歴史
与力 よりき
  • 寄騎とも書く。
  • もとはある人に加勢すること(人)をいい、鎌倉時代からみられた。
  • 戦国期には、大名は家臣団編成と軍団構成のため、配下の有力家臣に在地の武士を従わせる寄親・寄子制をとったが、寄子のうち騎馬の武士が与力・寄騎といわれた。
  • 江戸時代には、大番や書院番、留守居(るすい)など武官である番方(ばんかた)の職に軍事力としてつけられたが、町奉行や遠国奉行など文官の役方(やくかた)にもつけられた。
    • 役方配下の与力は職務に精通し、円滑な運用にかかせなかった。
    • なかでも町奉行所に付属した町与力は、時代劇などでもよく知られ、奉行所の総務を統括する年番方、実際に裁判を処理する吟味方などに分かれている。
    • 定員は1719(享保4)年(江戸時代中期)に南・北町奉行所各25名と決められ、うち2名は奉行個人の家来から任命し内与力(ないよりき)と呼んだ。
  • 参考:エンカルタ2007
2011.01.24

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