ブラジル 日本関連記事 (最終更新:2009.04.28) |
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■日本関連 |
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2009.04.10 |
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- 父親の仕事の都合でブラジルで生まれたが、1歳のときに日本に帰り、何の疑いもなく、日本人として暮らしてきた。
- ところが、サンパウロへの赴任が決まり、東京のブラジル総領事館でビザを申請すると、「あなたはブラジル人だ」と発給を断られた。
- ビザは外国人に出すもので、ビザをもらう資格がないというのだ。
- ブラジルは出生地主義で、生まれたら自動的に国籍が与えられる。
- やむを得ず、ブラジル人としての緑色のパスポートをとって赴任した。
- サンパウロで身分証明書をとろうとしたら、選挙登録が必要だといわれた。
- おまけに、本来18歳でするべき登録が遅れたので罰金を払えという。
- ブラジルでは投票が義務だから。
- 「この間まで日本で暮らしていた日本人だった」と反論したら、「この前に来た先住民と同じことを言う」と担当者。
- 「彼も『ジャングルで暮らしていたから、選挙登録なんて知らなかった』と言い張ったけれど、義務は義務だよ」
- 釈然としない思いで、3.5レアル、160円ほどの罰金を払った。
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2008.07.15 |
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読売新聞 |
2008.09.05 |
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2008.07.15 |
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2008.06.16 |
- 心臓病医NPO 現地で治療指南
- ブラジル移民100周年
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- ブラジル移民100周年の記念行事の一環として、心臓病治療に携わる医師でつくるNPO法人が、サンパウロの病院で患者の体への負担が軽い治療法のシンポジウムを開く。
- ライブ(実演)手術もし、現地の医師100人に治療法を学んでもらう。
- 対象は、狭心症や心筋梗塞などの虚血性心疾患。
- 「ティー・アール・アイ国際ネットワーク」が、動脈硬化などの影響で詰まったり挟まったりした冠動脈に筒状の器具を装着して広げる治療法について、脚の付け根の動脈から細い管(カテーテル)を通して装着する従来の方法よりも止血が比較的簡単な手首の動脈から入れる方法の普及をめざしている。
- 関連HP→NPO TRI International Network
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2007.08.02 |
- ブラジルを拠点に環境都市育成に奔走する中村ひとしさん(62)
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- 「中心街から車を追い出し、バスを優先させるべきだ。まちの主人公は人」。
- 全国各地の自治体やシンクタンクから招かれ、2週間にわたる講演旅行をこなした。
- 会場の一つには、交通手段の7割が車というトヨタ自動車のお膝元、愛知県豊田市も。
- 人口180万人のブラジル・クリチバ市。
- 1992年(平成4)ブラジルであった地球サミットで世界の環境都市ベスト12に選ばれ、一躍有名に。
- その立役者の元環境局長は親しみを込めて「イトシ」と呼ばれる。
- 兵庫県で育ち、大学院で造園を学んだが「企業のロボットになりたくない」と1970年(昭和45)、先輩を頼ってクリチバ市近くの農園で働き始めた。
- しかし農園が倒産し、ポルトガル語の家庭教師から紹介されたのが、学歴を問わない市の現場作業員。
- ゼロからの出発だったが、次第に専門を生かし、公園の設計を手がけるまでに。
- それが市長の目にとまり、環境行政に登用された。
- 「日本の調和の精神がイトシにある」。
- チューブ状のバスのプラットホームを作り、30秒に1台走らせたり、スラムのボスと交渉、ごみと食べ物を交換する仕組みを作り、ごみを一掃させたり。
- 今はコンサルタントとして、首都ブラジリアの改革に挑む。
- 日本の環境行政に「縦割りが壁。そして住民参加がカギだ」と苦言。
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2006.11.19 |
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- 日本でも活動していた21歳のブラジル人モデルが、極端なダイエットによる拒食症がもとで死亡した。
- 地元紙の取材で「日本で働いている時、やせなければという強迫観念に駆られ、薬を飲むようになった」と告白していた。
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2006.08.26 |
- ブラジルで日本酒ブーム
- 「軽くて健康的」
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- 日本酒全体の販売量は前年比10%超の伸び。
- アルコール度数の高いリキュール類などを飲むことが多いブラジル人にとって、日本酒は「健康的で軽めのアルコール」として受けているよう。
- ブラジルではイチゴやパイナップルと日本酒を混ぜて作るカクテル「カイピリーニャデサケ」などが若い女性に人気という。
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2006.05.16 |
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- サンリオのキャラクター「ハローキティ」の人気が、ブラジルで急上昇している。
- もともと日系人社会を通じて広く知られてはいたが、値段が輸入関税で日本の倍もするのが販売の妨げだった。
- 昨年度から現地生産に切り替え、値段も4割下がって、ブームに火がついた。
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2004.05.21 |
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- 日系人の若者の日本語離れが進むブラジルで、日系人以外の若者の間に日本語熱が広がっている。
- 「大好きな日本のアニメや漫画を、翻訳なしで理解したいから」というのが最も多い動機。
- 非日系ブラジル人の日本語と日本文化への関心の高まりの「入り口」として、アニメと漫画が力を発揮している形。
- 日本文化普及団体で日本語授業を受けている、サンパウロ市内の大学で国際商業を学ぶエギマルさん(19)。
- アニメのとりこになったのは、1996年(平成8)に地元テレビで「美少女戦士セーラームーン」が放映されたのがきっかけ。
- アニメを通じて日本のことを知った。
- 目上の人を敬う姿勢、子供を大切にする親、礼儀正しい若者。
- 「お互いを尊重する気持ちが強い社会」とエギマルさんの目には映る。
- ブラジルにはないジャンケンも初めて知った。
- 「仕事で必要さからという人は長続きしないのに、アニメが動機の人は熱心で長く勉強するから不思議です」と日本語教師。
- 「ブラジルでのこれまでの日本語教育は、日系人の子供に日本人らしさを身につけさせるためのものだった。アニメと漫画の力によって、日本語と日本文化がそうした旧来の枠を飛び出して、ブラジル人の中で広がり始めている」とサンパウロ市の住宅街にある日本語の漫画本の販売店「アニマンガ」の経営者、永田さん(58)。
- 漫画本をポルトガル語に翻訳して出版する動きも活発。
- 1980(昭和55)年代前半までサンパウロ州立総合大学で日本を中心に世界の漫画の歴史を教え、「日本の漫画アニメファンの元祖」と呼ばれるソニア・ルイテンさん(現サントス・カトリック大学教授)。
- ブラジルで日本人や日系人だけがアニメや漫画を楽しむ時代は終わった。
- ファンが増えているのは、様々な種類のキャラクターやシリーズが次々と制作されているから。
- そこが何十年もひとつのキャラクターが似たような物語を繰り返す欧米の漫画と違う。
- 絵の繊細さや動きのなめらかさはもちろんだが、単なるハッピーエンドでは終わらない物語展開も読者を引きつけている。
- 「巨人の星」は野球道を描いたが、目標そのものよりそこに到達する過程を大事にする「道」の考え方が示された。
- ほかのたくさんのアニメや漫画に共通する点で、それがブラジルでも共感を呼んでいる。
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2008.10.18 |
- 鉄鉱石確保へ危機感
- ブラジル鉱山出資発表
- 日韓企業連合
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2008.10.17 |
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2008.10.03 |
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2008.08.31 |
- ブラジルで加工
- 鉄鉱石
- 神戸製鋼所 安定調達狙い検討
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2008.07.23 |
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2008.07.12 |
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2008.07.10 |
- 鉄鋼、ブラジルで増産
- 新日鉄・JFE
- CO2削減義務なし
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2008.07.03 |
- 日本向けバイオ燃料工場
- ブラジルで来年稼働
- 三井物産契約
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2008.06.20 |
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2008.05.09 |
- 炎々 対ブラジル営業
- 新幹線・地デジ 日本側 技術売り資源を
- ブラジル側 見返り投資期待
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- BRICsと呼ばれる新興工業国のひとつ、ブラジルに日本の新しい技術を売り込む企業の動きを日本政府が後押ししている。
- ブラジル政府はいま、全長500キロになるリオデジャネイロ−サンパウロ−カンピーナス間に高速鉄道の導入を検討。
- 売り込みは欧米企業が先行している。
- シーメンス(ドイツ)、アルストム(フランス)、現代ロテム(韓国)などがすでに具体的計画を提示。
- 3社はmブラジル国内の鉄道や地下鉄への車両納入の実績もある。
- 出遅れ気味の日本は、台湾に新幹線を導入した時と同様、三井物産を中心に車両メーカーなどで日本企業連合を組んで「事業権入札」に臨む。
- セールスポイントは、「開通以来、乗客死亡事故ゼロ」の実績や運行、補修技術。
- 来日したジルマ・ロウセフ官房長官(女性)に福田首相も会談し、「新幹線技術がブラジルに導入されれば、両国関係発展のシンボルになる」とアピールした。
- ブラジルは、地上デジタルテレビで日本規格を採用。
- 昨年12月に商業放送を始めた。
- 日本規格が外国で採用されたのは初めて。
- 「日本ブラジル方式」として南米のほかの国でも巻き返しを図りたい考え。
- 一方、ブラジル政府が日本規格の採用を決めたのは、日本企業による半導体工場建設など、大きな投資を見返りに見込んだ面も大きい。
- だが、1970年代(昭和45)以降のブラジル経済の混乱で、参入に二の足を踏む日本企業は多い。
- 「両国の経済関係の結びつきの復活は遅れている。日本はブラジル経済をまだ信頼していない」と有力紙の一つは批判する。
- 日本側の「売り込み」には、石油や鉱物資源、食糧価格が高騰するなか、エネルギー安全保障の観点からも資源大国ブラジルと関係を強化したいとの思惑も。
- ブラジルはバイオ燃料先進国だが、2006年(平成18)から石油の自給を達成、輸出もしている。
- カンポス沖にあるバラクーダ油田は国際協力銀行が融資。
- 国営石油会社ペトロブラスが約800メートルの海底で原油を掘削。
- ブラジルでは、原油増産に精製能力が追いついていないのが一つの課題と見られている。
- 国際石油資本(メジャー)に対抗するためにも、日本企業と連携して精製能力を強化したいはずだと日本側はみる。
- 一方、ペトロブラス側の狙いはバイオ燃料のエタノールを混ぜたガソリンの輸出拡大。
- エタノール10%の直接混入を採用する国が増えているが、日本では石油業界の強い反対から、3%でも本格採用のめどがたっていない。
- 「ベネズエラなどの産油国を抱える中南米に(日本の業界が)進出するためのパートナーとしてもブラジルと協力していきたい」と外務省幹部は期待をにじますが、双方の思惑にはずれも目立っている。
- 関連HP→PETROBRAS
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2008.04.21 |
- ブラジル好況 商社「収穫期」
