東京都日の出町の記事 |
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未記入は朝日新聞 |
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2011.09.05 |
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2008.07.09 |
- 熱くヒップホップ
- 日の出町でダンス教室
- 小中学生 定員の3倍超
- 「発表の場」設定
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- 1曲だけ楽しく踊れるようになろう−。
- こんなよびかけで町青少年委員が子ども達を対象にヒップホップダンス教室の参加者を募集したところ、定員の3倍
- 超える63人が応募した。
- 教室は10週連続にもかかわらず、毎回50人は参加する盛況ぶり。
- 町の教室は、青少年の健全育成を目的に、宿泊を伴う体験型学習など毎年複数の事業を展開。
- ヒップホップダンス教室は今年度の新規事業で、専門講師の指導で1時間半の練習をする。
- 応募者のうち58人は女の子。
- 「女子には手軽な野外スポーツが意外と少ない。ダンスはやってみたいけど気軽にはできないのでは」と、町の担当者。
- 予想外の盛り上がりに当初計画になかった「人前で踊る発表の場」を設けることにした。
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2006.09.06 |
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- 日の出の残土、最高で基準値の70倍
- 検出から1年半 行政指導も及ばず
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1995.07.29 |
- 超モダン”町自慢”の庁舎
- 読者が選んだ「多摩の新景」
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- 日の出町役場
- 文化の森 宙に浮いたままの構想 「文化ホール」もご破産
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アサヒタウンズ |
◆高齢者医療費無料 >>戻る |
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2008.12.23 |
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- 「あそこへとんでもないのができただろう。イオンの大モールができたんですよ。これ、棚からぼたもちなんだよ。そりゃ、金が入ってくりゃ何に使うかといったら一番喜ぶことに使うんだからね、町長は。ワンマンか何か知らんけどえらい張り切ったおじさんだけどさ。まあやるでしょうよ、そりゃ。それをもってね、ほかの地方自治体がどうと言ったって、それはうらやみ、そねみの域を出ないんでね」
- 「使いようのない金が入ってきているかもしらないから、それはやっぱり町長は『よし、おれも年寄りだし、年寄りのために役に立つよ』ということでね、天から降ってきたぼたもちをだね、皆に配るっていうのは仕方がないよな、これはやっぱり。町としては貯金したって仕方がない。まあ、うらやましいんなら、みんな日の出町に引っ越して、日の出町を支援したらいいよ」
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2008.12.02 |
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- 日の出町議会は、75歳以上の医療費の窓口負担をゼロにする「日の出町お年寄りにやさしい福祉基本条例」と「日の出町高齢者の医療費の助成に関する条例」を賛成多数で可決した。
- 75歳以上の町民で、生活保護を受けず、町に引き続き3年以上住所をおいているなどが条件。
- 人間ドッグ受診料も全額助成を受けられる。
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2008.11.21 |
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- 10月下旬、都心に住む70代の女性2人が役場を訪れた。
- 「移住したい。詳しい話を聞きたい」
- 町は今や、「お年寄りに日本一有名な町」。
- 町長が、75歳以上の医療費の窓口負担をゼロにすると表明したから。
- 後期高齢者医療制度での1割の窓口負担を町が全額補助する。
- 「よくやった」という激励の電話や全国の自治体からの視察、問い合わせが相次ぐ。
- 「100件を超えてから数えられなくなった」と、職員。
- お年寄りの負担はかつて、全国的に無料になったことがある。
- 70歳以上を対象にした老人医療費無料化。
- 実施初年の1973(昭和48)年は「福祉元年」とはやされたが、病院のサロン化などで老人医療費の総額が2年で2倍、10年で7倍強に膨れ上がり、1983(昭和58)年に打ち切られた。
- 苦い教訓とされているだけに、町の方針が注目を集める。
- 町の75歳以上は約1870人で、必要な予算は推計で年約8500万円。
- 町には大型のゴミ処分場があり、ゴミを持ち込む近隣自治体からの拠出金は年に約11億円。
- 昨秋に誘致した大型商業施設(→イオンモール)から、新たに3億円余の税収も期待できる。
- 「日本を苦労して支えた世代への感謝の気持ちの証し。気軽に受診できて健康が維持できれば医療費は減る」と、町長。
- ただ、町内には「団塊世代が高齢化しても財政は持つのか」との声も。
- 後期高齢者医療制度は都道府県単位の運営。
