- 旧本丸跡:
- Site of the Inner Citadel
- 12世紀(平安時代後期)に江戸氏が築いたのが始まりで、1457(長禄元)年(室町時代中期)に太田道灌が江戸城を築くが死後衰退する
- 荒れた城を、1590年(天正18)(安土桃山時代)の徳川家康の入城以来、秀忠、家光の3代に渡って改修し完成させた
- 本丸は城の中心部のことで、表、中奥、大奥からなる豪華な建物が建ち並んでいた
- 1657(明暦3)年の明暦の大火によりほとんどを焼失、以後、天守閣が再建されることはなかった
- 現存する建物は富士見櫓と富士見多聞だけである
- 松の大廊下跡
- Site of Matsu-no-o-roka Corridor
- 江戸城で2番目に長かった畳敷きの廊下だった
- 1701年(元禄14)(江戸時代中期)に、ここで浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)を切りつけたため、切腹させられ赤穂浪士の討ち入りにつながった
- 富士見多聞(ふじみたもん):
- Fujimi Defence-House
- 富士見櫓とともに本丸で唯一残る建物
- 「多聞」とは、防御をかねた倉庫のこと
- 石室(いしむろ):
- Ishimuro Stone Cellar
- 非常時に大奥で使われている道具類を収納したと考えられている
- 桃華楽堂(とうかがくどう):
- Tokagakudo Music Hall
- 香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦記念として1966年(昭和41)に完成した200名収容のホール
- 屋根は鉄線花(クレマチス)をかたどっている
- 梅林坂
- Bairin-zaka Slope
- 名前の由来は、太田道灌がここに菅原道真を祀り、梅の木を数百本を植えたことによる
- 現在も約60本の梅が植えられている
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