- 首塚は、平安時代の武将、平将門の「飛び首」伝説によるもの
- 940(天慶(てんぎょう)3)年、現・茨城県坂東市(ばんどうし)で討たれた将門の首は京都に運ばれてさらされたが、残された体を求めて飛んできて、この大手町に落ちてきたという
- 実際、縁者が京都から持ち帰って首をここに埋めたとも
- 神田明神は将門の霊を御神体として祭っている
- 1923(大正12)年の関東大震災で塚が崩れ、石棺が見つかったが、すでに盗掘されていたため塚は整地されてしまった
- すると庁舎があった旧大蔵省では役人が次々と病死したり、将門没後千年に当たる1940(昭和15)年には、庁舎が落雷で炎上したという
- そのため旧大蔵省により鎮め祭が行われたという
- 平将門に由来する地名は、東京や関東に点在するという
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