坂本龍馬 |
さかもと りょうま |
- 江戸時代末期(幕末)の幕府を倒す運動(討幕運動)の指導者。
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- 1835-1867(33歳)
- 土佐藩(現・高知県)の豪商の分家だが、下級身分の家に生まれる。
- 1853(嘉永6)年、江戸に出て剣を学ぶ。
- この時、ペリー来航(黒船来航)に接し、攘夷思想の影響を受ける。
- 翌1854(安政元)年、帰郷する。
- 1861(文久元)年、土佐勤王党に加盟し、尊皇攘夷運動に関わる。
- 翌1962年、脱藩する。
- 各地を巡った後、江戸に出て勝海舟の下で幕府の近代海軍創設計画に参加する。
- 1863年、神戸(現・兵庫県神戸市)の海軍操練所設立に勝海舟の片腕となって活躍する。
- 1864(元治(げんじ)元)年、勝海舟が失脚したこともあり、その後は薩摩藩(現・鹿児島県)を頼る。
- 討幕のため薩摩藩と長州藩(現・山口県)を結び付ける政治活動を行う。
- 1865(慶応元)年、薩摩藩の支援の下で、海軍操練所の修業生らと長崎に亀山社中を結成する。
- 1866年、薩長同盟を結ぶことに成功する。
- 1867年、薩長に土佐藩を加えた3藩連合を画策し、4月、土佐藩との関係を修復して亀山社中を海援隊へ改組する。
- 同年、徳川慶喜が大政奉還を行った翌月の11月、京都の近江屋に滞在中に襲われ暗殺される。
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- 生前は無名だったらしい。
- 明治以降何度か全国的に知れ渡ることがあったが、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』(1966(昭和41)年)の人気で国民的な人物となる。
- 1866年、京都の寺田屋で襲撃されるが一命をとりとめる。
- この時の傷を癒すために妻のおりょうと鹿児島を訪れるが、これが日本最初の新婚旅行とされる。
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- 2010(平成22)年のNHK大河ドラマは坂本龍馬が主人公の「龍馬伝」だった。
- 主演は人気俳優・歌手の福山雅治(当時41)だったこともあり坂本龍馬ブームが起きる。
- 11月28日の最終回、最大の見せ場であった龍馬が暗殺されるシーンで、間が悪いことにドンピシャで「愛知県知事選挙の当選確実」のテロップが入り、NHKにクレームが殺到した。
- ちなみに通常1年かけて放送される大河ドラマが11月に最終回を迎えた理由は、2009(平成21)年から2011(平成23)年までの足掛け3年をかけて大型テレビドラマ「坂の上の雲」のを放送するためだった。
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坂本龍馬に関する記事 |
- 2008.08.30 希望を失わない龍馬 いじわる日本史 朝日新聞
- 大学生で司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」を読んで心酔した。
- 40を超えた今では、龍馬は挫折続きの苦労人に見える。
- 土佐藩内での出世が望めない身分で、脱藩して活動せざるを得なかった。
- 北海道開拓を企てるも失敗。
- 貿易を志し作ったという「亀山社中」も、実体は薩摩藩の使用人ではなかろうか。
- ようやく海援隊として土佐藩の属したと思ったら、事故で船が沈む。
- あげくに、暗殺される。
- 近代国家像を成文化して名高い「船中八策」も、幕末の政局を収拾した大政奉還案も、別に龍馬の独創ではなく、彼の功績が強調されすぎてきた嫌いがある。
- (龍馬の手紙の内容で、)有名な「日本をせんたく(洗濯)したい」「世界のはなしをする」といった大言壮語の半面、冗談やユーモアが好きで、同僚や家族ら身近な人へのこまやかな配慮を忘れない。
- 「大切なのはいつも勝つことじゃない、いつも希望を持つことなのさ」。
- 逆境にあっても希望を持ち続けた、それこそが龍馬の魅力のように思われる。
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- 2008.07.26 高知は龍馬に食傷気味 いじわる日本史 朝日新聞
- 坂本龍馬の故郷高知を訪れると、空港からして「高知龍馬空港」。
- 商品名も広告看板も「龍馬」が頻出する。
- 再来年のNHK大河ドラマが「龍馬伝」と決まり、観光客増への期待は高い。
- しかし実は「高知の人はわりと龍馬に関心が薄い」という説がある。
- 空港の正式名称に龍馬の名を冠することには、反対が少なくなかったという。
- 公式HP→高知龍馬空港
- 桂浜の龍馬銅像に近い県立坂本龍馬記念館の入館者も県民は意外なほど少ないそう。
- 地元では「高知と言えば龍馬」と見られることに、食傷気味なのかもしれない。
- 龍馬人気の源泉は1960(昭和35)年代に司馬遼太郎氏が書いた小説『竜馬がゆく』。
- 若い世代には1980(昭和55)年〜1990(平成2)年代に描かれた小山ゆう氏のマンガ『お〜い!竜馬』(原作・武田鉄矢氏)が人気だが、こちらも司馬作品の影響下にある。
- 龍馬と竜馬のどちらが正しい名か、という質問が寄せられる。
- 現存する龍馬直筆の手紙には「龍」にしたのは、史実の龍馬でなくフィクションも含め自分なりの青年像を描く意図を込めたとも、字の好みでそうしたとも言われる。
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- 2008.08.02 戦前もあった龍馬ブーム いじわる日本史 朝日新聞
- 維新の直前に暗殺された龍馬は明治に入ると「過去の人」になった。
- しかし1883(明治16)年に高知の地元紙「土陽新聞」に龍馬を主人公にした小説「汗血千里駒(かんけつせんりのこま)」が連載された。
- 当時、高知では薩長を主軸にした藩閥政府を批判する自由民権運動が盛んになっており、作者の坂崎紫瀾(しらん)も自由党員。
- 龍馬は自由民権思想の源流のように位置づけられた。
- 小説はフィクションも織り交ぜた面白さで、東京や大阪でも出版され人気を博し、以後に続く龍馬小説の原型となった。
- 続いて日露戦争の開戦直前の1904(明治37)年、明治天皇の皇后が葉山(神奈川県葉山町)で静養中、龍馬と名乗る人物が夢枕に立ち、軍艦を守る決意を伝えたという。
- この話は新聞に載り、全国的な大反響となった。
- 当時、不遇感を持っていた土佐(高知)系高官の作り話と見られるが、これで龍馬は海軍の守り神に祭り上げられる。
- さらに1928(昭和3)年、海軍記念日に合わせ桂浜に龍馬銅像が建立され、前後して映画も作られるなど人気は再燃したそう。
- 戦後の高度経済成長期、司馬遼太郎氏が書いた『竜馬がゆく』が新しい若者像を切り開いた。
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- 2008.08.09 龍馬暗殺事件は迷宮入り? いじわる日本史 朝日新聞
- 幕末最大のミステリーは坂本龍馬が誰に、なぜ暗殺されたかだろう。
- (・・・諸説あり、それぞれにいくつかの疑問点がある)
- 気の毒なのが龍馬を訪ねていて一緒に殺された中岡慎太郎。
- 薩長同盟などの功績は龍馬以上との見方もあるが、歴史小説では脇役にされた。
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関連HP |
高知県立坂本龍馬記念館 (高知県高知市) |
■婚約者だった千葉さな子の墓(山梨県甲府市)
2015/5/24 |
■高知市から贈られた立会川駅前の坂本龍馬像 品川歴史館(東京都品川区)
2007/12/21 |
■父本人が坂本龍馬を切ったと告白した今井邦子の文学館(長野県下諏訪町)
2006/3/15 |
2016.09.15/2010.2.9 |
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