- 神道は神への信仰を中心としているが、教祖や教団、教義を持つ創唱宗教のように確立した体系を持たない。
- また、日本の風土や民俗文化を離れて独自の歴史を持ったことがなく、客観的な認識の対象となりにくい面がある。
- 日本人の習俗や伝統と同一視されることもあり、多くの日本人にとって、神道が宗教として強く意識されることはない。
- ほかの宗教との使い分けの中でなされる、伝統的な生活習慣にもとづく宗教的実践である。
- 日本では、古くから「八百万(やおよろず)の神々」といわれるように、非常に多くの神の名が知られている。
- その意味で神道は多神教であるといえる。
- しかし、特定の祭神が厳密に意識されていない場合がほとんどで、それゆえに祭神名が途中で変更されたり、仏教など外来宗教の神格とも容易に習合された。
- これは、神祇(じんぎ:天地の神々)信仰が自然崇拝とアニミズムから発達し、稲作農耕の中で形づくられた氏神など共同体祭祀(さいし)をもととするものだったから。
- 神も1カ所に定住するのではなく、祭りのときに、常緑樹でつくった神籬(ひもろぎ)や巨大な自然石の磐座(いわくら)に招くものであった。
- 祭りごとに神を呼ぶという伝統は、同じ神をどこにでも勧請できることになった。
- また、「苦しいときの神頼み」というように、必要なときにしか神を意識しないという、現在の日本人にも通じる神観念を形成した。
- これはまた、必ずしも専門の施設や宗教家(神職)を必要とはしない、教義以上に儀礼(作法)を重視する、ほかの宗教との習合や共存が容易である、などという神道のあいまいな性格のもととなった。
- 「神道」という語が、6世紀(古墳時代後期)に大陸から伝来した仏教や儒教に対立する言葉として使用されはじめた。
- また、神をまつる施設である神社がつくられるようになるのも、仏教の荘厳な寺院建築に触発されてのこと。
- 古代の氏族社会では、氏族構成員がそのまま宗教集団となって、氏神や産土神の祭りが行われていたと考えられる。
- これが、7世紀後半(飛鳥時代)からの天皇を中心とする古代国家の形成にともなって、国家の宗教へと再編されていく。
- 明治期以降、天皇制国家を維持するため国家宗教としての国家神道がつくられるが、太平洋戦争の敗戦によって解体される。
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