- 737〜806(70歳)。
- 在位781〜806年。
- 中国風の強大な皇帝的権力を発揮した。
- 即位3年後に長岡京への遷都を命じるが、造営長官だった藤原種継(たねつぐ)が暗殺されるなど、造都事業は難航、未完成のまま約10年で新都は放棄された。
- 新都造営にかけた天皇の強い意志は794(延暦13)年の平安京遷都へつながる。
- 一方、辺境では蝦夷(えみし・日本の北方)征討政策が進められた。
- 蝦夷征討のうち坂上田村麻呂を征夷大将軍とする征夷戦(797〜805)は著名で、9世紀初頭(平安時代初頭)には鎮静化へ向かった。
- 刷新政策を打ち出し、強い指導力で政治を導いた。
- しかし、遷都と蝦夷征討の2大事業によって生じた財政負担は大きく、805(延暦24)年には藤原緒嗣(おつぐ)の建議を受けて造都・征夷の事業は中止となる。
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