加藤清正 かとう きよまさ 
  • 1562-1611
  • 同郷の縁で幼少の時から豊臣秀吉に仕えた。
  • 海外出兵のときの武勇のイメージから、後に「虎退治」の逸話が生まれた。
  • 熱心な日蓮宗の信者で、キリスト教信者に弾圧を加えた。
  • 明治神宮(東京都渋谷区)にある清正井(きよまさのいど)が、パワースポットとして、行列ができ整理券が発行されるほど人気となっている。(2009(平成21)年から)
関連HP
熊本城(熊本県熊本市・加藤清正が城主)
加藤神社(熊本城内)
■加藤清正が寄進した石段がある池上本門寺(東京都大田区)

2009/4/5
■「清正公駒つなぎの桜」 松本城(長野県松本市)

2007/4/15
■清正井 明治神宮(東京都渋谷区)

2004/5/7
加藤清正の年表
西暦 日本-年代 加藤清正-出来事
1562 室町時代・戦国期
  • 現在の愛知県名古屋市(尾張国)に生まれる。
1583 安土桃山
  • 天正11 豊臣秀吉に仕え、この年、柴田勝家との「賤ヶ岳の戦」で戦功をあげ、後に「賤ヶ岳七本槍」の一人として称えられる。
1586
  • 主計頭(かずえのかみ)になる。
1588
  • 肥後国の北半分を与えられる。
1592
  • 文禄元年 この年からの「文禄・慶長の役」で現在のソウル及びロシア領まで兵を進めた。
1600 江戸時代
  • 慶長5 「関が原の戦」の功績で肥後の国を与えられ、後に日本三名城の一つの「熊本城」を築く。
1611
  • 慶長16 徳川家康と豊臣秀頼の会見を成功させる。その帰路の途中死去。
2011.06.25

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