- 移民100年 築いた基盤で新事業
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- ブラジルは1次産品価格の上昇を追い風に経済が絶好調。
- ブラジルと長くつきあってきた日本企業も、待ちに待った「収穫期」を迎えている。
- 三井物産
- ブラジル第1の都市、サンパウロ。
- 経済発展に沸く市街は大規模な交通渋滞で、地下鉄が市民の「足」となっている。
- 2009年度(平成21)に開通する新路線の運営会社には日本の三井物産が1割を出資し、経営にも参画する。
- この地下鉄事業は32年間の長期契約。
- 鉄道車両の納入などで実績のある三井物産も、地下鉄の運営にかかわるのは初めて。
- サンパウロで得た運営ノウハウを、世界で事業化したい狙いがある。
- 三井物産のブラジルでの投融資額は拡大し、新興国向けでは中国やロシアを抑え、最大の額。
- 「移民の方々が築き上げた伝統によって、ブラジルには日本人がビジネスをする上での差別などがまったくない」と積極投資を担ったブラジル三井物産の前社長。
- 三井物産がブラジルに進出してから半世紀以上が過ぎた。
- 150万人の移民が暮らすブラジルは、全く新しい事業の成否を試す「実験場」となっている。
- 例えば、商社が販売の窓口となる例が少なかった家電市場。
- 三井物産の子会社「MPE」は、シャープ製品の現地への売り込みが主要な事業。
- ブラジルでは薄型テレビ市場が急成長。
- ただ、市場ではサムスン電子やLG電子といった韓国勢が先行する。
- 「ブラジルは複雑な税制や手続きの煩雑さなど、特有の『ブラジル・コスト』がある。そうした制度に通じた商社の力が生かせる」と、MPE社長は窓口役の意義を説明する。
- 石油基地に巨額投資
- 「気は確かか」、1990年(平成2)、ブラジルの国営石油会社ペトロブラスの石油基地建設に、260億円もの融資を決めた旧日商岩井(現・双日)の決断は、業界を驚かせた。
- 当時のブラジルは年間のインフレ率が1千%を超え、対外債務も外貨準備の約20倍に膨れ上がっていた。
- 金融機関はどこもブラジルへの融資を拒んでいた。
- ところが状況は一変。
- 原油価格の高騰と巨大油田の相次ぐ発見に沸くペトロブラスには、「融資したい」という金融機関が列をなす。
- 1990年代(平成2)には進出に慎重だった日本メーカーも、相次いで巨額投資に乗り出した。
- ブラジルには日系企業約300社が進出。
- 2007年(平成19)の調査では、71%が黒字を達成していた。
- 「日本企業のブラジルを見る目が完全に変わった。1千億円単位の投資が決断できる状況になっている」とジェトロの中南米課長代理。
- 移民が育てた「信頼」生かせ
- ブラジル出張で宿泊したホテルの朝食に、当然のように乳酸菌飲料「ヤクルト」が並んでいた。
- うまみ調味料「味の素」もごく普通に販売されている。
- いずれも、ブラジル市場への浸透が成果を結んでいる例として知られている。
- ただし、成長市場は競争も激しい。
- 日本の「お家芸」の自動車や家電では、欧米や韓国勢の後塵を排している。
- ブラジルの貿易額全体に占める日本のシェアも低下傾向。
- 日系移民が育ててきた「信頼」という土壌を生かす事業展開が企業に求められる。
- 関連HP→
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2008.04.05 |
- <GDP>ブラジル、50年までに日本を抜く…監査法人予想
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- 2050年までに日本経済はブラジルに抜かれる−−。
- 監査法人の英米プライスウォーターハウスクーパースが公表した50年の世界の実質国内総生産(GDP)予想で、新興国の躍進と日本の後退が鮮明となった。
- 経済成長率が高い中国、インド、ブラジル、ロシア、メキシコ、インドネシア、トルコの7カ国(E7)を中心に分析。
- E7諸国全体のGDPは2007年(平成19)、米国の約6割に過ぎないが、2050年には米国の3倍超に達する。筆頭の中国は2025年(平成37)頃に米国を追い抜き、2050年には米国の1.3倍となる。
- 日本は現在、米国GDPの32%を占め、世界2位。
- しかし、2050年には世界最大の中国に次いで、インドが米国の約9割に迫り、ブラジルが同26%となる。
- 日本は19%で5位にとどまる。
- ロシア、メキシコ、インドネシアもそれぞれ17%と日本逆転が視野に入る。
- E7諸国には膨大な中産階級が形成される一方で、中国がハイテク国家に脱皮する見通し。
- GDPの伸び率では、E7諸国が年6.4%増のハイペースとなる一方で、日米など主要7カ国は同2%増にとどまる。
- 伸び率が最も高いのはベトナムで、年約10%と予想している。
- 関連HP→PricewaterhouseCoopers
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2008.03.28 |
- バイオ燃料の最大輸出国
- ブラジルでの生産 本腰
- 日本商社、農場から確保
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- 石油の代替燃料として期待されるバイオ燃料分野で、世界最大の輸出国・ブラジルへの総合商社の進出が本格化してきた。
- 将来の日本向け輸出もにらみ、各社が生産事業への投資を急ぐ。
- 原料となるサトウキビなどの確保のため農場にも出資して、「育てる資源」事業となるのが特徴。
- ブラジルでのバイオエタノール生産にいち早く進出したのが双日。
- 2007年(平成19)に現地大手・オーデブレヒトの関連会社へ出資して農場と工場を取得。
- 主にブラジル国内へ供給する。
- 三井物産はブラジル国営石油会社のペトロブラスとバイオエタノール生産事業に向けた投資会社を折半出資で設立する。
- 日本向け輸出を見込む。
- サトウキビの調達について、ペトロブラスは「食料生産と競合しないよう新たな農地を開墾する」とする。
- ブラジルは、ガソリンだけでなくエタノールでも走るフレックスエンジンを採用した自動車が新車販売の約8割を占める「エタノール先進国」。
- 2006年(平成18)の生産量は世界で唯一、潤沢な輸出余力があるとされる。
- サトウキビ耕作面積はさらに拡大する見通しだが、大豆やトウモロコシなど価格高騰が続く他の作物との競合も予想される。
- 商社各社は農場にも出資することで、原料の安定確保を狙う。
- ブラジルが世界生産量2位の大豆を原料に用いるバイオディーゼルも有望分野。
- 丸紅は2007年(平成19)、現地の大手穀物商社の共同事業に出資、生産工場を完成させた。
- 関連HP→
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2008.03.11 |
- 高速鉄道 三井物産応札方針
- 「日本連合」の幹事社に
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- 国土交通省やJR各社、車両メーカーなどと日本企業連合の組成を図り、台湾新幹線に続く日本の「お家芸」の輸出を目指す。
- 高速鉄道は第2の都市のリオデジャネイロから最大都市で経済の中心地サンパウロを経て工業都市カンピーナスまでの約500キロを、時速250〜300キロで結ぶ計画。
- サンパウロ・リオデジャネイロ間の旅客輸送は現在、主に航空機で担われている。
- 事業者の入札にはイタリア、ドイツ、フランス、韓国などが関心を寄せている。
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2008.02.23 |
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元新日鉄副社長で北九州市立大学理事長の阿南さん(75)が、日本から海外への技術協力の先駆けとされるブラジルの製鉄所建設を回顧した『鉄の絆 ウジミナスにかけた青春』を出版した。
- 「当時の気概と挑戦の意欲を、若い世代に伝えたかった」
- 1956年(昭和31)に新日鉄の前身である八幡製鉄に入社。
- 1961年(昭和36)から3年間ブラジルに派遣され、後に南米屈指の鉄鋼会社となるウジミナスの建設に携わった。
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2008.02.10 |
- 「だいち」アマゾンを守れ
- 日本の衛星に期待
- 夜間・雨期も違法伐採監視
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- アマゾンの熱帯雨林で横行する違法伐採の監視に、日本の地球観測衛星「だいち」が一役買う。
- 夜でも曇りでも地上を観測できる能力にブラジル政府が期待を寄せ、支援を要請した。
- アマゾンの熱帯雨林は、もとは約500万平方キロあったのが、この30年で約66万平方キロ失われた。
- 過半が違法伐採によると考えられている。
- ブラジル政府は違法伐採の摘発に力を入れ、2003年(平成15)からは早期発見のため各国衛星による地上の写真を活用。
- 一定の成果を上げてきたが、2007年(平成19)になって再び伐採が急増。
- 通常の衛星は晴天の日中しか地上を撮影できず、雨期の10月から4月を狙う違法伐採者も増えてきた。
- これに対し、2006年(平成18)に打ち上げられた「だいち」は電波を地表に向けて発射し反射波で地上の様子をとらえるセンサーを備える。
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2007.12.31 |
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- 日本政府は、ブラジルが検討を始めた高速鉄道整備計画(全長約500キロ・メートル)について、日本方式の新幹線導入を働きかける方針を固めた。
- 実現すれば台湾新幹線に続くもの。
- 計画の中心であるリオ―サンパウロ間は山が多いため、高度なトンネル技術を持つ日本への期待が高まっているという。
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読売新聞 |
2006.06.23 |
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- 地上デジタル放送の規格選定をめぐり、ブラジル政府は日本方式の採用を決めた
- 。日本方式が海外で導入されるのは初めてで、デジタル放送で世界基準の一角を占める。
- 日本の電機メーカーにとっては新たな市場開拓につながる。
- 他の南米諸国が追随する可能性がある。
- 欧州方式は欧州各国のほかマレーシアやシンガポールが導入を決定。
- ブラジルでは日本と欧州が規格獲得に向けて争ったが、携帯電話向けの放送ができる日本方式が技術面で欧州方式を一歩リードしていたことが選定の決め手となったよう。
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時事通信 |
◇移民・日系人 >>戻る |
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2009.04.16 |
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2008.11.22 |
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2008.11.16 |
- 地域文化超え世界へ
- オキナワン
- 変わる日系文化
- ハワイ・ブラジル
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2008.11.14 |
- 出稼ぎ求人 消えた
- 「日本からは誰も送るなと・・・」 派遣会社
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2008.11.13 |
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2008.10.18 |
- 移民100年のブラジルを訪ねて
- 97歳・私の証あるがまゝ行く
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2008.10.03 |
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2008.09.27 |
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2008.09.07 |
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2008.07.30 |
- 「ヤワラちゃんと同じ畳」に
- 日系3世 夢かなう
- 柔道ブラジル五輪代表
- 日本に滞在歴8年
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2008.07.27 |
- アマゾンの森 育む「農」
- 移民80年 日系人苦難の結晶
- 「混植」がコツ 課題は後継者
- アグロフォレストリー
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2008.07.26 |
- 短詩に見る一世の郷愁
- 日本人ブラジル移民100周年
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2008.07.26 |
- 「ちいちゃん」日系人の心開く
- 主婦2人、ブラジルで紙芝居
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2008.07.04 |
