- 以後、内容の違いはあるが、江戸時代まで続く。
- 平安時代、貴族や武家の棟梁に仕えた武士を家人(けにん)または郎党と呼んだが、鎌倉幕府の成立後、将軍への敬意から将軍の家人を、御の字を加え、御家人と呼ぶようになった。
- 鎌倉幕府体制が固まるにつれ、御家人は武士の身分呼称となり、御家人でない武士は非御家人と呼ばれて恩典の対象から外された。
- 当初は源頼朝の挙兵に応じて結集した東国の武士が中心だったが、鎌倉幕府の支配が全国に及ぶと、西国にも御家人が増えていく。
- その後、貨幣経済の発達と、1274年(文永11)・1281年(弘安4)の2度のモンゴル襲来による戦費の負担のため多くの御家人が没落した。
- さらに庶子の独立化にともなう惣領制の解体で、鎌倉幕府の主要な権力基盤であった御家人制度は崩壊に向かい、幕府滅亡の一因となる。
- 室町時代にも御家人の呼称はみられるが、武家の家柄を示すもので実質は失われた。
- 江戸時代には知行高1万石以下の幕臣のうち、御目見(おめみえ)以上を旗本、以下を御家人と呼ぶ。
- 江戸中期以降、御家人株の売買が盛んとなり、富裕な町人のうち御家人と養子縁組をして幕臣の資格を得るものも現れた。
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