源義経 |
みなもとのよしつね |
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- 1159〜1189
- 源義朝の9男で、母は九条院の雑仕女(ぞうしめ)(高位の貴族に使える召使の女性)の常盤(ときわ)。
- 源頼朝の異母弟。
- 幼名は牛若丸(うしわかまる)、九郎。
- 1159(平治元)年、平治の乱(へいじのらん)で父が敗死、義経は母常盤や2人の兄とともに平氏に捕えられ、幼児のため命を助けられて鞍馬寺に入れられた。
- その後、陸奥の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の保護を受けていたが、1180(治承4)年、兄の頼朝が平氏追討の兵を挙げると、頼朝のもとにかけつけた。
- やがて頼朝の代官として異母兄の源範頼(みなもとののりより)とともに平氏追討の大将軍として京都に派遣される。
- 1184(元暦元)年、1月、京都にいた源(木曽)義仲に大勝する。
- 2月に摂津、一ノ谷の戦で平氏軍を破る。
- このときの鵯越え(ひよどりごえ)の奇襲はよく知られている。
- 1185(文治元)年2月、讃岐国の屋島の戦で平氏軍を巧みな作戦によって敗走させ、3月24日、関門海峡の壇ノ浦の戦で平氏軍を全滅させる。
- しかし、この間の義経の行動から頼朝にうとんじられるようになる。
- この状況を打開するため鎌倉に向かうが、鎌倉に入ることを許されなかった。
- 京都に帰って頼朝に反旗を翻すが失敗する。
- のち藤原秀衡を頼って陸奥に逃れたが、秀衡の死後の1189年、頼朝の圧力に屈服した秀衡の子の泰衡に衣川の館を攻められ自殺する。
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- 義経伝説
- 義経の伝説や逸話は数多く残っており、民間伝承だけでなく、「平家物語」「吾妻鏡」「義経記」などに武勇伝や生い立ち、没落までの逸話が記され、武蔵坊弁慶にふれているものもある。
- 江戸時代につくられた浄瑠璃や歌舞伎の判官(ほうがん:義経)物は、義経伝説をもとにした創作で、この時代に義経は衣川で死なずに蝦夷地(北海道)に逃れたという伝説も生まれた。
- 明治期には大陸に渡ってジンギスカン(チンギス・ハーン)になったという話も生まれている。
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- 文部省唱歌「牛若丸」
- 「京(きょう)の五条の橋の上、大(だい)のおとこの弁慶は長い薙刀(なぎなた)ふりあげて、牛若めがけて切りかかる」
- ・・・YouTube
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2010.07.11 |