- 由来
- 戦国時代の永禄年間(1558-1570)、武田氏と対峙する南の駿河(するが・現、静岡県中部)の大名、今川氏は戦略として武田氏の領地である信濃・甲斐を兵糧攻め(ひょうりょうぜめ)にするため民の生活に必須の塩などの運搬を止めた。
- この状態を見かねた北の越後の上杉謙信が「戦うのは武である」として塩を送った。
- この故事から敵対する相手を助ける意味の「敵に塩を送る」という慣用語が生まれた。
- 塩を運んできた牛がつながれた石が「牛つなぎ石」として残っている。
- 塩が到着した1月11日に市がたつようになり、塩が売られた。
- 江戸時代には飴も売られるようになった。
- 塩を送ったということは史実としては存在しないという説もある。
- 現在のあめ市
- 1月11日に近い土・日曜日に行われる。
- 時代行列、上杉謙信と武田信玄の故事にちなんだ「塩取り合戦」(綱引き)、神輿の練り歩きなどがある。
- 2008(平成20)年、松本市の市制施行100周年記念として初めて「おいらん道中(どうちゅう)」が行われた。
- 商店街の子供達が自分たちだけでだるまなどを売ることが伝統としてある。
- お客さんと触れ合うことにより商売の基本を学んでいった。
- しかし、多くの地域と同様、個人商店の減少、商店主の高齢化、少子化などによりこの伝統を維持していくのは大変らしい。
- あめ市は安曇野市や池田町でも行われている。
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