歌舞伎町関連の記事 (最終更新:2007.07.09) |
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■歌舞伎町 →歌舞伎町とその周辺 |
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未記入は朝日新聞 |
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2011.02.10 |
- 新宿ミラノ(新宿ミラノ座/現・ミラノ1)
- 個性際立った大映画館
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- 複合型映画館シネマコンプレックス(シネコン)が普及した今、昔ながらの映画館は減り続けている。
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2009.04.18 |
- 夢幻の街誘う
- 椎名林檎「歌舞伎町の女王」
- うたの旅人
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2008.08.15 |
- 歌舞伎町にお笑いの力
- 吉本東京本部 移転先の新宿に浸透
- 清掃参加 日替わりコントも
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2008.12.09 |
- 民事調停@歌舞伎町
- 身近な紛争解決へ拠点
- 法テラスに簡裁が出張
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2007.07.09 |
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- コマ劇場前で「全国氷彫刻展夏期大会」があり、予選を勝ち抜いた100人が彫り上げた作品が並んだ。
- NPO法人「日本氷彫刻会」の主催で今夏で36回目。
- 昨年から歌舞伎町で開いている。
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2007.07.07 |
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- お笑いの吉本興業東京本部が、歌舞伎町の中心から約300メートルの旧区立四谷第五小学校に移転する。
- 歌舞伎町進出の拠点にするほか、将来は地域住民にも開放する考え。
- 同校は昭和初期に建てられ、人類で初めて宇宙飛行をしたガガーリンが来校したこともある。
- 今回、歌舞伎町を安心して楽しめる街に再生させるプロジェクトを進める新宿区と、千代田区にある現社屋が手狭で移転先を探していた吉本興業の狙いが一致した。
- 契約期間は10年。
- 吉本興業が約8億円かけて耐震・防水工事を施す。
- 「歌舞伎町には大きな魅力を感じる。地元とコラボレーションしていきたい」と社長。
- 公式HP→吉本興業
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2007.04.10 |
- 上からの「浄化」でなく
- 歌舞伎町
- 春せんきょの気分
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- アジア最大級の繁華街は、ここ数年少しずつ雰囲気を変えてきた。
- 「怖い」「汚い」というイメージをぬぐおうと行政や警察、地元が一体となって努力を重ねてきた。
- 「浄化」とまでいわれる取り組みの結果、ぼったくりや違法風俗店は激減した。
- その半面、この街独特の妖しさも少し薄まったように思う。
- 「浄化って言っている人たちが、街から遠くにいるのが気になりますね」と経営者でもあるホストの手塚さん(29)。
- 「浄化」でホスト業界への風当たりはかなりきつく、つらい。
- だが「長い目で見ればもっと人が集まる良い街になるのかもしれない」とも思う。
- 「上から規制をかけるのでなく、街をよく知る人に力を分け与える、そういう政治であって欲しいですね」
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2007.02.01 |
- 故郷の味、歌舞伎町に
- 案内人19年、中国の李さん、近く出店
- めざすは”本物の店”
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- ネオンがともる午後6時、アルマーニのスーツに身を包んだ細身の李さん(46)が、ふらりと現れる。
- 商売道具は名刺と携帯電話。
- 「案内人」として19年生き抜いてきた李さんが近く、この町に自分の故郷中国・湖南料理の店を開く。
- 「歌舞伎町は僕の青春そのもの。もう、離れられない」。
- 故郷の味を町に呼び寄せる夢が、実現しようとしている。
- 湖南料理は中国10大料理の一つとして知られ、薬膳料理や唐辛子の効いた料理が有名。
- 「日本で店を探したが、ほとんど見当たらなかった。皿も調味料も料理人も、すべて湖南省の本物を使った店を目指したい」
- 李さんの来日は1988年(昭和63)に遡る。
- ファッションの勉強をするために、東京の専門学校に留学した。
- 空港からバスに乗ると、歌舞伎町を通った。
