- 794(延暦13)年(平安時代の始まり)、桓武天皇は律令体制の再編と強化のために、造営なかばの長岡京から平安京に遷都を行った。
- 平安京は東西と北を山に囲まれ、南北に流れる鴨川と桂川(葛野川)が南方を包み込むような地にあった。
- 規模は平城京と変わらず、羅城門は完成したが羅城は未完成のままなど、造営は中断された部分が多かった。
- 藤原氏の力添えで皇位継承権を手中にした桓武天皇は、藤原一族と外戚関係を結んだ。
- 貴族を中心とした日本独自の国風文化がおこり、「源氏物語」や「枕草子」が書かれた。
- 白河上皇に始まる院政期になると湿地の多い右京は廃(すた)れ、鴨川を越えた東部に政治の中心は移る。
- 院政は延暦寺などの僧兵の増長と、地方豪族の勢力拡大を促(うなが)し、武士を台頭させた。
- 平氏は、現在の京都市東山区の一部の地域である六波羅(ろくはら)を本拠に政権を握る。
- 1177(治承元)年(平安時代末期)、京に大火がおこり大極殿など内裏や役所を焼失、空前の被害を受ける。
- 12世紀末(鎌倉時代)に鎌倉幕府が開かれると政治の中心は鎌倉に移ったが、京都には朝廷と公家・寺社を監視する六波羅探題(ろくはら)が置かれた。
- 室町幕府成立後は再び京都が政治の中心になり、商工業者が力をつけた。
- しかし土一揆がしばしばおき、周辺の地域から一揆勢が京に乱入し、多くの町屋や寺社が焼かれた。
- 1467(応仁元)年(室町時代中期)には応仁の乱がおきた。
- しかし祇園祭が復活したように町衆による復興ははやく、町衆の自治が営まれ、その復活と繁栄ぶりは「洛中洛外図屏風」(らくちゅうらくがいずびょうぶ)にも描かれた。
- 豊臣秀吉は全国を統一すると京都の再建、改造を行った。
- 1587(天正15)年(安土桃山時代)に聚楽第(じゅらくだい)を造営、町割を整備し、寺町をつくった。
- 徳川家康は江戸に幕府を開くと京都には二条城を築城して所司代(しょしだい)をおき、京都支配を行った。
- 秀吉の時代から江戸時代初期には経済的文化的に繁栄し、豪商や本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳などの芸術家を生んだ。
- 幕藩体制下の京都府は、淀、宮津、田辺(のち舞鶴)、峰山、亀山(のち亀岡)、園部、綾部、山家、福知山の小藩と、天領、旗本領、皇室領、公家領、寺社領から成っていた。
- これは、山城国、丹後国のほぼ全域と、丹波国の大半にあたる。
- 幕末になると政治の舞台は江戸から京都に移り、倒幕・佐幕派、攘夷・開国派など各派が入り乱れて争った。
- 1867(慶応3)年(江戸時代最後の年)に大政奉還が行われて江戸幕府は終わる。
- あくまで武力制圧をめざす新政府軍が京都近郊の鳥羽・伏見で旧幕府軍と戦端を開き、戊辰戦争が始まる。
- 1868(明治元)年、東京遷都で、平安京以来千年余にわたる都(みやこ)の時代は終わる。
- 1871(明治4)年の廃藩置県から1876(明治9)年までに現在の京都府となった。
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