- 共生掲げた移住地の歴史
- 移民100年に思う
- 受け継がれる信濃人の理想
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信濃毎日新聞 |
2008.06.24 |
- ブラジル移民100周年 固い絆を次代の相互発展へ
- 広告
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2008.06.23 |
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信濃毎日新聞 |
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2008.06.21 |
- 日系150万人 ブラジル支え
- 「国造り助けた」賛辞
- 移民100年
- 在日30万人「施策不足」
- 中国の貿易伸びて 存在感薄まる日本
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2008.06.20 |
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2008.06.19 |
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- ブラジル移民にささげる歌
- 横浜の歌手 100周年式典で
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2008.06.18 |
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2008.06.18 |
- 「祖国忘れず 家族守った」
- 諏訪からブラジル移住 亡父への思い
- サンパウロの長女が手記 100年前の渡航 「冒険」
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信濃毎日新聞 |
2008.06.17 |
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2008.06.16 |
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2008.06.13 |
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- 日本人のブラジル移民100周年を祝って、多くの移民が最初に到着したサントス港から日系人が多く暮らすサンパウロまで約70キロを4日かけて歩く「移民100年の道ウオーク」(日本ウオーキング協会など主催)がスタートした。
- 日本からの参加者33人を含む約250人が港に隣接した市観光局(旧鉄道駅)前から出発した。
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2008.06.10 |
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信濃毎日新聞 |
2008.06.06 |
- 第1回ブラジル移民の足取りを調べる 赤嶺園子さん(67)
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- 1908年(明治41)、ブラジルに到着した日本からの初の移民船、笠戸丸。
- 契約移民781人のうち、4割を占めたのは自分と同じ沖縄県出身者だった。
- ブラジル全土に散ったその子孫を訪ね歩き、丹念に足取りを追う旅を続けている。
- 沖縄戦で住民の半数が犠牲になった西原町の生まれ。
- 戦後、16歳で家族と南米に移住し、長く日本語教師を務めた。
- 還暦を前に「自ら見聞きした移民社会の実情をまとめたい」と思い立ち、琉球大学大学院に入学。
- 笠戸丸の乗船者名簿を見ていて、正確な名前すら把握されていない人が多くいることに気がついた。
- 「私たちの暮らしの礎を築いてきれた人たちなのに」。
- 自費を投じ、琉球大学の移民研究センター研究員として調査を始めた。
- 移民後まもなく亡くなった人については資料がほとんどないため、墓地をめぐり、墓碑銘から死亡年月日を確認する。
- マラリアや風土病などのほか、港や線路建設の現場でも多くの人が若くして命を落としていた。
- 調査には沖縄方言が欠かせない。
- 無口なおばあさんでも、「子わや何人うぃーびたが?」(お子さんは何人でしたか)と話しかけると顔がほころび、口を開いてくれる。
- 人生の大半を入植地で送った人には、今も故郷の言葉が唯一のよすがなのだ。
- 訪ねた先で、笠戸丸移民の子孫であることを初めて知る人もいる。
- 「誰にも弔われずに眠る人々を供養し、生きた証を残したい」
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2008.05.16 |
- ブラジル移民 苦難の100年
- 不況・・・「新天地」求めて
- 続々と入植 長野県内からも
- 経済成長の日本に「帰国」
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信濃毎日新聞 |
2008.05.03 |
- 日系人として初の空軍総司令官になった サイトウ・ジュンイチさん(65)
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- 父は75年前にブラジルに渡った。
- 「戦後すぐは父も大変だったようだが、私自身は日系人だから苦労したということはなかった」
- 少年時代のある日、家に遊びに来た姉の友人が着ていた空軍の制服に魅了された。
- 話を聞いて「自分でもパイロットになれる」と希望がわいた。
- 1960年(昭和35)に空軍に入隊。
- フランスのミラージュやアメリカのF5といった戦闘機パイロットとして大空を飛び回った。
- 「二つの祖国」は戦後、周辺国との本格的な軍事紛争がないという共通点を持つ。
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2008.05.02 |
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- 新天地を夢見て海を渡った人たちには、日本で思い描いた生活とはほど遠い現実が待っていた。
- コーヒー農園での過酷な労働、マラリアとの闘い・・・。
- 日系3世の映画監督、山崎チズカさんは、そんな移民1世の姿を映画「GAIJIN」で描いた。
- 日露戦争後の長引く不況で日本には失業者があふれ、一方、ブラジルでは奴隷解放によって労働力が不足していた。
- 移民の始まった背景には、そうした両国の抱える事情があった。
- その流れが逆になって、日本への出稼ぎが急増したのは、1990年(平成2)の出入国管理法改正がきっかけ。
- 経済界の求めで、日系人の2、3世に就労制限のない在留資格が認められたから。
- 山崎監督は1990年代末に日本を訪れ、映画の続編を撮った。
- 「いわば国策による受け入れなのに、『ガイジン』と受け止められるのはなぜか」。
- そんな思いから、日系人の生活をとらえ、学校になじめずに不登校になる4世の姿も描いた。
- 労働人口が減少するなかで、日系人への対応は、外国からの移民を受け入れるための試金石である。
- ブラジル移民が成功したのは、文化や習慣の異なる日系人をブラジル社会が受け入れてくれたからこそだ。
- その父祖の地で、日系人が地域社会に溶け込んで、安心して子どもを育てられるよう支えていきたい。
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2008.04.21 |
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- 50を超える国々からの移住者が溶け合い、新たな文化を生み出す移民国家ブラジル。
- ブラジル最大の祭典、リオデジャネイロのカーニバル。
- 9万人が詰めかけたパレード会場に、日本人移民をたたえるポルトガル語の歌が響いた。
- <偉大な旅 思いをかばんに詰め 希望が海を渡る>
- 巨大な船の山車とともに、はっぴ風の衣装を着た日本人、日系人約200人が姿を現すと、場内に大きな拍手と歓声が広がった。
- 船のへさきには「KASATOMARU」と刻まれていた。
- 笠戸丸、最初のブラジル移民船。
- 契約移民781人を乗せて1908年(明治41)4月28日に神戸港を出航し、52日目にサントス港にたどり着いた。
- 「私が歩んだのは、ブラジルに暮らす人なら誰もが通って来た道だ」と、100周年記念協会会長を務める那覇市出身の上原サンパウロ大学名誉教授(80)。
- 9歳の時、叔父夫婦に連れられてサンパウロ州内陸部の農村に渡った。
- 沖縄に残った父と妹は、アメリカ軍との地上戦で亡くなった。
- 学校では言葉がわからなかったが、ブラジルの教師たちは分け隔てなく熱心に教えてくれた。
- 帰宅後は、畑で鍬(くわ)を引き、手はまめだらけになった。
- 最難関のサンパウロ大学に学び、水利工学の専門家になった。
- イタイプーダムなど、ブラジルの電力を支える多くの水力発電所の設計に携わった。
- 日本人移民100周年の開幕式典で、上原さんは生い立ちをとつとつと語った。
- ルラ大統領はその言葉にじっと耳を傾けていた。
- あいさつが終わると、大統領は立ち上がって上原さんをぎゅっと抱きしめた。
- その目は潤んでいた。
- 大統領は東部の貧しい家庭で生まれ、家族でサントスに移り住んだ。
- 日本からの移民船が入っていた港町。
- 少年のころ初めて働いた仕事場は、日系人が営む洗濯店だった。
- 勤勉であることの大切さを教えられたという。
- 日本人移民の歩んだ道は平坦ではなかった。
- コーヒー農園での労働は、奴隷代わりの劣悪な環境だった。
- アマゾンへの移民は多くがマラリアなどの風土病で命を落とした。
- つらい日々でも、とりわけ熱心だったのが子どもたちへの教育だった。
- いま日系人の人口は1%にも満たないが、サンパウロ大学学生の15%を占める。
- ブラジルの主力産品である大豆もサトウキビも、主要品種は日系人技術者が品種改良で生み出した。
- 定員513人の連邦下院で日系の議員は4人。
- 空軍総司令官は日系2世のジュンイチ・サイトウ大将(65)。
- エアバス、ボーイングに続く、世界有数の航空機生産大手に躍進した「エンブラエル」のカズノリ・マツオ副社長(55)も、2世。
- エンブラエルは昨年、日本航空と契約を結んだ。
- 「日本は父母の祖国であり、世界で最も品質に厳しい市場。我々の技術力が認められた意味は、とても大きい」
- 関連HP→EMBRAER
- 「飛び抜けた資産家も政治家もいない。だがその技術力と誠実さで、日系人はブラジルに確固たる地位を築いた」と二宮サンパウロ大学教授(59)。
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2008.03.08 |
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- 「ブラジルでは勤勉でまじめと評価される日系人が、日本に行くと犯罪者や単純労働者というイメージで語られる。なぜなのか」
- 早稲田大学で中国人コミュニティーを研究するゼミを受け持つ国際教養学部教授の楊さん(54)。
- 日本人のブラジル移民100周年の機会に日系社会と華僑を比較したいと、学生10人とサンパウロの東洋人街を訪れた。
- 日本や中国からの移民や2世、3世にインタビューし、子どもの教育や不安定な雇用など、移民は誰も当初は同じ問題を抱えると感じた。
- 「移住者の民族性より、受け入れ国が他民族で寛容か、単一的な文化かの方が、移民のイメージに影響を与えると思います」
- 北京出身、28年前に来日し、妻は日本人。
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2008.02.24 |
- 「百年の実験」見続けたい
- 変わりゆく日系社会を取材
- 日本遠望
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信濃毎日新聞 |
2008.02.20 |
- アマゾン熱帯雨林の違法伐採と闘う日系2世研究者 ヨシオ・シマブクロさん(57)
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- 増加の一途だったアマゾン熱帯雨林伐採が2005年(平成17)に減少に転じた。
- 人工衛星を使った違法伐採の摘発に、世界に先駆けてブラジル政府が力を入れ出したから。
- その衛星監視システムを、ブラジル国立宇宙研究所の研究員として構築した。
- 衛星写真をコンピューター処理して伐採地を特定する方法を開発。
- だが、今のシステムでは、雨雲があると変化がわからない。
- 雨雲を「透視」できるのは日本の衛星「だいち」だけ。
- 国際協力機構の招きで初来日。
- 「年間で東京都の6倍の面積の森林が消える。アマゾンを守るには、雨期でも監視できる『だいち』の力が必要」と協力を訴えた。
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2008.02.01 |
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- 日本人のブラジル移住100周年を祝う交流年のブラジル側キャラクターの名前が決まった。
- 文化の異なるブラジルに渡って成功を収めた移住者をつなぐ力をあらわすという。
- 「固有名詞でなく、日本語の言葉で、移民の特性を表すものを探した」という。
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2008.01.19 |
- 移民100年でキャラクター
- 漫画家デソウザさん披露