- 「すごい繁華街だ」。
- 幼少時代を文化大革命の波にもまれ、改革開放の中で育った留学生の目に、派手なネオンがまぶしく映った。
- 1週間後、生活費を稼ごうと、町に出た。
- 雇われたのはラブホテルの清掃人。
- 時給600円。
- 「日本語ができなくてもいい仕事なら、何でもやった。・・・」
- 2カ月後、街頭に立っていると中国語で話しかけられた。
- 「ストリップ劇場はある?」
- 同郷の観光客だった。
- 案内すると千円くれた。
- 「おれだけで1時間分以上の仕事になるのか」
- 「歌舞伎町案内人」を名乗り始めたのはこのころだ。
- 観光客を店に連れて行き、店から料金の一部をもらう。
- 観光客から金はとらない。
- このやり方が軌道に乗った。
- 順風満帆だったわけではない。
- 案内人を名乗り始めた直後、男たちに囲まれ、「出て行け」と顔を殴られた。
- 「縄張りがあることを知らなかったんだ」。
- 右頬には今もうっすらと傷が残る。
- 翌日、再び同じ場所に立った。
- 「ここで引いたら負けだと思った」。
- 絡まれると「声を掛けるのは中国人だけ。日本人のお客さんは絶対取らない」と必死で説明した。
- 次第に、周りは手を出さなくなった。
- 以来、「共存共栄」が口癖だ。
- 案内業をしながら専門学校を3年間皆勤し、最優秀の成績で卒業した。
- 「肩書も人種も関係なく、誠実に筋さえ通せばこの町は誰でも受け入れてくれる。毎日たくさんの人がやってきて、弱さも欲望もさらけだす。こんなおもしろい町は、ほかにないでしょう?」
- 当初1割だった店からのバックチャージは、いま5割。
- 2002年(平成14)には案内業の会社をつくり、現在は11人の中国人を率いる。
- 雨でも雪でも明け方まで歩き回って手にする町の情報は、警察からも一目置かれる。
- 歌舞伎町で進む浄化運動にも参加し、街づくりの委員会に唯一の外国人メンバーとして加わった。
- 「19年間通い続けた町。店ができたら、ここが本当に『自分の家』になる気がするよ」
- 公式HP→歌舞伎町案内人
- 関連HP→映画「歌舞伎町案内人」
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2006.11.21 |
- 「眠らぬ街」イメチェン、初のイルミネーション
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- 「区役所通り」の道沿いの街路樹90本に約10万個の白色LED。
- かつての負の印象を一掃し、明るく活力のある街づくりをすすめようと。
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2006.10.21 |
- 「不夜城」彩るモデル、歌舞伎町でファッションショー
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2006.06.15 |
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- ホストクラブを経営する4人が、一昨年10月の新潟県中越地震の直後、被災地の長岡市で被災者の話し相手をするなど慰問活動をしたのがきっかけ。
- 高齢者や子供に喜ばれ「ホストも社会の役に立てる」と実感した。
- 一方で、若いホストたちが平気で遅刻するなど、いいかげんな面が気になっていた。
- 「自分も含めて、心が成長するきっかけになれば」とごみ拾いを思いつき、昨年9月にスタート。
- 渋る従業員には、こう言って説得した。
- 「謙虚な態度で常識的に振る舞うことが、歌舞伎町では逆に目立つことだし、カッコいい」
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毎日新聞 |
2006.06.10 |
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- 老若男女が楽しめる街」に向けた再生の取り組みをアピール
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2006.03.26 |
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- 親子で繁華街を歩き、一緒に社会の現実を学ぼうというイベント「親子で歩こう!学ぼう!新宿のまち」が開催された。
- 子供の健全育成に取り組む父親の集団「おやじ東京」が「繁華街には子供に見せたくない場所もあるが、知らないとかえって危険」と企画
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共同通信 |
2005.10.03 |
- 「変身」歌舞伎町、安全のお手本に
- 小泉首相後押し
- あす街づくり会議
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- 歌舞伎町では2005年(平成17)1月、地元の商店街振興組合や新宿区、警察などが「ルネッサンス推進協議会」を設立。
- 違法風俗の摘発や路上清掃に取り組んできた。
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2005.05.20 |
- 小泉首相、夜の歌舞伎町を20分視察
