スペースシャトル |
Space Shuttle |
- 一般的には、アメリカのNASAが1981(昭和56)年から2011(平成23)年まで運用した、地球と宇宙空間との間を往復することのできる有人宇宙船
- NASAにおける正式呼称はSTS(Space Transportation System)
- 2011(平成23)年7月のアトランティスの飛行を最後に運用は終了した
|
- 最大7名の乗務員と約29トンのペイロード(積載物)を搭載して、16〜18日間の宇宙飛行を行う能力を持つ
- 打ち上げ時の全高は56m
- 地上から高度500km程度の地球低軌道と地表とを往復するための宇宙船
- 打ち上げ・帰還
- 打ち上げ
- 打ち上げ後2分で固体燃料ロケットブースターを分離
- 打ち上げ後8分30秒で外部タンクの燃料を使い切り、エンジンを停止してタンクを分離
- オービターのエンジンで地球周回軌道に入る
- 帰還
- 帰還時は大気圏で空気摩擦熱の1500℃に耐える
- グライダーのように滑空して着陸する
|
- 全135回打ち上げられたが、1回の運用に約800億円かかり、コスト的には成功したとはいえない計画となった
|
- 機体名
- エンタープライズ 1977(昭和52)年滑空試験に使用
- コロンビア 1981(昭和56)年-2003(平成15)年(帰還時空中分解)
- チャレンジャー 1983(昭和58)年-1986(昭和61)年(打ち上げ時爆発)
- ディスカバリー 1984(昭和59)年-2011(平成23)年
- アトランティス 1989(平成元)年-2011(平成23)年
- エンデバー 1992(平成4)年-2011(平成23)年
|
- 日本人の搭乗ミッション
- 1992(平成4)年 毛利衛(まもる)
- 1994(平成6)年 向井千秋
- 1981(昭和56)年に、解離性大動脈瘤で入院した石原裕次郎の担当医だった
- 1996(平成8)年 若田光一
- 1997(平成9)年 土井隆雄
- 1998(平成10)年 向井千秋
- 2000年(平成12) 毛利衛/若田光一
- 2005(平成17)年 野口聡一
- 2008(平成20)年 土井隆雄/星出彰彦
- 2009(平成21)年 若田光一(2度飛行)
- 2010(平成22)年 山崎直子
|
- 事故
- チャレンジャー
- 1986(昭和61)年、打ち上げ73秒後に燃料タンクが爆発した
- 乗組員7人の中には、初の一般市民の女性高校教師が含まれていた
- コロンビア
- 2003(平成15)年、打ち上げ時に断熱材がオービターの翼を直撃し破損したことにより、帰還時に空中分解した
- この時に死亡したイスラエル初の宇宙飛行士の息子が、2009(平成21)年、パイロット養成課程を数カ月前に好成績で修了した後、戦闘機で飛行中に墜落し死亡したことが、親子2代の悲劇として報道された
|
関連 |
|
関連HP |
スペースシャトル(JAXA(宇宙航空研究開発機構)HPページ) |
Space Shuttle(NASA HPページ) |
■山崎直子宇宙飛行士が搭乗したスペースシャトルのミッションのポスター・・・JAXAi(東京都千代田区)
2010/12/23 |
■スペースシャトルを模した展示施設(多摩六都科学館(東京都西東京市))
2009/10/9 |
■スペースシャトルで回収された日本の実験装置 国立科学博物館(東京都台東区)
2004/12/3 |
■スペースシャトルで宇宙へ行った種からの「宇宙ツツジ」 松本城(長野県松本市)
2004/8/11 |
2011.07.24/2011.05.28 |
|