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- 日本人のブラジル移住100周年を祝う交流年の開幕式典が、首都ブラジリアの外務省で開かれた。
- ブラジルで最も親しまれている漫画家のマウリシオ・デソウザさん(27)が、交流年を記念した漫画のキャラクターをルラ大統領に披露した。
- はっぴ姿で、黒い髪をつんつん立て、耳にはピアス。
- 日系3世の少年という設定。
- 「日系の今どきの若者をイメージした」という。
- デソウザさんの妻は日系2世。
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2008.01.18 |
- 移民100年で記念落語
- ブラジルの日系人へ11公演
- 地方の1世に伝えたい
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- 落語家の春風亭栄枝(えいし)さん(69)がブラジル各地で日系人に向けた落語会を計画している。
- 1995年(平成7)に続いて2回目。
- 「落語大使」の異名を持つ栄枝さんは、これまでに約10カ国で日系人を前に高座に上がってきた。
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2008.01.14 |
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- 1908年(明治41)に移民が始まり、約26万人が日本からブラジルへ移住した。
- 100年の重みは
- 「いまブラジルには150万人の日系人が住み、6世まで誕生したそうです。ブラジルで日本を悪く言う人はいません。日系人のおかげです。まじめに働くし、特に農業への貢献が大きい。コーヒー栽培から始めて野菜、果物や養鶏、花の栽培など幅広く手がけています」
- 「大金持ちはあまりいないけど、医師、大学教授、裁判官などあらゆる分野に進出しています。国会議員、大臣、市長も出ました。当初から子どもの教育に力を入れたからです。粗末な家に住みながら、日本語の学校を作りました。数年後には日本に変えるつもりだったから、子どもが無学だと恥ずかしいと思ったのです。サンパウロ大学の学生の約15%、教員の約8%が日系人といわれます。」
- なぜ移民が始まった
- 「日露戦争後、市場確保などで海外に出ようとの国策からです。アメリカやペルーなどにはすでに行っていました。一方、ブラジルのコーヒー農園主は奴隷代わりの安い労働力を求めていました。『3年働けば、故郷に錦が飾れる』といわれてやって来た日本人は、コーヒーの不作ときつい労働、労務管理に我慢できず、逃げ出す人も少なくありませんでした」
- 「それが20年もたつと原生林を買って農場を開く人もでてきました。しかし、集団をつくる日本人への反発もあって移民数を制限する法が制定され、太平洋戦争が始まると国交は断絶。このころ味わった棄民意識は今も残っています」
- 二宮さんにとってはどんな国
- 「私は1953年(昭和28)、5歳のときに両親とブラジルに来ました。ポルトガル語はわからなかったけど、小学校でいじめられた記憶もなく、先生は一生懸命、教えてくれた。人種のるつぼだからでしょうか。すぐにとけ込めました。」
- 日本が豊かになった1970年代(昭和45)以降、移民は減り、1980年代(昭和55)半ば、ブラジルからの出稼ぎが始まります。
- 「ブラジルが超インフレで暮らしにくく、逆に日本はバブルで、3Kといわれる製造業が人手不足でした。入管法改正で日系人の定住者資格が認められて、急増しました。現在、日本の日系ブラジル人は約31万人。日本からの移民の数を超えました。給料が最初の話と違う、スーパーに入ると変な目でみられるなどの差別があったので、私たちサンパウロの日系人が国外就労者情報援護センターをつくり、出稼ぎに行く人に情報を提供しました。4、5年で帰る人もいますが、3分の1は日本に永住するのではありませんか」
- いま、取り組んでいることは
- 「深刻なのは年金、健康保険などの無加入です。企業、日系人ともお金がかかると加入をいやがる。でも将来、無年金の高齢者になると日本にとっても負担でしょう。永住者のため、私たちは両国政府に制度の整備を要望しています」
- 「さらに子どもの教育が大問題です。学校でいじめられ、不就学になることがある。将来を考えず、勉強するより、早く働いてバイクを買いたいと言う子もいます。とにかく学校に行かせなければ。外国人にも日本人同様、義務教育を実施してほしい。ブラジル政府はブラジル人学校に教科書を贈っています。サンパウロ州は教師派遣を計画していますが、受け入れ先がないといいます。両国の協力が必要です」
- 今後、日本とブラジルはどうつきあえばいいのでしょう
- 「ブラジルは土地が日本の約23倍え、人口は1億8千万人。資源も豊富です。さらに発展する国で、国際的な発言力も増しています。日本への輸出は鉄鉱石やコーヒーなど1次産品だけでなく、コンピューターソフト、航空機など工業製品に移りつつあります」
- 「日本のブラジル人の本国への送金は年20億〜25億ドルといいます。日本で働きブラジルに戻ったのは十数万人になるとされ、ブラジルに進出した日系企業に雇用される人もいます。それぞれ数十億ドル規模の輸出入や人と、両国は相互に補完する関係にある。それをさらに深めていくことです。」
- ブラジルと日本の移民年表
- 1908年(明治41) 初の日本人移民約800人は乗る笠戸丸が4月、神戸を出航、6月、ブラジル到着。
- 1934年(昭和9) ブラジルが移民の入国数を制限
- 1942年(昭和17) ブラジルが日本と国交断絶。日系人約19万人は集会の禁止、サンパウロ中心部からの立ち退きなどを命じられる。
- 1941年(昭和16) (日本、真珠湾攻撃により第二次世界大戦参戦)
- 1945年(昭和20) 6月にブラジルが日本に宣戦布告。8月終戦。
- 1952年(昭和27) 日本からの移民再開
- 1980年代(昭和55) 半ば頃から日系人が日本へ出稼ぎに
- 1990年(平成2) 日本の出入国管理法改正により、日系人の就労制限がなくなる
- 1994年(平成6) 国がかかわるブラジル移民終了
- 2008年(平成20) 日本ブラジル交流年
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2007.06.27 |
- 胸詰まる 移民の歴史
- 草っ原の中 立ち並ぶ墓標
- 「30年後」に訪れたブラジル
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- 作家・北杜夫さんは1977年(昭和52)、長編小説『輝ける碧き空の下で』の取材のため、二度にわたってブラジルを訪問した。
- 小説は日本文学大賞を受賞した。
- それから30年、長女でエッセイストの斉藤由香さん(祖父は歌人の斎藤茂吉)が、初めてブラジルを訪れた。
- 健康食品事業部(サントリー)の広報担当の私(斉藤由香)に「スッポンの養殖を見学してこい」という出張命令。
- サンパウロまで、二十数時間の長い空の旅の途上で読むことにした。
- そこには初期ブラジル移民の苦闘の数々が活写してあり、私は少なからぬショックを受けた。
- この小説に込めた父の思いも、移民のことも何も知らない不勉強を、私はブラジルに向かう機上で恥じた。
- ようやくの思いでサンパウロに到着すると。翌朝ベレンへ。
- 飛行機で7時間、3千キロ近くも移動する。
- さらに翌朝3時半、ベレンからトメアス行きの船に乗船し、12時間かけてトメアスに向かう。
- トメアスは北ブラジルでは最大の日系人移住地で80年近い歴史がある。
- かつてのトメアスはベレンからの道路がなく、唯一の交通手段が川船で「陸の孤島」と言われた。
- マラリアの脅威、経済作物が育たないといった厳しい条件下で初期開拓者たちの苦闘の歴史が始まったという。
- トメアスの塀もない草っ原にある貧しい墓地には日本人の墓が多く立ち並ぶ。
- 鳥がキーキー、ビンチビー、と鳴いている。
- 「ビンチビー」とは、ポルトガル語で「あなたを見ています」という意味。
- 物悲しい音色の鳴き声が墓地に響き渡る。
- ブラジル人の墓には花が飾ってあるが、日本人の墓はひっそりとしていた。
- 遠い異国に並ぶ日本人たちの名前を見て胸が詰まった。
- ※斉藤由香氏と北杜夫氏は、2008年(平成20)5月12日「徹子の部屋」に出演。
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信濃毎日新聞 |
2007.06.20 |
- 移民船「笠戸丸」に光を
- ロシア沖に沈没、引き上げ構想
- ブラジル移住者ら いかり保存に意欲
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- 1908年(明治41)、ブラジル・サントス港。
- 第1回移民約800人は希望を胸に、笠戸丸から南米の大地に下り立った。
- 以来99年。
- 百数十万人という、世界最大の日系社会にとって「カサトマル」は移民の代名詞となった。
- 1900年(明治33)にイギリスで貨客船として建造された。
- ロシアの兵員運搬船となったが、日露戦争で日本に収用された。
- 南米などへの移民で使われた後、水産加工船となった。
- 第2次大戦末期の1945年(昭和20)8月、侵攻したソ連軍によってカムチャツカ半島西岸のオホーツク海で沈められた。
- 沈没地点はロシア領海内のため、ブラジル日系2世の連邦下院議員(59)らがブラジル駐在のロシア大使などに協力を求めている。
- ロシア側の承諾が得られれば錨や舵、鐘などの引き揚げを試みたいという。
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2007.06.18 |
- 移民と歩んだポルトガル語辞書
- 制作者の孫、ブラジルで歓待の輪
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- 異文化の地で苦闘したブラジル移民を支えたのは、約90年前に1人の先駆者が私財を投じてつくったポルトガル語辞書。
- 大武和三郎氏(1872年(明治5)-1944年(昭和19))による、1918年(大正7)出版の「葡和辞典」と1925年(大正14)出版の「和葡辞典」。
- 多くの移民が、長年使い込んで古びた辞書を今も大事に持つ。
- 和三郎氏は17歳だった1889年(明治22)、世界一周航海で横浜に来たブラジル海軍の巡洋艦の英語の通訳をし、ブラジル留学に招かれた。
- リオデジャネイロの海軍学校で学んだが、4年後の1894年(明治27)、日清戦争の開戦を知り、戦いに加わろうと祖国に向けて旅立つ。
- しかし翌年帰国した時には、戦争は終わっていた。
- 3年後、できたばかりの駐日ブラジル公使館で勤め始めた。
- 1908年(明治41)に始まった移民のため、自らの知識と経験を生かして辞書を作り上げた。
- だが第2次大戦で両国は断行。
- 和三郎氏は失意の中、1944年(昭和19)に死去。
- サンパウロの日本人街で、和三郎氏ら第1回移民以前の移住者に関する展覧会が開かれた。
- 開会式に招かれた孫の和夫さん(54)の周囲には、辞書に感謝する人の輪ができた。
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2003.12.27 |
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- サンパウロの日本人街に1915年(大正4)、日系移民により初めて開設されたのが、大正小学校。
- 年を経るうちに生徒数が徐々に減った。
- 「永住するからには、ブラジルの学校で学んだ方がいい」と日系人が考え始めたから。1966年(昭和41)、閉鎖が決まった。
- 日本の敗戦を信じない愛国主義の日系人は、敗戦を受け入れた日系人を「非国民」などとして、次々に襲撃。
- 1947年(昭和22)初頭までに、20数人が殺された。
- 愛国主義者は「勝ち組」、敗戦受け入れ組は「負け組」と呼ばれた。
- 抗争後、日系社会は負け組が主導権を握る。
- 「負け組の目には、大正小学校が戦前のあしきナショナリズムを引きずる存在と映り、存続への声が上がらなかった」とサンパウロ在住のジャーナリスト深沢さん(38)。
- 「戦後の日系社会は小学校の存在そのものを歴史と記憶から抹殺した」
- ブラジルへの同化と再出発を決意し過去の清算に走った、日系人の姿が透けてくる。
- 移民の西村さん(93)、70歳を目前に1982年(昭和57)に「この国にできる恩返しは何か、考えた結果です」と農業高校を開設。
- ブラジル農家には物足りなさを感じていた。
- 奴隷解放が1888年(明治21)とラテンアメリカで最も遅かったため、自分の手を汚して働くことを嫌う風潮が根強い。
- 使用人に作業をさせ、主人は見回るだけ。
- 「自分で汗する農業者の育成が必要だ」
- この農業高校は全寮制で、教育方針が「知行合一」。
- すべては知識だけでなく、実践を伴って完成するという意味。
- 生活面での厳しい規律を課し、知識と実習を組み合わせた熱のこもった教育を標榜する。
- 「ブラジル一の農業高校」という評判が広がり、6カ国から留学生が学んだ。
- 「勤勉、誠実とは何かを厳しさの中で学んだ」「人生の困難を乗り越える力が身についた」とブラジルや外国に散った卒業生から手紙が毎月届く。
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2003.12.26 |
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- 有力雑誌が一般校も含めサンパウロにある名門私立のランキングを特集した。
- 移民に由来する学校が母国文化の発信地として評価されている。
- ランキングに日系校は一つも出てこない。
- 日本語や日本文化へのこだわりと普及にかける熱意の差異がうかがえる。