- パチンコ店や雑居ビル
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2004.05.15 |
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- 歌舞伎町を1世紀近くも見守り続けている。
- 歌舞伎町は昔は大きな森や沼地だった
- 空襲にもあったが、住民たちが運び出して今の場所で守り続けた。
- 風俗店の屋根の上の社。
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2011.02.10 |
- 歌舞伎町 ビル3割なお違反
- 非常口施錠 警報器なし
- 防火意識 業者で温度差
- 違反は即公表へ 東京消防庁
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2010.12.23 |
- 居座り続ける違法業者
- 歌舞伎町のビル又貸し摘発
- 取材メモから 2010警視庁
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2009.04.10 |
- 酔わせ方指示、首謀者か=昏睡強盗で韓国人ら逮捕−歌舞伎町、5店舗が連携
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時事通信 |
2009.02.23 |
- 酒飲ませカード強奪容疑
- 新宿のスナック 経営者ら逮捕
- 路上放置し客死亡
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日刊ゲンダイ |
2009.01.27 |
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2008.05.19 |
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2007.04.09 |
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夕刊フジ |
2006.09.12 |
- ホストクラブ、みかじめ料
- 歌舞伎町で急増200店
- 進む浄化、暴力団が狙う
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- ホストの移籍トラブルで摘発を受けた歌舞伎町のホストクラブが、住吉会系暴力団に毎月5万円のみかじめ料を支払っていたことが警視庁の調べでわかった。
- 歌舞伎町にある約200のホストクラブの大半がトラブル解決のためにこうした金銭を払っているという。
- 風俗店などが警察の摘発を受ける中で、暴力団が新たな資金源として急成長するホストクラブに注目し始めたとみられる。
- ホストクラブの急増は、テレビドラマでホストが取り上げられ、人気が高まっていることが影響しているという。
- 一晩で億単位の金が飛び交うカジノ店では月に50万円程度が相場だといい、この利権をめぐって暴力団が抗争を繰り返してきた。
- 国内屈指の歓楽街の歌舞伎町では、売り上げのいい風俗店で月に20万円、一晩で億単位の金が飛び交うカジノ店では月に50万円程度が相場といい、この利権をめぐって暴力団が抗争を繰り返してきた。
- 歌舞伎町では、地域で縄張りを主張せず、最初にみかじめ料を要求した暴力団が、その店を仕切るという独特の「ルール」がある。
- こうした事情も警察にとっては、どの店とどの暴力団が結びついているかを見えにくくしているという。
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◆新宿コマ閉鎖 >>戻る |
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2008.09.26 |
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2008.09.11 |
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2008.07.30 |
- 夢と現実 昇り降り 半世紀
- 閉館するコマ劇場
- レトロエレベーターも引退へ
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2008.07.19 |
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2008.05.29 |
- ひばり・サブちゃん・・・演歌の殿堂
- 「コマ劇場」半世紀 閉館へ
- 客足減り
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2008.05.03 |
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日刊スポーツ |
◆雑居ビル火災(2001) >>戻る |
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2008.07.03 |
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2008.07.02 |
