 「この土地ならではの、自分だけの特別な味を作りたい」。
- そんな思いを抱き、大西洋の潮の香りに包まれて育ったルルーさんが、ブルターニュ人として内からわき上がる感覚に従って今から30年前に生み出したのが、有塩バターをたっぷり練り込んだ代表作「C.B.S.(セーベーエス)」(CARAMEL AU BEURRE SALE = 塩入りバターキャラメル)。
- とろけるように柔らかな、塩味のキャラメルの評判はすぐにパリまで伝わり、数々の賞を受賞。
- 公式HP→HENRI LE ROUX
|
|
2007.01.19 |
|
- 「ケーク」とは長方形の型で焼く、いわゆるパウンドケーキ。
- フランスの菓子屋の定番アイテムだが、種類も少なく生菓子の陰に身を潜めていることが多い。
- それを「エーグルドゥース」の寺井さんは形を細長くし、味や食感のバリエーションを増やすことで、店の主役となる華やかな菓子に昇華させた。
- フランスのパティシエたちもこれには舌を巻いた。
- 寺井さんモデルのケーク型を購入したいとの声が殺到し、フランスでも販売されることに。
- 型の側面には寺井さんモデルであることを示す文字が刻まれている。
|
|
2006.12.01 |
|
- シュトーレンとは、ドライフルーツをふんだんに混ぜ混んだパンのような発酵菓子。
- 真っ白な粉砂糖で覆われた姿は、おくるみに包まれた赤ん坊のキリストを模したとも言われる。
- どっしりした質感で2、3カ月は日持ちし、クリスマスを待つ間、日曜日ごとに家族で薄く切り分け、ひと切れずつ食べるのが習わし。
- キリスト教ではクリスマスまでの約4週間は待降節(たいこうせつ)と呼ばれ、各家庭で日曜日が来るごとにキャンドルを1本ずつ増やして灯しながら、イエス・キリスト誕生の日を待つ。
- ドイツやフランス・アルザス地方でこの季節に欠かせないのが、シュトーレン。
- 125年余りの歴史を持つベルリン(ドイツ)の老舗「ラビーン」のシュトーレンは、宮廷御用達菓子職人だった初代の時代から受け継いだもの。
- 毎年、秋が深まるとベルリンの店にやって来るシュトーレン職人によって作られる。
|
|
◆不二家FC飯田橋神楽坂店 >>戻る 公式HP→不二家飯田橋神楽坂店 |
|
|
|
|
2007.03.05 |
|
- 不二家のフランチャイズ店を経営する平松さん(64)にとって、不二家の被害者であると同時に「加害者」側の一員でもあるという二つの思いに悩んだ50日間だった。
- 開店間もない約40年前から、ペコちゃんの顔をかたどった生地に小倉あんやカスタードなどを入れて焼いてきた。
- 原材料の調達でも不二家本体を通さず、焼き上げるまですべて自前。
- 「神楽坂の顔」として観光客のおみやげや、近くの東京理科大生のおやつ代わりとなり、1日1千〜2千個売れる人気商品となった。
- そこに突然、不祥事が襲った。
- 次々と明らかになるずさんな品質管理。
- 不二家が洋菓子販売の休止を発表した後も焼き続けたが、「安全がきちんと保証されるまでは自粛しよう」と販売をやめた。
- 販売再開は、不二家の経営陣刷新と衛生管理体制が整ったと判断し、踏み切った。
- 単なる「下請け」ではなく、本社と消費者の立場に立って責任をもたなければいけないと思うようになった。
- 閉店中、スタッフのやる気を維持し、よりおいしく安全な商品を提供したいと、衛生面やケーキのデコレーションの研修を繰り返した。
- 評判の菓子店へ足を運び、買って食べてもみた。
|
|
2007.03.04 |
- <ペコちゃん焼>ファンの声が後押し…1カ月半ぶり復活へ
|
- 飯田橋神楽坂店のオリジナル商品で、本社の期限切れ原料使用問題に伴い販売を休止していたが、再開を望む多くのファンの声に後押しされて再出発する。
- ペコちゃん焼は、ペコちゃんの顔をかたどった生地にあんなどを入れた大判焼き。
- 同店がフランチャイズ店になった1967年(昭和42)の数年後、全国十数店で売られたが、1970年代(昭和45-)前半には同店だけになる。
- 雑誌で紹介されたのを機に、全国区の土産物としても定着した。
- 原材料や製造も自前の商品だったため、本社の不祥事発覚後もしばらく販売を続けたが、自主的に休止。
- その後、激励や再開を望む全国からのメール、電話が絶えず、同店社長(64)は家族会議を重ね、再開を決めた。
- 「廃業も一時考えたが、本社の衛生管理体制も固まった。お客様が戻ってくれるか心配だが、信頼回復に向け全力で頑張りたい」と。
- 再開に向けた思いや、女優・冨士眞奈美さんらの応援エッセーなどをまとめた小冊子1万部も配る。
|
毎日新聞 |
2007.01.18 |
|
- 不二家のチェーン店が洋菓子販売を休止する中、人気の独自商品「ペコちゃん焼」を製造・販売していた飯田橋神楽坂店は「社長の会見内容は、多くの疑義や不信を生み、事態を深刻化させた」としてペコちゃん焼の販売を休止し、一時閉店した。
- ペコちゃん焼は1967年(昭和42)から販売が始まり、最近は同店だけが扱っていた。
- 各地のチェーン店で洋菓子の販売休止後も「原材料は店で直接調達し、この場で焼いて販売している。一切工場とは無縁」と販売を続け、行列ができるほどの人気となっていた。
- しかし、同店を紹介するホームページ上に、ペコちゃん焼の「販売休止」が掲載された。
- 店主は「戦後の日本人に深く愛されてきたペコちゃんキャラクターが、もういちど皆様に安心して迎えられる日が早からんことを祈りつつ、ふたたびお目見えする日まで閉店する」としている。
|
2007.01.15 |
|
- 不二家が洋菓子販売をチェーン全店で休止する中、飯田橋神楽坂店は独自商品の「ペコちゃん焼」を販売し、営業を続けている。
- ペコちゃん焼は同店がフランチャイズ店になった1967年(昭和42)直後から販売を始めた。
- ペコちゃんの顔をかたどった生地にあんを入れたもの。
- 当初は全国十数店舗で売られたが、現在はこの店だけ。
- 販売を続ける理由について、「原材料は店で直接調達し、この場で焼いて販売している。一切工場とは無縁」と説明。
|
2006.11.10 |
|
- 不二家のキャラクターペコちゃんは、生まれたのは1950年(昭和25)。
- 舌をペロリと出したキュートな女の子。
- 「ぺこ」という名前は、べこ(子牛)を西洋風にアレンジしたものという。
- 大判焼きと同じく小麦粉の生地の中に餡やクリーム、チョコなどを詰めて焼く。
- ペコちゃんの顔に凹凸があるので、通常の大判焼きよりもさくっと香ばしい。
- フランスの語学学校や教育施設があり、フランス人が集まる土地柄、彼らもよく買っていくという。
- 今年から、ペコちゃんに交じってボーイフレンドのポコちゃんも登場。
|
|
■伝統工芸 >>戻 |
|
|
|
|
2008.07.30 |
|
|
|
2008.04.02 |
|
- 江戸中期に京都の絵師、宮崎友禅斎が創始したといわれる友禅染。
- もち米などで作る糊で輪郭を手書きし、内側を筆やハケで塗り染める技法により、細やかな模様が可能になった。
- 気の遠くなるような手作業で細密な模様を描き出していく。
- 「私の役割は、着て出かけた時、人にほめられるような着物を作ること。手は抜けません」と高田馬場にアトリエを構える小倉さん(65)。
- 関連HP→東京手描友禅 (日本の伝統的工芸品館ページ)
|
|
2008.02.27 |
|
- 江戸時代の庶民に愛された「浮世絵」。
- その文化と技術を継承するため、アダチ版画研究所では専門の職人を抱えて名作の復刻や現代の作家と共同制作を行っている。
- 「わずかな違いを見抜くか、見過ごすかが作品の出来を決めます」と、摺師(すりし)の久保さん(60)。
- 1枚の作品に、10近くの版を重ねる。
- 効率を重視する浮世絵は、「絵師」「彫師」「摺師」と分業で制作されてきた。
- どの職人にも通底するのは「徹底的に」という思い。
- 確かな技と細心さの積み重ねが、華やかな1枚を支えている。
- 公式HP→アダチ版画研究所
|
|
■場所 >>戻る |
|
|
|
|
2011.03.08 |
- 突然の客 未知への誘い
- 荒木町
- 漫画家 やなせ たかし
- [追憶の風景]
|
|
|
2009.04.04 |
- 夢見る住空間、巨匠同様
- ガウディ風建造物
- 山田五郎のワケあり!
