人物 |
浅野長政 |
あさの ながまさ |
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- 1547年(室町時代後期/戦国時代後期)-1611年(江戸時代初期)
- 織田信長、後に豊臣秀吉に仕え、いわゆる五奉行の一人といわれる。
- 行政が巧みで、城主となった播磨(はりま)(現・兵庫県西部)や甲斐(現・山梨県)の領民から慕われた。
- 同じ五奉行の石田三成と対立し、謀られて失脚する。
- 1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍に息子幸長とともに加わる。
- 囲碁を好み、よく対戦した徳川家康は長政の死後、囲碁を絶ったといわれる。
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- 参考:エンカルタ2007 /Wikipedia/世界大百科事典
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■城主だった舞鶴城(甲府城)(山梨県甲府市)
2006/1/6 |
*2016.10.08 |
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