- 仏教伝来以来、神道は徐々に仏教と習合し、長らく神仏習合の時代が続いた。
- 江戸時代になると儒学や国学の排仏思想によって、神道から仏教色を排除する動きが出現し、地域的な神仏分離が行われた。
- この排仏意識は幕末に至っていっそう強まり、藩によっては過激な寺院整理が行われた。
- 維新政府は祭政一致の制度を実現しようと神道国教化の下準備として神仏分離を全国的に展開させた。
- 政府の発した神仏分離令により全国の神仏混淆神社から仏教色がすべて排除される。
- 過激な神仏分離が多発したため神仏分離の実施には慎重を期すよう命じた。
- しかし一部の地域で地方官がこれを無視して強硬な抑圧・廃仏策を進めたため、寺院の統廃合など神仏分離を超えた廃仏棄釈と呼ばれる事態が1874(明治7)年頃まで続いた。
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