写真11:記念館1階

写真12

写真13:関東大震災の地震波形

写真13:関東大震災で焼けた遺物

写真14:アメリカでの義援金募集ポスター

写真15:2階

写真17:関東大震災を描いた絵

写真16:1930(昭和5)年の帝都復興展覧会での模型

写真18:東京大空襲でのB29爆撃機

写真19:東京大空襲でのB29爆撃機

写真22:東京スカイツリー(墨田区)(北東方向1.8km)から

  • 記念館の横に、鉄骨、自動車シャーシなど、震災での被災物をモニュメントとして展示している

写真21:震災記念屋外ギャラリー

両国駅

写真4

写真21

写真6

写真1

江戸東京博物館
両国国技館
旧安田庭園
台東区
隅田川

写真20 (360度) >>拡大

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■東京都墨田区横網町公園の情報、地図、概要

都立
横網町公園
よこあみちょうこうえん
東京都慰霊堂
東京都復興記念館
東京都墨田区横網2丁目
グーグルアース座標(東京都慰霊堂)=N35 41 56.77 E139 47 45.79
地図地図
撮影日:2010/12/19 P22のみ=12/12/1
写真1
概要
  • 横網町公園
    • 近くに大相撲の興行を行う両国国技館があることから、横網(よこあみ)を横綱(よこづな)と勘違いしがちである。
    • 公園のある場所は、関東大震災において多くの死者を出した陸軍被服廠跡である。
      • 被服廠(ひふくしょう)とは、軍服など、軍隊で身につけるものを製造していた工場。
    • 当時の東京市が、移転した被服廠跡を公園として整備している最中の1923(大正12)年、関東大震災が発生、多くの避難民がここに避難している中、地震で同時多発した火災により、火炎竜巻ともいえる巨大火災旋風が発生、ここで3万8千人が死亡した。
      • 東京市全体の死者の約半数がここで亡くなったという。
    • 1930(昭和5)年、公園内に慰霊堂や納骨堂(三重塔)が完成。
    • 1931(昭和6)年、災禍を未来に伝えるための施設、復興記念館が完成。
    • 1945(昭和20)年、東京大空襲により、ここ墨田区を中心に再び多くの犠牲者が出た。
      • 慰霊堂に関東大震災と東京大空襲の犠牲者を合祀した。
    • 園内には他に、関東大震災時、デマで殺害された多くの朝鮮人を追悼する碑、被災した児童を弔う碑、東京大空襲の犠牲者を追悼する碑などがある。
  • 東京復興記念館
    • 開館時間:9:00AM-4:30PM
    • 休館日:月
    • 入館無料
ビデオ映像あり動画
公式HP
横網町公園
横網町公園(東京都公園協会ページ)

■記念スタンプ

写真2:東京空襲犠牲者を慰霊し平和を祈念する碑

写真3

写真4 (360度) >>拡大

写真6:慰霊堂裏の納骨堂

写真5:関東大震災の火災で折れ曲がった鉄骨

写真7:東京都慰霊堂

写真8:慰霊堂

写真10:東京都復興記念館

写真9:関東大震災の写真