- 「ブラジルの各国移民の姿を見比べると、日本人の民族意識がいかに希薄か見せつけられる」とサンパウロ人文科学研究所の宮尾所長。
- 歴史的に国土を他民族に奪われるといった経験がある民族ほど、海外に出た時、自国語と自国文化を守り広めようとする気持ちが強い。
- ユダヤ人がその典型。
- 島国の日本は対極にある。
- 日系人でも、沖縄出身者にだけこうした気持ちが強いのは、県土が戦場になった経験から。
- 半面、日系人は民族意識が希薄だからこそ、ブラジル社会に同化して活動を拡充させる柔軟性を発揮できた面は見逃せない。
- 人口も国土面積も少ないポルトガルが、92倍の面積をもつブラジルを植民地をもつブラジルを植民地にした。
- 慢性的な人手不足で、肌の色で人を差別する余裕はなく、各民族が混合して国をつくっていくしか方法はなかった。
- これがブラジルという国の成り立ち。
- 「ブラジルが特別な移民同化政策をとったわけではない。もともと各人種が混じり合うことこそが、この国のアイデンティティー。それが日本人の同化も後押しした」とサンパウロ州立移民博物館のプリニオ嘱託研究員(55)。
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2003.12.25 |
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- 沖縄からの移民は世界に約27万人。
- うちブラジルが11万7千人で4割を占める。
- 沖縄から世界に渡った移民の10人に7人が、南米に集中している。
- 毎年開く本部総会で、「助け合う気持ちときずなの強いユダヤ人や華僑に追いつけ、追い越せ」との声が相次ぐ。
- 「華僑」をもじり、「琉僑」と呼ぶ国境を超えたネットワークづくりを目指す。
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2003.12.24 |
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- ブラジル日系人は「農業の先生」と言われる。
- カキやリンゴといった果物のほかにレタスやキュウリなど、ブラジル家庭の食卓を彩る主要作物の多くは、日系人が優良品種の種を持ち込んで育て、定着させた。
- 今年、ブラジルでルラ、アルゼンチンでキルチネル大統領と、メルコスル(南部共同市場)強化を訴える指導者が登場した。
- 「自由化が本物になり、物と人の動きがさらに活発に」と域内で物流に携わる日系人の期待は高まる。
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2003.12.22 |
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- 日系人学生と20代の日系人卒業生らでつくる大学生ボランティア連盟(アベウニ)。
- アベウニの前身は、日系人ボランティア組織の大学生支部。
- 医師がメンバーで日系人だけを対象に無料診療をしていた。
- そんな活動に若者たちは「本当に困っている人は、日系人よりブラジル人に多い。なぜ日系人だけにこだわるのか」と疑問を抱いた。
- 1984年(昭和59)、分離独立した。
- 日系人のための組織は最近次々と姿を消している。
- 日系人意識が希薄になるのは、教育にかける情熱も原因になっている。
- 敗戦を機に、1世は故国日本には「もはや帰ることはできない」と知って子供の教育を重視した。
- 入試時期になると、受験生間で「合格するには日系人を1人殺せばいい」というジョークがはやったほどだ。
- こうした教育熱によって、法曹や医学、政界などに優秀な日系人を送り込んだ。
- ブラジル人が築いてきた体制に少数者が進入することでもあった。
- その結果、若い世代になるほど日系としての意識は希薄になった。
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2003.12.20 |
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- サンパウロで建築業を営むパウロ・ウエムラさん(55)。
- 移民1世の父と2世の母。
- 自分も2世の妻も流暢な日本語を話す。
- しかし、家庭で日本語を話すことを頑として拒んできた。
- 20代の娘と息子にも日本語を使わせない。
- 「父たち1世は言葉の壁を乗り越えられず、日本人だけで固まって酒におぼれていた。
- 今、日本語を覚えようとすれば、ポルトガル語が狂う。言葉についてまわる日本的な文化や伝統も、戦前の古い日本人が持ち込んだものだ。ブラジル社会で生きていくのに必要ない。」
- 日本語学習者は5年間で9.2%減った。
- 世界中で例がないほどの減少率。
- ブラジル人の間では学ぶ者が増えているのに、日系人学習者が急減し、全体の減少が止まらない。
- 1963年(昭和38)にサンパウロの日本人会が、9人の2世男女を集めて、結婚観についての座談会をした。
- 「日系人以外とは結婚したくない」が、ほぼ全員の意見だった。
- 1970(昭和45)年代までは、日系人は日系人と結婚するものというのが、支配的な空気だった。
- 今、ウエムラさんの長女の婚約者はブラジル人。
- 夫婦とも「ブラジルで生まれ育った娘なのだから、ごく当たり前のこと」とまったく抵抗感はない。
- 現在140万を数える日系人は、血統面からもいずれ姿を消す。
- しかし、消滅としてよりも、溶解ととらえた方が自然かもしれない。
- 旧来型の日系人が消え去り、日系社会が崩壊の道をたどる一方で、ブラジル人としての意識を抱いて生きる日系人や日系組織が、活動の幅を広げている。
- 移民船から781人が降り立って95年。
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2005.10.05 |
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- NHKの放送80周年ドラマ「ハルとナツ−届かなかった手紙」はブラジル移民が題材になっている。
- どのように描かれ、日本でどう受け止められるか。
- 日系人社会は大きな関心を持っている。
- 日本人移民向けの老人ホームの講堂で、国際放送での同時放送の「鑑賞会」が開かれた。
- ほとんどが幼い時に移り住んだ1世で、平均年齢は85歳。
- 「私たちの体験は、日本の人には実感がわかないでしょうけれど、それでも知ってほしい」
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2008.01.16 |
- 焼津・母子殺害
- ブラジル当局 被告拘束
- 国外犯処罰を適用
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- 静岡県焼津市で2006年(平成18)に起きた日系ブラジル人母子3人殺害事件(母、子供2人絞殺)で、サンパウロ州の警察当局が被告(45)の身柄を拘束した。
- 被告は事件直後にブラジルに帰国。
- 購入した民家で女性と暮らしていたという。
- 静岡県警は国際手配。
- 日本政府は昨年、ブラジル政府に対して国外犯処罰を要請した。
- この被告の母国への逃亡は、両国間の容疑者引き渡し条約の不在など、ブラジル人容疑者の「逃げ得」の問題を広く明らかにし、その後の日本からブラジルへの国外犯処罰の要請につながった。
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2007.12.18 |
- ブラジルで有罪判決
- 浜松で強盗殺人の日系人被告(36)
- 禁固34年
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- 2005年(平成17)に起きたレストラン店主強盗殺害事件。
- 日本政府がブラジル側に国外犯処罰を要請した事件で、判決が出たのは初めて。
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2007.06.06 |
- 事件後帰国のブラジル人相次ぐ
- 両国 報道に温度差
- 日本側の過熱ぶりに注目
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- 静岡県内でブラジル人が殺人や死亡ひき逃げなどの事件を起こした疑いをもたれたまま、帰国するケースが相次ぎ、在日ブラジル人向けメディアも関心を寄せている。
- 地元を中心に容疑者の引き渡しを求める声が高まり、イメージ回復のためのキャンペーンを始めた雑誌も。
- 一方、ブラジル国内では帰国した容疑者の裁判が始まったが、現地メディアの反応は、大挙して駆けつけた日本の報道陣の過熱ぶりとは対照的。
- サンパウロの住宅街に立つ、小さく古びた裁判所で、浜松市で女子高生をはねて死亡させたとされる日系ブラジル人の初公判。
- 日本で罪を犯し母国に逃げ帰ったとされる容疑者に対する、国外犯処罰制度を適用しての初の裁判。
- 日本メディアはブラジルに特派員を置く新聞、通信社だけでなくニューヨークやロサンゼルスから民放局の記者やカメラが集まった。
- NHKは裁判所から衛星中継でリポートした。
- ブラジルの大手メディアは、テレビはニュース専門局1局のみ。
- 「日本でこれほど問題になっているとは知らなかった」。
- 約130万人と世界最大の日系人社会を抱えるブラジルだが、人口比では約1%。
- 「無関心というわけではない。ただ、日本についての情報が乏しいのは事実だ」と有力紙で唯一記事にした「エスタード・デ・サンパウロ」の社会部長。
- 在日ブラジル人向けに全国で3万部発行されている無料のニュース雑誌「alternativa」は「ボン・ブラジレイロ」(よいブラジル人)と題した連載を始めた。
- 偏見の拡大を心配した在日ブラジル人グループが「ルールを守って模範になろう」と呼びかける活動を名古屋市で始めたことから、同誌も同調してキャンペーンを始めた。
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2007.02.07 |
- ひき逃げ大筋認める
- 日系ブラジル人被告初公判
- 謝罪の一方「これは事故」
- 「隠さず打ち明けて」 被害者の父「8年長かった」
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2007.01.31 |
- 差別を思い出し逃げた、家族いて再来日は無理
- 女子高生ひき逃げ
- ブラジルで被告語る
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- 「何度も謝りに戻りたいと思ったが、幼い子どもを養っている状況で、逮捕されることはできなかった」
- 「追いかけてくる人を見て、これまで日本で受けた差別が頭に浮かんだ。殴られるかもしれない、何が起きるか分からない、と思い、怖くて逃げた」
- 事故から4日後に帰国したが、「父親の看病のため、あらかじめ決めていた」
- 「引き渡しは凶悪犯罪や政治犯に適用されるものなのではないか」として、ペルー政府からの引き渡し要請にもかかわらず日本で事実上の亡命生活を送ったフジモリ元大統領を引き合いに出し、「彼に比べれば私の容疑は小さなものだ」
- 帰国直後に結婚し、現在2人の子どもがいる。「あんな事件を起こした私にも子どもが生まれ、人生の新たな機会だと思った」
- 「ブラジルで罪を償ったとしても、日本に行けば逮捕される可能性はぬぐえない。父親として仕事をし、家族を養う責任がある。日本に行くことはできない」
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2007.01.19 |
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- 静岡県浜松市で1999年(平成11)に女子高生がひき逃げされて死亡した事件。
- サンパウロ州検察庁が日系人(31)を起訴。
- 日本国内で罪を犯した後、出国した外国人容疑者は2005年(平成17)末で651人。
- 国別では中国人が最も多く、次いでブラジル人が86人。
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- 「逃げ得」7年、風穴
- 国外逃亡犯起訴
- 遺族 時効前「やった」という気持ち
- 引き渡し、なお要望
- 代理処罰 被害者の声 後押し
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- 娘をひき逃げして死なせた容疑者の所在が分かっていながら、その後、何の裁きもない。
- 逮捕状が出てから7年。
- 静岡県浜松市で死亡ひき逃げ事故を起こし、出国したブラジル人容疑者が、ようやくブラジルで起訴され、国外に出た外国人容疑者に対する厚い「壁」に小さな穴が開いた。
- 自国民の引き渡しを禁じるブラジル憲法5条が壁になり、引き渡しは現状では不可能だった。
- ブラジル国内の法律上の時効が迫っていたことから、県警はブラジルの検察当局にブラジル国内法で裁く国外犯処罰の適用を求めていた。
- 「すでにある法制度を厳密に適用するだけで、逃げ得を防ぐことはできる」と、日本、ブラジル両国の法制度に詳しい二宮サンパウロ大学教授。
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2008.12.30 |
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2008.12.29 |
- 中部空港 日系ブラジル人
- 片道切符で母国へ
- 景気ショック ゆらぐ足元で
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2008.12.23 |
- アミーゴ 支え合い
- 廃業モーテル 集う日系ブラジル人
- 食料も続々「年越せそう」
- 景気ショック ゆらぐ足元で
