仏教・行事 |
盂蘭盆 |
うらぼん |
- 7月15日を中心に、祖先や死者の霊を家に迎えて供養する仏教行事。
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- 盂蘭盆の儀式のことを「盂蘭盆会」(うらぼんえ)という。
- 一般的には略した「お盆」という。
- 東北の一部や北関東、中国、四国、九州地方は旧暦で、東京周辺や東北の一部は新暦で、北海道と新潟、群馬、埼玉、千葉各県以西は新暦の月遅れ(八月盆)で行う地域が多い。
- 初盆
- 死んで初めて迎える盆をいう。
- 地方によって「はつぼん」「にいぼん」「あらぼん」と言い方が違う。
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- 起源
- 説1
- 「倒懸」、逆さづりの意味のサンスクリットであるウランバナの漢字音写だとする説。
- 「盂蘭盆経」によれば釈迦の十大弟子のひとり目連が、死後も餓鬼道におちた母の倒懸の苦しみを救うため、釈迦の教えに従って供養、祈願したのが盂蘭盆会の始まりであるとされている。
- 説2
- 死者の霊を意味するイラン語系のurvanという語に由来し、イラン系ソグド人が中国に伝え、畑作農業の収穫祭として中元と結合し、それが仏教にとりいれられたという説。
- 歴史
- 中国
- 盂蘭盆の風習は、中国では中元と結びついて道教にもとりいれられた。
- 道教では道士が経典をよんで、餓鬼道におちて苦しんでいる死者を救う日とされる。
- 仏教では、6世紀(日本−古墳時代後期)南朝の梁では、仏教信者の武帝のもとで盂蘭盆斎が同泰寺で行われたと伝えられる。
- また同時代の「荊楚(けいそ)歳時記」は、盂蘭盆が民間にも普及していたことを記している。
- 日本
- 606(推古天皇14)年(飛鳥時代)に寺院で初めて7月15日の斎会(食事を供する法会)が行われ、659年には京都の諸寺で「盂蘭盆経」が講じられて、祖先を供養した。
- 733(天平5)年(奈良時代)には、宮内省の大膳職(だいぜんしき)に盂蘭盆会の準備が命じられており、盂蘭盆会は朝廷の恒例仏事となっていく。
- また目連が母を救う説話も、平安時代の説話集「王宝絵詞」に紹介されるなど、人々に知られるようになった。
- 平安時代には、空海らの入唐僧が施餓鬼会の経典や修法を日本に伝えられた。
- 餓鬼道で苦しむものたちに飲食をほどこす法会で、浄土真宗を除く各宗派で行うようになり、寺院での代表的な盆行事となる。
- 盆の行事
- 盆は正月とともに日本では最も普及した行事で、各地にさまざまな習俗がある。
- 一般的な例
- 7日(七日盆)
- 13日夕方まで
- 精霊(しょうりょう)を迎えてまつる盆棚をつくり、仏壇から位牌を移して供花や供物、キュウリやナスでつくったウシやウマなどを供える。
- また棚の材料や供花などを売る盆市がたつ。
- 棚は仏壇近くに設けるが、前年の盆以降の死者の新仏は縁側などに、無縁仏は戸外に設ける所もある。
- 13日の夕方
- 家の前で迎え火をたいて精霊を迎えてまつり、提灯や灯籠もともされる。
- 15日の夕方から16日にかけて
- 精霊をおくる送り火をたき、川や海辺では小さな灯籠を流して霊を送る。
- 大規模な盆の行事として京都の大文字山の送り火や長崎の灯籠流しがよく知られている。
- 盆には盆踊があり、16日は藪入りで、昔、奉公人は暇をもらって実家に帰った。
- 現在も盆期間の帰省者は多い。
- お盆に関係なくても、この時期を夏期休暇とする企業などは多い。
- 盆と正月
- 6月と12月の晦日には、天下万民の罪や穢れ(けがれ)をはらう大祓(おおはらえ)が恒例。
- 人々は心身をきよめて盆や正月を迎えたが、古くは12月の晦日の夜にも魂祭(たままつり)が行われており、現在も正月に墓参りする土地がある。
- 冬から春への正月、夏から秋への7月は、1年を2分する季節の大きな節目であり、仏教伝来以前からあった祖先の魂祭のうち、7月が仏教の盂蘭盆に習合したともみられる。
- さらに、正月の左義長と盆の迎え火・送り火、七日正月と七日盆、14、15日の小正月と盆の14、15日、などの対応に、盆と正月の類似性を指摘する説もある。
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関連HP |
お盆・里帰り(AllAbout) |
2010.06.08 |
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