小諸城址
こもろじょうし
懐古園
かいこえん |
長野県小諸市丁(てい) |
グーグルアース座標=N36 19 38.10 E138 25 4.54
(徴古館)=N36 19 38.13 E138 25 11.99
(藤村記念館)=N36 19 37.00 E138 25 3.20
(懐古神社)=N36 19 36.09 E138 25 3.26
(三の門)=N36 19 39.80 E138 25 11.51 |
地図 |
撮影日:2008/8/29 |
写真1:三の門(入り口・重要文化財)
|
概要 |
- 小諸城:
- 懐古園は小諸城があったところ
- 小諸城は、城下町よりも低い「穴城」だという
- 小諸城は千曲川の河岸段丘の上にあり、深い谷あいを利用している
- 「さくら名所100選」、日本の歴史公園100選・日本100名城選定
- 島崎藤村:
- 小諸義塾に教師として赴任し、小諸で7年間過ごした島崎藤村は「千曲川旅情のうた」で”小諸なる 古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・”と詠んだ
- 歴史
- 平安時代から鎌倉時代の頃、現在の懐古園の東側(小諸駅側)の位置に築かれた館が起源
- 戦国時代に築かれた鍋蓋城が小諸城の前身になる
- 1554年(天文(てんぶん)23)(戦国時代後期)に武田信玄の侵攻により、鍋蓋城は武田氏の手中に落ち、以後30年間支配される
- 山本勘助ら重臣が城郭を整備し、これが小諸城の大元になる
- 1590年(天正(てんしょう)18)(安土桃山時代)に豊臣秀吉が天下統一を果たし、功績をあげた仙石秀久の居城となる
- 秀久は城の大改修と城下町の整備を行い、これが現在、城跡として残っているもの
- 徳川の時代になり、1702年(元禄15)(江戸時代中期)、牧野康重が入り、以後明治の版籍奉還までの約170年間、牧野氏10代にわたって居城となる
- 1880年(明治13)に城は払い下げられ、小諸藩の旧士族が本丸の跡に神社を祀り、懐古園と名付けた
- 城跡
- 大手門(国の重要文化財) →大手門公園
- 小諸駅の北側にある、小諸城の正門
- 1612年(慶長17)(江戸時代初期)、小諸藩主の仙石秀久が小諸城を築いた頃の建築
- 三の門(国の重要文化財)
- 懐古園の入り口
- 初代は1615年(元和(げんな)元年)頃に創建されたが、127年後の大洪水により流失した
- 現在の門は1765年(明和2)(江戸時代前期)頃に再建されたもの
- 懐古神社
- 本丸御殿があったところ
- 本丸の西の端に1585年(天正13)(戦国時代)に完成した三層の天守閣があったが、1626年(寛永3)(江戸時代前期)に落雷のため焼失したといわれている
- 三の丸
- 役所などが置かれ、藩政の中心部だったが、1888年(明治21)に鉄道の建設のため取り壊された
- 現在、小諸駅になっている場所
|
- 開園時間:8:30AM-5:00PM
- 休園日:水曜(3月中旬〜11月無休)
- 入園料:
- 共通券(懐古園、徴古館、藤村記念館、郷土博物館、小山敬三美術館、動物園)\500
- 散策券(懐古園・動物園)\300
|
園内施設 |
郷土博物館 |
小山敬三美術館 |
徴古館 |
藤村記念館 |
公式HP |
懐古園 (小諸市HPページ) |