| 東京都昭島市の記事 | 
    
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      | ■総合 | 
    
      |  |  |  | 未記入は朝日新聞 | 
    
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      | 2011.01.22 |  |  |  | 
    
      | ■昭島市 >>戻る | 
    
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      | 2008.12.25 | 
        多摩3市も雇用創出
        臨時職員募る
        羽村市・日野市・昭島市
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      | 2008.11.09 | 
        昭島の財政 市民が点検
        
          水道料安さ6位 事業に安定性 職員給与は22位 高水準に驚き
          市民大受講生ら成果一冊に凝縮
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      | 2008.10.06 |  |  |  | 
    
      | 2008.09.30 |  | 
        基地跡もったいない 鈴木和枝氏(共産党推薦無所属新)
        母ら不安の施設ノー 南雲氏(無所属新)
        
          米軍基地跡の法務省の医療刑務所などの集約施設「国際法務総合センター」(仮称)計画
        開発に中心施設(国際法務総合センター)必要 北川氏(自民・公明・国民新党推薦無所属現)
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      | ■  花木 >>戻る | 
    
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      | 2009.04.17 | 
        黄色い花びら 最後はピンク
        ウコンザクラ
        市役所南側
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      | 2006.06.30 | 
        「宇宙ツツジ」昭島に
        向井さんと地球周回の旅 
        育った苗木 群馬から
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        日本初の女性宇宙飛行士、向井千秋(館林市出身)さんと一緒に宇宙を旅したツツジの種子から育った「宇宙ツツジ」(登録商標)の苗木が、昭島市に贈られた。
        
          贈ったのは、ツツジの観光名所で知られる群馬県館林市。
          両市は今年、大規模災害時の応援協定の締結をきっかけに親交が始まった。
          両市とも市制施行は1954年(昭和29)で、市の花も同じツツジ。
          苗木は市役所南側の一角に植えられた。
          「少しずつ増やしていって、将来は、街の拠点となるような場所にどんどん植えていきたい」と市長。
        館林市には、樹齢800年とも1千年とも言われるツツジの群落があり、国の名勝に指定されている。
        
          宇宙ツツジは、世界で唯一、宇宙を旅したツツジの種子から育った。
          この種子はツツジの生育・保護を担う「館林市つつじ研究所」から託され、1994年(平成6)、向井さんを乗せたスペースシャトル「コロンビア」で約14日間の地球周回軌道を経験した。
        宇宙ツツジの名称は1999年(平成11)に商標登録された。
        
          宇宙ツツジと普通のツツジの違いについては「一概に言えない」と、つつじ研究所の所長。
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      | ■観光 >>戻る | 
    
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      | 2011.04.01 | 
        昭島観光まちづくり協会:見学・体験型を提案 拠点の案内所きょうオープン
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        産業観光を新しいコンセプトとして誕生した昭島市の「昭島観光まちづくり協会」の観光案内所。
        
          市内に展開されている航空、電子デバイスなど最先端の産業・商業施設の見学・体験型の観光を提案する協会の新しい取り組みの活動拠点。
        案内所は昭島駅北口の階段を下りたところ。
        
        市内の観光案内や産業の紹介、地域情報の案内を行うほか、地元で活動する藍染め作家の形山栄依子さんが製作したハンカチ、「アキシマクジラ」にちなんだクッキーなどの地元関連商品の販売も行う。
       | 毎日新聞 | 
    
      | 2008.09.24 | 
        市民に昭島PR 初の観光小冊子
        散策やご当地グルメ・・・
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        温泉があるわけでも、自然の景勝があるわけでもない、観光イメージにほど遠いと思われがちな昭島市。
        
          市民に郷土の良さを再認識してもらうのが目的で市と商工会が作った。
        市北部を流れる玉川上水や南部にある水辺の散策路、わき水ではワサビの栽培を見ることができる。
        
          昭和記念公園も抱える「水と緑」の街の姿を紹介。
          1999(平成11)年に売り出した地場産米を使った「あきしまだんご」や地酒、昨年から一般開放した三多摩総合食品卸売市場などは意外に知られていない。
          
        「魅力ある商品や施設など観光の視点で探してみると、けっこうあった」と市産業振興課課長。
        
          小冊子はJR昭島駅や駅周辺のコンビニエンスストアで配布。
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      | ■基地跡地利用問題 >>戻る | 
    
