歴史 |
畠山重忠 |
はたけやま しげただ |
- 現、埼玉県深谷市である武蔵国畠山荘(しょう)を本拠とした鎌倉時代初期の武将。
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- 1164〜1205
- 1180(治承4)年8月、源頼朝が平氏打倒の兵を挙げると、平氏方について敵対したが、同年10月頼朝に降伏して鎌倉御家人となる。
- その後、源義仲や平氏の追討、1189(文治5)年の奥州藤原氏との合戦などでも活躍する。
- 1205(元久2)年、子の重保が北条時政の後妻、牧方(まきのかた)の娘婿の平賀朝雅(ともまさ)と争って時政に殺されると、重忠にも大軍が送り込まれ、武蔵国二俣川(ふたまたがわ)で激戦の末、討ち死にする。
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- 剛勇廉直の鎌倉武士の典型と伝えられ、「吾妻鏡」にも重忠について数多くの話が載る。
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■「畠山重忠の像」 武蔵御嶽神社(東京都青梅市)
2010/8/24 |
■畠山重忠が建てたといわれる即清寺(東京都青梅市)
2007/3/8 |
2010.08.29 |
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