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- 娘、今も23歳のまま
- 歌舞伎町火災判決
- 時間止まった遺族
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2008.07.01 |
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◆特集 歌舞伎町のアフリカ人 >>戻る |
2007.03.02 |
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- 大沢在昌(ありまさ)の刑事小説「新宿鮫(しんじゅくざめ)」シリーズ。
- その最新作「狼花」にはナイジェリア人が登場する。
- 「六本木(港区)で、ある時期から急にナイジェリア人の客引きが増えた。アフリカからなぜ日本に、と思ったのです」と大沢。
- 調べてみると色々なことが分かってきた。
- タイにナイジェリア人の大きな社会があり、そこが麻薬取引の拠点になっていること。
- 暴力団が旅行会社をつくり、外国人を出入国させていること。
日本の法務行政がそれに対応できていないこと・・・。
- このままでは、日本の今世紀は「外国人犯罪の世紀」になってしまうのではないか。
- 強い危機感を抱いた。
- 「母国の生活が苦しく日本の経済が高水準にあるかぎり、外国人の流入は止まらない。だとしたらその方向で対応するしかないのです」
- 警察は、通訳を介して取り調べをする。
- そんな方法で核心に迫れるわけがない。外国人の捜査員が必要だ。
- 中国人の考えは中国人の方が分かる。
- ナイジェリア人のことはナイジェリア人。
- しかし日本では、警官は日本人でなければならない決まり。
- それがすでに時代に合わなくなっている。
- 大沢は「新宿鮫」の次の作品で、中国人刑事を登場させようと考えている。
- 肩書は「試用刑事」。
- 「ハナコという名前のパスポートを男性が提示したらどう思いますか。入管係官が日本人だったら通さないでしょう」と元東京入管局長(61)。
- その国の文化が分かる人間が入管の現場にいるべきであり、犯罪対策に当たるべきだと考える。
- カナダではすでに、入管幹部に中国人を採用している。
- 南アフリカで中国人の警官が活動中だ。
- 「国籍がそんなに問題だというなら、日本国籍を取得したブラジル人やフィリピン人の採用から始めればいい。政府は将来をもっと真剣に考えるべきです」
- 1995年(平成7)の在日外国人登録者数は136万人。
- それが10年後の2005年(平成17)には210万人となった。
- その数はいま、さらに増え続けている。
- 国際化の波の中で、その流れを止めることはできない。
- だとしたら彼らをどう受け入れるか。
- 論点はすでにそこに移っている。
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2007.03.01 |
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- ぼったくりで捕まったナイジェリア人のオースチンの弁護をしたのは、在日韓国人3世の張(43)。
- 京都出身で京都大学工学部を出て民族運動にかかわり、在日本大韓民国民団(民団)の青年会で活動する。
- 「自分たちの権利を主張するだけでいいのか」という疑問がわき、弁護士に転身する。
- 母国で食えないからこそ、日本に夢を抱いてやってくる。
- 生活の苦しさから薬物やぼったくり商売に手を出してしまう。
- そんな彼らの背中を押すのは、あこがれていた日本での差別なのではないか・・・。
- 「国際化が進めば、外国人は否応なく流れ込んでくる。日本社会は、そうした時代の変化に対応する態勢がまったくできていないように思えます」
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2007.02.28 |
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- 3年前サイードは渋谷(渋谷区)のセンター街で買い物をした帰り、1人の男とぶつかった。
- たちまち5人の制服警官に囲まれ、近くの警察車両まで連れていかれ、尋問を受けた。
- ぶつかった男は私服警官だった。
- 「イラン人とみたらみんな犯罪者だと思っている。いやになる」
- 2005年(平成17)、サイードはカナダ国籍を取った。
- あの不愉快な目に逢いたくないから、センター街を歩くときはカナダ国旗のバッジをつける。
- イラン人かと聞かれれば、「カナダ人だよ」と答える。
- 1990(平成2)年代前半、上野(台東区)や代々木(渋谷区)の公園にイラン人がたむろした。
- 偽造テレホンカード、大麻、覚醒剤などがやりとりされ、社会問題になる。
- そのイラン人がセンター街に移ったのは7、8年前。
- ピーク時には常時100人はいたといわれる。
- その後、取り締まりや仲間うちの抗争でセンター街のイラン人は激減した。
- とはいえ、センター街では毎日のように、薬物所持の日本人が捕まる。
- その入手先をたどるとイラン人に行き着くことが多い。
- 「薬物は日本の暴力団につながっている。イラン人だけが悪者にされるのは納得がいかない」とサイード。