|
|
|
2007.04.24 |
- 遊女と侍の悲しい結末
- 俗謡「新板白糸くどきやんれいぶし」
- 成覚寺(じょうかくじ)
- [東京物語散歩]
|
- 境内に「白糸塚」と呼ばれる塚がある。
- ある男女の悲話に関係して建てられたもの。
- その話は俗謡や芝居などで世に広がった。
- 妻子のある侍が白糸という19歳の遊女に夢中になった。
- 絶望した妻は自殺してしまい、それを知った白糸も命を絶つ。
- 侍もその後、死を選ぶ。
- 成覚寺には亡くなった遊女を供養した「子供合埋碑(こどもごうまいひ)」などもある。
|
|
2006.10.25 |
|
- 創業120年を迎えて内藤町に建て、区に寄贈。
- 玉川上水を動力に材料の黒鉛を細かく崩したという。
- 内藤児童遊園内
|
|
■駅 >>戻る |
|
|
|
|
2003.11.17 |
|
- 4、5年前、都内の地下鉄各駅で「憩いの場」の設置がはやった。
- しかし、ミニ図書館の本が返って来なかったり、高田馬場駅では水槽にジュースを入れられて魚が全滅した。
- しかし、早稲田駅では、誰かが金魚を持ち去っても、知らぬ間に誰かが金魚を入れてゆく。
|
|
◆新大久保駅 >>戻る |
|
|
|
|
2011.01.28 |
|
- 2001(平成13)年1月26日、新大久保駅で、韓国人留学生の李秀賢(イ スヒョン)さんが転落した人を助けようとして電車にひかれ、ほかの2人とともに亡くなった。
- 盛り場歌舞伎町の隣まち。
- 韓国人女性に加え、留学生が集まり始めたころ。
- 何軒かPC房(ピーシーバン)、今で言うネットカフェができ、彼はそこでバイトをしていた。
- 1年半後、日韓がサッカーW杯を共催で開く。
- 韓国料理屋は赤いTシャツでわいた。
- その後も応援の名所になった。
- 次ぎに押し寄せたのは韓流の波。
- 「冬のソナタ」がNHK地上波で再放送されたのは2004(平成16)年。
- サムギョプサル、カムジャタン、スンドゥプ。
- 10年前は知る人が少なかった韓国料理がここから広がった。
- 秀賢さんの両親が来日し、10回目のこの日が最後となる「偲(しの)ぶ会」で、日韓交流が息子の夢だった、などと語った。
- この街の10年はめまぐるしく過ぎた。
- 駅のホームに安全柵はまだない。
|
|
2011.01.27 |
- 息子の志「防護柵に」
- 韓国人留学生ら 新大久保駅で救助死10年
- 両親、安全対策訴え
- 絶えぬ転落死 柵設置費が壁
- ソウルでも追悼
|
|
|
2011.01.23 |
- 勇気 語り継いで10年
- 新大久保駅で救助の韓国人留学生事故死
- 千代田で最後の「しのぶ会」
- 奨学金発案の父「息子の志」語る
|
|
|
2009.03.09 |
- 2人の勇気、明日につなぐ
- 駅で救助死から8年
- 日韓の3人が しのぶ歌
|
|
|
◆新宿駅 >>戻る |
|
|
|
|
2008.12.05 |
- 一般公募クリスマスメッセージを壁のスクリーンに
- 駅ビル「ルミネエスト」
|
|
|
2008.04.26 |
- 食べ盛りの大人の救世主
- 新宿駅 ベルク
- 食べテツの女
|
|
|
2008.01.25 |
- 「平和を」無言で5年
- 「イラクは・・・」「沖縄は・・・」 掲げたプラカードで叫ぶ
|
- 毎週土曜日の決まった時間、新宿駅西口の地下広場で自作のプラカードを掲げて反戦・平和を訴え続ける人たちがいる。
- 演説したり声を上げたりしない、ただ立ち尽くすだけの無言のアピール。
- 午後6時、どこからともなく集まってきた人たちが、メッセージを携えて静かに立つ。
- 「イラクはまだ燃えている」「沖縄の海を米軍基地に渡すな」。
- 特定の組織があるわけではない。
- 活動のきっかけを作った大木晴子(せいこ)さん(59)は39年前、同じ場所でベトナム戦争反対のフォークを歌っていた。
- 再び戻ったのはイラク戦争開戦の1カ月前。
- 数人で始めた活動の輪は、今では約30人に広がった。
- 街頭に立てば議論をふっかけられると思っていた。
- だが、足を止める人はほとんどいない。
- たまに「北朝鮮が攻めてきたらどうするのか」などと言い寄られるが、一方的な物言いで終わることが多い。
- 「思っていることを議論し合うことから始まるのに」と残念がる。
- 一方で、道行く人の中には遠くからプラカードを読んでくれる人、深々とお辞儀してくれる人もいる。
- 無言の賛同が励みになる。
- 「同じ気持ちの人がいると分かればうれしい。社会の不条理を感じる限りはずっと立ち続けたい」と大木さん。
- 公式HP→大木晴子のページ
|
|
2006.12.28 |
- 新宿駅東口、20歳の清掃
- 早朝にひとり
- 「世界変えたい」
|
- 毎朝午前6時、薄暗い新宿駅東口広場で、上智大学経営学部3年の荒川さん(20)が掃除を始める。
- ジャージ姿の背中に下げているのは、「一緒にそうじをしてくれる人募集」という手書きの段ボール。
- 自主制作映画を見たのがきっかけで、11月中旬から始めた。
- この映画は、元芸人の男性が日本中に呼びかけて大量のマフラーを編んでもらい途上国の子どもに届ける経緯とその反応を撮ったものだった。
- 「一人が動けば世界も変えられる」と感動した。
- 頭に浮かんだのが、大学の友人との飲み会で訪れるたびにごみの多さと汚さにあきれていた東口広場だった。
- 初めての朝。
- 広場は、タバコの吸殻や空き缶、食べかけの弁当などが散らばり、泥酔者が吐いた物で汚れていた。
- 手伝ってくれる人はいなかった。
- 目の前で吸殻を捨てられたり、酔っぱらった若者に集めたごみを蹴られたりしたこともある。
- 毎朝午前5時に起きるものの、体調不良や学校の課題だど、行かない理由を毎日探すようになった。
- 2週間ほどたったある朝、ホームレスの男性2人が黙って手伝ってくれた。
- 中年の会社員が「手伝えないけど、ポイ捨てはしないようにするよ」と言って温かい缶コーヒーをごちそうしてくれたのもそのころだ。
- 以前は広場に捨てていたたばこの吸殻を、ごみ袋に入れてくれるようになったホストもいた。
- 「最初は誰も協力してくれないことが不満だった。でも、時々もらう優しい言葉やささやかな変化など、周りの人のおかげで続けてこられた」と荒川さん。
- 自分自身も変わった。
- 無駄なごみを出さないよう、買い物袋とプラスチック製のはしを持ち歩き、流行が過ぎれば捨てていた服も大切に着ようと、しまい直した。
- かつて2時間かかっていた掃除は、今は1時間ほどで終わる。
- ごみの量も半分近く減った。
- 目に見えて感じる手応えを力に、来年も毎朝、掃除を続けようと思っている。
|
|
2006.04.16 |
|
- 駅南側でJR線と交差する国道20号陸橋の架け替えに伴うもの
|
|
■地域・町 |
|
|
|
|
◆市ヶ谷(いちがや) >>戻る |
|
|
|
|
2008.10.11 |
- 昭和の万物電化の賛歌
- 三木鶏郎作詞・作曲「明るいナショナル」
- うたの旅人
|
|
|
|
|
|
