イタリア・人物
ガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei
  • イタリアの物理学者・天文学者。
  • 1564-1642(日本-室町時代後期〜江戸時代前期)
  • ドイツの天文学者ケプラーと共に科学の革命を起こし、その後ニュートンによって開花することになる。
    • 天文関係
      • 望遠鏡を使って、太陽の黒点、月の山と谷、木星の衛星、金星の満ち欠けを発見した。
    • 物理学関係
      • 落下運動の法則、放り投げた物体の軌跡を発見した。
  • 歴史の上では、研究の自由を押さえつける権威に対する抵抗のシンボルになっている。
■ガリレオの気体温度計の再現・・・宇宙・物質・法則:国立科学博物館地球館(東京都台東区)

2011/2/16
■ガリレオが発見した「振り子の等時性」の説明・・・諏訪湖時の科学館「儀象堂」(長野県下諏訪町)

2005/1/23
2011.07.16

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ガリレオ・ガリレイの年表
西暦 日本-年代 ガリレオ・ガリレイ
1564 室町
  • 1564 イタリアのピサに生まれる。
1581 安土桃山
  • 1581 ピサ大学に入学。
1585
  • 1585 学資不足のため退学。
1589
  • 1589 ピサ大学の教授になる。
    • 学生たちに示した落下速度の実験、有名な「ピサの斜塔の実験」は実際は斜面に転がす実験だったという。
1592
  • 1592 ピサ大学をやめ(契約更新されなかった)、パドパ大学の数学教授になる。
1595
  • 1595 コペルニクスの地動説を信じていたが、積極的に支持はしなかった。
1609 江戸
  • 1609 オランダで望遠鏡が発明されたことを知り、倍率32倍の精巧な望遠鏡を製作する。
1610
  • 1610 史上初めて望遠鏡で天体を観測し、月のクレーター、天の川が星の集団であること、木星の衛星を発見し、この年、著書「星からの使者」で発表する。
1613
  • 1613 太陽の黒点について出版し、コペルニクスの地動説の理論が正しいことを主張する。
1614
  • 1614 フィレンツェの司祭がガリレオを指示する人々を非難する。
1616
  • 1616 コペルニクスの問題については、あくまで仮説にとどめ、数学的な目的のためだけに使い、現実のこととして聖書とすり合わせするようなことはしないようにとの警告をイエズス会から受ける。
1624
  • 1624 プトレマイオスとコペルニクスの説を論じる「世界の二大系対話」(天文対話)の執筆を開始する。
1630
  • 1630 出版許可があったにもかかわらず、異端の疑いありとローマから出頭命令を受ける。
1633
  • 1633 生涯投獄を宣告され、すぐに生涯自宅軟禁に軽減される。
1634
  • 1634 「新科学対話」が完成する。
1638
  • 1638 「新科学対話」がオランダのライデンから出版される。
    • 出版前に失明する。
1642
  • 1642 没する。
1965 昭和
  • 1965(昭和40) ピサを訪問したバチカンのパウロ6世は、ガリレオの異端の宣告は教会の誤りであることを明言する。
1992 平成
  • 1992(平成4) 教皇の委員会は有罪判決はバチカンの誤りであることを正式に認めた