- 一里塚
- 江戸日本橋を基点として、36町を1里(約4km)として、1里ごとに道の両側に一里塚を築き、塚の頂上にはエノキなどを植えた
- 慶長9年(1604)(江戸時代初期)に徳川秀忠の命により各街道に築かれ、慶長12年にはほぼ完成した
- 明治以降、次々に消滅し、平出のように原形を留めているのは全国的にも珍しい
- 平出一里塚は日本橋(東京都中央区)の基点から59番目のもの
- 宝暦6年(1756)頃(江戸時代前期)には、この付近に茶屋が2軒あったことがわかっている
- 現在、一里塚の前を東西に通っている道は中山道
- 乳松の伝説
- 天文年間(1532-1555)(戦国時代)、武田信玄と小笠原長時は雌雄を決しようとしていた
- 桔梗ヶ原合戦の時、甲州勢の進路に赤児の泣き声がする
- 武田の軍師、山本勘助は赤児を拾い上げ、敵陣に迫りながらも安全な場所に隠そうとした
- 1本の松の根元にそっとおろした
- 小笠原勢を敗退させた勘助が戻ってみると、赤児は松の葉からしたたり落ちる雫を、母親の乳のように口に含んでいた
- その後50年ほどして一里塚が造られた
- 人々は江戸時代を通じて、この松を乳松と呼び伝えてきた
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