| 西郷隆盛 | さいごう たかもり | 
  
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        明治維新の指導的政治家で、維新を成功させるも、最終的には政策の違いにより戦争を起こした後、自殺する。
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        1827-1877(明治10)年(49歳)
        木戸孝允・大久保利通とともに維新の三傑と呼ばれる。
        薩摩藩(現・鹿児島県西部)の下級藩士の長男として生まれる。
        藩主の島津斉彬(しまづ なりあきら)に見いだされて側近として活躍する。
        
          1858年(安政5)、斉彬の死、及び安政の大獄で失脚し、奄美大島で幽囚生活を送る。
          1862年(文久2)に復権した後、島津久光と折り合わず再度の流罪にもあう。
        1864年(元治元)、禁門の変から長州征伐、やがて王政復古から戊辰戦争という事態を巧みに主導し、明治維新を成功に導く。
        
        1871年(明治4)、諸条件をのませて新政府の参議に迎えられると、岩倉使節団外遊中の留守政府をあずかり、地租改正・徴兵制・学制ほか革新的政策を進める。
        
          1873(明治6)年、征韓論問題で民間に下る。
          その行動に多くの薩摩藩出身者が従い、彼が遊居する鹿児島県下は私学校生徒を中心に独立王国のようになり、やがて不平士族の盟主と仰がれるようになる。
        1877(明治10)年、彼らの熱情にも引きずられ西南戦争を起こすが敗退し、鹿児島の城山で自殺した。
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      | 関連 | 
    
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      | 関連HP | 
    
      | 西郷南洲顕彰館(鹿児島県鹿児島市) | 
    
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      | ■愛宕神社の「西郷隆盛 勝海舟 愛宕山無血開城会談の地」撮影用衝立(東京都港区) 
  2010/11/25
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      | ■西郷隆盛像−上野恩賜公園(東京都台東区) 
  2004/12/8
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      | 2011.03.09 | 
    
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