人物
豊臣秀吉 とよとみ ひでよし
  • 1536-1598
  • 織田信長に仕え、後に天下人(てんかびと)(日本を支配する)となる。
  • 織田信長は秀吉の妻である寧々(ねね)にあてた手紙で、秀吉のことを「禿鼠(はげねずみ)」と呼んだ。
  • 前半生はよくわかっておらず、残されたエピソードのほとんどは後に作られた話しだという。
    • それは、秀吉の生存中からあり、低い身分から成り上がったという劣等感から、自分の生いたちを脚色しようとしたらしい。
    • 美濃の墨俣城(岐阜県墨俣町(すのまたちょう))を一夜で建造したという「一夜城(いちやじょう)のエピソードは事実ではないというし、秀吉から「猿」と呼ばれたということも本当かわからない。
  • 天才的な才能を持っていたが、晩年は異常な状態になっていったという。
■秀吉の黄金の茶室を再現・・・信州ゴールデンキャッスル(長野県松本市)

2010/10/23
2011.01.23
豊臣秀吉の歴史
西暦 日本-年代 豊臣秀吉
1536 戦国時代
  • 尾張国の貧しい足軽の子として生まれる。
    • 幼少時は日吉丸といった。
1565
  • (永禄8) 初めての確実な史料として織田信長の文書に「木下藤吉郎秀吉」の名が出てくる。
1577 安土桃山
  • 織田信長から中国(地方)攻めを命じられる
1582
  • 備中の高松城を包囲する。
    • 救援にかけつけた毛利氏とにらみあっているときに、明智光秀による本能寺の変で織田信長が没した。
    • その報告を聞いた秀吉は毛利氏と講和し、引き返して明智光秀を討つ。
1583
  • 信長の死後の主導権をめぐり対立した柴田勝家を滅ぼし、勝家に味方した信長の3男の信孝を自殺させ、信長の後継者となり、石山本願寺の跡地に大坂城を築いて本拠地とした。
1584
  • 織田信長の2男の織田信雄と徳川家康の連合軍と戦うが、決定的な勝利を得られず、織田信雄と和睦し、次いで秀吉の異父の妹の朝日姫を家康と結婚させて和睦する。
    • 朝廷の従三位権大納言(じゅさんみごんのだいなごん)になる。
1585
  • 正二位内大臣になり、次いで前関白の近衛前久(このえさきひさ)の猶子(養育の義務のない養子)になり朝廷で最高の役職である関白になる。
    • これ以降、天皇の名のもとに天下統一を進めていく。
1586
  • 太政大臣(だいじょうだいじん)になり、天皇から豊臣の姓を与えられる。
    • また、近衛前久の娘の前子を養女にして天皇の皇后にあたる女御(にょうご)として、天皇の外戚という身分を得る。
    • この年ころまでに秀吉の実の母である大政所(おおまんどころ)を家康に人質として送り込む。
1587
  • 京都に聚楽第を建て、天皇をむかえて徳川家康らに忠誠を誓わせる。
1591
  • 関白を養子の秀次に譲って太閤(たいこう・関白を譲った者)になる。
1592
  • 1598年までに2回、への侵略のために、朝鮮半島に出兵する。
1593
  • 側室の淀君が第2子(後の豊臣秀頼/第1子は3歳で死去)を出産したため、自分が譲った関白の秀次がじゃまになってきた。
1595
  • 秀次を自殺させ、妻や子供たちを皆殺しにした。
1598
  • 朝鮮半島への出兵で諸大名は負担にあえいでおり、国内は重苦しい状態になった。
    • 春、醍醐寺で盛大に「醍醐の花見」を盛大に開く。
    • 夏、幼少の秀頼の将来を案じながら伏見城で死去する。
    • 死後、朝廷から豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の名がおくられ、京都の豊国社(とよくにしゃ)に祀られた。
      • 朝鮮に出兵した軍も全軍帰還した。
  • 参考:エンカルタ2007
2011.01.23

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