- 普通に生きようとするイラン人にとって、外国人差別の強い日本は生きやすい国ではない。
- 「イラン人じゃなければ、俳優としてもっと人気が出ていたかもしれないのに」。
- そんな愚痴もつい出てしまう。
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2007.02.27 |
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- サイード(27)は母国イランよりもずっと日本に長くいるが、小学校時代はいじめられてばかりだった。
- 5歳の頃、エンジニアの父が石川島播磨重工業に派遣された都合で大阪に移り住む。
- 「外人や、外人や、国に帰れ」
- 日本でイラン人が珍しかった当時、学校でよくはやし立てられた。
- 下校時、ランドセルが重いと思ったら、猫の死体だった。
- 最初に覚えた日本語は「アホ」だった。
- いじめの相手に必死で言い返した言葉だった。
- 外国人として生きるつらさを思い知る。
- 芸能界に強いあこがれを持つようになったのは、いじめに遭っていたとき「やすきよ」の漫才が心の支えだったから。
- 「ここがヘンだよ日本人」というTBS系のテレビ番組があった。
- そこで人気者のベナン人タレント、ゾマホンと知り合い、テレビの世界に誘われた。
- 再現ドラマにはよく出た。
- 現在は自分で事務所をつくり、外国人タレントも数人抱える。
- 収入を補うため、裁判所や弁護士会でペルシャ語通訳の登録をした。
- そこで見たのは、イラン人同胞の犯罪の数々と、それを裁く日本のシステムの未熟さだった。
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2007.02.26 |
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- イラン人、サイード(27)はエンジニアの父親の仕事で5歳で来日し、在日20年以上になる。
- 日本語とペルシャ語はどちらも不自由なく話せ、アルバイトで通訳もする。
- 法廷通訳人の再登録のため東京地裁に来ていた。
- 登録には、通訳可能な言語で開かれる裁判を傍聴し、感想文を提出しなくてはならない。
- イラン人被告の薬物売買事件の初公判があった。
- 裁判はあきれることの連続だった。
- 起訴状の朗読。
- 日本人通訳が同時通訳する。
- 被告はイヤホンをつけて聞いているが、聞き取りにくいらしく、何度も首をひねっている。
- 罪状認否でサイードが「どうして被告人の言い分をはしょるんだ」とつぶやく。
- 被告人が事前の打ち合わせ以外のことをしゃべっているのに、通訳は訳していないのだという。
- その間、弁護士はやる気がなさそうに、ずっと鼻をほじり続けていた。
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2007.02.23 |
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- 段の居酒屋チェーンは昨年、約1億円の税金を納めた。
- 「成功のコツ?自分が客ならこうしてほしいというサービスを提供することだ。風俗店でも居酒屋で同じことよ。そのために時間を惜しんで働く」
- 西新宿のマンションには2003年(平成15)から住みはじめたが、その年、北京から両親を招待した。
- 「姉は勉強ができて、北京大学の先生をしている。自分は勉強がきらいで悪ガキだった。母には年に360日は殴られていた。その母が、マンションの室内を見回してにっこりした。うれしかったよ」
- 日本人はハングリー精神を失った。
- 中国人にはまだそれがある。
- 「見てみなさい、ホームレスに中国人はいないよ」
- 「中国でビジネスをする気はないね。コネがないとどうにもならない国だ。ただがんばるだけじゃだめなんだ」
- 「日本では、えり好みせず働けば必ず何とかなる。働いた分だけいい家に住み、いい車に乗れる。だからアフリカ人も中国人もやってくる。日本の経済が彼らの国より高いレベルにあるかぎり、その傾向はとまらない」と段。
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2007.02.22 |
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- 段の妻はいう。
- 「風俗はやめてほしかった。しかし他に何ができるかといえば、私たちには何もなかった」
- 2001年(平成13)、歌舞伎町一番街のビルで火災が起き、44人が死亡する惨事となった。
- 「警察に何度も調べられた。放火犯と疑われたようだ」
- そのころから外国人風俗店の取り締まりが厳しくなってきた。
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2007.02.21 |
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- 新宿で飲食店チェーンを経営する中国人、段(45)。
- 2001年(平成13)まで9年間、歌舞伎町で風俗店を経営していた。
- 2001年(平成13)、取り締まりが強まった歌舞伎町に見切りをつけ、飲食店に転身する。
- その後にナイジェリア人流入が始まった。
