- 1833-1877(明治10)年(45歳)
- 幕末期には桂小五郎の名で知られる。
- 西郷隆盛・大久保利通とともに維新の三傑と呼ばれる。
- 長州藩(現・山口県北西部)の藩医和田家に生まれ、のち藩士の桂家の養子となる。
- 1849(嘉永2)年、吉田松陰の松下村塾(しょうかそんじゅく)に入門する。
- 1852年、江戸に出て斎藤弥九郎の道場に入り、塾頭にまでのぼった。
- 1858(安政5)年、帰藩の後、しだいに尊王攘夷運動の長州藩代表者としての地位を固めた。
- 開明派とも親しい人脈から尊攘激派とは一線を画し、1863(文久3)年8月18日の政変後も京都にとどまり、藩の信頼回復に努めた。
- しかし藩の出兵行動をおさえられず、1864(元治元)年の禁門の変により潜伏に追い込まれた。
- 1865(慶応元)年の討幕派の勝利で藩中枢に復帰、薩摩藩との連帯を進めて明治維新を導いた。
- 維新後は長州系首領として大きな影響力をもち、政治路線の違いもあり大久保利通との対立を深めていく。
- 1874(明治7)年、台湾出兵論に反対して参議を辞任。
- 1875(明治8)年、立憲制を漸次採用していくことを条件に復職したが、大久保専制体制の強化を嫌って、翌年に再び辞任。
- 西南戦争中に京都で病死する。
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