- 東京都の広域連合は日の出町の方針を静観するが、「受診が増えて全体の保険料率に影響すれば、応分の負担をしてもらうこともある」と担当者。
- 1970年代の無料化は岩手県沢内村(現・和賀町)が口火を切り、全国に広がって国を動かした。
- 日の出町だけの試みにとどまるなら、「見えない負担」の増加はわずか。
- しかし、他の自治体にも広がっていったら・・・。
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2009.01.22 |
- 親子で過ごす、のんきな時間
- 羽生(はぶ)丘陵
- たまの里
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アサヒタウンズ |
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2008.12.11 |
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- 日の出町大久野地区を活性化したい、と「大久野を明るくする会」が、3年前から年末にイルミネーションを行っている。
- 11月末から1月3日まで、秋川街道沿いの街路樹が電飾で飾られ、町を明るく彩る。
- 11月29日には、旧役場跡地で点灯式が行われた。
- つるつる温泉の送迎用だった機関車バスや、建物に付けられた電飾が一斉に点灯されると、見物客から歓声が上がった。
- 今年は女性6人がペットボトルなどでオブジェを制作。
- ペットボトルはイベント終了後にリサイクルできるよう、切断や穴あけ、接着剤を使用しないなどの工夫をこらしている。
- 会やイルミネーションの運営費は、会員がお金を出し合い、企業や市民からの寄付も集めてまかなっている。
- 街路樹の電源は街道沿いの住宅に協力してもらい、家庭用のコンセントから供給。
- 使用分の電気料金は会から住民に支払っているという。
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アサヒタウンズ |
2008.09.17 |
- 手から手へ、伝わる舞と地域愛
- 鳳凰の舞
- ふるさと芸能めぐり
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- 花笠に行灯をつけた万燈(まんどう)先頭に、総勢100人余りが町内を練り歩く。
- 春日神社へ到着すると、始まるのが「鳳凰の舞」。
- 干ばつに苦しんだ農民が雨ごいのために行ったのが起源と言われているが、時期は定かではない。
- 文献が残っていないため、演じたことのある者たちが中心となって口から口へ、手から手へと伝えてきた。
- 「舞に参加することで地域の子どもと大人が知り合い、あいさつを交わすようになって互いに親近感を持って接するようになる。そうして地域愛をはぐくんでほしい」と、鳳凰の舞保存会の会長(68)。
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2007.09.27 |
- みこしや山車も繰り出す
- 鳳凰の舞
- 春日神社・八幡神社
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- 国の重要無形民俗文化財に指定されている。
- 両神社の祭礼は毎年9月29日に近い日曜に行われている。
- 文献がなく、いつ、だれが、どのように伝えたかは定かでない。
- 戦後、住民が「鳳凰の舞保存会」を組織して、本格的に継承活動が始まった。
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アサヒタウンズ |
2007.08.02 |
- 町民がまいた種 1万本が開花
- 「ひまわりまつり」開催
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- 町役場の南側のひまわり園。
- 日の出町観光協会は9年前から「みんなで咲かそうヒマワリの花」をキャッチフレーズに、町の人たちに種まきをしてもらって大きなヒマワリ花壇を作っている。
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2002.04.22 |
- 薄紫のフジたわわ
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2008.11.21 |
- りんご実った 夢かなった
- カラス・蛾・アナグマ・・・被害に負けず25年
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- 庭師の傍ら約25年間リンゴ栽培を続ける飯塚さん(66)=福生市在住=。
- 秋の収穫を迎えると、めったに車も通らない大久野にある畑の前に、週末さけの直売所を構える。
- 戦時中に生まれ、戦後の食料難を経験した。
- 「冬に食べたリンゴの甘さが忘れられない」。
- オートバイのエンジン設計や教育書籍の販売など職を変えたが、リンゴの木に実をならせる夢は持ち続けた。
- 福生に移り住んだ30代のころ、新聞で矮性(わいせい)リンゴの存在を知った。
- 小型のまま木が成熟する性質があり、広い土地もも必要ない。
- ちょうど学習塾を経営していて昼は時間がつくれるため、都内の果樹試験場などに通って栽培法を学んだ。
- 日の出町に耕作地を見つけたのは40歳ごろ。
- つるが生い茂る山の斜面約1500平方メートルを切り開き、長野から買い付けた苗木を5本、10本と植えていった。
- だが、そこからが悪戦苦闘の連続だった。
- 3、4年でようやく実がつくようになるとカラスの大群に襲われた。
- 翌年はタヌキがやってきた。
- 畑の周りをブリキで囲い、木の上にはネットを張った。
- 1989(平成元)年は全滅だった。
- ある夜、畑を見回りにいくと、大きな夜蛾(やが)の大群がリンゴの実の汁を吸っていた。
