東京大空襲 |
とうきょうだいくうしゅう |
- 第2次世界大戦において、日本の首都東京がアメリカ軍によって受けた空襲のうち、特に被害の規模が大きかった1945年(昭和20)3月10日の空襲をいう。
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- 4月13〜15日、5月23,25日の空襲を含める場合もある。
- 東京は1942年(昭和17)4月18日から1945年(昭和20)8月15日の終戦日まで、合計130回の空襲を受けた。
- 最後の空襲は古里村(こりむら・現、東京都奥多摩町)だった。
- 3月10日の空襲は、原爆を除いた通常兵器による史上最大の被害を受けた。
- 3月10日の空襲ではB29爆撃機325機により、20万発の焼夷弾が投下された。
- 焼夷弾は攻撃するものを焼き尽くすためのもので、投下されてから何十もの小爆弾に分散する。
- ベトナム戦争で使われたナパーム弾もその一種。
- この1日で10万人が死亡したとされる。
- 東京の市街地の6割が焼失し、687万人だった区部の人口が、疎開なども含めて235万人まで減ってしまった。
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■2012(平成24)年、空襲により焼失した3階部分の復原工事が完了した東京駅(東京都千代田区)
2012/11/4 |
■空襲写真・・・東京復興記念館(横網町公園)(東京都墨田区)
2010/12/19 |
■東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)
2007/5/4 |
■爆撃で折れ曲がった鉄骨(実物) 江戸東京博物館(東京都墨田区)
2004/12/16 |
2011.06.11 |
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