2007.05.09 |
- 迎撃弾の展開地、隣にマンション
- 市谷の38階建て、予約完売
- 防衛省、高さ制限手つかず
- 「生活に影響」懸念も
|
- 国内で配備が始まった弾道ミサイル防衞(BMD)。
- 海上からのイージス艦搭載の迎撃ミサイルが大気圏外で撃ち漏らした場合に、地上から迎撃する地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)。
- 半径約20キロという防護範囲の制約があるため、他国にミサイル発射の兆候が見られた場合、発射機やレーダー装置などの装備ごと、迎撃に最適な場所に移動・展開させる必要がある。
- 航空自衛隊入間基地(埼玉県狭山市・入間市)に初配備されたPAC3は、首相官邸や国会、中央省庁など首都中枢の防護が目的で、防衞省がある陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地が展開予定地となっている。
- ところが、駐屯地に隣接する土地では現在、民間業者が地上38階の高層マンションを建設中。
- 北朝鮮からの弾道ミサイルを想定した場合、マンションの位置は迎撃ミサイルの飛行コースに完全に重なっていることが分かった。
- マンションを直撃する可能性は低いが、風圧で窓ガラスが割れることはほぼ確実だという。
- 「住民生活に規制をかける調整を平時に持ち出すのは刺激が強すぎる」との意見も根強く、調整が先送りされてきた。
|
|
◆大久保 >>戻る |
|
|
|
|
2007.06.12 |
- 事件に挑む謎の怪談作家
- 大塚英志『くもはち』(2003年(平成15))
- 大久保・小泉八雲終焉の地
- [東京物語散歩]
|
- 小泉八雲の終焉の地は現在の大久保1丁目。
- 区立大久保小学校の正門横に、それを示す碑が建っている。
- 『くもはち』の語り手の「私」はねっぺらぼう。
- 妖怪の仕業と思われるような事件を科学的に解決する、というのがよくある展開だが、この小説ではそれにもうひとひねり加わっているのが面白い。
|
|
◆神楽坂(かぐらざか) >>戻る |
|
|
|
|
2008.12.23 |
- 怖い顔の主人が営む湯屋
- ヒキタクニオ『上を向いて歩こう』
- [東京物語散歩]
|
|
|
2008.12.16 |
|
|
定年時代(朝日新聞) |
2008.03.20 |
|
- 大通りから一歩入れば、右に左に折れる細い道。
- 石畳を進むと黒塀の料亭が並び、琴の音が時折、響く。
- かつて隆盛を極めた花街の面影に一瞬にして引き込まれる。
- 銭湯や飲み屋、木造の民家。
- 懐かしさが漂う生活風景も健在。
- 路地に風情が薫る街、神楽坂。
- 街の住人で建築家の鈴木喜一さん(59)。
- 「私の建築は、残すこと」
- 主に、各地の古民家の修復や移築を手掛けている。
- 暮らしの中に息づく建物や街並みは人の記憶を結ぶよすがにもなる。
- いまの東京は、壊してはつくり、また壊すの繰り返し。
- 建築とは新しいものを建てるだけではない、と異論を唱えてきた。
- その精神を伝えようと、講義とフィールドワークの「神楽坂建築塾」を主宰する。
- とはいえ、この街にも変化はある。
- 緩やかな速度で昔の建物が消えていく。
- 腕を広げれば、指先が両壁いっぱいの狭い道。
- すれ違えば軽い会釈を交わし、雨の日はお互いが傘をかしげて通る。
- 「街が、人の生き方までゆったりと優しいものにしているのでしょう」
- 公式HP→神楽坂建築塾
- →鈴木喜一建築計画工房
|
|
2007.03.20 |
- 神楽坂人気、ドラマで開花
- 「拝啓、父上様」
- ロケ地巡り「人手3、3倍」
|
- かつて花柳界を中心に栄え、細い路地に江戸の風情が残る。
- 今年に入って繁華街並のにぎわいを見せている。
- 民放ドラマの舞台となり、ロケの大半が街の中で行われたため、「ロケ地めぐり」に訪れる人が後を絶たないからだ。
- 不況で老舗料亭が次々と消え、開発が進むかつての花街。
- ドラマで火がついたブームを、街の再生につなげようとしている。
- 1月からフジテレビで放映されている、二宮和也さん(「嵐」メンバー)主演のドラマ「拝啓、父上様」のロケ地を回っている人が多い。
- 「脚本家の倉本聰さんが、1カ月神楽坂のホテルに滞在して脚本を書き上げた」と番組プロデューサー。
- 神楽坂は、1990年代(平成2〜)前半までは、花街を中心ににぎわったが、バブルが崩壊すると客足は遠のいた。
- 最盛期に100軒以上あった料亭も、今は9軒のみ。
- 2000年(平成12)前後から高層マンションが建つようになり、商店街にもチェーン店が増えてきた。
- このまま変化していけば、皆が愛する路地が消え、魅力のない街になってしまう。
- 危機感を持った住民や神楽坂ファンが、NPO法人「粋なまちづくり倶楽部」を立ち上げたのは4年前。
- 商店組合と協力し、料亭主人と芸者が教える「花柳界入門」など伝統的な和の文化を紹介する様々なイベントを始めた。
- こうした影響もあって、この数年、雑誌やテレビで神楽坂が特集されることが増えていた。
- あまりの人出で、従来の神楽坂ファンからは「落ち着いた街の雰囲気が損なわれる」との懸念の声も。
- だが粋なまちづくり倶楽部の事務局長(54)は、街は人が集まってこそ栄えると考えている。
- 「今後も人が定着してくれるか、ドラマ終了後が本当の勝負です」。
- 公式HP→粋なまちづくり倶楽部
|
|
◆歌舞伎町(かぶきちょう) >>戻る →歌舞伎町とその周辺 |
|
|
|
|
◆下落合(しもおちあい) >>戻る |
|
|
|
|
2008.09.02 |
|
|
|
◆*新宿 >>戻る |
|
|
|
|
2009.02.28 |
- 歌声喫茶が戻ってきた
- ロシア民謡「灯」
- うたの旅人
|
|
|
|
|
|
2008.12.20 |
- 寅さんを背負った人生
- 新宿 靖国通りの寺に眠る
- 渥美清がいた東京
|
|
|
2008.01.20 |
|
- 午後7時、花園神社近くの路上で男女2人の占い師。
- ともに60歳代。
- 夫婦でも師弟でもないが、縁あって25年ほど前から台を並べて商売している。
- こんなに寒いと商売あがったり、昔は寒くても客は来てくれた。
- 街はきれいになったが人は素直じゃなくなったね。
- 男性は開店当初の繁盛ぶりを懐かしむ。
- 今の人はメールに夢中で見向きもしない。
- 視野が狭くなったわね、と女性。
- 午後11時、まだ客は1人も来ない。
|
|
2007.11.29 |
- 警視庁新宿署の犯罪抑止を訴えるリヤカー「新宿よくしたい号」
|
- 車が入れない小道も進め、パトロールしながらゴミも拾えるという目算。
|
|
2007.07.24 |
- 毎回隣に居合わせる奇妙な男
- 杉村顕道『ウールの単衣(ひとえ)を着た男』(『彩雨亭鬼談 箱根から来た男』(1962(昭和37)年)所収)新宿末広亭
- [東京物語散歩]
|
|
|
2007.07.11 |
- ジャッキー親子が新宿を駆ける!?
