- 1830〜1878(明治11)年
- 西郷隆盛・木戸孝允とともに維新の三傑と呼ばれる。
- 薩摩藩(現・鹿児島県西部)の下級藩士の長男として生まれる。
- 父の利世は、お由良騒動と呼ばれる御家騒動で島津斉彬(しまづ なりあきら)擁立派に属して流罪となったため、若い利通は多くの苦労を経験した。
- この体験が、のちに現実主義者と評される下地をつくったという。
- 斉彬のもとに集まった改革派下士層と組み急進的尊王攘夷派を結成したが、藩庁との抗争を避け、斉彬死後に藩政の実権を握った島津久光の信任を得て藩の中枢へ入った。
- たくみに藩論の統一を図り、事態の動きに応じて藩の枠を超えて活動し、討幕運動を主導して1867(慶応3)年、王政復古を果たす。
- 維新後は新政府の体制樹立に力を注ぎ、征韓論問題に始まる1873年の明治6年政変後は、新設した内務省長官の内務卿として実権を握る。
- 強権発動で士族反乱や初期の自由民権運動などを乗り切り、岩倉使節団での視察を生かし上からの富国強兵・殖産興業策を押し進め、明治国家の基礎を固めた。
- しかし、その専制体制は反発も生み、とくに不平士族の恨みを買って、宮中に向かう途中を彼らに襲われ殺害された。
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