- ナイジェリア人のやり方は汚いと感じる。
- 後先考えずに取れるだけ取ろうとする。
- 「しかし、彼らがまじめな仕事をしようと思っても、誰も雇ってくれない。それでも生きていこうとしたら、あれしかないんだよ」
- 段は1987年(昭和62)、26歳のとき日本企業に勤めたくて日本語学校に入った。
- 1989年(平成元)、天安門事件が起きた。
- 民主化を求めるデモ隊を人民解放軍が弾圧し、多数の死傷者を出した。
- 段は連日、六本木(港区)の中国大使館へのデモに参加する。
- 以後、中国公安に目をつけられた。
- 「帰国したら死刑だと思った。もう、日本で暮らすしかなくなった」
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2007.02.20 |
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- 東京入国管理局新宿出張所。
- 所長室の壁いっぱいに、歌舞伎町の大地図が張ってある。
- ビルの名前まで一軒一軒書かれている。
- その多くがピンクの蛍光ペンで囲まれ、年月日が記入されていた。
- 「摘発に入ったことのあるビルとその日付です」と所長。
- 2000年(平成12)ごろの歌舞伎町は最悪だった。
- 「外国人が乱暴で、怖くて歩けない」という苦情が相次いだ。
- 外国人売春婦がコマ劇場周辺にまで立ち、中国人が性風俗関連の業界を仕切る。
- 暴力団との武力抗争が頻発していた。
- 政府と東京都が協力し、不法滞在の摘発が専門の入管チームを新設した。
- それが新宿出張所。
- 入国警備官ら72人が所属。
- 出張所のスペースの半分を仮眠室が占める。
- 2003年(平成15)から活動を始め、2006年(平成18)には中国・韓国系の風俗店は激減した。
- 摘発して終わりではない。一人一人、調書をつくらなければならない。
- 朝までかかる。
- 週日はずっと泊まり込みの職員も多い。
- 「使命感がないとやれない仕事です」
- 歌舞伎町を出た中国系風俗店は池袋(豊島区)など他の繁華街に根を下ろした。
- 売春婦も場所を移して営業している。
- 歌舞伎町には、ナイジェリア人という新たなプレーヤーが登場した。
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2007.02.19 |
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- 1990年代(平成2)、中国、韓国人が歌舞伎町に続々と押し寄せ、派手に飲食店や風俗店の営業を始めた。
- 中国系マフィアの対立抗争から青龍刀を振り回しての衝突騒ぎまで起きた。
- 入管と警察の厳しい摘発で、不法残留者を雇う店は激減した。
- 「不法残留者が減った一方で、日本人との結構などで合法的な滞在資格を得る外国人は増えた」と入管のベテラン警備官。
- ナイジェリア人たちはそうして新たな歌舞伎町のメンバーになった。
- いたちごっこなのである。
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2007.02.16 |
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- 「日本にあこがれてやってくる。しかし日本ではアフリカ人を雇ってくれる職場があまりに少ない。ぼったくりだって、好きでやっているわけじゃないと思う。ほかに方法がないんだ」と雑貨店を営むガブリエル。
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2007.02.15 |
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- 歌舞伎町のナイジェリア人ぼったくりバーについて、同じナイジェリア人としてどう思うか。
- 「まじめに働くナイジェリア人にとっては迷惑な話だ」と下北沢(東京都世田谷区)で雑貨店を営むナイジェリア人、ガブリエル(43)。
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2007.02.14 |
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- オースチンを取り調べた「組1」の刑事が、疑問に感じたことがある。
- 家族の生活を心配する様子がまったくなかったのだ。
- 日本人の被疑者を逮捕した場合、まず真っ先に口にするのは例外なく家族のことだという。
- ナイジェリアにいる親や兄弟のことにはときどき触れる。
- だが日本の家族のことには無関心にすらみえた。
- 家族に迷惑をかけてすまない・・・。
- 日本人の被疑者から感じるそうした切実さを、刑事はまったく感じられなかった。
- 刑事は「奥さんや子どものことが気にならないのか」と尋ねてみた。
- オースチンはとまどった様子で、質問の意味が分からないといった風だったという。
- 日本とナイジェリアとの違いについて、刑事はオースチンが雑談でした話を覚えている。
- 「他人が勝手に自分の家に入ってきて、いきなり殺されちゃう。ナイジェリアってそういう国なんですよ」
- 日本人と考え方の尺度の違う人々が、この数年で急激に流れ込みはじめている。
