大奥 |
おおおく |
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- 武家の屋敷で、主人がいる区域を表(おもて)、妻子がいる区域を奥とよんで分かれていた。
- 江戸城においては、これが大規模だったため大奥と呼ばれた。
- 江戸城では、将軍の昼間の生活しているところを中奥(なかおく、ちゅうおく)と呼んだ。
- 中奥と大奥は1または2カ所の出入り口だけで、厳重に仕切られていた。
- 大奥に出入りできるのは将軍だけだった。
- 大奥に勤められるのは武家の出身だけで、一生奉公することが原則だった。
- しかし下級の職では、庶民の娘も旗本を仮の親として勤めることができ、途中でやめることもできた。
- 大奥が政治などに介入することは禁じられていたが、実際は老中などを通じて介入していたこともある。
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関連HP |
「大奥 華の乱」(フジテレビ・2005テレビドラマ) |
「大奥」の曲「炎上」(YouTube) |
■大奥最大の事件、絵島事件で絵島が流された絵島囲み屋敷(長野県伊那市)
2007/4/18 |
■大奥のあった江戸城本丸跡(東京都千代田区)
2005/9/3 |
■大奥から直接城外へ出るための門だった北桔橋門(きたはねばしもん)(東京都千代田区)
2003/9/3 |
2011/01/05 |
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