- 新作11月撮影開始
|
- 成龍(ジャッキー・チェン)の次回作、新宿などを舞台とする『新宿事件』がクランクインする。
- ジャッキーが演じるのは中国から日本への密航者で、撮影は中国大陸、台湾、日本で行われる。
- ジャッキーは、息子で俳優の房祖名(ジェイシー・チャン)との親子共演を熱望しているが、監督が彼をキャスティングするかは未定。
|
サーチナ |
2007.05.30 |
- 昔のたまり場 面影遠く
- 政治青年たち
- 街かど経済散歩
|
- 靖国通り沿いのビルに「餃子の店大陸」がある。
- かつては早稲田の大学生のたまり場だった。
- この店の名物は蒸し餃子。
- 餃子は焼き餃子が多い。
- しかし先代が中国で蒸し餃子のおいしさに触れ、これを日本で広めたいと始めた。
- あの頃、まだ歌舞伎町には噴水があった。
- 早慶戦に勝利すると、その周りは暴動のような騒ぎになり、噴水の水に飛び込み、ポールによじ登って咆哮したものだ。
- 水浸しの体のままで、この店に入った。
- 先代は嫌な顔も見せずに蒸し餃子を出してきた。
- 周りの客たちが、早稲田が勝ったのかと集まってきた。
- 「勝ちました!」と大声で応えると、今夜はおごりだと誰かが言い、酒盛りになった。
- 新宿は、いつの間にかどこを見てもマニュアル通りのチェーン店ばかりになった。
- 歌舞伎町を闊歩する早大生もいない。
- 厚化粧の少年、少女ばかりだ。
- かつての政治青年たちは早々に議論を切り上げて家路を急いだ。
- 公式HP→大陸
|
|
2007.05.17 |
- 街のわいざつさ テーマに写真展
- 「苛つく、好きな街」
|
繁華街にあふれる看板やのぼりの写真を通して、街のエネルギーを伝える写真展。
- 「街は看板やのぼりで埋め尽くされている。嫌な気分になることがあるが、何かひかれる、嫌だけど気になる、そのような存在を写真で切り取った」と展示する朝日学生新聞の写真記者。
|
|
◆新宿ゴールデン街(歌舞伎町2丁目) →歌舞伎町とその周辺 >>戻る |
|
|
|
|
2011.02.01 |
- 北の飲み屋街へ応援歌
- 新宿ゴールデン街→盛岡・桜山地区
- 再整備反対で連携
|
- 「新宿ゴールデン街から桜山にエールを!」と題するライブが岩手県盛岡市で開かれる。
|
|
2009.04.16 |
- 寺山修司は風のように
- 間口狭く並ぶ店
- 演歌がいっぱい
|
|
|
2009.04.03 |
- 「流し」通じ 新宿活写
- 横浜の映像祭でグランプリ受賞 小平の横山さん国分寺で上映会
- 「大都会の縮図見つめた」
|
|
|
2008.08.31 |
|
|
|
2008.08.27 |
|
|
|
2006.10.03 |
|
|
|
2006.09.19 |
|
- 「宝残して」常連客訴え。
- 思いである場所、様変わり寂しい、「復習するは我にあり」の作家の佐木隆三さん
|
|
◆高田馬場(たかだのばば) >>戻る |
|
|
|
|
2009.05.13 |
- プロポーズ、意中の人は誰?
