- 1833(江戸時代後期)〜1896(明治29)年
- ストックホルムに生まれ、ロシアのペテルブルグで教育を受けたのち、アメリカに遊学し機械工学を学ぶ。
- その後ペテルブルグに戻り、そこで地雷や水雷などの爆薬製造事業を営んでいた父のもとで働いた。
- 1859年、スウェーデンに帰国し、ニトログリセリンの製造工場をおこした。
- 1864年、工場爆発で弟と、ほか4人を失った。
- このことからニトログリセリンの安全な取扱い法についての研究開発を始める。
- 1867年(日本-江戸時代末期)、液状のニトログリセリンを珪藻土に染み込ませた、より安定性の高い固体爆薬の開発に成功。
- これをダイナマイトと名づけた。
- その後も無煙火薬のバリスタイトなどを発明し、世界各地に火薬工場を設立して巨利を得る。
- しかし、独身で子供がいないこと、彼が発明した無煙火薬が戦争で猛威を奮っていることへの後悔の念から、有名な遺言をのこした。
- その遺言により、900万ドルにものぼる遺産のほぼ全額を基金として、ノーベル財団が、そしてノーベル賞が設立された。
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