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      | 2010.03.24 | 
        法務センター計画地に希少種
        保護地区を設置へ
        国、昭島市に提示
        効果に疑問の声も
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      | 2008.05.24 |  | 
        八王子少年鑑別所・八王子医療刑務所(八王子市)、関東医療少年院・矯正研修所・国連アジア極東犯罪防止研修所(町田市)
        
          改修や増改築を重ね、古くて築40年以上。
          法務省が施設を集約する狙いの一つには、医師や看護師不足の解消がある。
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      | 2008.06.12 | 
        米基地跡地の自然環境調査
        希少動植物を確認
        法務総合センター 計画影響の可能性
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        医療刑務所や少年鑑別所などを集約した法務省の「国際法務総合センター」(仮称)が計画されている米軍基地跡地に、国が絶滅の恐れがあるとして希少種に指定している野生動植物が存在していることがわかった。
        
          跡地利用を前に財務省が実施している自然環境調査で判明した。
          希少種の具体名や確認場所などの詳細は「保護の観点から公表できない」としている。
        広さ約70ヘクタールの基地跡地は米軍の撤退後に多くの建物が取り壊され、30年近く手つかずの状態が続いた。
        
          国有地でもある跡地の利用については、(またがる)昭島、立川両市と東京都の3者が6月までに利用計画を財務省に提出しなければならず、この中には法務総合センターも含まれている。
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      | 2008.04.09 | 
        刑務所除く代替案
        米軍基地跡の法務センター計画
        地元自治会、市に提出
        別団体も案検討
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        法務省が昭島市の米軍基地跡地に計画する医療刑務所や研修所などを集約した「国際法務総合センター」(仮称)をめぐり、反対する地元の「むさしの自治会」は刑務所を除いた独自の跡地利用計画案を作成し、市に提出した。
        
          これまで反対署名を集めて計画撤回を訴えたが、市が法務省の計画を受け入れたため、住民要望の計画案を作ることで市に再考を求めていく考え。
          自治会の計画案は法務省案から刑務所施設を除き、研修施設や職員宿舎からなるセンターに縮小。
          市案にあった南側の民間利用ゾーンも踏襲する。
          30年近く手つかずの雑木林が広がり、オオタカの飛来も目撃されているという環境を残し、昭和記念公園の拡張や公園整備など自然環境保護を主眼にした。
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      | 2008.02.28 |  | 
        計画に反対する地元「むさしの自治会」などは、跡地内に絶滅のおそれがあるオオタカの飛来を確認し、営巣の可能性が高いとして都や国に、跡地内の自然環境保護を求める陳情書を提出した。
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      | 2008.02.20 | 
        立川基地跡に「法務センター」
        昭島市長、計画受け入れへ
        「苦渋の決断」
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        法務省が昭島市の米軍立川基地跡地に計画している「国際法務総合センター」(仮称)について、市長は計画を受け入れる方針を固めた。
        
          しかし、医療刑務所などを統合するセンターの計画は、地元住民や自治会が反対署名を集めており、さらなる反発は必至。
          センターは基地跡地のうち、昭島市にかかる約70ヘクタールの3分の1、約22ヘクタールの使用を想定している。
          この時期の受け入れ表明は、跡地南側のJR青梅線・東中神駅の整備など市の街づくりに、国の支援が得られる見通しがついたためという。
        市が土地取得して独自利用した場合の試算をしたところ、取得費だけで620億円以上。
        
          「年間公共事業予算が7億円の昭島市単独の事業は不可能」(市長)と結論づけた。
          地元住民が反対する一方で、昭島市商工会や地元商店会は地域の活性化につながると、法務省計画に賛成の意見書を提出している。
        一方、基地跡地西側の約400世帯でつくる「むさしの自治会」など地元住民は反発を強めている。
        
          法務省は市民説明会などで、現施設の老朽化や受験者の増加、医師不足が施設の移転・集約につながったと説明。
          「住宅地から刑務所を見えないよう配慮する」とした。
          住民側は分散していた収容施設を1カ所に集めることに「治安や脱走など不安がぬぐえない」と訴える。
          跡地内で絶滅のおそれがあるオオタカの飛来を確認、「緑と環境破壊につながる」とも訴えている。
          不満の矛先は、2003年(平成15)に実現可能な地元利用計画を提出するよう国から求められながら、具体的な計画を打ち出せなかった市にも向かう。
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      | ■市民 >>戻る | 
    
