写真6
赤報隊についての女子小学生が作った壁新聞
「赤報隊」について
幕末期に相楽総三らによって赤報隊が結成され、幕府側に対する新政府の許可を得て、「年貢を半分にする」などの宣伝を行いながら、官軍の一部隊として各地を巡った。
赤報隊の名は「赤心をもって国に報いる」から来ている。
赤心:主君などに対する偽りのない心
しかし、新政府は年貢の半減は財政的に無理であると悟ってから方針を転換する。
赤報隊は偽の官軍であるとして捕らえられ、下諏訪で打ち首の刑が執行される。
この時、隊長の相楽は30歳、他の隊士も20、30代だった。
赤報隊はわけもわからず突然捕らえられて処刑されたとするものと、新政府の方針転換のための帰還命令を無視して進軍したため捕らえられた、とする説があるようだ。
相楽の孫の木村亀太郎が12歳の時に、自宅から祖父の血のついた髪の毛を発見してから、祖父のことを知り、汚名を晴らすことを心に決めた。
名誉回復に何度も挫折しながらも奔走し、1928年(昭和3)に政府により名誉回復が決定され、1930年(昭和5)に下諏訪に碑が建立された。
このとき亀太郎は40歳を過ぎていた。
赤報隊の名は、1987年(昭和62)に朝日新聞阪神支局を襲撃して記者を殺害した事件で犯行声明を出したテロ集団の名としての方がむしろ有名かもしれない。
Top
|
日本
|
長野県
|
下諏訪町
下諏訪町立歴史民俗資料館
長野県下諏訪町
グーグルアース座標=
N36 4 32.26 E138 5 23.13
地図
撮影日:2006/3/15
写真1
概要
下諏訪町は
江戸時代
に
中山道
と甲州道が合流したところにできた
宿場
の町である。
主にその宿場についての史料の展示を行っている。
建物は明治の初めに建てられたものであるが、江戸時代の宿場の商家の雰囲気を持っている。
開館時間:9:00AM-5:00PM
休館日:
火
,祝日の翌日,年末年始
入館料:\220
Top
|
日本
|
長野県
|
下諏訪町
写真1
写真5
写真4
■チケット
■記念スタンプ
写真3
写真2
■長野県下諏訪町立歴史民俗資料館の情報、地図、概要