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中国・人物
孫文 そんぶん
  • 中国の革命家・政治家・思想家。
  • 1866(日本-幕末)〜1925(大正14)
  • 号は中山(ちゅうざん)
  • 民族主義、 民権主義、民生主義の「三民主義」を唱える。
  • 日本には兵庫県神戸市垂水区に「孫中山記念館」(移情閣)がある。
■孫文の書の文字がある黄花崗七十二烈士陵園(中国・広東省広州市)

2004/9/23
■孫文の碑である中山紀念碑 越秀公園(中国・広東省広州市)

2003/1/11
■孫文の像 中山紀念堂(中国・広東省広州市)
中山紀念堂の孫文像 2003.01.11
2003/1/11
2010.02.10
孫文の年表
西暦 中国-年代 日本-年代 孫文-出来事 日本-出来事 世界-出来事
1866 江戸時代
  • 1866 広東省香山県(現、中山県)の貧しい農家の2男に生まれる。
1876 明治時代
  • 1876 エジソン 電球の発明
1878
  • 1878(明治11) 12歳のとき当時ハワイにいた長兄のもとに居候、ハワイののミッション系ハイスクールで中等教育を受ける。
1888
  • 1888(明治21) 16歳のときに帰国し、広州の博済医院付属医学校、香港の西医書院で医学を修めたが、この間、キリスト教に入信、さらに秘密結社三合会の首領、鄭士良(ていしりょう)ら反清朝の人士と交流し、反清革命を決意するようになる。
1892
  • 1892(明治25) マカオ、広州で医師を開業するが、まもなく革命活動に専心する。
1894
  • 1894(明治27) ハワイで革命組織興中会を組織する。
1895
  • 1895(明治28) 広州で最初の反清武装蜂起(起義)を企てたが失敗、日本に亡命した。
    • 日本に亡命した孫文は、横浜で留日学生、華僑らを組織して興中会分会を設立、日本での活動拠点とした。
1896
  • 1896(明治29) ロンドンに渡ったところで清国大使館に監禁されたが、西医書院時代の恩師らに救出され、奇跡の革命家としてヨーロッパ社会で注目されるようになった。
    • このロンドン時代にヨーロッパ社会の実際にふれ、後の「三民主義」の着想を得たといわれる。
1897
  • 1897(明治30) 再来日して、宮崎滔天、犬養毅らと交流した。
1900
  • 1900(明治33) 日本陸軍から武器援助の密約を得て、広東省恵州で蜂起したが、再び失敗、その後もたびたび蜂起したが、いずれも失敗した。
    • しかし、その社会的影響は大きかった。
1903
  • 12月17日 1903 ライト兄弟、史上初の動力飛行に成功
1904
1905
  • 1905(明治38) 東京で革命諸派が合同して、中国同盟会を結成することになり、孫文は総理に就任、機関誌「民報」創刊号の「発刊の詞」で初めて「三民主義」を明らかにした。
1911
  • 1911(明治44) 辛亥革命(第1革命)勃発当時はアメリカにいたが、急ぎ帰国。
1912 中華民国 →国共内戦 大正時代
  • 1月 1912(明治45) 1月に南京で中華民国臨時政府が樹立されると、臨時大総統となった。
  • 3月 臨時大総統就任約2カ月にして、いわゆる南北妥協により、その地位を「袁世凱」に譲ったが、その後、袁世凱は独裁を強化し革命派への圧力を強めていった。
    • これに対し孫文は反袁世凱の兵をあげるが失敗(第2革命)、ふたたび日本に亡命した。
1914
  • 1914(大正3) 東京で中華革命党を組織、日本の援助を得ようとしたがうまくいかなかった。
    • 袁世凱が死去した後の中国は軍閥混戦の時代に入ったが、孫文は西南軍閥と提携して、広東に軍政府(広東政府)を組織、北洋軍閥系の北京政府に対抗した。
  • 1914 第1次世界大戦、勃発
1918
  • 11月 1918 第1次世界大戦、終結
1919
  • 1919(大正8) 五・四運動が起きると、民衆の存在を再認識し、中華革命党を、公開政党たる中国国民党へと改組し、またロシア革命に注目して中国共産党に接近する。
1923
1924
  • 1月 1924(大正13) 1月には第1次国共合作を成立させ、反軍閥・反帝国主義を掲げた。
  • 9月 1924-9 北方軍閥討伐の兵を挙げた(北伐)。
  • 11月 1924-11 神戸を訪問して、「大アジア主義」を講演し、日本のアジアの一員としての覚醒を説いている。
1925
  • 3月 1925(大正14) 3月、「革命いまだならず」の言葉を残して北京で死去した。