イタリア・人物
マルコ・ポーロ Marco Polo
  • 東方見聞録が有名な、ヨーロッパにはじめてアジア社会の実態をつたえたイタリアの旅行家。
  • 1254?〜1324(日本・鎌倉時代)
  • 父と叔父は東方貿易に従事していた。
    • 父と叔父は大都(現、中国・北京)に赴いて世祖(フビライ・ハーン)に面会する(1264〜65)。
    • 1269年、2人はローマ教皇に当てたフビライの書簡を預かってベネツィアに帰る。
  • 1271年、2人はマルコを連れて、イランからパミール高原を越えて、現在の新疆ウイグル自治区にあるロプノールにいたり、最後にゴビ砂漠を抜ける。
  • 1274年、大都の北方の上都(現ドロンノール)にいたフビライのもとに到着。
    • マルコ・ポーロはフビライに仕えることになり、揚州(現、江蘇省江都県)の総督を3年務めたほか、フビライの使節として各地を巡り、17年間中国に滞在する。
  • 1292年、イル・ハーン国のアルグーン・ハーンのもとに嫁ぐ王女に同道して海路、ホルムズまで行くことになる。
  • 1295年、ベネツィアに戻る。
  • 1298年、ベネツィア艦隊のガレー船指揮官としてジェノバとの戦争に参加したが、捕虜になって投獄される。
  • 東方見聞録
    • マルコは投獄されたとき、同房の囚人で、ピサ出身の物語作者ルスチケロに四半世紀にわたるアジアの生活を物語った。
    • このルスチケロが記述したものが「東方見聞録」のもと。
      • 「東方見聞録」は、写本のかたちでヨーロッパに普及し、印刷されたものとしてはフランスで刊行されたものが最初。
      • これは、旅行のいきさつから始めて、中国滞在中の活動、帰国の経緯を記し、アジア各地の観察記録、耳にした情報などを伝えている。
      • 日本は黄金の国ジパングと紹介された。
      • 「東方見聞録」は長い間、ヨーロッパ人が手にすることのできる唯一の正確なアジアに関する情報源として利用された。
      • マルコ・ポーロの記すアジアに到達しようとしてアメリカ大陸に行き着いたたコロンブス、喜望峰回りでインドに到着したバスコ・ダ・ガマの事例は有名。
2011.02.13

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