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      | 2009.11.19 | 
        よさこいグループ「カペラ」10周年
        元気と笑顔、共有したい
        
       |  | アサヒタウンズ | 
    
      | ■事件・事故 >>戻る | 
    
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      | 2011.10.10 | 
        運動会の綱引き 綱切れ14人けが
        女児骨折
        2回目に真っ二つ
        かけ声が悲鳴に
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        拝島第二小学校グラウンドで地元自治会などが主催。
        使われた綱は同小が1982(昭和57)年から使ってきた。
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      | 2011.03.23 |  | 
        昭島市昭和町の路上で、同市内に住む無職女性(79)が自転車で走行中、後ろから来た男に前かごに入った800万円入りのビニール袋をひったくられた。
        
          女性は現場から約100メートル離れた銀行で現金を下ろし、帰宅途中だった。
         | 産経ニュース | 
    
      | 2009.12.07 |  | 
        無職女性(20)が歩道で知人男性と口論。
        
          「死ぬ」と言って横断歩道に横たわり、トラックにひかれた。
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      | 2009.04.22 |  |  |  | 
    
      | 2009.03.28 | 
        音楽講師の男(47)に懲役4年を求刑
        (楽器の個人レッスンの相手の)女子高生にわいせつ
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      | 2011.03.31 | 
        「MADE IN TOKYO」「東京生産」は技術と信頼の証――日本HP昭島工場(PC製造)に“誇り”を見た
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        高い品質と確かな信頼が「東京生産」の誇り
        漬け物石で耐荷重テスト、さらに日本独自の検査も
        テストに次ぐテストで徹底的に検査
        お客様の厳しい目に耐えられるチェックを
        多能作業員が支える直線型のライン構成
        オーダー内容もパーツもすべてバーコードで集中管理
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      | 2009.04.02 | 
        年間70万台を受注生産
        昭島発 東京パソコン
        たま産まれ
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        日本ヒューレットパッカード社では、パソコンやサーバーを100人の従業員で。
        
        「人件費などは海外生産のほうが抑えられますが、それでも東京で製造するメリットは大きい」と所長。
        
          利点はスピード。
          
            発注から5日で購入者に届く。
            不具合が起きた場合も素早い対応。
            長距離輸送の影響で起きる初期不良や故障の発生率も低減。
          パーツは世界中から取り寄せ、組み立てる。
          
            1つのパーツを複数の業者と取り引きすることで競争を生み、コストを抑える。
            全製品がバーコードで管理され、トラブルが起きた場合の原因究明に役立てる。
          段ボールや緩衝材など関連資材の取り引きに参入、雇用や地域への経済効果がある。
        公式HP→日本ヒューレット・パッカード
       | アサヒタウンズ | 
    
      | 2008.07.17 | 
        「繊細な当たり手元に伝わる」自ら作る
        バンブーロッド
        技
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        羽毛や獣毛で水生昆虫に似せたフライ(擬似針)で渓流や湖にいるイワナやヤマメ、マスなどを釣るフライフィッシング。
        
          昭島市の小澤さん(57)はバンブーロッド(竹製竿)製作者。
          切り出した竹をそのまま生かす和竿と違い、竹を裂いて張り合わせるなど、作り手の技術と感覚で加工する。
          竹製の本体から、コルク製の握り手、金属製のジョイント、ドイツメープルを削り出すリールシートなど、すべて手作りで仕上げる。
        フライフィッシングは500年ほど前にイギリスで生まれ、アメリカでアウトドアスポーツといて発展した。
        
          日本では約80年前、中禅寺湖 (栃木県日光市)で始まったといわれている。
        子供の頃から多摩川で釣りに親しんできた。
        
          商社員だった20代半ばに、小魚などに似せた形の擬似針を使うルアーフィッシングを始めた。
          津久井湖 (神奈川県相模原市)でフライフィッシングに出会うが、仕事に忙殺され、次第に遠ざかった。
          40歳の時、一時休息のつもりで退社し、釣りを再開。
          細くて柔らかく、繊細な当たりが手元に伝わるようなロッドを探したが市販品にはなく、自分で作るしかないと、洋書を頼りに道具を揃え、製作を始めた。
          試すうちに、注文が入るようになり、専業に。
          すべて受注生産で1カ月に3本ほどしか作れない。
          数年前から腱鞘炎に悩まされ、現在はたまった注文をこなすだけで精一杯。
         | アサヒタウンズ | 
    
      | 2008.02.28 |  | 
        東京都の伝統工芸品「東京琴」。
        
        和楽器の琴は奈良時代、中国から伝わった。
        
          江戸時代に盛んに演奏されるようになり、改良されて、長さ6尺(約182センチ)で音量豊かな山田琴が誕生した。
          「東京琴」は、すべて手作業で仕上げた山田琴を指す。
        琴の材料は、樹齢40〜50年の会津桐が最適とされ、甲羅と呼ばれる胴の形になったものを仕入れる。
        