- 日没とともに現れ、明け方に飛び去る。
- 目の細かいネットに張り替えた
- 次はアナグマ。
- 囲いのブリキを土中深く差し込んでも、その下を掘って侵入してきた。
- わなを仕掛けて捕まえた。
- ハクビシンはネットのわずかなすき間から侵入し、少しずつ荒らしてい。
- 様々な被害を切り抜け、リンゴの木は現在150本になった。
- 20本は1本1万円を出資する「オーナー」がいる。
- 10年前には畑の前に直売所をつくった。
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2008.10.29 |
- 原木栽培、手間の味
- 山崎さんのシイタケ
- 食の安全見直しで人気
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- 山崎さん(34)は、都内では数少ないシイタケ専業農家。
- 原木の栄養分だけでつくるシイタケは、食の安全に敏感な消費者に評判がいい。
- 味もよく、多少、形が不揃いでも売れる。
- 契約栽培なので流通のロスもなく、安い価格で提供できるという。
- 全国的にはおが屑を利用した菌床栽培のシイタケ農家が8割を占める。
- 手間もかからず形の整ったシイタケが早く収穫できるから。
- しかし、大消費地の直近にある都内の場合、農家の8割が原木栽培だという。
- 都椎茸生産組合連合会によると、都内で出荷販売するシイタケ農家は50〜60人だが、毎年1万本以上の原木に菌を植えて生産している原木栽培の専業農家は7、8人しかいないという。
- そのなかで山崎さんは最年少。
- 祖父は約50年前、全国で初めて夏シイタケの栽培に成功した先駆者として知られている。
- ナラやクヌギを使う原木栽培は手間がかかり、収穫まで1年以上かかるものもある。
- 原木の状態を良くするため、収穫と植菌の合間に、山林の風通しのよい木陰で1カ月ほど原木を休ませる作業が必要。
- 1本平均7キロの原木を運び出して整然と並べる。
- 1カ月ほどしてまたハウスへ戻す。
- 1本の原木からは7回収穫でき、2年間使った原木は、ハウスの暖房用の燃料として再利用する。
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2008.10.05 |
- 昆布とハーブで完熟に「隠し味」
- 「日の出トマトのハーブソース」
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- 収穫がすんだビニールハウスに寂しく取り残された完熟トマト。
- 店頭には出せない代物だが、味は抜群。
- 「何とか利用できないだろうか」
- 2000(平成12)年にオープンした町施設「肝要の里」のオリジナル商品。
- パートの羽生さん(67)らが、「もったいない」精神を発揮して開発した手作りソース。
- 都の農業試験場のアドバイスも受けた。
- 現在はJAあきがわ直売所など4カ所で販売する。
- オムレツ、オムライス、肉料理のソースや野菜サラダのドレッシング用に売り出した。
- スープ、パスタ、カレーなどの「隠し味」として買い付ける業者もいる。
- 1瓶でトマト1キロを使う。
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2007.05.24 |
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- 日の出町のNPO法人「花咲き村」。
- 谷津田の米作りはかつて、多摩地域の山あいの原風景だった。
- 後継者難などで農家の人たちが米作りをやめ、次々に田んぼが消えた。
- 田植えの時期が他地域に比べて遅いのは、沢の水に頼った米作りのため。
- 里山の保水力は限りがあるため、毎年、なるべく入梅に近い時期に田植えをする。
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アサヒタウンズ |
■イオンモール日の出 >>戻る |
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2007.11.24 |
- 周辺の40万人ターゲット
- イオンモール日の出オープン
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- 核店舗の総合スーパー「サティ」のほか、シネマコンプレックス(複合映画館)やファッション、飲食などの専門店が156ある。
- 駐車場は約3700台が収容可能。
- 周辺の約40万人をターゲットに、年間約1千万人の来客を見込んでいる。
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2007.11.16 |
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■少女まんが館 >>戻る 公式HP→少女まんが館 |
2007.01.29 |
- 少女漫画の楽園
- 蔵書3万冊の私設図書館
- 愛好家ら寄贈、全国から来訪も
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- 明治時代に建てられたという古い民家の一角を改装した。
- 開館のきっかけは1996年(平成8)に館長(45)と夫の作家(45)、夫の姉(46)の3人の雑談から。
- 2002年(平成14)、ネットなどで知り合った仲間約10人と一緒に図書館設立にこぎ着けた。
- 館長夫妻は2001年(平成13)、世田谷から引っ越した。
- 入場無料、貸し出しはしない。
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■つるつる温泉 >>戻る 公式HP→つるつる温泉 |
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2011.04.15 |
