中国 |
租界 |
そかい |
- 第2次世界大戦時までの中国において、外国が様々な特殊権益を行使していた地区。
|
- 外国人の居住と営業を一定の地域に限って許可するもの。
- 最初の租界は、イギリスがアヘン戦争後の南京条約などによって、開港場の一部地域に居住貿易権と家屋建造権を獲得し、上海にイギリス租界を開設したもの。
- 以後、世界の列強がこぞって中国各地でそれぞれの租界を開設した。
- 中国の租界には、1国が管轄する専管租界と複数国が管轄する共同租界とがあった。
- 元来は限定された権限であったが、事実は行政権まで列強に握られ、中国の統治権が及ばない独立地域だった。
- それは中国の半植民地化を意味するものであり、租界は列強による帝国主義的進出の絶好の足場となった。
- 日清戦争後に租界の数は急増し、第1次世界大戦前には、専管租界25、共同租界2を数えるまでになった。
- おもな租界は、上海、天津、漢口(現、湖北省武漢市の一部)、広州、廈門(アモイ)(福建省)など。
- 日本を含む管轄国は、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなど8カ国に及んだ。
- 日本は各地の共同租界のほかに、杭州(浙江省)や蘇州(江蘇省)などには単独で租界を設けた。
- 第1次世界大戦後、中国にナショナリズムが芽生え、その高揚とともに国権回復運動が推し進められた。
- 租界の回収も運動の主目標の一つとされ、諸列強も次第に譲歩するに至って、条約上の手続きは戦後に残したものの、第2次世界大戦中までに事実上すべての租界が返還された。
- 日本は1943(昭和18)年に租界を返還した。
|
-
従来、中国においては租界に対してマイナス評価がなされてきた。
- 列強の中国侵略の拠点としての側面が強調され、またそこで商業活動を行う中国人も、買弁(ばいべん)として蔑(さげす)まれる傾向にあった。
- しかし、昨今の改革開放政策のもとで、租界が中国の工業化、社会文化の多様な変容に対して果たした役割を肯定的に評価する方向性もみられるという。
|
|
2010.03.01 |