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2007.02.13 |
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- オースチンを逮捕したのは新宿署ではなく、警視庁本庁の刑事だった。
- 組織犯罪対策1課、通称「組1」(ソイチ)。
- 外国人犯罪の中でも、主にカード詐欺や偽装結婚、旅券偽造などの事件を扱う部署。
- さまざまな国籍の外国人が集まる歌舞伎町は、組1の刑事たちが常に目を光らせている。
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2007.02.09 |
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- 職がないだけでなく、ビアフラでは環境も悪化の一途だった。
- 石油採掘現場から天然ガスが発生する。
- 石油会社はそれを露天焼却していた。
- 「ガスは音をたてて一日中燃えている。猛烈な熱風が吹き、周りの植物はみな枯れてしまう。主食のヤムイモの大きさは昔は30センチほどあった。それが今では10センチだ」
- 石油パイプラインがむき出しのまま民家の軒下を通っている。
- 人々はそれをまたいで家に出入りする。
- パイプに穴を開けて石油を盗むのは日常茶飯事。
- もれた石油が爆発する事故も頻発する。
- そんなときに「日本に行けば金になる」という話を聞いたのである。
- 「自分はただ、がんばれば何とかなるところに行きたかっただけだ」
- 若者が母国に絶望するような状態があるかぎり海外への「押し出し圧」が弱まることはない。
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2007.02.08 |
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- オースチンは1970年(昭和45)、ナイジェリア南東部ビアフラ地方の町で生まれた。
- 「ビアフラ戦争」が、ビアフラ側の悲劇的敗北で終わった年。
- 最大の都市ラゴスでは交通信号も機能していないのに、海岸沿いには高級官僚の豪勢な住宅が立ち並ぶ。
- 警察は腐敗し、強盗事件を通報しても「迎えに来い」などという始末。
- そのため日中から強盗が出没する。
- 要するに国家としては崩壊状態だ。
- 「石油が目の前で出ているのに、われわれには炊事の燃料もなかった。水道はなく、電線はあるが停電ばかり。石油のおかげでできたのは買春宿だけだった」
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2007.02.07 |
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- 2002年(平成14)、東京入国管理局と警視庁が新宿の中国人風俗店の取り締まりを強化した。
- 一方、六本木(東京都港区)でも2002年(平成14)、客引きや風俗店の取り締まりを強化。
- 六本木の取り締まりで居づらくなったナイジェリア人が、中国人取り締まりで真空状態になった歌舞伎町に流れ込んだ。
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2007.02.06 |
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- オースチンは2002年(平成14)、横浜(神奈川県横浜市)で妻(31)と知り合って結婚。
- 妻と知り合ったきっかけについて彼は詳しく語らない。
- しかし東京入管によると、彼らは来日前に出稼ぎ経験者から「まず日本女性と結婚しろ」と教わるらしい。
- 「アフリカ人は一目で外国人であることが分かる。強制退去を避けるには、日本人との結婚がもっとも手っとり早い」
- 六本木(東京都港区)や横浜で、若い女性にしつこく言い寄るアフリカ人男性をよく見かける。
- 女性が結婚していると分かると彼らはすぐ離れていくという。
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2007.02.05 |
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- 歌舞伎町のナイジェリア人はほとんど厚木(神奈川県厚木市)や海老名(神奈川県海老名市)に住むという。
- 最初の人間がそこに住みつき、それを頼って次々に、ということらしい。
- 1985年(昭和60)当時、アフリカ出身の外国人登録は全国で約1千人に過ぎなかった。
- それが2005年(平成17)には1万人に達した。
- 国別ではナイジェリアが最多で2400人を数える。
- アフリカ人出稼ぎの草分けは1980年代(昭和55-)後半、ガーナ人の工場労働だったらしい。
- ガーナ人は産油国ナイジェリアにも出稼ぎに出ている。
- そこから「日本に行けば稼げる」という評判が広がった。
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2007.02.02 |
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- 歌舞伎町にアフリカ人経営の「外人バー」ができたのは1999年(平成11)が最初だという。