- 日の出町の温泉、横田基地に無料入浴券
- 「トモダチ作戦」疲れ癒して
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- 横田基地は米軍の支援活動「トモダチ作戦」の後方拠点として、米や水、燃料の輸送などの活動を展開している。
- 温泉は基地から車で30〜40分の距離にあり、米軍関係者の利用が多かった。
- 3月下旬、米国から救援のため来日した男性米兵から「10日ぶりの休日で温泉に来た」と聞き、入浴券の配布を決めた。
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2008.10.09 |
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アサヒタウンズ |
■廃棄物広域処分場 >>戻る 公式HP→東京たま広域資源循環組合 |
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2017.06.19 |
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- 埋め立て前の雑木林ではオオムラサキが見られた
- 埋め立て後、2009(平成21)年に職員が処分場内で成虫を確認
- それ以来、組合は「里山を代表するオオムラサキは、処分場の自然再生のシンボル的存在」として保全に努めてきた。
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東京新聞 |
2011.04.29 |
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asahi.com |
2010.11.27 |
- 日の出へ焼却灰、搬入停止
- 多摩川衛生組合 狛江市長、解除要請へ(日の出町に対し)
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- 有害ごみの焼却実験が発覚した後にも、焼却処分していた可能性があることがわかったため。
- 停止に伴って組合(稲城、府中、国立、狛江の4市で構成)には灰があふれているという。
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2008.04.01 |
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- 多摩地区26市町のごみを最終処分する「二ツ塚処分場」をめぐり、建設に反対する住民らが「有害物質が漏れだし、周辺環境が汚染される」などとして都知事らを相手取り、事業認定と土地収用裁決の取り消しを求めた行政訴訟の控訴審判決が東京高裁であった。
- 裁判長は「安全性に問題がないとする都側の主張には一応の合理性がある」などとして一審の東京地裁判決を支持し、原告の控訴を棄却した。
- 判決は、争点の一つだった有害物質の漏出を防ぐ遮水シートについて「シートの損傷が存在しないとは考えがたく、有害汚染物質が全く漏出していないとまで認めることは出来ない」と、原告の主張の一部を認めた。
- しかし、都側が主張した環境影響調査の結果には一応の合理性があると判断。
- 「人体の安全性に影響を及ぼすとは予見できず、自然環境の毀損(きそん)を伴わずして生存できない現実の下では(処分場建設は)受忍せざるを得ない」とした。
- 二ツ塚処分場は「三多摩地域廃棄物広域資源循環組合」(現・東京たま広域資源循環組合)が1998(平成10)年に使用を開始した。
- 反対住民らは1996(平成8)年、都知事の事業認定取り消しを求め提訴。
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2007.03.01 |
- 日の出の森の声を聴こう
- 多摩地域の最終処分場を考える集い
- 「ごみを出さない社会を」と対談やミニコンサート開催
- 武蔵野公会堂(武蔵野市)で。
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- 日の出町の森を削った最初のごみ埋め立て地、谷戸沢処分場が満杯になり、1998年(平成10)に2つ目の二ツ塚処分場が稼働した。
- 三多摩地区30市町村の中で、あきる野市、日の出町、奥多摩町を除く25市1町の可燃ごみの焼却灰と燃えないゴミを埋めている。
- ごみは減量運動などにより減少しつつあるが、1日に10トントラック約80台分になる。
- 谷戸沢の第1処分場が稼働して8年目に、ごみの底に敷いたゴムシートの破損が分かった。
- シートからもれた汚水が地下水を汚染、焼却灰に含まれているダイオキシンなどの有害物質が周辺住民に健康不安を起こしている。
- 昨年、二ツ塚処分場内に焼却灰を主な原料にしたエコセメント工場が稼働。
- 有害化学物質が入ったセメントは安全なのか、と反対する人もいる。
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アサヒタウンズ |
2006.09.14 |
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- 日の出の処分場訴訟判決 全面敗訴 住民、怒り・失望
- 地裁は焼却灰が飛散している可能性は認めたが、危険性はない、とした。
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■日の出山(ひのでやま) >>戻る |
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2010.11.11 |
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- 御岳信仰の御師らによって、御岳山方面から見て日の出の方角にあることから命名され、町名にもなった。