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2008.12.06 |
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2008.11.17 |
- 世界最小劇場 人形細やか
- ブラジルの広場 のぞき見る客
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2008.11.13 |
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2008.10.08 |
- ブラジル移民100年 青山でイベント
- 大使館の地元
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2008.10.05 |
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2008.10.03 |
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2008.09.29 |
- 日系ブラジル人兄弟 「友人求め」強盗容疑
- 「六本木で遊びたくて」
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2008.08.29 |
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2008.08.26 |
- 力あふれるバーベキュー
- シュラスコ
- 味の地球儀@tokyo
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- ブラジル・バーベキュー「シュラスコ」の専門店「トゥッカーノ」(東京都渋谷区)。
- カウボーイ姿のウエーターが、豪快な肉の塊を運んでくる。
- 串を持ち、剣の形のナイフを使って肉を切り分ける。
- 豚肉のソーセージから始まって、ローストビーフ、コブ肉、ガーリックステーキ、もも肉、リブなど13種類の肉が次々と出てくる。
- ベテランのウエーターが、客の食べ進むタイミングを見計らって持ってくる。
- 脂身の多いもも肉は本国でも人気が高い。
- ひだのようについている脂身はニンニクの風味がきいて柔らかく、口中でとろける。
- 牛は岩塩をつけ、鶏と豚は特製スパイスに漬けこみ、余分な油を落としながら焼く。
- タロイモの粉のいためものや酢をつけて食べてもいい。
- 起源はカウボーイの野外での食事だと言われている。
- 現地ではいたるところにシュラスコのレストランがあり、家庭でも楽しむという。
- 在日ブラジル人が、故郷の味を求めて、週末はほぼ満席になる。
- テーブル上の緑色のコースターを裏返して赤くすれば、「もう肉はいりません」の合図。
- 公式HP→トゥッカーノ
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2008.08.08 |
- 学習言語 教える態勢を
- 高校進学 狭き門
- 日系ブラジル人 学びの現場から
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信濃毎日新聞 |
2008.08.07 |
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2008.08.06 |
- 掛け持ち 「異国」を感じ
- 日本の学校と母国語教室
- ↑
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2008.08.05 |
- 2つの祖国 揺れる心
- 日本生まれの子どもたち
- 日系ブラジル人 学びの現場から
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2008.07.24 |
- ブラジル代表 「心は日本人」
- 陸上400障害 杉町マハウ選手(23)
- 小3で来日 「両国の懸け橋になる」
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2008.07.21 |
- 信州で暮らす子どもたち
- 日系ブラジル人
- ビルの1、2階が校舎
- 「日本人とも仲良く」
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信濃毎日新聞 |
2008.05.12 |
- 広がる永住志向
- 長野県内ブラジル人 資格取得者増加
- 収入や教育「日本の方が」
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2008.04.28 |
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- ブラジル移民100周年を記念するサンバのフェスティバルが日比谷公園(東京都千代田区)であった。
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2008.04.25 |
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- 東京都内で開かれ、天皇、皇后両陛下や皇太子、福田首相らが出席した。
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2008.03.28 |
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- 日系ブラジル人3世の柳瀬フラヴィア智恵美さん(20)は11年前来日した。
- 少しずつ日本語を覚え、会話も上達した。
- ところが日本語がわかるようになっても学校生活は楽しめなかった。
- 「いつも仲間はずれで、友だちができない。生意気だ、日本にいてもブラジル人には未来がない、とまで言われました」
- 学校に通う気持ちをなくした智恵美さんを、しかりつけたのが両親。
- 「ちゃんと高校に進学しなさい」。
- ブラジルで教師をしていた母は、工場勤めをしながら、娘を励まし続けた。
- 心を入れかえた智恵美さんは一心に勉強して、地元高校に合格。
- 先日、静岡での国際会議では自らの体験とともに、「日系人が暮らしやすい社会を作りたい」と訴えた。
- 国内に住む日系ブラジル人は30万人を超えるが、日本側の教育支援の遅れから、子どもの非行や不就学が深刻化している。
- かつてブラジルに移住した日本人たちは教育熱心で知られた。
- 逆境をはねのけた智恵美さんに続く日系人の子どもが、ひとりでも多く現れてほしい。
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2007.09.25 |
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- ブラジルへ日本人が初めて集団移民してから2008年(平成20)で100年を迎えるのを前に、両国で記念イベントの準備が進んでいる。
- ロゴマークは、日本の日の丸に描かれた赤い丸と、ブラジル国旗の地球を表す青い丸を組み合わせたもの。
- 日本の外務省のホームページでも、ブラジルの日系社会が組織した「ブラジル日本移民百周年記念協会」のホームページでも同じマークが使われている。
- マークに添えられた文言は異なる。
- 外務省は「日本ブラジル交流年」。
- ブラジルは「日本ブラジル移民100周年」。
- 外務省は「移民」と「100周年」の文字がない。
- 同じマークなのに、なぜ文言が異なるのだろうか。
- 外務省で長年、海外への移民・移住を管轄しているのは領事局政策課移住班だが、今回、日本側の「日伯交流年」実行委員会事務局は中南米局の南米カリブ課内に置かれ、3人の職員が担当している。
- なぜ「移民・移住」と「100年」の文言がないのですか、と電話で尋ねた。
- 「ええと、排除しているわけではなくて。もちろんきっかけは移住100周年をお祝いしましょうということです。ただ、それにとどまらず、もっと広く未来に向かって結びつきを強めようという趣旨なのです」
- 「外務省は『100周年否定派』なんですよ。過去よりも経済関係のみを考えている」と日本側の関係者。
- 「外務省が移民の過去に目をつぶりたがるのは、外務省によるドミニカ移民の失政で、元移民に特別一時金を支給したことが一因でしょう。ブラジルをドミニカの二の舞にしたくないのでしょう」と別の関係者。
- 「日本でブラジルが話題になるのは、代理処罰問題など日系ブラジル人の犯罪くらいですが、初期の日本人移民もブラジルで火つけや強盗をした。ブラジルは一切問題視しなかった。ブラジルは連合国だったのに、1945年(昭和20)6月6日まで日本には宣戦布告しなかった」
- 「未来はもちろん大切ですが、未来は過去の上にあるのではないでしょうか」
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iZa |
2007.06.03 |
- ブラジル移民100周年の記念協会執行委員長 松尾さん(69)
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- 「最初の移民は大変な苦労の連続だった。それを乗り越え活躍する姿を、知ってほしい」と、記念祭のPRため来日、全国を駆け回った。
- ブラジルには世界最大、約150万人の日系人社会がある。
- 4人の連邦下院議員を送り出し、2月には空軍最高司令官に2世が就いた。
- 来年を、日本の外務省はただ「日伯交流年」と呼ぶ。
- そこには「移民」や「100年」の言葉はない。
- かつて国策として過酷な条件での移民を進めた後ろめたさからか。
- 自分たちの存在を無きものにしようとしているように思えて、悲しさと憤りを感じた。
- 「僕たちは、ブラジル人にも日本人にも負けないようにと頑張った、誇り高き日系ブラジル人なのに」
- 日本には約30万人の日系ブラジル人が暮らすが、犯罪のことばかり強調されている、と心配する。
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2007.04.17 |
- 料理と音楽 バランスが命
- フェイジョアーダ
- 味の地球儀
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- 東京・四ツ谷(新宿区)にあるブラジル料理の老舗「サッシ・ペレレ」。
- 毎晩ボサノバやサンバのライブが開かれる。
- 「本場の音楽を味わってほしい」とオーナーの小野敏郎さん(82)。
- 50年前、移民としてブラジルに渡った小野さんは、「100以上もあるブラジルのリズムに魅せられて」サンパウロにレストランクラブを開く。
- 帰国後に始めたこの店にも、300人に及ぶ歌手や演奏者をブラジルから呼んでいる。
- 「彼らを日本でスターに育てようとしたこともあったけど、気づいたらなんのことはない、自分の娘が一番売れてたよ」と、小野さんはいたずらっぽく話す。
- 娘とは、世界で活躍するボサノバ歌手、小野リサさん。
- ここは、リサさんが初めて踏んだ舞台でもあった。
- 名物の「フェイジョアーダ」。
- かつて奴隷としてブラジルにやって来たアフリカ人が、主人が捨てた豚のしっぽや耳などを黒豆と煮込んで作ったのが始まりという料理。
- 具は黒豆に牛肉や豚肉、スモークベーコン。
- 内臓などが溶けるまで煮込まれていて、塩とこしょう、ニンニクというシンプルな味付けに、こってりとしたうまみを加えている。
- 公式HP
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2007.02.24 |
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- 児童書「はまの大きな大きな樹」
- 1935年(昭和10)、ブラジル奥地に農場を創設した故弓場さんの妻、故はまさんが主人公。
- 焼けつく日差しの下、原始林で薪を集め、降り注いだ雹(ひょう)でかき氷を作って日本を思い出す初期移民の姿を描く。
- 著者は、はまさんの娘。
- サンパウロ大学教授の二宮さん(58)の妻ソニアさんがポルトガル語訳を付け、二宮さんが出版費用を出し、日本各地のブラジル人学校に寄贈している。
- 二宮さん自身、5歳の時、両親と一緒にブラジルに渡った移民1世。
- その後ブラジルに帰化。
- 国際法が専門で、客員教授を務める東京大学での特別講義のために、毎年来日している。
- だが来年の移民百周年を前に、日本で話題になるのは日系人の犯罪や逃亡ばかり。
- 「移民の子どもたちは祖父母らがどんな苦労をして生きてきたのか知らない。彼らが日系移民の歴史を知るきっかけになれば」
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2007.02.08 |
- 祖国思う、移民たちの句
- 人生の逃げ水を追ひ移民老ゆ
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- ブラジルへの移民100年を迎えるのを前に、海外移民とその家族が、遠い祖国への思いや現地での生活を詠んだ俳句や短歌が作品集になった。
- 日本に出稼ぎに来ている日系ブラジル人の子どもたちは、父祖の国での暮らしの寂しさを詠んだ。
- 作品集をまとめたのは財団法人・海外日系人協会(横浜市)。
- ”呼び寄せの書類懐かし紙魚(しみ)の痕”
- パラ州の下小薗(しもこぞの)さん(75)は、1959年(昭和34)、「呼び寄せ花嫁」として移民した時の書類のことを詠んだ。
- 参加する地元の俳句会の会員は70歳が平均。
- 「2世は俳句に関心がなく、先細りの運命です」
- 一方、日本からの作品には、出稼ぎ日系ブラジル人の子どもの作品もある。
- 国内には南米出身の日系人が30万人以上住む。
- ”ブラジルを恋しくなって泣くばかり誰も知られず想い閉じ込め”