- 2003年(平成15)頃からナイジェリア人の同業者が増え、売り上げが目に見えて落ちた。
- ナイジェリア人の店の「ぼったくり」が問題になりはじめたのはそのころから。
- 「少ない客からできるだけ吸い上げようということだったのだろう」
- 外人バーのホステスの給料はふつう基本日給1万円が相場で、客が注文した飲み物代の3分の1が歩合として入る。
- そんな注文はしていないという客とのトラブルはよく起きる。
- そのため外人バーの多くは暴力団にみかじめ料を払い、トラブルを処理している。
- 「客だって承知して入ってくるんだ。酒を出さずに10万円取ったらぼったくりだが、ちゃんと提供したらまともな商売だ。ホストクラブだってドンペリ1本10万円取る。歌舞伎町はそういうところなんだ」
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2007.02.01 |
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- 夜8時過ぎ、客引きが立ち始める。
- 180センチを超すような大男が分厚いダウンジャケットを着ているので、かなり迫力がある。
- 「もう終電ない。明日は土曜日よ。始発まで遊んでいこう」
- 客の腕をつかんで歩き始める。
- 客はふりほどこうとするが、つかんで離さない。
- 風俗営業法では、通行人の前に立ちふさがる行為、つきまとったり腕をつかんだりする行為は禁じられている。
- 店に入ると、客はまずセット料金を払う。
- 席に着くとすかさずホステスが横に座る。
- ミニスカートからはみ出した太ももが密着してくる。
- 「ねえ、ワイン飲んでもいいでしょ?」
- セット料金だけですむはずがない。
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2007.02.01 |
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- 「外人バー」はなじみ客が多いわけではないので、客を待っていたら商売にならない。
- そこで客引きの登場となる。
- 客引きは1店あたり2〜4人で、いずれもナイジェリア人。
- 経営者の親族か、同郷者が多い。
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2007.01.31 |
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- オースチンが歌舞伎町に外人バーを開店した2005年(平成17)、クレジットカード会社の協同組合から担当者が審査のために来店した。
- 「店の名義は日本人の妻で、彼女が審査にも立ち会いました。私はてっきり、彼女が店を経営するのだと思いました」と担当者。
- そのため審査は簡単に終わり、担当者はカードを通す端末機を設置した。
- オースチンの手口は巧妙だった。
- 高額請求を不審に思われないよう、2時間ほど間をあけ、金額を分けて伝票を切っていた。
- 彼の店から「そんなサインをした覚えはない」との苦情が頻繁に寄せられた。
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2007.01.30 |
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- 外人バー経営のナイジェリア人オースチン(36)。
- 東京地裁は「出してもいない高級酒を出したことにし、客のカードを無断で使って架空請求した」と認定。
- 不法滞在の外国人は国外退去となる。
- しかし妻が日本人であるため、オースチンに退去のおそれはなかった。
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2007.01.29 |
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- 歌舞伎町1丁目の外人バー「M」の経営者のナイジェリア人オースチン(36)。
- 店に来た客から、飲んでいない高級シャンパン「ドンペリ・ロゼ」2本分の代金約20万円を、勝手にカードで引き落とされていたという被害届が出されていた。
- 東京地裁で「懲役2年執行猶予4年」の判決が出るまで4カ月を、オースチンは東京拘置所で過ごした。
- 外人バーは本来、米兵や船員など外国人相手のバーのこと。
- しかし歌舞伎町では、外国人ホステスの濃厚なサービスを売り物にするバーやクラブがそう呼ばれている。
- ホステスの多くはロシア人、東欧系、ブラジル人、フィリピン人。
- 飲み代の相場は高級シャンパンで10万円、ワインで5万円。
- 2000年(平成12)制定の都条例、いわゆる「ぼったくり防止条例」で「ぼったくり」と認定されないためのぎりぎりの価格だという。
- 外人バーのうち、ナイジェリア人経営の店が20店前後あり、その多くでぼったくり行為が行われているという。
- どの店も客引きを使っており、約60人いる。
- 合わせて100人近いナイジェリア人が、夜の歌舞伎町でうごめいていた。
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