- 日の出町側の里の大久野方面からだと、この山がさえぎり御岳山を望めないので「貧乏山」の俗称がある。
- 頂上では関東平野を一望できる。
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2003.12.18 |
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- 標高902メートルの日の出山山頂は、さえぎるものが何もないため、眺望は抜群。
- 夜景は宝石をちりばめたような多摩の街並みが飛び込んでくる。
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アサヒタウンズ |
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■鹿野大仏(ろくやだいぶつ) >>戻る |
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2018.04.06 |
- 鎌倉より大きい大仏さま 東京・日の出町に出現!新名所になるか?間もなく公開
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J CAST |
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■ロン・ヤス >>戻る →日の出山荘/ロンヤス会談記念碑 |
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2008.06.26 |
- 25年前の「ロン・ヤス会談」の地
- 「青雲堂」や「天心亭」が記念館
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- 25年前の秋、ロナルド・レーガン米大統領と中曽根康弘首相の会談の舞台となった別荘が、「日の出山荘 中曽根康弘・ロナルド・レーガン日米首脳会談記念館」として公開されている。
- 会談は「ロン・ヤス会談」とも呼ばれ、中曽根夫妻とレーガン大統領夫妻が、そろいのちゃんちゃんこでお茶の点前を楽しんだり、庭で首脳同士がほら貝を吹く映像などが、世界に流れた。
- 敷地の中央にある「清雲堂」は、江戸末期の建築というかやぶき農家。
- 中曽根氏が1962(昭和37)年、地域の過疎化を心配していた当時の日の出村長を通じて、屋根の抜けかかていたこの農家を購入。
- 骨組みを残して改造し、庵を開いた。
- 首脳会談が開かれた茶室「天心亭」や、ゲストハウスとして建てられた「書院」がたたずむ。
- ロシアのゴルバチョフ元大統領や、韓国の全斗煥元大統領らも、ここを訪れている。
- 書院には、山荘ですごす元総理の写真や、記念の品を展示。
- 庭には、各国要人が植樹した記念樹もある。
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アサヒタウンズ |
2007.11.11 |
- 「ロン・ヤス会談」の山荘
- 公開記念式典で元首相が裏話披露
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- 中曽根氏や米大使館関係者ら約150人が出席した。(石原東京都知事も出席)
- 山荘は昨年11月、中曽根氏が町に寄贈した。
- 約2万5千平方メートルの敷地には、わらぶき屋根の古民家「青雲堂」や茶室「天心院」、書院などがある。
- 中曽根氏はあいさつで「首相の重圧から解放され精神の回復を図った場所」などと紹介した。
- 大統領に「いつも赤じゅうたんばかり踏むのではなく、日本に来たからにはぜひ土を踏んでみて」と手紙を送ると、ナンシー夫人から「ぜひほのままの姿の山荘に行きたいので、手を加えないで」と要望があったという。
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2007.11.10 |
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- 1983年(昭和58)の会談では、中曽根氏が和食と日本酒で大統領を歓待したり、茶をたてたりして、日米の「蜜月」を演出した。
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2006.11.11 |
- 「ロン・ヤス蜜月」山荘寄付
- 中曽根氏、日の出町に
- 来秋一般公開
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- 元首相は3年前に政界を引退しており、「ひとつの区切りと考えたのかもしれない」と中曽根氏の周辺。
- 1992年(平成4)にはゴルバチョフ旧ソ連大統領も夫妻で足を運んでいる。
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2006.09.21 |
- ロン・ヤス会談の日の出山荘
- 観光拠点に整備、公開へ
- 中曽根氏が寄付
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- わらぶき屋根の木造平屋建て古民家「青雲堂」や、杉皮ぶきの木造平屋建ての茶室「天心亭」など計6棟が建ち、広大な庭園や山林が広がる。
- 元首相が所有する別荘。
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2005.12.16 |
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- 中曽根元首相、日の出で講演
- 日の出町合併50周年、町制施工30周年記念で。
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