2007 特集「隣のブラジル人」の記事 |
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2007.05.26 |
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- 「定住」する日系ブラジル人が増えている。
- 塩尻市内だけで1000人弱。
- 多くが懸命に働き、子供を育て、しかも在留が長期化する傾向にある。
- もはや一時的な出稼ぎとは言えず、同じ時代、同じ街に暮らす隣人だ。
- だが、地域社会との交流はまだ薄く、その実像はよく知られていない。
- ブラジル人たちの「花見」に付き合い、信州スカイパーク(長野県松本市・塩尻市)に出かけた。
- 「だれも花は見ない。食事とおしゃべりに夢中だよ」
- 手製のサラダ、パンなどを手に、松本平に住むブラジル人300人ほどが、家族単位で三々五々集まってくる。
- 千〜二千円ずつ出し合い買った牛肉やソーセージ、野菜を、午前中からひたすら焼き続ける。
- 好き勝手に食べ、知り合いと談笑し、子供を遊ばせる。
- 「この集まりが、母国語(ポルトガル語)で思う存分おしゃべりができる情報交換の場なんです」
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タウン情報(長野県松本市・塩尻市周辺地域) |
2007.05.29 |
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- 松本、塩尻、安曇野3市に在留するブラジル人は約3300人。
- 麻績や木祖村1村の人口に匹敵する。
- 塩尻市ではs、547世帯928人で外国人登録数のトップ。
- 2位の中国、3位フィリピンをはるかにしのぐ。
- ほとんどが祖父母か両親が、ブラジルに移民として渡った2、3世の日系。
- 入国が急増した法的な背景は、1990年(平成2)の法務省告示。
- これで、日系ブラジル人の在留資格が拡大し、3世までの定住ビザが発給されている。
- 税金を払うなど、法的には日本国民とほぼ同じ義務と権利がある。
- ないのは、選挙権だけ。
- 育ったブラジルの家庭内であまり日本語を使わなかったのか、日本語ができる人はきわめて少数。
- 来日後も、多くの人は、仕事の忙しさもあり、日本語を学ぶ時間も機会も少ない。
- 10年いても日常会話ができない。
- 近年、スーパーや街角などでよく見かけ、外見は日本人と見分けがつかない人もいる。
- が、言葉の壁が双方を隔てるのか、「異国人」のまま。
- 日本、ブラジル人双方が、互いを分かり合えないままでは、交流も生まれにくい。
- 互いがトラブルを嫌い「敬遠」しあっている面もある。
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2007.06.02 |
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- ブラジル人のほとんどは人材派遣会社に所属している。
- 仕事の切れ目は無給となる。
- 派遣先のほとんどは製造工場。
- それも40歳までかな。それ以上は単価が安い弁当やパン製造などになる」
- しかし、母国に戻れば、日本の3分の1程度の月収の仕事しかない。
- ある精密機器会社が派遣会社に「ブラジル人労働者の社会保障を、日本の制度に準拠してほしい」と要請した。
- 処遇の改善にはなるが、年金、健康保険料などは天引きされる。
- 「短期間にできるだけ稼ぎたい」と考えていた人たちには衝撃だった。
- 10数人が辞めた。
- 「勤勉を尊ぶ、かつての日本人の価値観を引き継いでいる」と派遣先の職場長の評価は良いのだが。
- 異国で精一杯働こうとするのだが、様々な要因から、職場が長続きしない例が少なくない。
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2007.06.07 |
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- 在留する日系ブラジル人の大半の生活設計は、「数年働いて、お金をためて・・・」だ。
- だが、現実には、長期在留となる人が多い。
- 「夫と一緒に来た。日本で子供を産み、育てているので、お金がたまらず、なかなか帰れない」と日本生活17年の石川サチ子さん(36)。
- 子供を呼び寄せ「働くのは日本、老後はブラジルで」と考える人も増えている。
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2007.06.09 |
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- 働くのに忙しく、免許取得など必要に迫られないと、進んで日本語を学ぼうとしない。
- 日常生活や職場で不便はないが、交通事故に関係すると、当人も警察も困惑する。
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2007.06.12 |
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- 親からの申請で、教育委員会から連絡があれば、小・中学校は外国籍の子供を受け入れている。
