- 1773〜1841(江戸時代中後期)
- 歴代将軍中最も長く50年間も将軍職にあった。
- 1787年に将軍に就任。
- 1837(天保8)年に子の家慶に将軍職を譲って隠居したが、死ぬまで大御所として実権をにぎった。
- 正室のほかに多数の側室をもち、55人もの子供をもうけた。
- 在任中は天明の飢饉や天保の飢饉があり、百姓一揆が各地でおき、大塩平八郎の乱も起きるなど、幕藩体制が大きくゆらぎ始めた。
- 松平定信が将軍補佐役になって権力を奮い、寛政の改革を押し進めた。
- しかし、成長して意志を主張し始めた家斉と確執がおき、失脚したといわれる。
- 定信が退任したあと、寛政の改革の方針に従って積極的に政治を行った。
- しかし、政務を側近に任せるようになり、賄賂が横行、政治が腐敗していった。
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