- 伊藤たかみ『指輪をはめたい』
- 高田馬場のスケートリンク
- [東京物語散歩]
|
|
|
◆夏目漱石関連 >>戻る |
|
|
|
|
2007.10.09 |
|
- 今年は明治の文豪、夏目漱石が生まれて140年。
- 終焉の地「漱石山房」跡は公園になっている。
- 見過ごされがちな漱石ゆかりの地に関心を持ってほしいと、地元のメンバーが区と協力して講演会や街歩きを企画。
|
|
2005.05.18 |
|
- 夏目漱石(1867〜1916)が死去までの9年間住んだ「漱石山房」(東京都新宿区)を、旧居跡に復元する計画が進んでいる。
- 旧居跡は現在、新宿区立漱石公園(早稲田南町7番地)
|
|
◆西大久保 >>戻る |
|
|
|
|
2009.03.15 |
- 東京者にも故郷はある
- 絶えず生まれ変わる新宿・西大久保
- ふるさとへの手紙
|
|
|
◆西新宿 >>戻る →高層ビル群 関連HP→西新宿1丁目商店街 |
|
|
|
|
2011.01.04 |
- 育つビル 観測40年
- 西新宿・浄水場跡地 激変焼き付け
- [天を衝く 高層都市東京]
|
- 1991(平成3)年の都庁完成で街の勢いや統一性は失われ、西新宿は「雑居都市」になった。
- 「個々のビルのデザインはいいが、一つの街に集まったらどうなるか考えていなかったのではないか」と、1969(昭和44)年から定点写真を撮り続ける港区南青山のデザインコンサルティング会社「PAOS」代表の中西さん(73)。
|
|
2009.03.28 |
- さよなら黒湯
- 十二社天然温泉 あす閉店
- 高層ビルそば半世紀 ガス事故防止難しく
|
|
|
2008.04.15 |
- 富士塚に通じる異次元の新宿
- 中村邦生『この道、通りゃんせ』 西新宿・成子天神社
- [東京物語散歩]
|
|
|
2007.01.24 |
- 西新宿、魅力アップ討論
- 六本木ヒルズや汐留に追いつけ
|
- 西新宿の高層ビル街は、六本木ヒルズ(港区)や汐留(港区)と比べて、街としての魅力に欠けるといわれる。
- 高層ビル街の先駆けでありながら、時代が早かっただけに個別のビル優先の街づくりだったからだ。
- そんな西新宿に新たな息吹を吹き込もうと、早稲田大学戦略デザイン研究所が主催してシンポジウムを開く。
|
|
◆四谷(よつや) >>戻る |
|
|
|
|
2009.03.07 |
|
|
|
2009.02.02 |
- ”すり鉢”に階段の坂
- 「石畳の街」目指す
- 四谷・荒木町の坂
- 坂のある町
|
|
定年時代(朝日新聞) |
2008.11.16 |
|
|
|
◆早稲田(わせだ) >>戻る |
|
|
|
|
2008.12.08 |
|
|
|
2008.11.22 |
- 実は闘う男の歌だった
- かぐや姫「神田川」
- うたの旅人
- 早稲田界隈
|
|
|
|
|
|
■NTTインターコミュニケーション・センター(東京オペラシティ内) >>戻る 公式HP→ICC Online |
|
|
|
|
2009.01.21 |
|
|
|
2008.08.17 |
|
|
|
2008.04.30 |
- テクノロジー アートと融合
- 宇宙素材・LEDで魅了
|
|
|
2007.01.16 |
- 人は翼を持てるのか
- 「八谷和彦−オープンスカイ2.0展」
|
- 飛行機の原型は、アニメ映画「風の谷のナウシカ」で、主人公が操る「メーヴェ」。
- 幅9.6メートルの飛行機自体はこれまで、「愛・地球博」(2005年(平成17))などでも展示されてきた。
- だが、2006年(平成18)春、ゴムで引っ張るテスト飛行で、ついに人を乗せて飛ぶことに成功。
- プロジェクトはがぜん現実味を増してきた。
- 今年、ジェットエンジンを載せた試験が始まる。
- 墜落すれば、命の危険すらある。
- 現代版「イカロスの翼」ともいえ、心を揺さぶる。
|
|
2007.01.11 |
|
- パソコン上の動物がメールを運ぶソフト「ポストペット」や、映画からイメージを得たジェットエンジン付きスケートボードなど、豊かな想像力による発明型の作品を発表してきたメディアアーティスト、八谷和彦(はちや かずひこ)。
- 「アートで夢を作り出す」が物作りの原点。
- 彼が2003年(平成15)から取り組む「個人的に一人乗り飛行装置を制作する」という企画「OpenSky」に焦点をあてる。
- 関連HP→OpenSky (2008.04時点)
|
|
2006.10.10 |
|
- 「コネクティング・ワールド」展。
- ネットを浮遊する情報を身体感覚でとらえようとする作品が多い。
|
|
2006.06.29 |
|
- 昨年12月までの展覧会で活動を休止。
- 閉館も含めて今後を検討。
- 6日にリニューアル・オープン。
- アートとテクノロジーが融合した「メディアアート」を展覧会で紹介。
- 「オープン」を活動コンセプトに。
- 5階部分を常設展示にかえ、無料開放。
|
|
■女たちの戦争と平和資料館 >>戻る 公式HP→女たちの戦争と平和資料館 |
|
|
|
|
2007.05.15 |
|
- キリスト教系平和団体の国際パックス・クリスティ(本部・ブリュッセル)による今年の「平和賞」を国内団体として初めて受賞した。
- カトリック系の30カ国6万団体が加盟する同団体はEUのドロール元委員長や故デメロ国連事務総長特別代表に平和賞を授与したほか、1988年(昭和63)からクロアチア、フィリピン、ルワンダなど紛争地域で働く活動家らを平和賞に選んできた。
- 今回は、2005年(平成17)開館の「女たちの戦争と平和資料館」が「平和のため、戦争による女性への性暴力被害を記憶する場所を設けた」ことが評価された。
|
|
■京王プラザホテル >>戻る |
|
|
|
|
2009.02.15 |
- 夕焼け色のカクテル 紅
- 45階から新宿の街臨むバーテン
- 日本一 糧に今夜も”挑戦”
|
|
|
2008.01.05 |
|
- 俳優の故松田優作さんにちなんだ宿泊プランの販売を始めた(期間限定)。
- 男性限定、1日1室。
- ドラマ「探偵物語」のDVDや主人公愛飲のシェリー酒、写真集などを用意。
- 朝食も「邪魔されずにハードボイルドな気分に浸って」とルームサービス。
- 松田さんはホテルのバーを度々訪れていた。
|
|
■高麗博物館 >>戻る 公式HP→高麗博物館 |
|
|
|
|
2009.02.17 |
- 「浮島丸事件」忘れまい
- 故郷・朝鮮半島に向かう途中沈没 550人死亡
- 企画展
|
|
|
■コクーンタワー >>戻る |
|
|
|
|
2008.11.21 |
- 新宿駅前に巨大繭
- 専門学校新校舎「巣立つ若者育む」
|
|
|
2005.07.26 |
|
- 高さ205m
- 着工は2006年(平成18)3月
- 三つの専門学校が入り、約1万人の学生が通う国内最大級の学校ビルになる。
- 「創造する若者を包み込み、触発させる」という意味を込め、「繭」からイメージした。
- 数百億円の事業費はモード学園がほぼ自己資金でまかなう。
|
|
■国立競技場 >>戻る |
|
|
|
|
2011.01.18 |
- FIFA「古くて使えない」
- クラブW杯前に改修要求
|
|
|
2009.07.06 |
- 裕次郎さん二十三回忌…あの「一日寺」引き取り手問題
|
|
夕刊フジ |
2008.07.09 |
|
|
|
2006.09.16 |
|