- 「親は疲れ切って帰宅し、話が出来ない。ブラジルの友達を思った時の気持ちです」
- 「敗戦直後、日系人は苦しい中にあっても日本に物資を送り、阪神大震災では義援金を送った。彼らのことを覚えているべきだし、かつて日本人が出稼ぎ先の南米で温かく迎えられたことを忘れてはいけない」と海外日系人協会事務局次長。
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2007.01.29 |
- 永遠の愛誓う
- 葬儀場で結婚式
- 桑名(三重県)で在日ブラジル人
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- 日本人だとぎょっとする話だが、キリスト教信者が多いブラジル人は婚礼も葬儀も教会で開くとあって、厳粛であれば場所にはあまりこだわらない。
- 「国際貢献になるなら今後も」との葬儀場の申し出をブラジル人らは「広くてきれい。結婚式以外でも使いたい」と歓迎している。
- ブラジル式の結婚式は参列者が多い上、祝儀に現金を贈る習慣がなく、費用はすべて新郎新婦の負担。
- 日本の教会は宗派の違いなど難しい面があり、披露宴を考えると結婚式場を使いたいが、日本の式場は料金が高く、場所探しに苦労する。
- 公民館などを使うことが多いが、時間に制約があるなど使いづらいという。
- 事情を知った桑名昇龍殿は普通の貸しホールのほぼ半額で提供。
- 「葬儀場に抵抗がある人もいるが、結婚式はきれいな場所で開きたい人が多い」と新郎新婦の友人で、仲立ちをした桑名国際交流センターの菅原アイルトン清市さん。
- 新郎も「神様の祝福を受けるので葬儀場でも気にならない」と笑顔で話していた。
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中日新聞 |
2006.06.29 |
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- ジーコ監督率いるサッカー日本代表は、ワールドカップで惨敗した。
- だがジーコは「悔いも恥じることもない。全身全霊を打ち込めた」と監督としての最後の記者会見で語った。
- Jリーグが開幕する1年前の1992年(平成4)、日本リーグ2部の住友金属にいたジーコに会ったことがある。
- 底冷えのする古びた体育館で尋ねた。
- 「どうしたら日本もブラジルのように強くなれますか。ワールドカップに出られますか」
- 「私の国にはトルシーダっという、チームを家族のように真剣に愛する人々がいる」。
- 「彼らの前では絶対手を抜けない。日本を強くしたければ、君が代表を真剣に愛することだ。まず僕らのトルシーダになってくれ」
- あの日から14年。
- 日本サッカーは進歩し、多くのサポーターも得た。
- だが、絶対手を抜かない姿勢はどうだろう。
- ジーコは日本を去る。
- けれど、願いは残る。
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2008.07.13 |
- 「希望ある作品に仕上がった」
- 「シティ・オブ・メン」
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- ブラジルの貧困地区「ファベーラ」で生き抜く若者たちを描いた映画「シティ・オブ・メン」が公開される。
- 「世界有数の美しい景色を持つ地域に、貧しい人たちが住んでいる現実を見せたかった」と監督。
- 幼なじみの18歳の少年2人が主人公で、いずれも貧困地区出身の素人俳優が演じた。
- 「彼らの言葉で話してもらうため、アドリブを大事にした」。
- ファベーラでの撮影は「武装した人たちもいて、多少の危険が伴ったが、住人たちはフレンドリーだった」と振り返った。
- 公式HP→シティ・オブ・メン
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2007.12.20 |
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- 新作「IPANEMA」は、作曲家の故アントニオ・カルロス・ジョビンの曲だけを取り上げたトリビュート盤。
- 公式HP→OnoLisa.com
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2007.08.08 |
- ボサノバ育んだ 1950年代を追憶
- 公開中のドキュメンタリー映画「ディス・イズ・ボサノヴァ」
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- 半世紀前にブラジルで生まれた音楽、ボサノバの歴史を振り返る映画。
- 1950(昭和25-)年代末、ブラジルは政治・経済面で安定し、サッカーワールドカップ優勝などで輝いていた。そんな時代、海岸に集った中産階級の若者たちからボサノバは生まれた。
- 「新しい潮流」の意味。
- その中には映画で案内役を務める、カルロス・リラとホペルト・メネスカルという2人の作曲家もいた。
- 「クラシックやジャズなどを聴いていた私たちは古くさい国産音楽に飽き足らなくなっていた。」
- ボサノバのささやくような唱法について。
- 若者たちは夜になると誰かのアパートに集い、歌った。
- だが隣からうるさいと壁をたたかれる。
- そして、歌声がどんどん小さくなった・・・。
- 「本当なんだ。中産階級の住む都会は住宅事情がひどくてね。郊外に住む労働者階級にサンバが好まれていたのは、大騒ぎできる環境のせいかもしれないな」とメネスカル。
- 名曲「イパネマの娘」の誕生。
- 1962年(昭和37)、アメリカ・カーネギーホールコンサート、翌年録音された名盤「ゲッツ/ジルベルト」で大ヒットし、世界的なボサノバブームが到来する。
- だが、ブラジルでは1964年(昭和39)に軍事政権が樹立、「美しい風景を眺めながら音楽を奏でる時代ではなくなり」、若者の間に「反抗の時代」が訪れる。
- 公式HP→ディス・イズ・ボサノヴァ (2008.05時点)
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2007.06.08 |
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- 現在のブラジルを代表する女性歌手、マリーザ・モンチの来日公演。
- 10数年前に一度、来日経験はあるが、押しも押されぬ大スターになってから日本でコンサートを行うのは初めて。
- 公式HP→Marisa Monte (東芝EMI)
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2007.02.08 |
- いつも音楽が支えだった希望に満ちた真実の物語
- 映画「フランシスコの2人の息子」
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- ブラジルの田舎町。
- 7人兄弟の長男と弟は貧困の家族を救うため、音楽好きの父からもらったアコーディオンとギターを片手にバスターミナルで歌い始める。
- 様々な困難に直面しながらも、家族を愛し夢に向かって前進し続ける父子の姿を描く。
- ブラジルの音楽界を代表するアーティスト「ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノ」の家族の真実の物語。
- 公式HP→フランシスコの2人の息子 (2008.05時点)
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2009.04.28 |
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2009.04.13 |
- 日系ブラジル人の子に笑顔を
- 楽団復活
- 届いたバイオリン
- 言葉教室 文科省が支援検討
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2008.04.25 |
- 保険証 持ちたいのに
- 移民新世紀 日本←→ブラジル
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- 「社会保険は日本人のもの。デカセギは入れない」
- 静岡県湖西市に家族4人で住むフランシスコ・フレイタスさん(48)は2000年(平成12)、契約社員として雇われた会社でそう告げられた。
- 自己負担だと、窓口で払う額は3倍以上になる。
- 病院で風邪の治療を受けただけで、7900円請求された。
- 「家族のためにも医療保険は必要」と重ねて会社に訴えたら、解雇された。
- 地域労組の支援で職場復帰し、保険に入れたのは5年後。
- 「会社が公然と法を守らないのはおかしい」と、今も憤る。
- 企業や5人以上が常勤する事業所は、医療保険と厚生年金加入が義務づけられている。
- 保険料は、雇用主と労働者で折半するのが原則。
- だが、実際は、負担を嫌う事業者の加入逃れが横行している。
- 静岡県内で約70人のブラジル人を雇う人材派遣会社は「全員を保険に入れたら、うちが倒れる」と本音を漏らす。
- 自治体が運営する国民健康保険は自営業者らが対象で、雇用されていれば入れない。
- また、子どもの健康診断も、ブラジル人学校は学校保健法の対象外のため、多くの生徒は日本の小中学生と同様の定期検診は受けられずにいる。
- 出稼ぎ労働者だった日系人の定住化が進み、彼らの医療や教育の問題が、地域で切実さを増している。
- 静岡県浜松市など日系人が多く住む6県13市町は2001年(平成13)、国レベルの対策を求めて「外国人集住都市会議」を立ち上げた。
- ここで採択した「浜松宣言」は、外国人向けの医療保険制度の創設など国に提言。
- 現在も加盟自治体を広げ、国に働きかけている。
- しかし、政府の反応は鈍い。
- 医療保険の問題についても厚生労働省は「日本人と外国人を制度上区別することはしない。事業者側の『社会保険逃れ』の対策を重視していく」(保険)とする。
- 「日系人はいまや社会の一員。だが、政府は管理の対象としか見てこなかった」。
- 元東京入国管理局長で、「デカセギ」に門戸を開く入国管理法を手掛けた坂中さん(62)は「僕にも責任がある」と苦い思いで振り返る。
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2008.04.24 |
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- 群馬県大泉町にあるブラジル人学校「日伯学園」。
- 自動車部品工場で働くイガラシ・フェルナンドさん(19)。
- 8年前、両親に連れられて来日し、日本語がわからないまま町内の中学に通った。
- 懸命に勉強して卒業は果たしたものの、進学した高校の授業にはついていけず、半年でやめた。
- もう一度勉強しようと決めたのは、私立学芸館高校(群馬県高崎市)が今年度、ブラジル人向けに日伯学園で補習を受けられる取り組みを始めたから。
- 将来の目標はまだ見えないが、「ブラジルのことはあまり覚えていないし、このまま日本にいたいから」
- どんなに意欲があっても、学ぶ場が限られるブラジル人は少なくない。
- 日本の学校になじめない子どもたちの多くは、ブラジル人学校に通う。
- だが、学校教育法ではブラジル人学校を出ても中学卒業資格は認められず、高校には進めない。
- 国内には、1万人を超すブラジル人学校の生徒がいるとされる。
- 人口約82万人の街に、2万人近いブラジル人が暮らす静岡県浜松市。
- 毎週土曜の夜、ポルトガル語で「Pesquisa(調査)」と書いたカードを首から下げ、繁華街を歩くグループがある。
- 浜松学院大学准教授ら、日系人の子の学習支援に携わる人たち。
- 日系人の若者を見かけると、「ちょっといいですか?」と声を掛け、学校生活や仕事について尋ねる。
- 「中学校でいじめられた」「中学をやめて働く子は多い。自分も、ね」。話し出すと止まらない若者も多い。
- 「夢なんかない」と吐き捨てる少年もいる。
- グループには、日系2世で武道家の児玉哲義さん(42)も加わっている。
- サンパウロでけんかに明け暮れる少年だった児玉さんは14歳で空手にのめり込み、25歳で来日。
- タクシー運転手をしながら修行を続け、3年前、念願の道場を浜松市内に開いた。
- その道場に学校に居場所がない日系ブラジル人の少年たちも通ってくる。
- 3年前に来日した秋本ビクトル君(15)もその1人。
- 市内の中学校で友達ができず、制服を私服に着替えて街をぶらつく毎日を送っていた。
- ある時、ブラジル人の友人が万引きをして逃げ、秋本君も疑われて補導された。
- 失意の中で出合ったのが空手。
- 今はブラジル人学校に通いながら、道場で汗を流している。
- だが、立ち直ったと思った少年が、突然、姿を見せなくなることもある。
- 行政のサポートはといえば、公立学校に通う日系人の子どもへの日本語教育さえ、ボランティア頼みなのが実情。
- 「道場で待ってはいられない。自分の側から行動しないと」。
- 焦る気持ちに突き動かされて、児玉さんは土曜の夜、街を歩く。
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2008.04.23 |
- マイホームで脱・出稼ぎ
- 移民新世紀 日本←→ブラジル
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- 日本で暮らすブラジル人が増えたのは、1990年(平成2)の入国管理法改正から。
- かつて大陸に渡った日本人移民の2、3世とその家族に就労の制限なく日本滞在が認められるようになり、製造業界が盛んに日系人を雇い入れ始めた。
- 1988年(昭和63)末に約4千人だった在日ブラジル人は、1990年(平成2)には約5万6千人、2006年(平成18)には約31万3千人にまで膨らんでいる。
- 三洋電機や富士重工を中心とする工業のまち・群馬県大泉町には人口の12%、4900人のブラジル人が暮らす。