- 各小・中学校とも最大の課題は言葉。
- 算数では「ブラジルと日本では、計算式の書き方が違うんですよ」というケースも。
- 各校は手薄な態勢の中でも精一杯の対応をしている。
- が、高校進学する生徒はほとんどいない。
- 「難しい勉強をするより、手軽に仕事をして稼ぎたがる」(あるブラジル人)傾向が強い。
- 「高校進学したいという子がいてね。県教委が各高校長の面接までしてくれたが、引き受け先がなかった」のも現実。
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2007.06.14 |
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- 塩尻市にブラジル人学校「LOGOS」がある。
- ブラジルの学制(6歳で入学、8年制)に沿った教室へ30人余が通う。
- 主要な言葉はポルトガル語で、母国に帰ったら、同じ学年に編入できる。
- 来日12年の牧師が代表。
- 空き工場を改装した教室で、環境は整わないが、ボランティア30人余が支える。
- 「言葉の問題で日本の学校になじめず、自宅にこもる子供が多い」ことに気付いたのが開校の動機。
- 学びの場を日本の小・中学校か、ブラジル人学校にするかは、親の選択。
- 日本生まれか否か、来日時の年齢、環境へのなじみなどに差があり、親の対応は一様でない。
- 実態はつかみにくいが、ブラジルも含め不就学の外国籍児童が2、3割はいる。
- 子供の権利条約は、「教育を受ける機会は国籍に関係なく平等に与えられなければならない」とうたっているのだが・・・。
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2007.06.19 |
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- 「来日し、まず、最初に出る質問がごみの出し方ね」と大平カズコさん(39)。
- ブラジル人は、地域社会から外れており、何よりも言葉が分からない。
- ごみ出しのルールは、先輩ブラジル人からの口伝えに頼る。
- 生活ガイダンスをするアパートの管理会社や人材派遣会社もある。
- それでも「ごみの出し方が悪いと最初に疑われる」「顔を合わせてもあいさつしない」など、近所とのかかわりで、困惑する。
- アパートの家主は「外国人を増やすな−などという人がいる。とんでもない。彼らはきちんとしている」と弁護する。
- 塩尻市役所は暮らしの相談室に中国語に加え、4年前から、ポルトガル語の専任者を置いた。
- 塩尻市の運転免許センターでは、外国免許切り替え説明書にポルトガル語版を用意している。
- それでも簡単な適正、実技試験を「最短でも3回は受けないと合格しない」
- 一方、スーパーは、無言でも買い物ができ、不自由はない。
- 塩尻市内にはブラジル食材店が3店ある。
- ポルトガル語の通信販売もあり、カタログには生活雑貨から車、家まで載っている。
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2007.06.21 |
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- 「ブラジルは世界で一番いい国。台風や地震がないし、温暖で何でも良く育つ。果物もいろいろあるよ」。
- 「ただ治安は良くない」と、近く帰国予定の松本エドワルドさん(44)。
- だが、帰国する人はまれだ。
- ブラジルへの望郷の思いを持ちながら、生活のため、日本で働くことを選ぶ人が大多数だ。
- 「ブラジルでは富が偏在しているからね」
- 日系ブラジル人に共通するのは、生まれ育った母国ブラジルと、国で待つ父母など家族への思い。
- 生活が安定してくると、子供を呼び寄せ、長期在留となるが、日本の永住権を得たという話は少ない。
- 「いずれは故国ブラジルへ」という願望が心の底にはあるようだ。
- しかし、子供世代には「このまま日本で暮らしたい」という声が多く、彼らが新しいブラジル系日本人1世になるのかもしれない。
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2007.06.23 |
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- ブラジル人の10世帯を訪問し日本語を教えている松本市の熊田さん(77)。
- ブラジル人学校「LOGOS」では、週1回、日本語の授業を受け持つ。
- 熊田さんは、1986年(昭和61)から3年間、ブラジル・ペレー州で文部省派遣の日本人学校長として、40人の生徒を教えた。
- 「ブラジル人たちは親切だった。何くれとなく世話をしてくれ、3年間嫌な事は1つも無かった」。
- その恩返しという。
- 塩尻市の日本語講座では、ブラジル人には講座に通うゆとりがなく、利用しているのは数人。
- ブラジル人主体のフットサルクラブ。
- 塩尻ロータリークラブは、昨年から在留外国人の支援を始めた。
- まだ、ブラジル人社会と日本人社会との接点は少ないが、交流の芽が育ちつつある。
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