- 国立競技場は42年前の東京五輪で主会場だった。
- しかし近年は国際大会から遠ざかっている。
- 2008年(平成20)には完成から50年が過ぎて耐用年数を迎える。
- 国際競技団体などが求める規模に建て替えるには新たな土地取得が必要で、地権者が絡む。
- 用地問題以外に、一帯は建物の規模や用途に様々な規制がかかる。
|
|
■佐藤美術館 >>戻る |
|
|
|
|
2009.02.18 |
|
|
|
■消防博物館 >>戻る |
|
|
|
|
2006.12.14 |
- 火消しの粋な雰囲気伝え
- 豆はっぴ
- アートごころな逸品
|
- 「火事とけんかは江戸の華」
- 当時の大都市・江戸は火事が多い街だった。
- 大工や鳶職が中心となって構成された町火消「いろは48組」と本所・深川の16組。
- 各組は火事が起こると一番乗りを目指し、駆けつけた。
- そんな江戸の粋な雰囲気を感じる小さいはっぴ(\330)。
|
|
■新宿御苑 >>戻る |
|
|
|
|
2008.03.31 |
- 花にも酔いそう
|
- 東京の桜の名所には満開の花を求めて人がどっと繰り出した。
|
|
2008.01.15 |
|
- 航空自衛隊入間基地(埼玉県狭山市・入間市)などに配備された地上配備型迎撃ミサイルPAC3の都心部での展開地を決めるため、防衞省は(夜間に)新宿御苑に車両を運び込み、無線の通信状況などを確認する実地調査を行った。
- 今後、代々木公園など都内のほかの候補地でも調査を進める。
- 日本の弾道ミサイル防衞(BMD)システムは、まず海上配備型迎撃ミサイルSM3で大気圏外で迎撃し、撃ち漏らした場合はPAC3が高度10数キロでねらい撃つ。
- PAC3の最大射程は半径約20キロとされ、首相官邸や国会、中央省庁などの首都中枢を守るため、都心部で周囲に障害物などがなく、十分な広さがある場所に部隊を移動・展開させる。
|
|
2008.01.14 |
- 新宿御苑付近に玉川上水復活を
- 区が計画 シンポジウム開催
|
- 江戸の飲み水を供給した玉川上水は、かつて羽村(羽村市)の取水堰から、新宿御苑のあたりにあった「水番屋」まで43キロを結んでいた。
- 御苑付近で今はない上水の流れを蘇らせ、潤いの空間をつくろうと新宿区などが基本計画をまとめた。
- 計画では付近で湧きだし、下水道管に排出していた地下水をポンプで汲み上げ、せせらぎをつくる。
|
|
2007.11.27 |
- 不審な夫の後を追う妻
- 芝木好子『冬薔薇』(『玉の緒』(1981年(昭和56))所収)
- [東京物語散歩]
|
- 譲吉があか抜けた女性といるのを見たという情報を聞いた悠子は、夫の後をつけることにした。
- 彼らが足を向けたのは新宿御苑のプラタナス並木だった。
- ベンチに腰掛ける2人。
- 他に人影はなく、落葉によって趣を増したその場の情景は、まるで彼らだけのためにあるよう。
- 敗北を感じる悠子。
- このままでは自分がみじめすぎる。
- 新宿御苑のプラタナス並木は落葉の季節がやはりすばらしい。
- 特に夕暮れ時の情報は抜群だと思うのですが、4時半閉園というのが何とも残念。
|
|
2007.10.28 |
|
- 演目はドラマチックな能の代表作「安宅(あたか)」。
- 周囲の黒々とした木立ちと清冷な夜気が、荒涼たる秋の野原のシーンと重なった。
- 妖狐の悪念の烈しさを物語るように篝火(かがりび)が一瞬大きく立ち昇る。
|
|
2007.04.02 |
- どっと満開
|
- 410本のソメイヨシノが見頃となり、八重桜も咲き始めた。
|
|
2006.03.26 |
|
|
読売新聞 |
2005.06.29 |
|
- 新宿御苑は周辺市街地と比べて昼で約2度、朝夕で約1度気温が低いことがわかった。
- 特に風のない夜間は、冷気が南北80〜90メートルにまでにじみ出しているという
|
朝日新聞 |
2004.03.29 |
- オンリーワンの桜を探す
|
- 桜の品種が都心のほかの名所に比べて約75種類と群を抜いて多い。
- 苑内1500本の桜のうち、染井吉野が450本と最も多い。
- 通の人たちが好むのが、4月上旬から下旬に見頃となる八重桜の「一葉」と「関山」。
- 特に「関山」は10bを超える大木が並ぶ。
|
■新宿超高層ビル群 >>戻る |
|
|
|
|
2011.04.19 |
- 新宿高層ビル 揺れ想定13倍
- 長周期地震動 約13分間
- 新宿センタービル
- 国、耐震基準見直しへ
|
|
|
2008.03.06 |
|
- 黄砂でかすんだ空から一転、関東地方は晴れやかな朝を迎えた。
- 高層ビル群から顔をのぞかせた富士山も、澄んだ空気に一息ついた。
|
|
2003.01.21 |
|
- 国立競技場の階段を上り終えると、絶景が待っていた。
- そこは、巨大都市・東京を感じる特等席。
- 逆光のなか、黒く沈んだメーンスタンドの屋根越しに、ぴかぴかと輝く新宿の超高層街区が一つかみに出来た。
- 世界に現代東京をアピール出来る「国際級の景観」の発見だった。
- 「ピクチャレスク」という言葉が浮かぶ。
- このところ、世界の大都市は「絵になる」最新スポットを使っての自己宣伝に熱心だ。
- 新年の幕開けを祝う花火大会の世界同時中継に、街が一番かっこよく見える場所を提供している。
- オーストラリア・シドニーは湾岸の、イギリス・ロンドンは再開発が進むテムズ河岸の、躍動感を宣伝に活用する。
- 経済のグローバリズム下での都市間競争に、東京も負けるわけにはいかない。
- 現役世代の外国人にとって東京の魅力は経済活動にあるはずで、それに応えるピクチャレスクの発見と流布が長い目でみた都市再興に結びつく。
|
■新宿住友ビル >>戻る |
|
|
|
|
2009.04.18 |
- 道灌救った江戸の恩猫
- 石像の「玉ちゃん」
- デートの場?に 「恋弁天」も
- 住友三角ビル前
- 山田五郎のワケあり!
|
|
|
■新宿パークタワー >>戻る |
|
|
|
|
2009.02.04 |
|
|
|
2008.04.25 |
- 映像メディアの魔術性・話題作紹介
- (「イメージフォーラム・フェスティバル」)
|
|
|
■新宿歴史博物館 >>戻る |
|
|
|
|
2007.11.03 |
- 「猫塚」再建祝う映像 半世紀ぶり発見・公開
- 漱石の猫や小鳥供養
|
- 夏目漱石が晩年をすごした早稲田南町の自宅に、漱石の没後飼っていた猫や小鳥を供養するため遺族が建てた「猫塚」と呼ばれる塚。
- 関東大震災や戦災で失われるたびに再建され、いまの塚は漱石37回目の命日にあたる1953年(昭和28)12月9日にお披露目された。
- その除幕式の様子を収めた16ミリフィルムが、約半世紀ぶりに見つかり、公開される。
- 約6分間の映像には漱石の夫人や長男、「三四郎」のモデルと言われる小宮豊隆氏らの姿がある。
|
|
■新宿ワシントンホテル >>戻る |
|
|
|
|
2008.09.07 |
|
|
|
2008.09.06 |
|
|
|
■神宮外苑 >>戻る |
|
|
|
|
2008.09.09 |
- 主人公の心に咲いた白い花
- 領家高子『なんじゃもんじゃの木』
|
|
|
■神宮球場 >>戻る 公式HP→明治神宮球場 |
2006.10.24 |
|
|
|
2006.10.23 |
|
|
|
2006.10.21 |
|
|
|
2006.10.20 |
|
- 1926年(昭和1)に創設された、もとは「大学野球のための球場」だった。