          買い付けた甲羅は野外で2、3年間、雨ざらしにしてアク抜き。
          さらに室内で1、2年乾燥させて木を締めてから加工する。
          琴1面の製作日数は約1週間。
        近年、琴人口は減っているが、片切さんは「将来は明るい」と期待する。
        
          2002年(平成14)から小中学校の指導要領に邦楽が取り入れられ、昭島市、武蔵村山市、国分寺市などの学校に琴と三味線を貸し出し、楽器の解説にも出向く。
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      | 2007.03.31 | 
        90メートルの地下道、明るく変身
        両側壁面に児童・生徒の絵30点
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        昭島市民会館・公民館前の地下道の壁が、市内の小、中、高校全11校の子どもたちの絵で生まれ変わった。
        
          JR青梅線の線路下を抜ける地下道。
          
          絵の共通テーマは「水と緑」。
          
            絵をアルミ製のシールにプリント。
            上にラミネート加工を施した。
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      | ■水 >>戻る | 
    
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      | 2007.05.29 | 
        井戸・湧水を一目で
        昭島の市民グループ
        180カ所の現状、地図に
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        昭島市の市民グループ「昭島環境フォーラム」が、市内にある井戸と湧水の現状を調べ、その結果を環境マップとして完成させた。
        
          井戸は166カ所、湧水は14カ所について現状が分かった。
          井戸は現在でも107カ所で使われていた。
        一方で、地下水の汚染によって不使用となった井戸も16カ所あった。
        
          汚染の内容はガソリンによるものが多かったという。
          それらをまとめたのが「あきしま環境マップ 第2集 井戸と地下水と湧水」(500円)。
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      | 2006.09.23 |  | 
        昭島市で地下水の保全を考えるシンポジウムが開かれた。
        
          多摩地域の市民らでつくる「多摩の地下水を守る会」主催。
          立川市内での地下水汚染問題をきっかけに3年前に結成された。
          地下水を守り続けるには行政の垣根を超えた取り組みが不可欠として、各自治体に「地下水保全条例」の制定を求めていくことなどを宣言した。
        都立富士森高校(八王子市)教諭の長谷川博之さん(51)も参加した。
        
          長谷川さんは昭島で生まれ育ち、今も暮らす。
          地下水保全に向け、市民にもっと意識を高めてもらいたいと訴え続けている。
          春から夏にかけて、長谷川さんは仲間たちと一緒に市内約200の井戸を調べた。
        調査の途中、長谷川さんは、崖線(がいせん)の近くで思わず足を止めた。
        
          崖線に沿って、たくさんの湧水がある。
          地下水が潤す昭島を象徴する場所でもある。
          その傾斜地で、住宅建設が進められていた。
          近づくと、足元が水浸しになった。
          工事現場のわきの斜面から水がわき出しているのだ。
          崖線の緑地と湧水が開発で消えてしまうのではないか。
          長谷川さんは言いようのない焦燥感に駆られた。
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      | 2006.09.22 |  | 
        昨年、コーヒー豆と日本緑茶の専門店「カフェド カルモ」がオープン。
        
          店主の大塚さん(35)。
          客に席を勧め、グラスに冷たい水を注ぐ。
          「昭島の水道水です。いかがですか」
          市外からの客も多い。
          「へえ、これが水道水」と、驚く。
        登山好きの大塚さんは、初めて昭島の水を口にした時、山に沸く清水を思い浮かべた。
        
          登山者の喉とココロを潤してくれる清らかなあの味だ。
          自分が考えている店を開くには、ここしかないと決めた。
        開店を直前に控えた昨年10月、大塚さんは市水道部を訪ねた。
        
