- 1837〜1913(大正2)年
- 水戸藩主徳川斉昭(なりあき)の7男として江戸小石川の藩邸に生まれる
- 1847年(弘化4)御三卿(ごさんきょう)のひとつ一橋家を継ぐ。
- 将軍継嗣問題で紀州派の徳川慶福(よしとみ:後の家茂)と争って破れ、安政の大獄で隠居謹慎の処分を受ける。。
- 1860年(万延元)桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると謹慎が解かれ、1862年(文久2)将軍後見職となる。
- 1866年(慶応2)将軍家茂の死により15代将軍となる。
- 軍制を洋式に改め、幕府制度も改革して成果をあげるが、幕府の衰退は避けられなかった。
- 1867年10月に大政奉還を行う。
- 1868(明治元)年、戊辰戦争における鳥羽・伏見の戦で敗北したため、上野寛永寺(東京都台東区)で謹慎し、恭順の態度を示す。
- 1869(明治2)年に謹慎が解かれてからは、狩猟・謡曲・写真など趣味の世界に生きる。
- 明治政府が大政奉還を評価する歴史解釈をしたためか、1902(明治35)年に公爵を授けられ、1908(明治41)年には勲一等旭日大綬章を受ける。
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