- 学生たちがむしろで編んだもっこをかついで土を運び、建設を手伝った。
- アマチュア野球での年間観客数は、1974年(昭和49)が最多で80万人を超えた。
- 現在は約半分に減った。
- そんな状態だから「斉藤効果」(ハンカチ王子)への期待は大きい。
|
|
■損保ジャパン東郷青児美術館(→損保ジャパン本社ビル) >>戻る |
|
|
|
|
2009.02.04 |
- 破天荒にとどまらない作品の「骨格」
- 「元永定正展 いろ いきてる!」
|
|
|
2009.01.21 |
- 自由な創造 縦横無尽に
- 「元永定正展−いろ いきてる!」
|
|
|
■東京オペラシティ >>戻る |
|
|
|
|
2007.02.21 |
- パイプオルガンを気軽に
- 「見て楽しむ」 工夫も凝らして
|
- パイプオルガンの両脇と足元に据えられた3台のカメラが、曲に合わせて演奏風景をとらえ、大スクリーンにその動きを映し出す。
- ランチタイムに行われるコンサートは、音を「聴く」だけでなく、「見て」も楽しめるのが特徴。
- もともと子ども向けの公開リハーサルで大スクリーンを使い好評だったのをヒントに、3年半前から始まった。
|
|
■東京オペラシティアートギャラリー >>戻る 公式HP→アートギャラリー(東京オペラシティHPページ) |
|
|
|
|
2011.03.28 |
- 美術館で開くわけ
- 作者のこだわり 随所に
- 「ホンマタカシ ニュー・ドキュメント」展
|
|
|
2009.03.04 |
- 建築が語る都市の記憶
- 「都市へ仕掛ける建築−ディーナー&ディーナーの試み」
|
|
|
2008.10.31 |
|
|
|
2008.10.01 |
|
|
|
2008.02.20 |
- 多彩、奔放
- 池田満寿夫の「知られざる全貌」展
- 晩年の陶芸にみる創造世界
|
- 版画家として国際的な評価を得る一方で芥川賞を受賞し、映画も監督した池田満寿夫。
- 晩年に没頭した作陶。
- 池田が作陶を始める以前から親交があった備前焼の人間国宝である伊勢崎淳(いせさき じゅん)さんは「土そのものの材質を生かしたやきもので、プロならたどるはずのプロセスをまったく気にしない。感性だけで押し進めていったところが何より魅力だった」と指摘。
- 自身の内側からわき起こる創意と焼成の融合にますますのめり込むと同時に、制作の場も、火力をコントロールしやすい電気やガスの窯から原初的な野焼きや薪窯へと変わっていく。
- 強い炎により、作品が破壊されながらもかろうじて原形をとどめている。
- いつかは砂に戻っていく陶作品に、宗教的な輪廻の世界を感じ取り、取り組んだのが陶による般若心経だった。
|
|
2008.02.06 |
- 日常から逸脱「等心大」で表現
- 名知聡子(なち さとこ)展
|
- 現代美術でも若手を中心に「日常」を手がかりにした表現が目につく。
- 名知は、大切に思う人への感情をベースに自身を描くとされる。
- まあ彼女の日常だろう。
- しかし驚くほどに画面がでかい。
- 「幸福と絶望」(2008年(平成20))なんて、全長約11メートルの画面に女性が横たわっている。
- リアルな描写の一方、画面を覆う花などがラファエル前派や少女マンガを思わせる。
- そんな、現代の涅槃図。
- 幻想性とは不釣り合いにサイズが逸脱し、網膜に焼き付く。
|
|
2007.02.15 |
- 文化的土壌を耕す心意気
- 「土から生まれるもの/コレクションがむすぶ生命と大地」展
|
- 現在進行形の良質な文化支援活動の好例が知れる。
- 東京オペラシティアートギャラリーは、オペラシティビル建設の共同事業者の一人である寺田小太郎氏のコレクションの寄贈によって成立した。
- 寺田氏は造園の仕事に携わったことがあるという。
- その過程で培われた「目」、つまり感性と思想が反映されているのか。
- 貧弱な文化的土壌を耕し、まいた種を根付かせようと試みている姿勢まで見えてきそうな場となっている。
|
|
2006.07.27 |
|
- 独創的なアイデアと高度な技術で「光の魔術師」の異名を持つドイツの照明デザイナー、インゴ・マウラー。
- ハロゲンランプや発光ダイオードなどの新技術を取り入れ、照明器具から空間演出に至るまで、多彩な作品を発表してきた。
- 60人以上のスタッフを擁する会社のリーダーでもある。
- その40年にわたる活動を紹介。
- ■「ポルカ・ミゼリア!」(1994年(平成6))
- 無数の陶器の破片かの隙間から光が漏れる。
- 皿が割れて、ナイフとフォークと一緒に飛び散った瞬間を、そのまま切り取ったようなシャンデリア。
- 「身近な素材から、いかに機能を持った美を生み出すか」は長年追求するテーマの一つ。
- イタリアで毎年開催される家具の国際見本市「ミラノ・サローネ」に出品した際、型にはまらないユニークな発想に驚いた人が発した感嘆の言葉「何てこった!」。
- 当初つけられていた作品名に代わって、これがタイトルになった。
|
|
2006.07.25 |
|
- 遊び心と、照明をよりシンプルに自由にしようとする姿勢という二つの要素。
- 初期の代表作「バルブ」(1966年(昭和41))
- 「ルーチェリーノ」(1992年(平成4))
- 電球に天使のような羽を生やしてみせた。
- 技術革新で、マウラーの照明はさらに自由になっていく。
- 「ヤ・ヤ・ホ」(1984年(昭和59))
- ハロゲンランプを張ったワイヤの好きな場所につり下げられる。
- 低電圧で光るため、むき出しのワイヤでも感電の心配がないことを巧みに利用した。
- 「LEDのテーブル」(2003年(平成15))
- 小さな光が星のように光る。
- テーブルのガラス上に無数の白色LEDを埋め込んだ。
- 配線は2枚のガラスに挟まれたフィルム上で、ほとんど見えない。
|
|
■東京おもちゃ美術館 >>戻る 公式HP→ |
|
|
|
|
2008.04.08 |
|
- 旧四谷第四小学校の校舎内に、中野区で23年間運営してきた美術館が移転オープンする。
- 築百年の歴史ある建物を惜しんだ地元住民の提案で、自主運営の地域交流拠点「四谷ひろば」として再生した施設の一角。
- 「様々な世代の人がおもちゃを通してつながりあう場にしたい」と館長(46)。
- 目指したのは、好奇心を誘い、日本の技や文化を体験できる遊びの空間。
- 各展示室にはおもちゃの遊び方を教えるボランティアが常駐。
- 役目を終えた建物が、にぎやかな笑顔の絶えない場所として息を吹き返す。
- 関連HP→よつよん
|
|
■東京理科大近代科学資料館 >>戻る |
|
|
|
|
2007.06.18 |
|
- 真空管を使った第1世代に続く、第2世代コンピューター。
- その国産実用機第1号。
- 「世界でもおそらくここだけ。計算機の歴史をみるうえで貴重です」と館長。
- 3月に来館したアメリカの電気電子学会コンピューター部門の会長も、「これを見たくて日本に来た」と感激していたという。
- 演算装置には故・後藤英一・東京大学名誉教授が発明した「パラメトロン」を使用。
- ロケットの噴射口設計や車の振動シュミレーションなど、研究・教育用に使われた。
- 第2世代の開発競争では、安くて安定性に優れたパラメトロンを擁する日本が先行したが、計算速度が遅く電力をくう欠点もあり、アメリカの改良トランジスタにとって替わられた。
|
|
■都庁 >>戻る |
|
|
|
|
2009.05.14 |