          「お客様に『水の話』でおもてなしをしたいのですが」
          突然、窓口に現れた女性に職員たちは驚いた。
          大塚さんは「昭島の水のとりこになった」ことや「地下水についてもっと知りたい」ことなどを語った。
          熱意に押される格好で、水道部は申し入れを受けた。
          水質から、他のミネラルウオーターとの違いなど、2〜3時間ずつ、3回に分けて講義した。
         公式HP→Cafe do Carmoがあったが2011.04時点消滅
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      | 2006.09.21 |  | 
        昭島市が水道事業を始めたのは約半世紀前。
        
          当時、市内には1千カ所を超える井戸があり、暮らしや仕事を支えた。
          
            今でも、豆腐屋さんやおそば屋さんなどは自前の井戸を持っている。
          「昭島は、水がめの上に浮かんだような街ですね」。
          
        市内で利用している地下水は、浅い地層のものと深い地層とに分けられる。
        
          浅い地層を流れる地下水は奥多摩など、北西側に源を発する。
          深い地層のものは、それとはまったく逆に南から北へと流れている。
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      | 2006.09.20 |  | 
        「蛇口をひねれば、地下水100%」
        
          昭島市は、約4万9千の全世帯の水道水を地下水でまかなっている。
          
            水の豊かな多摩地域で、雨水や河川の水が大地に深く浸透し、長い年月をかけて磨き上げられた天然水。
          市単独の水道事業を支えているのが20本の深い井戸。
          
            地下150〜250メートルの深層から1日あたり約4万立方メートルを汲み上げ、家庭に供給している。
            加える消毒用塩素の量は「極めて少なく」、おいしい水の基準の上限とされる「0.4mg/リットル」よりもかなり少ない。
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      | ■駅 | 
    
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      | ◆昭島駅 >>戻る | 
    
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      | 2008.12.23 |  |  |  | 
    
      | ◆中神駅(なかがみえき) >>戻る | 
    
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      | 2008.07.16 | 
        開業100年の青梅線中神駅
        駅と地域 変遷知って
        昭島市役所で講演会
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        駅とまちの変遷について学ぶ講演会が、市役所本庁舎市民ホールで開かれる。
        
          鉄道愛好の市民グループ「青梅鉄道資料調査会」のメンバーで郷土史に詳しい三村昭島市環境部長(56)が、青梅鉄道の資料や戦前、戦後の駅舎写真などを紹介しながら100年を振り返る。
        1894(明治27)年、立川−青梅間で、青梅鉄道(現青梅線)が開業。
        
          当初は拝島まで駅がなく、中神村はじめ近隣の強い要望で、1908(明治41)年、中神駅開設が実現。
          青梅鉄道は1929(昭和4)年に「青梅電気鉄道」と改称し、1944(昭和19)年に国有化された。
          その後も存続していた運営会社が1995(平成7)年に解散する際、JR青梅駅の本社地下倉庫などに保管していた駅舎の図面や地図、事務書類など資料約2万点を青梅市郷土博物館に寄贈した。
          これらの資料を眠らせたくないと1996(平成8)年、三村さんら多摩地区の鉄道を研究していた7人が青梅鉄道資料調査会を結成し、資料整理や調査を続けてきた。
        100年という歴史のわりに、戦前の駅舎写真が1枚しか見つかっておらず、「講演を機に身近な歴史に関心を持つ人が増えれば、新しい資料の『発掘』につながるかもしれない」と期待する。
        
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      | ◆拝島駅 >>戻る | 
    
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      | 2011.10.03 |  |  | 毎日新聞 | 
    
      | 2007.09.13 |  | 
        JR3線と西武線が通る拝島駅では、
        
          南口と北口を結ぶ自由通路ができ、新しい橋上駅舎の利用が始まっている。
          JRの改札内では「エキナカ」商業施設の「ディラ拝島」も開業。
          
          乗り換え客らの「寄り道」を期待している。
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      | 2006.08.08 | 
        「命の恩人」名乗り出て
        駅で心肺停止男性を蘇生
        救急隊到着後に立ち去る
       | 
        拝島駅で81歳の男性が突然倒れて心肺停止状態になった。
        
          通りがかった男性2人の心臓マッサージと人工呼吸で一命を取り留めた。
          昭島消防署は1人に感謝状を贈ったが、現場を立ち去ったもう1人を捜している。
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      | ◇拝島駅女性突き落とし | 
    