- 多くは「デカセギ」として賃貸マンションやアパートに住むが、近年は定住を決め、マイホームを建てる人が現れてきた。
- ブラジル人向けの飲食店や商店が100近くもある町の中心部では今月、高崎市の「みらい建設」が営業所を開いた。
- 「日本で働くブラジル人は、子どもをもつ30〜40代の働き盛りの世代が中心。マイホーム需要は強い」とにらんでのこと。
- 社長の小山武さん(43)も日系ブラジル3世。
- 1990年(平成2)に来日して建設会社で働くうちにブラジル人向けの店舗や住宅販売を考えるようになり、2004年(平成16)に起業した。
- 「マイホームを建てる日系人は、5年ほど前から増えてきた。最近は、一戸建てを買うお客の半分が日系人で、1年に20軒近く売れる。業者同士の競争も激しくなっているけどね」と、大泉町に隣接する太田市内の不動産業者。
- 永住権を条件に、日系人に住宅資金を融資する金融機関も増えている。
- 全国で4万部の発行があるポルトガル語の無料情報誌「フォーリャ エ」の橋爪エデル編集長(40)は、日本の日系ブラジル人社会に変化が起きていると指摘。
- 「日本で家族を持ったり母国には仕事がなかったりして滞在が長期化し、考え方も変わってきた。『デカセギ』が『移民』になりつつある」
- 関連HP→FOLHA e
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2008.05.06 |
- 「NARA万葉世界賞」受賞の元サンパウロ大学教授 ジェニ・ワキサカさん(81)
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- 万葉集の魅力をブラジルで30年以上研究し、ポルトガル語で学生に伝えてきた。
- その功績で万葉文化を世界に広めた人に奈良県が贈る賞の第1回の受賞者に選ばれた。
- 奈良県明日香村で贈呈式がある。
- 熊本出身の両親は100年前、最初のブラジル移民船で海を渡った。
- 6人の兄や姉は生活に直結するポルトガル語を学んだが、末っ子の自分だけ日本語で育てられた。
- 40代まで専業主婦だった。
- 転機は1971年(昭和46)。
- 日本の古典文学の講座ができたサンパウロ大学に入学する。
- 幼いころから親しんだ五七五の響きにもう一度触れたくて、一念発起して受験した。
- そこで、万葉集と出会う。
- 「万葉集は日本の歌の源泉。はつらつとしてナイーブで。日本人の感性が言い尽くされている」万葉集は農民や兵士ら幅広い人々の詠んだ歌を集め、中国から輸入した漢字で表現している。
- 編纂した当時の知識人の熱意に驚いた。
- 約4500首の積み重ねに胸を打たれ、奥深さにのめりこんだ。
- 「これからは魅力を日本人だけでなく、世界中に広げていく時です」
- 公式HP→NARA万葉世界賞
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2008.05.01 |
- 記念硬貨480万枚 作り直し
- ブラジル移住100年 著作権問題で
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- 財務省は日本人のブラジル移住100周年を記念した500円硬貨について、480万枚すべてを作り直すと発表した。
- 当初は、サンパウロ州の日本移民ブラジル上陸記念碑の図柄を表面に使っていた。
- 財務省によると、碑の著作権を持つという現地の「ブラジル日本都道府県人会連合会」と契約書を交わし、図柄も一般公開した。
- ところが、ブラジル人彫刻家に著作権がある可能性が浮上した。
- 造幣局は鋳造を終えており、県人会連合会が彫刻家を説得した。
- しかし、「感情的なもつれで理解が得られなかったようだ」(財務省)という。
- 初の日本人移住者を乗せた「笠戸丸」に図柄を差し替え鋳造し直す。
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- フジテレビ情報番組「とくダネ」の取材では、このブラジル人彫刻家(女性)本人がインタビューに応えていた。
- 誰もこの彫刻のことについて言ってこなかったという。
- 自分の彫刻が使われることは光栄で、そのうち来るのかと期待して待っていたという。
- 使われなくなって残念だ、と言っていた。
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2008.03.21 |
- ブラジル大使館で財政難のブラジル人学校支援チャリティー
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- 各種学校の認可が受けられず、財政難に苦しむ日本各地のブラジル人学校を支援するチャリティーオークションがブラジル大使館で開かれる。
- 在日ブラジル商業会議所が企画。
- サッカーブラジル代表など有名スポーツ選手が協力。
- ロナウジーニョ、カカ、F1ドライバーのバリチェロ選手のほか、サッカーの王様ペレも「子供に尽くすのに嫌という人間はいない」とユニホームを提供した。
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2008.02.17 |
- 認可要件 緩和の動き
- ブラジル人学校
- 自治体 独自の支援策も
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- 日本で暮らすブラジル人など南米系の子どもたちの学校の多くが、「学校」と認められないまま。
- 各種学校としての認可を求める声は根強いが、都道府県の基準が厳しく、ほとんどは「私塾」扱い。
- このため自治体からの助成は受けられず、生徒は通学に学割も使えない。
- そんな中で静岡、愛知、岐阜の3県は基準を緩和して計4校を認可。
- これに続こうという動きも出ている。
- 2006年(平成18)時点、国内にはブラジル人だけで学齢期の子どもが約3万1500人いる。
- 南米系の子どもの学校も東海、関東甲信越地方に計83校。
- だが、ほとんどは土地・建物を民間から借りていることが「壁」となり、認可基準を満たせないのが実情。
- こうした中、認可基準を緩和した自治体がある。
- 先駆けとなったのは静岡県。
- 外国人学校を対象に独自の審査基準を2004年(平成16)につくり、浜松市のペルー人学校を各種学校に認可した。
- 「多くの子どもは日本の学校にはなじめない。補助金も含め、要望が強かった」と担当者。
- 学校の認可とは別に、外国人学校を支援する取り組みもある。
- 長野県の「サンタ・プロジェクト」もその一つ。
- 県などによる「外国籍児童支援会議」が県負担金や募金を、就学援助や母国語教室整備などへの助成にあてている。
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2008.02.04 |
- フットサル・Fリーグ初代王者の名古屋オーシャンズ監督 館山マリオさん(50)
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- 突然、舞い込んできた大役だった。
- 指導方針を巡り前任の監督が開幕からわずか2試合で解任。
- ユース育成担当から抜擢された。
- リーグ8チームの中でも唯一のプロチームという重圧の中で戦った。
- サンパウロ生まれの日系ブラジル人2世。
- 5人でプレーするフットサルに「多彩な戦術で相手を翻弄できる」という魅力を感じ、26歳までアマでプレーした。
- 指導者の道に進んだのは1987年(昭和62)。
- 両親の生まれた日本に興味もあり、1990年(平成2)から延べ7年間、出稼ぎで日本に住んだ。
- 愛知県豊田市で自動車部品の組み立てや塗装をし、大阪市ではうどんの袋詰めをした。
- 「礼儀正しく、人との関係を大切に」との親の教えが仕事で生きた。
- 帰国後はフットサルの名門、サンパウロFCのヘッドコーチなどとして活躍。
- 「ブラジルではフットサルとサッカーはライバル。日本に本物のフットサルを根付かせるのが私の仕事だ」
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2008.01.10 |
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- 両国で予定されている祝賀行事の陰で忘れられがちなおが、日本に滞在する日系ブラジル人の存在。
- 彼らの姿が増えたのは、1990年(平成2)の入国管理法の改正がきっかけ。
- 就労を認められたために2世、3世の来日が相次いだ。
- その数は2006年(平成18)末で31万人に達し、ブラジルに渡った移民1世をとっくに上回った。
- 自動車や家電企業にとって重要な戦力だが大半は派遣労働者。
- 不安定な雇用、日本語がうまく話せない子どもの教育、医療など多くの悩みを抱えている。
- 入管法の背景に産業界の要求があったのは明らか。
- 特別扱いしながらも、実は好きなように使える安い労働力と見ている点では、東南アジアや中国からの「外国人研修生」と変わらない。
- 日系人という「血統」の論理を持ち出しながらも差別構造は温存する。
- 昨年に東京で開かれたシンポジウムでは問題の深刻さを指摘する声が続いた。
- 「彼らは農村に定住し、日本社会から温かく迎えられる。そんな予想はまったくはずれた」と、入管法改正作業に関わった元東京入国管理局長。
- 「自治体やブラジル人の皆さんに大変な迷惑をかけている。政府の政策の失敗だ」と、河野太郎・元法務副大臣。
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2007.07.11 |
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- 15歳未満の男女を工場に派遣して働かせたとして浜松市中区、日系ブラジル人の会社社長、カワグチ・ローザ・マリア・アケミ・サカモト容疑者(54)を労働基準法違反(年少者雇用)容疑で再逮捕した。
- 15歳未満のブラジル国籍の男女4人を派遣労働者として雇用し、同県森町の食品製造工場に派遣した疑い。労働基準法は15歳未満を働かせることを原則として禁止している。
- 派遣された子供の中には13歳も含まれていた。
- 公立学校やブラジル人学校に籍を置いていたが、学校には行かずに数日〜約100日間、工場で働いていたという。
- 容疑者は人材派遣会社を経営。
- 国の許可を受けていなかったとして労働者派遣法違反容疑で逮捕されていた。
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毎日新聞 |
2007.06.28 |
- ブラジル人転入阻む
- 静岡の自治会
- 法務局 人権侵犯と説示
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- 日系ブラジル人3世の工員の男性(30)が、静岡県袋井市内に新居用の土地を買おうとしたところ、地域住民がブラジル人の転入阻止を決めたため、静岡地方法務局袋井支局が阻止行為を「人権侵犯」にあたるとして、住民らにやめるよう「説示」していたことがわかった。
- 男性は「ブラジル人というだけで、マイホームの夢もかなわないのか」と肩を落とした。
- 「ブラジル人の事件が多く報道されていて、何か起きたら怖いというイメージがある」と住民の女性。
- 「できれば入ってきてほしくないというのが本音。今後、ブラジル人がここに土地を買おうとなった場合、どうしたらいいのか考えたい」と自治会長。
- 「ブラジル人のイメージが悪いのはわかる。でも自分はまじめに働いていて、日本語も話せる。あいさつに行って自分を見てほしかったが『来なくていい』と言われた」と男性。
- 結局、同市内の別の場所に土地を購入して住宅を建設した。
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2007.06.06 |
- 長野県内ブラジル人 「メタボ」高水準
- 母国男性と比較 長時間労働 影響か
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- 駒ヶ根市の工場などで働くブラジル人は、母国の人よりメタボリックシンドロームの人が多いことが分かった。
- 長時間労働などでストレスがたまりやすく、健康について指導を受ける機会もあまりないことが要因とみている。
- メタボリックシンドロームの割合が高い理由として「平均で週約60時間以上という長時間労働や、肉中心で野菜をほとんど食べない食生活がうかがえた」という。
- 「休まず働き、症状が悪化して初めて相談する人が少なくない」
- 「中小企業には、検診を受けさせていないところもある」
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信濃毎日新聞 |
2007.05.26〜06.23 |
連載「隣のブラジル人」 |
タウン情報 |
2004.02.20 |
- 日系ブラジル人、「思い」を知って
- 出稼ぎの家族 演劇で描く
- 群馬の町工場 舞台に
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- 日本には今、日系人を中心に約27万人のブラジル人が暮らしている。
- だが、多くの日本人にとって、身近な存在とはいえない。
- かつて南米移民を送り出した国は、なぜ彼らに無関心なのか。
- そんな問いを投げかける演劇「世紀末のカーニバル」が東京で上演中。
- 群馬の小さな町に住む日系人一家を笑いを交えて描く。
- 「少子化が進む日本は、さらに外国人労働者を必要としている。だが、日系人の単純労働目的の長期滞在を認めた入管法の改正から10年以上たった今も、彼らを移民として送り出した歴史にも、現在の彼らの境遇にも無関心な人が多い」
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