- 都庁の中心で夕張(北海道夕張市)をPR
- 修学旅行の中3、ふるさと売り込み
|
|
|
2009.03.06 |
- 都庁舎 780億円大改修
- バブル期設計・建設の影響
|
|
|
2008.08.20 |
|
|
|
2008.04.18 |
|
|
|
2008.04.16 |
|
|
|
2008.04.04 |
- 年2度絶景追い12年
- 都庁から昇る朝日 自宅近くで狙う
- 日野のアマ写真家
- 天候災い成功1回 「来年も挑戦」
|
|
|
2007.10.02 |
|
- 乳がんを早期に見つけ、治療が始めることの大切さを呼びかける「ピンクリボンフェスティバル」。
- 東京都庁舎やレインボーブリッジなどがピンクにライトアップされた。
- 都庁の都民広場には、ピンクリボンの形に敷き詰めた花や、飾り付けられたツリーも登場。
|
|
2007.01.07 |
- 地下から掘り出された魔よけ
- 荒俣宏『新宿チャンスン』(1995年(平成7)・「シム・フースイ」シリーズ)
- [東京物語散歩]
|
- 都庁舎の建築現場が舞台。
- 現場に不可思議かつ不吉なことが相次ぐ。
- 風水師の黒田とその助手を務める霊能者・有吉が依頼を受け、調査に乗り出す。
- 人骨と異国の貨幣、朝鮮戦争でまつられてきた魔よけ「チャンスン」を刻んだ一本の棒が現場作業員によって掘り出されていた。
- 風水から見た新宿や渋谷の意味など、多くの知識が凝縮されてもいる。
- 読めば東京の町歩きに新たな視点が加わることだろう。
|
|
2006.11.23 |
|
- 「東京でもおいしいキャベツができることを知ってほしい」とJA東京青壮年組織協議会が。
- 都内の農家の若手が2千株のキャベツを持ち寄ってキャベツ畑を出現させた。
|
|
2006.10.02 |
|
- 乳がんの早期発見・早期治療の大切さを呼びかける「ピンクリボン・フェスティバル」が始まり、東京都庁舎もピンク色にライトアップされた。
|
|
2006.02.21 |
|
- 都庁の建物はわずか15年で雨漏りなど傷みが激しい。
- 複雑なデザインが災いして、修繕費の試算は、建て直しと同じくらいの約1000億円かかるという。
- しかし、10年かかる修繕期間が終了しても、初めに修繕したところの更新時期が訪れ、永遠に修繕し続けなければならないという。
|
|
2004.04.12 |
|
- 窓は開かず、外に出られるのは知事室がある7階のバルコニーだけ。
- 「はしご車で知事を救うためか」。そうささやく職員も多い。
|
|
■戸山公園 >>戻る |
|
|
|
|
2011.01.06 |
- 陸軍医学校跡地 初の発掘調査へ
- 元看護師「終戦後、人体標本埋められた」
|
|
|
2006.06.25 |
|
- 元看護師が証言。
- 戦死遺体などを標本に。
- 現、都立戸山公園に埋まっているとみられる。
|
|
■花園神社 >>戻る |
|
|
|
|
2006.11.01 |
|
- 毎年11月の酉の日に。
- 「開運熊手」を売る店や食べ物の屋台が200店以上並ぶ。
|
|
2004.03.08 |
|
- 像の頭部が何者かに壊されたため、神社が防護用の網をかぶせた。
- 網をかぶせると、今度は網の上に様々なものが放置された。
- 「靴はましな方。自転車が置かれたことも」。
- 「狛犬だけじゃない。ぼんぼりや街灯が壊されているのも珍しくない」
|
|
■ヒルトン東京 >>戻る |
|
|
|
|
2008.12.17 |
- 日本ヒルトンに公取委排除命令
- フランス料理店の偽装で
|
- 昨年のミシュランガイド東京で二つ星を獲得した、ヒルトン東京のフランス料理店「トゥエンティ・ワン」の料理に不当表示があったとして、公正取引委員会は、景品表示法違反(優良誤認)で、ホテルを経営する日本ヒルトンに対し、排除命令を出した。
- 「前沢牛」「北海道ボタンエビ」「オーガニック野菜」などと表示した料理が、実際は別の産地だったり、農薬使用の野菜だったという。
- 同店は発覚後閉店した。
|
|
■明治公園 >>戻る |
|
|
|
|
2008.09.09 |
|
|
|
2006.09.10 |
|
- アメリカ同時多発テロから間もなく5年を迎え、平和を願うイベントがあった。
- 直径30メートルのピースマーク。
- 争いや憎しみを克服する原点として「愛」を掲げ、コンサートや芸術パフォーマンスが行われた。
- 市民団体などで作る「BE IN 2006」実行委員会の主催。
|
|
■早稲田大学 >>戻る 公式HP→早稲田大学 |
|
|
|
|
|
|
|
|
2008.03.30 |
- 西早稲田1丁目の「西早稲田キャンパス」を「早稲田キャンパス」に名称変更
|
- 6月に開業する東京メトロ副都心線「西早稲田駅」は、大久保3丁目にある大久保キャンパスのすぐ前。
- 「西早稲田キャンパス」のままでは紛らわしいため。
|
|
2007.10.03 |
|
- 創立125周年を迎える早稲田大学が、大々的に記念事業や行事を展開している。
- 中途半端な周年にも思えるが、「125」は創立者の大隈重信にちなむ特別な数字。
- 人間は125歳まで寿命を有している−。
- 早稲田大学で125が重視されるようになったのは、重信がそんな説を唱えていたことによる。
- 重信の生誕125周年だった1963年(昭和38)にも記念行事が行われた。
- 記念事業の目玉として改修が終わったばかりの大学のシンボル、大隈講堂。
- はがしたタイルを記念として販売中で、価格は1枚1万2500円。
- 記念切手シートは1250組限り。
- 卒業生が主催する「市民駅伝ウオーク」は125キロ。
- 学生による記念演奏会では、ベートーベンの「交響曲第9番ニ短調作品125」(いわゆる「第九」)。
- 「大講堂の建設を」との重信の悲願を実現した大隈講堂は、本人の死後5年たった1927年(昭和2)に完成した。
- 正面左の時計塔の高さは125尺(約38メートル)。
- 大隈講堂の近くに昨年完成させた大隈記念タワーは、高さを大隈講堂の2倍の250尺(約76メートル)にした。
|
|
2007.08.27 |
- 早大の名建築 消えゆく
- 村野藤吾設計の文学部校舎
- 耐震不足・・・11月に解体
|
- 戦後日本を代表する建築家の一人、村野藤吾が設計した早稲田大学文学部校舎(1962年(昭和37)完成)の主要部分が、姿を消そうとしている。
- OBの村上春樹さんの「ノルウェイの森」には「中庭ではヘルメットをかぶった女子学生が・・・立て看板を書いていた」という描写もある。
- 「西洋の列柱広場と日本の石庭を合体させた中庭に村野の思想が集約されている。校舎には署名作家の陶壁や大理石のモザイク画もあり、総合的な芸術空間だ。建て替えで統一性が失われないようにしてほしい」と同学部の美術史教授。
- 「教育環境の改善を最も重視した。モザイク画や手すりなどは調査の上、残せるものは残したい。校舎のデザインについても、現在のイメージを継承できるものにしていきたい」と早稲田大学広報室。
- 「建物を学校にお渡しする際、お願いしたいことは、建物を大事にしてもらいたいということです・・・関係者の情が、建物に値打ちを与えます」と村野は完成当時の「早稲田学報」で語った。
|
|
■早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 >>戻る |
|
|
|
|
2008.07.23 |
|
|
|
|