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      | 2009.02.05 |  | 
        容疑者は当時、強制わいせつ事件で執行猶予の期間中だった。
        被害者の女性は、大けがのため事件3日後に控えていた結婚式を延期せざるをえなかった。
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      | 2008.08.01 |  |  |  | 
    
      | 2008.05.29 |  | 
        JR青梅線電車内で、羽村市のパート女性(25)と向き合うように立っていた30歳前後男が下半身を露出した。
        
          女性が男を注意し、拝島駅に到着したところで男の腕をつかんでホームに降ろした。
          男は女性の手を振り払い、押して線路に突き落としたという。
          電車は出発した後だった。
          女性は肋骨が折れるなどの重傷を負った。
          男は逃走。
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      | ■  食 | 
    
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      | ◆菓子 >>戻る | 
    
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      | 2008.10.19 | 
        米農家みえる昭島産の風味
        桝屋の「あきしまだんご」
        ぐるたま
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      | ■アキシマクジラ >>戻る | 
    
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      | 2010.03.04 |  | 
        昭島駅前郵便局(田中町)と昭和郵便局(宮沢町)の切手に押す風景印にはアキシマクジラが描かれている。
       | アサヒタウンズ | 
    
      | 2002.05.01 |  | 
        多摩川の歴史として、170万年から100万年前に堆積した上総層群という地層の上に、川が流れた跡が確認されるという。
        
          この時代は埼玉県入間市と昭島市を結ぶあたりが海岸線でアキシマクジラが泳いでいた。
        アキシマクジラが見つかったJR八高線の鉄橋の下の河原はs、一面に赤茶けた岩がむき出しになっている。
        
          砂と粘土の中間の粒の大きさの「シルト層」と呼ばれる地層で、周辺では化石がたくさん発見されている。
          アキシマクジラ
          
            1961年(昭和36)、昭島市の小学校教員、故田島政人氏が発見した。
            全長16メートルのほぼ完全な形で発見された。
            昭島市役所に展示されているのは上腕骨と胸椎だけで、全体の骨格化石は国立科学博物館新宿分館(新宿区)に収納され、一般公開されていない。
            田島氏の長男らがアキシマクジラの「里帰り」を盛り上げる運動をしているが、収容する施設を造る予算のめどがたっていない。
          100万年も昔の地層が露出したのは、以前は業者が砂利を採りすぎたためと言われてきたが、そればかりではなく川が押し流す「河床洗掘現象」が、最近は注目されている。
        
          工事で両岸を固められた川の力が、川底まで削り取ってしまう。
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      | ■家具の博物館 >>戻る | 
    
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      | 2008.11.06 | 
        懐かしの生活道具150点
        ちゃぶ台・はいちょう・冷蔵庫−
        企画展「これな〜んだ」
       |  | アサヒタウンズ | 
    
      | ■諏訪神社 >>戻る | 
    
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      | 2004.08.05 |  | 
        「東京の名湧水57選」の一つ、諏訪神社の湧水路で、夏休みを迎えた子どもたちが水遊びを楽しんでいる。
        
          神社石段わきの崖からわき出る水は、湧水池から石組みの水路を通って境内を流れる。
        日照り続きで、水は水路の底を流れる程度。
        
          「例年に比べ湧水量はかなり減っているようで、水枯れが心配です」と市環境課。
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      | ■多摩大橋 >>戻る | 
    
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      | 2007.10.28 |  | 
        事業費は約65億円。
        多摩大橋は幹線道路の都道八王子武蔵村山線が多摩川を渡る橋で1966年(昭和41)に架けられたが、歩道がなかった。
        
          東京都は今後、約2年かけて旧橋を補強し、歩道を施したうえで再び使う。
          旧橋の整備が終わると、新橋は北行きの昭島方面、旧橋は南行きの八王子方面への道路となる。
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      | ■多摩川 >>戻る | 
    
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      | 2009.11.16 |  | 
        多摩川の遊歩道でサイクリング。
        
          (以前から、この遊歩道では自転車のマナーが悪い、スピードを出しすぎると報道されていた。)
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      | 2008.09.08 | 
        多摩川で同日おぼれ 男性2人死亡
        奥多摩町と昭島市で
       | 
        昭島市では岩場で釣りをしていた昭島市の男性(76)が、奥多摩町ではキャンプ場に遊びに来ていた横浜市の会社役員(29)が流され死亡。
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      | 2007.03.19 |  | 
        約2時間後に消えた。
        
          周辺の河川敷では雑草火災が時々あり、ポンプ車を巡回させてたばこのポイ捨て防止を呼びかけるなどしている。
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      | ■拝島高校巨大貼り絵 >>戻る | 
    
