歴史
同心 どうしん
  • もとは心を合わせて協力すること(人)で、戦国期に大名が家臣団編成と軍団構成のため、配下の有力家臣に在地の武士を従わせる寄親・寄子制をとるようになると、寄子のうちの下級者、名主層出身の徒(かち)の者が同心と呼ばれた。
  • 江戸時代には、御家人がつく職となり、多くは与力の配下で活動した。
    • 大番や書院番、留守居(るすい)ほか、武官の番方(ばんかた)職に軍事力としてつけられたが、町奉行や遠国奉行ら文官の役方(やくかた)にもつけられている。
    • 役方配下の同心は、事務処理のほか警察的職務もはたした。
      • なかでも町奉行所に付属した町同心は有名。
    • このうち奉行の意をうけて市中の動静を探索した隠密廻りをはじめ、市中を巡回する定(じょう)廻り、定廻りの不備を補(おぎな)う臨時廻りは三廻りといわれる。
      • 三廻りは同心だけの職だったが、ほかにも与力が分担する各分課の下役として配属され、南・北町奉行それぞれに100人以上いた。
  • 参考:エンカルタ2007
関連
■江戸時代、同心が住んでいた同心小路(長野県松本市)

2006/5/26
■100人の同心が配属されていた皇居の百人番所(東京都千代田区)

2005/9/3
2011.01.24

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