- 413年ごろ(古墳時代中期)、大和朝廷は、当時、朝鮮半島で栄えていた新羅から良医を迎えた。
- これが中国医学が朝鮮を経由して日本に流入した最初の出来事とされている。
- 中国の医学が本格的に導入されるのは、遣唐使が派遣された7世紀(飛鳥時代)以降のことで、日本からの留学生が中国の医学を学んで帰国したり、僧医と呼ばれた鑑真(がんじん)なども中国からやってきた。
- 江戸末期までは、とくに漢方医学という呼称はなかったが、西洋医学が本格的に流入してくると、洋方に対して「漢方」という名称を用いるようになった。
- 明治期、政府は西洋の文物や制度に範をとり、医業を行うものはすべて西洋医学を修めなければならないとした。
- それ以来、日本の漢方医学は衰退の一途をたどり、ごく少数の医師によって受け継がれていった。
- 日本には漢方医という資格はなく、すべて西洋医学を修めた医師が、漢方医学を学び実践している。
- 戦後、感染症の激減、慢性病の増加といった疾病構造の変化とともに、漢方医学が再評価されるようになった。
- 現代中国が古典医学を尊重し、教育を続けた影響も大きい。
- 中国の古典医学の教科書なども流入し、中国に留学する医師や薬剤師も増えた。
- 漢方薬や生薬の科学的研究も進み、今日では保険医療の中にも漢方薬は多数採用され、使われている。
- 個々人の反応の仕方の違いを重視して、その人その人にあった治療を行うのが、漢方医学の最大の特徴。
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