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      | 2008.10.01 | 
        モネのはり絵が都心初お目見え
        拝島高校の文化祭名物
       | 
        都教職員研修センター(文京区)の壁。
        
          2006年(平成18)度制作のクロード・モネの「日傘の女」。
          都教育実践発表会で巨大はり絵の取り組みが紹介されることになったため。
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      | 2008.09.20 | 
        200人で張り絵、ルノワール輝く
        拝島高校文化祭で10作目
       | 縦9メートル、横12メートルのルノワールの出世作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。 
          美術部員を中心に、芸術科目で美術を選択した生徒や卒業生らが3カ月をかけ、小指大の色紙を小さくちぎってはりつける。
          1999(平成11)年に始まった文化祭の名物。
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      | ■八高線列車衝突事故モニュメント >>戻る | 
    
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      | 2004.04.03 |  | 
        敗戦直後の混乱期、八高線多摩川鉄橋で列車同士が衝突して多数の死傷者が出た事故を伝えるモニュメントが、現場近くのくじら公園わきの多摩川堤防上に完成した。
        
          昨年、近くの中州から車軸つきの車輪2対が58年ぶりに回収され、モニュメントを建てるきっかけとなった。
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      | 2004.03.13 | 
        列車衝突事故の謎追う 
        八高線鉄橋で終戦直後発生 
        作家・新たな取材結果報告
       | 
        八高線多摩川鉄橋列車衝突事故:
        
          敗戦直後の1945年(昭和20)8月24日早朝、多摩川に架かる八高線鉄橋中央で、上下の列車同士が正面衝突。
          双方の列車は大破し、105人の死者を含む多数の死傷者を出した。
          八高線は、当時単線。
          犠牲者の大半は、戦地からの復員兵や疎開から帰る女子学生だった。
          車両は線路復旧のため川に落とされ、車体は分解された。
        犠牲者100人を超す大惨事だが、占領時代の混乱を背景に原因や状況の多くが謎の彼方にある。
        事故を追うノンフィクション作家が講演し、取材結果を報告する。
        
          講演する船越さんは、20年ほど前から現場周辺で取材を続けている。
          当時の鉄道関係者、近くの住民、遺族などを訪ね、1985年(昭和60)にノンフィクション『大列車衝突の夏』
        著書で船越さんは、駅職員による列車への連絡ミスが原因と推測。
        
          だが当時の現場一帯は、米軍立川基地などがある特殊な軍事環境下。
          惨事の詳細は公表されず、多くが謎のまま残った。
        その後の追加取材で新たに知った事実は
        
          鉄道は全国で混乱、事故も多発した。
          買い出し列車の事故で大騒ぎした記録が数多く残っているのに、なぜかこの事故では、騒ぎが起きた形跡がない。
          天候のことが記録に残っていないが、当日は前夜の大雨で多摩川は洪水状態だったことがわかった。
          川に落ちた犠牲者の多くは東京湾まで流されたほどなのに、事故原因にもつながりかねない悪天候が問題とされなかったのはなぜか。
          これほどの惨事で現場近くに慰霊碑や供養塔のたぐいが一切ない。
          「取材を始めた当時はまだ、壊れた車体の一部が河原に捨てられたように残っている状況でした」と船越さん。
        残っていたとみられる車輪2対が昨年、車軸つきで58年ぶりに現場から引き揚げられた。
        
          昭島市は、さびた車輪を使ったモニュメントを、現場近くの多摩川堤防に建設している。
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      | 2003.11.14 | 
        58年ぶり事故車輪 
        昭島市など引き揚げ 
        来春に展示予定
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        太平洋戦争終結直後の1945年(昭和20)8月、多摩川にかかる八高線鉄橋で列車同士が正面衝突し、多数の死傷者を出した事故で、現場の中州に遺棄されていた列車の車輪が、昭島市などの手で58年ぶりに引き揚げられた。
        
          市は歴史のモニュメントとして来春、現場の堤防に展示する計画。
        引き揚げられたのは鉄製車輪2対で、それぞれ車軸でつながっていた。
        
          中州の茂みの中に半ば埋もれ、さび付いていた。
          2年前に発見されていたが、重量物のため、引き揚げできずにいた。
        JR関連の工事で鉄橋の現場に土木業者の重機が出動することを知ったことから市側が協力を依頼、引き揚げが実現した。
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