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景徳院
けいとくいん
曹洞宗 天童山
山梨県甲州市大和町田野(やまとちょうたの)
グーグルアース座標=N35 38 27.11 E138 48 12.44
地図地図
撮影日:2006/12/30 P10,11=10/1/3
写真1:本堂
概要
  • 武田氏、滅亡の地
    • 武田勝頼は、1546年(天文15)に武田信玄の第4子として生まれた。
    • 1573年(天正元)に28歳で、甲斐の国主になる。
    • 勝頼は、1575年(天正3)に織田信長徳川家康の連合軍と戦った長篠の合戦で大敗する。
    • その後建て直しを図るが、1582年(天正10)に、この地で追い詰められる。
    • そして、勝頼(37)は北条夫人(19)、長男の信勝(16)、主従50名とともに自害した。
      • 14歳で嫁いだ夫人は、この時、国に帰るよう命じられたが、運命を共にすることを望んだ。
    • これにより、武田氏は滅亡した。
  • 徳川家康が建立
    • 武田氏滅亡の後、徳川家康が入国し、勝頼、家臣一同を弔うため田野寺を建立した。
    • それが現在の景徳院である。
  • 土屋惣蔵千人切りの碑と日川
    • 景徳院から日川(にっかわ)の上流側約1.6キロ、景徳院から攻め寄る織田軍に対し、勝頼軍の土屋惣蔵が渓谷の藤の蔓をつかみながら、片手で戦ったという場所。
    • 下を流れる川が血で染まり、三日間、色が消えなかったことから「三日血川」(みっかちがわ)と呼ばれ、それが日川になったといわれる。

■詳細地図

写真10

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写真2

写真1

写真11:1914(大正3)年の碑の写真

写真10:土屋惣蔵千人切りの碑

写真5:旗竪松

写真2:姫ヶ淵の碑

(碑の位置は道路の川側)

写真10

■広域地図

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写真10:首洗池

写真9:没頭地蔵

写真8:甲将殿

写真7:勝頼公(手前)と夫人(左端)の生害石

写真6:北条夫人辞世の句の碑

写真4:山門

写真3:総門

■山梨県甲州市景徳院の情報、地図、概要

■記念スタンプ